それが規則ですから

 腹7分目で、ほんのすこし寝不足。部屋の明かりは仄暗くして、身につける服も常識マイナス1枚。
 いつだって、足りないくらいがちょうどいい。


「勝負しようか、アオバ」

 彼女にそう言われたとき何も問わずに頷いたのも、情報の不足した争いにおもしろさを感じたからだった。

「いいよ」
「ずいぶんあっさり承諾するね」
「負ける気がしないからね」
「どんな勝負でも ってこと?」

 鼻の奥でふん、と笑って「十中八九はそうかな」と言えば、軽い手刀がうなじに決まった。ふざけただけのそれに、大した攻撃力はない。

「暴力反対」
「いくらやわらかい声で言ってもムカつくことはムカつくってご存知ですかアオバさん」

 腹立ち混じりの言葉を笑顔で紡ぐ彼女が好きだ。明かりの足りない俺の部屋で、彼女の横顔を月が照らす。

「本当のこと、ってのはいつ言われても腹が立つもんだよ」
「ますますムカつく」
「俺には怒らせる気なんてない」
「知ってます 慣れました そういう奴だよね、昔から」

 その言葉で、彼女のなかに山城アオバって人間がちゃんといることに、くちびるが勝手にゆるんだ。

「で、どんな勝負?」
「ルールは簡単。相手をより困らせたほうが勝ち、方法は問わない。どちらかがギブアップ宣言したら終わり」
「ペナルティは」
「負けた方が勝った方の言うことをひとつだけ聞くの」

 ほらね、やっぱりおもしろい。承諾してよかった。負ける気がしない。

「いつでもどうぞ」
「じゃあ、1分後にスタートね」

 そう言って彼女は、また笑った。笑顔の裏で60秒、拙い作戦でも練っているのだろうか。無駄なのに。
 と思った刹那、すばやく眼鏡を奪われて視界を9割失った。

 俺は見た目通りかなり目が悪い。なくした視力をカバーするために目を細め、手探りで空間をたどる。部屋が薄暗いせいで余計にものが輪郭をうしなう。ほとんど見えない。

「どう、アオバ。困った?」
「……」
「ギブアップしちゃえばいいよ」

 見えないけれど、それだけ喋ってくれればこちらのものだ。声で彼女の位置を捕捉して、体ごと引き寄せる。
 ほら、もう腕のなか。

「つかまえた」
「……っ、」
「へえー。抱きしめたら急に静かになるんだね」
「…アオバ、放して」

 言うことを聞かず、逆に腕の力をじわじわと強める。髪に鼻先を埋めればいい匂いがする。両手のなかで、彼女の細い肩がふるえた。

「“困りましたギブアップですアオバさん”って言えたら放してあげてもいいよ」
「……言わ、ない」

 肩に顎を乗せてささやけば、力ない声がまだ強がるから。そんな反応を見ると、もっともっと追い詰めたくなるんだ。本当はいま、君がどんな顔をしているのか見たくて堪らない。
「強情だね」と低く溜めた声で耳たぶを掠めたら、君の全身がぎゅっと強張った。

「止めないと、もっとやるけど」

 耳たぶから頬へゆるりとくちびるを滑らせる。彼女の吐息に、胸がざわざわと波立っている。
 いま止めてくれないと、そろそろ止まらなくなりそうで。だけど止めたくなくて、せり上がる欲を抑えつけたら、みぞおちの内側がぐっと狭まる。
 まあ、いいや。どちらにしろ俺の勝ちは決定。

「ん?どうする」

 すべる唇が彼女のふるえるそれに触れる寸前、か細い声が空気を縫った。あーあ、ちょっと残念。

「……ギブ アップ」
「よく出来ました」

 そう言って髪にくちづけたら、彼女は素直に眼鏡を返す。仕方がないから名残惜しく思いつつ彼女をそっと解放した。

「せっかくアオバを困らせてやろうと思ったのに」
「まだまだ、だね」

 数分ぶりにレンズ越しにみた彼女の眼は、すっかり潤んでいたから。ちょっとだけ、いつもの主義を曲げてもいいかな。
 足りない。このままじゃもう、全然足りない。

「ペナルティなに?」と問うちょっと不機嫌な彼女をもう一度抱きよせて、耳元でささやく言葉はもうすっかり決まってるんだ。


それが規則ですから
じゃあ 続き、していいかな
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