攻撃は無効
たっぷり8分は続いた沈黙のあと、無言の背中が笑った。
「…なに?」
「いや別に」
「意地張るのも大概にしろよ、とか思ってるんでしょ」
全然、と答えながら肩を竦める姿が憎たらしい。背中に滲む余裕と低い声のトーン。風呂上がりの鈍い金色の髪先から雫がぽたりと床を濡らす。
「怒ってる?」
「さあな」
「やっぱり怒ってる」
無言のままゲンマは再び肩を竦め、顔を半分だけこちらに向けた。歪んだ唇に浮かぶのは嘲笑だろうか。呆れ果てたようなため息をひとつ漏らす、そんな横顔さえ美しいのだからこの男はつくづくいただけない。
忙しかった。久しぶりに任された大きな仕事のせいで無理をして、ここ数日ゲンマよりも遅い帰宅が続いていたのは事実。ただいま、とドアを開けた瞬間に玄関にへたりと座り込みたくなって。たまたまお風呂から上がったゲンマに倒れる寸前で抱き留められた。
「お前な…」
そう言ったきり背中を向けてしまった彼と、リビングで無言の攻防が約10分。そして、背中だけで彼は笑った。
任された仕事はきちんとこなしたい。体調管理は完璧にしていたし、家事にも手を抜いていないつもりだ。いくらでも言い分はある。なのにその横顔を見せられると、食い下がる気もすっかり失くなってしまうのだから、本当にいただけないのは私の方かもしれない。
「ったく、おめでたい女だな」
「…え」
「簡単に怒って貰えるとか思ってんじゃねえよ」
ニヤリと持ち上がった口角の奥から「俺様に」って声が聞こえた気がした。
「……」
「別に止めねえけど」
何を?と聞き返すことも出来ずに口を噤めば、視線の端ですらりと伸びた指先が煙草を掴む。滑らかな仕草でライターをつまみ上げる長い指を黙って見つめた。
「意地を張れるもんならどうぞお好きに。気が済むまで」
形良い唇にくわえ込まれた煙草の先端で、小さな火種がちりちりと燃えている。伸びていく灰をぽん、と払い落とすように自分も簡単に切り捨てられてしまうのかと思ったら悔しさよりも怒りよりも先に別のものが込み上げる。
「別にそんな…」
「ん?反論か」
意味深な笑みを浮かべて煙を吐き出す顔、軽く眇められた瞳は雄弁で。言いかけた言葉を飲み込ませるには充分だった。
「反論なんて……何もありません。ごめんなさい」
明日はもっと早く帰るから。と続ける私の瞳をしっかり覗き込んでゲンマは ふっ、と満足げに笑った。
「狡いよね」
「何が?」
「……もういい」
攻撃は無効掌の上で転がされる幸せっつうのもあるんじゃねえの?- - - - - - - -
2010.11.18
いい男になら翻弄されてもいいよ