テメェで考えやがれ

当たり前の毎日に不満を持つことが我が儘だと気付いたのは自分が大人になったからだと思っていた。

「贅沢ですよね」

なのに、「だからテメェは餓鬼なんだよ」と言われたらその通りな気がした。大人はきっとわざわざこんなことを口にしたりしない。
髪の毛にあの人の指先の感触が残っていた。無造作で温かい掌。忍の当たり前の日常は目まぐるしく無情で横暴だ。

「じゃあ奈良上忍はどうなんですか」
「なにが」
「不満」
「さぁなァ」
「あるのかないのか、はっきりして下さいよ」

むきになって馬鹿馬鹿しい主張している理由なんてちっとも分からなかったけれど、その言葉が今の空気に似合わないことは分かった。そんなことのためにこうして一緒にいる訳ではない。ただ平坦な時間が欲しかった。
さっき私に触れてすぐに離れていった手は、当たり前のように盃を握っている。静かな夜を過ごすつもりが噛み付いて事を荒立てかけている私はやっぱりこの人の言う通りまだまだガキだ。どうしようもない子供。

「俺のこたぁどうでも良いだろうが」

いつもより緩んだ表情で盃を傾ける彼のこめかみの傷痕がほんのりと染まる。横顔に色を添える黒目はどこまでも黒い。
奈良上忍のこんな姿を初めてこんなに近くで見た。奈良一族の切れ者――そんな二つ名は欠片も感じさせない力の抜けた表情をすぐ傍で見たら、余計にこの人が遠く見えた。
血の通う焼けた肌に刻まれた二本の傷。その裏にどんな想いが隠れているのだろう。大人は隠し事が上手だ。

「………」
「いいからもっと飲め」

普段の私ならどうでもよくありませんと主張する場面。だけど口を噤んでしまったのは、これ以上ガキっぽいと思われたくなかったから。この人に釣り合うように、なんてのが戯言だというのは重々わかっているけれど、ほんの少しでもいいから溝を浅くしたかった。

「そう、ですね」

今にもこぼれ落ちそうな言葉と一緒に透き通る液体を流し込む。そうやって意図的に沈めてしまえば、本当に彼の言葉通り上っ面の会話なんてどうでも良いと思えた。彼は彼で、私が何を聞いても聞かなくても彼のまま。変わらない。

「案外物分かりがいいじゃねぇか」

笑顔だけを向けて、無言でグラスを合わせる。いまは自分が何を喋っても陳腐に聞こえると思った。無理に喋れば弱々しい声が出そうだった。

「いつもこん位素直だといいのになァ」

私のそんな様子には気付かないふりで、ふざけた口調の彼が少しだけ身体を傾ける。
触れそうな位置にある奈良上忍の指は百戦錬磨の手練れのものとは思えないくらいすらりと細くて綺麗だ。その指先を見つめていたら、並んでお酒を飲んでいることがまったく現実感を失って自分のなかに染み込んでくる。私たちはどう見えているんだろう。


「女はそうやってにこにこ笑ってりゃいいんだよ」
「………」

どう見えるのか気にはなるのに、どんな風に見られたいのかは分からなくて。師弟も先輩後輩も親子も恋人も、どれも違う気がする。

「それで男は救われんだ」
「でも、」

でも、なに?反論の言葉も見付からないのに口を開けば、やっぱり弱々しい声が出た。お酒で喉が焼けてしまったように頼りなく掠れた声。

「違う」
「なにが」
「違うんです」

何か言葉を続けなくてはと思ったのに ろくな台詞は出て来てくれない。なにが違うのと自分に問い掛けながら、ただ同じ台詞を何度も繰り返す私は一体何がしたいんだろう。何を聞きたいんだろう。

「……違う、んです」

青臭さと否定は切ってもきれない。私そんなに素直じゃありません、物分かりもよくありません、面倒臭いただのガキだけどガキ扱いされたくありません。適当にあしらわれたくありません。貴方のことを知りたいけれど聞いて貴方のことを分かるなんて思ってません。違うちがうちがうちがうちがう。


「まあ、飲め」
「………はい」

この人の傍にいたら呼吸が不器用になる。飲み下す液体でちいさく動く喉仏を見ていたら、息が止まりそうになる。どうしたらいいのか分からなくなる。


「何でこんな…」
「ん?」
「何でこんな風に私を気にかけて下さるんですか」

聞きたい答えは一つだった。たった一つしかなかった。そんな私を見つめて、彼は心底困ったように頭を掻いた。

「何でそんな顔」
「阿呆…」

その阿呆が何よりも嬉しいだなんて――



テメェで考えやがれ

一々そんなこと言える訳ねぇだろうが。
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2010.12.12
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