ゼロメーターの誘惑
この年頃の女子達っつのはなんでこうも煩いんだろう(まあ、俺も同い年なんだけどそれはちょっと置いといて)。マジでうるせー。シカマルの口癖がめんどくせぇになったのも分かるよな、と思いながらキバはため息をこぼした。
「あの二人できてんの?」
「手つないだり、ラブいとこなんて全然ないじゃない」
「前からずっとあんな感じだし」
奈良くん結構イケてると思って狙ってたのにー、犬塚くん何か聞いて知ってるんでしょ?とかなんとか喧しい声で問い掛けられて、ついキツい本音が漏れてしまったとしても、断じて俺のせいじゃないと思う。
「ただのご近所さんで幼なじみのままだよね。ね?」
「勿体振らないで教えてよ!」
「今日シカマルくんの誕生日だし」
つか、あいつの誕生日が今日かどうかなんて今の質問攻め状態に何の関係があんだろ。マジうるせー。
「………だから、お前らじゃだめなんじゃねーの」
したり顔で言い放ったら、ちょっとすっきりした。「ええーっ!?それって酷くない?」「犬塚くん最低…!」続く非難の嵐に堪えかねて、すっと席を立つ。「逃げるの?」って、お前らのその剣幕見せられたら誰だって逃げたくなんだろうが。
ったく、昼休みくらいゆっくりさせろっつの。好きな男の親友を最低呼ばわりするような女、シカちゃんが選ぶ訳ねぇし。心の中で呟いて教室を出れば、とばっちりのかかりそうなナルトも小走りで着いてきた。
只今当人たちはたぶん屋上。一言文句でも言ってやるか、と最上階へ続く階段へ向かう。
「…俺も何かすっきりしたってばよ」
「ああ、だな」
二人で顔を見合わせてニヤリ。階段を二段飛びで駆け上がる俺達の足取りは、ひどく軽かった。
◆
二人きりだからって別に人様に見られて困るようなことをしている訳では決してない。寝転んで半分眠りに引きずり込まれそうになりながら空を眺める俺の隣には、いつものように文庫本を手にした彼女。しごく健全で模範的な高校生カップルの姿だ。
だから、昼休み中盤にキバとナルトが屋上に現れたときだって、別にシカマルには動揺もなにもなかった。煩いのが来たな、ってそれだけ。
「んだよ、珍しいな」
「まーな」
「暑い日に炎天下で寝転ぶなんて、気が知れねぇ…じゃなかったか?」
「照り付ける太陽の下よりもっと不愉快な環境もあるってこと」
そう言ってごろりと寝転んだキバの台詞にだいたいの察しがついて、シカマルは心の中で悪ぃなと詫びた。
そのまま大した会話もせずに数十分。半ばまどろんでいた俺の印象に残ったのは「いつも何読んでるんだってばよ?」というナルトの問いと、「三人は本当に仲がいいんだね」と微笑んだ彼女の表情だけ。
近くにいすぎてわからなくなることって結構多い。やんわりと過ぎる時間はいつまでも続きそうな気がして、なのにいつか壊れそうでそれだけがこわい。ずっとそう思っていたけれど。
ちらりと片目をあけて彼女を盗み見たら、まるでタイミングを計ったように本から顔を上げた色素の薄い瞳と目が合って。
「ん…?」
「いや、何もねぇ」
言葉じゃないもので繋がっている気がする。そう意識した瞬間どくりと騒いだ胸を抑えつけるように目を閉じた。
「何だってばよそれ、二人だけのヒミツの暗号?」
「んなんじゃねえって」
「シカちゃんやーらし」
「バカ」
いまここに流れる空気はいつになく心地好くて、キバとナルトが笑ってて、彼女も微笑んでいて。それはつまり彼女があいつらとの関係も含めて俺を受け入れている証拠なんだろう。そのことが単純に嬉しくてシカマルは口元をゆるめた。
◆
「帰るか」
「まだ明るいけど………あ!」
「ん?」
「今日は帰りどこか寄ろう、」
ケーキ私がおごるから。と言葉を続けながら彼女が本を閉じる。甘いモノなんて柄じゃねえし、どっちかっつうと苦手分野。でも彼女なりに俺の生まれた日を祝いたいと思ってくれてることは素直に嬉しかった。そのくせ意地悪な俺は全然逆のことを言う。
「何で?」
一歩近づいて、わざとらしく問い掛ける。瞳を見据えたまま、もう一歩。
「シカマルお誕生日だから」
立ち上がりかけた彼女の肩にそっと手を置いて椅子に沈めて。上目遣いのその顔を覗き込む。いつもの仏頂面を少しだけやわらかくして。
「……甘いモンは」
「苦手?」
腰を屈め、額が触れそうな位置で交わす会話。あと数センチのもどかしい距離。誕生日に欲しいものなら、もう勝手に決めていた。彼女ならきっと拒まないと確信もあった。
ごくり、唾液を嚥下する音がやけに大きく響く。あまりに近くて、産毛まで見えそうで。心臓が痛いほどに拍動を繰り返している。
「シカ…?」
「甘いモンなら」
鼻先を掠めて、盗むように素早くくちびるを重ねてはすぐに離す。触れるか触れないかの、ごく軽いキス。それ以上続ければ喋れなくなりそうだった。余裕を保てるぎりぎりのライン。
「これだけで充分」
「………」
驚きで見開かれた瞳を直視できずに顔を逸らせば、たどたどしい手が俺の首筋に縋り付く。
「ごちそうさん」
「……おめでと」
「さんきゅ」
それだけで充分だったのに。そこでやめておくつもりだったのに。抱き起こして向かい合った直後、傾きながらくちびるが近づいてきて。やっと柔らかさを知ったばかりのそれに見惚れていたら、いつもより掠れた彼女の声。
「ごめん…シカ」
「ん?」
「何が何だか分からなかったから…」
「わり」
「だから、」
そこで一旦言葉を切って、彼女は少し俯いて視線を外すと、すうっと息を吸い込む。一瞬の沈黙のあと、眦を染めた双眸がふたたびシカマルを捉え、震える声が続く。
「………もう一度、最初から」
その言葉を聞いた途端に、シカマルの中で何かが爆ぜた。見たこともない表情をした彼女がそこにいる。たぶん俺もいま誰にも見せたことのない表情をしてるんだろう。顔が熱い。掌もどこもかしこも熱くてのぼせそうなのに、背筋をぞくりとするものが這い上がる。鼓動が聞こえそうなほど高鳴っている。
――ったく、そういうの反則…。
微かに潤んだ瞳に自分が映っているのを見てしまえば、考えるより先に身体が勝手に動いていた。
細い肩を抱きしめて、腰をぐいっと引き寄せる。返事をする余裕もなく塞いだくちびるはやっぱり溶けそうなほどやわらかくて、ひどく熱っぽかった。
ゼロメーターの誘惑呼吸まで支配するほど深くふかく口づけながら、この瞬間を閉じ込めてしまいたいと思った。