ゆびきりげんまん

「何て言えばいいかな、退屈なの」

向き合って数分、まるで世間話をするみたいに柔らかい口調で彼女が呟いた。なんにも執着していないようなさり気ない顔、掴みどころのないその顔に俺は惚れたんだ、と思い出した。

退屈なの。退屈――

ざわめいていたカフェの一角が、急に音をなくす。言ったきり俯いた女を前にシカマルは持ち上げたコーヒーをそっとテーブルへおろす。かちゃり、カップとソーサーの触れる音が耳障りな騒音に聞こえた。
言いたいことはたくさんあったのに、どれも言葉にならなかった。口を噤みながら頭の隅っこではタイクツって改めてすげぇ破壊力のある言葉だよな、なんて他人事みたいに思っている。危機感がなさすぎだろうか。

彼女の唇は柔らかい弧を描いている。自分は一体どんな顔をしているんだろう。という以前に、どんな顔をすればいいんだろう。こんな時には。
こんな時、と言葉にして思い浮かべたらよくない実感が胸へ流れ込む。こんな時って何だよ、そんな素振りは一度も見せなかったじゃないか、彼女は。

「思ったこと、ない?」
「俺が?」
「そう」

退屈なの、と伝えるだけにしては余りに優しい表情がこちらを見上げる。だから途端にわからなくなる。どういう意味だ、退屈って。
俺は日本語がわかりません。分かりたくありません。


「俺は…」

彼女の細い指先でくるくると弄ばれている安っぽいストローが、ぺきっ、小さな音を立てて不格好に折れ曲がる。見えない感情を具現化して見せつけられた気がして胸の奥がちいさく軋んだ。薄っぺらいプラスチックの筒がまるで自分みたいだ、と思った。

「ないの?」
「…………」

お洒落を気取ったそのカフェは昼間なのに仄かに暗く、陽が差し込まない。それすらなにかのメタファーのように感じる。卑屈すぎだろうか。イケテネーズからはとっくに卒業したつもりだったのに、今の俺まじイケてねー。
ため息を吐きながら、卑屈になっているのは自信がないからだと気づく。いや、もうずっと前から本当は気づいていた。彼女に釣り合っている自信がない。それくらい彼女は別格で、そんな彼女を卑屈になるくらいすきだった。
冷たい言葉を吐きながら、嘘みたいにきれいな表情をはりつけている女がすきだった。残酷な台詞を声も震わせずに発する女がすきだった。

彼女は折れたストローをあっさりと抜き取って、グラスから直接琥珀の液体を唇に注ぎ込む。そんな不作法な仕草さえ上品で様になっている。透明の向こう、艶っぽい膨らみがちらついた。グラスの中、氷がカランと澄んだ音をたてる。

退屈、か。一般的には俺のこと、なんだろうなこの場合。どう考えても。それって順当に考えればどんなに頭の悪いやつでも同じ答えにたどり着く類のことで、つまりは別れ話の前振りで、俺なんかじゃ彼女の相手には物足りないから別れようって、そういうこと。たぶん、よく考えなくてもそういうこと。
女心となんとやら、って諺もあるじゃないか。だから俺は日本語が嫌いだ。


――…退屈。退屈なの。

壊れたプレーヤーみたいに同じ単語が何度もなんどもリプレイしている。退屈。たいくつ。タイクツ。退屈 退屈 退屈。

「シカマル」
「…………」
「シカ…」
「んあ?」
「聞いてる?」
「ああ……いや、わりぃ」

短い台詞を反芻している俺の目の前で手の平がひらひら揺れている。きれいに塗られた爪が視線をほんの一時だけ翻弄して離れていった。

「退屈してる?」
「別に」
「よかった」
「で、………お前 は?」

必死で怯えを隠して問い掛ければ、そこには信じられないくらい完璧な笑顔があった。拍子抜けするくらいきれいな。

「全然」

拍子抜けするくらいあっさりと、予想の真逆の言葉が返ってくる。

「うそだろ」
「ほんと」
「………」

さっきまでその口で退屈だって零してたじゃねえか、どういうことだよあれは。口先まで出掛けた言葉を、眉間の奥で噛み殺す。さめたコーヒーと一緒に不可解さを腹の底に流し込む。

「あれ、反論しないの?」
「するかよ、バーカ」
「……残念」

意外な台詞に目を見開けば、きれいな唇が、およそきれいとは言えない言葉を紡ぐ。顎を支える手首で、細いバングルが照明を反射している。

「んだよ、それ」
「趣味…というか、趣向?」
「……は?」
「追い詰められた美青年の顔を観察するほど幸せなことってないよね」
「じゃあ あれって、」
「うん。わざと」
「………ひで」
「ごめんね」

おまけに、謝ったあとで「でも、物分かりよすぎる男はちょっと退屈」、なんて憎たらしいことを呟くものだから、ガクリと全身の力が抜ける。

散々躍らされたっつうことかよ。愚痴を吐きながらも、不思議と腹はまったく立たなかった。

でも。

腹を立てる代わりに、こっそり心に誓うくらいは許されると思うんだ。


ゆびきりげんまん
こんどはきっと俺が追い詰めてやる。
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2011.02.10
ヘタレな彼もわるくない。
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