恋は盲目だから。
「はい、108回目」
そう言って彼女が目の前の紙に正の字を一本書き加えたのは、シカマルがいつもの口癖をこぼした直後だった。
「もしかして数えてたんすか」
「うん」
いったい何がそんなに楽しいのか、満面の笑みで俺をのぞき見る彼女に舌打ちをひとつ。
無言で紙に向き合ったまま何をやっているのかと思えば、俺の吐き出す「めんどくせぇ」の数をカウントしていたらしい。なんで今更そんなことをするんだ、なんでアンタはそこに居るんだ、まるで当たり前みたいに。
「めんどくせーことするんすね」
「そう?109回」
「また」
「余裕で煩悩の数超え!流石奈良くん」
「ったく、」
丁寧に書き足される正の字に、彼女の真意を計りかねる。そうやって意味を計りたいと思っている自分に気付いた瞬間、また面倒だと思った。
「面倒臭い?」
「……うす」
「はい110回」
「な!今のもカウントするんすか」
俺いま、「うす」しか言ってねえんだけど。ったくマジでめんどくせぇヒトだな。意味分かんねえし、まあわざわざ抗議するほどの事でもねえけど。
がりがりと頭を掻けば、心のなかの呟きを見透かすみたいな「冗談だよ」って笑い混じりの声が聞こえた。
君のことなら何でもお見通し、ってか。そういう空気もめんどくせぇ。つうか恥ずかしい。
「奈良くん」
「はい?」
「面倒臭いってどういうことか、考えたことある?」
「なんすか唐突に」
「ある?」
「いや。んなめんどくせぇことする訳ねぇっすよ」
「だよね、うん」
間髪入れずに無言で書き加えられる110個目のカウントを眺め、彼女に気付かれないように細いため息を漏らす。
「で、なんなんすか」
「面倒臭いって感情はね、すこし我慢すれば出来る、ってこと」
「……はあ」
「ピンと来ない?」
「まあ」
「ホントは分かってるくせに」
分かってない。分からない。アンタのことはいつだって。
その笑顔の意味も、やけに俺の周りに神出鬼没なその行動原理も、なんで俺がこんなにアンタの事を気にしてばっかなのかも。
「………」
「つまりね、奈良くんってのは」
先の先まで瞬時に見渡せてしまうし、見渡した先でとるべき行動がなんなのか、そういうとこまで具体的に見えてしまう人。
そう言い切って細めた目で空を見上げる彼女の髪が風に乗って頬を掠めた。
「買い被りすぎっすよ」
「そんな具体化された面倒さを、めんどくせぇという口癖でサラリと受け流して、そつなくこなしてしまう人だと思う」
あまりに自信満々な台詞に、言葉を挟むのを忘れた。というよりも本当は、その横顔に見とれてた。
「つまり君の「めんどくせぇ」は分かった任せろ、と同義なんだよ。だから、」
そこで一旦言葉を切った彼女をまっすぐ見据える。大きく見開かれた瞳がゆらゆらと二度揺れて、そっと俺を捉える。
「だから、恋ができないんだね」
「なんすかそれ」
「頭のいい人は恋ができない、って格言知らない?」
「……さあ。どうなんすかね」
つうかそんな言葉知らねぇし、知りたくもねえし。もうこれ以上めんどくせぇこと言うなっつうの。ばーか。
恋は盲目だから。111回目のカウントを塞いだ方法は秘密。- - - - - - - - - -
2011.06.30
「頭のいい人は恋ができない。恋は盲目だからだ。」という過去の偉人の明言があります、これホント。