迷えよ子羊、覚めぬ夢はない

いまさらどんな顔をして会えばいいのだろう、と『奈良』の表札を前に じっと立ち竦んだまま思い悩むこと約1時間と23分。
真冬のことである。
この季節の吹きっさらしの外は寒い。だいぶ寒い。いつの間にか陽もおちて、薄暗くなったら余計に肌寒い。地面に伸びる自分の影が、闇に溶けかけている。
このままここに立ち尽くしていたら足元からじわじわと固まって私きっと立ち姿のまま凍死するんじゃないかな。メドゥーサと視線を合わせて固まってしまった人みたいになるんじゃないかな。
いい加減に突撃御宅訪問するか諦めて帰るか決めないとLP削られすぎてやばい、と思うけど。でも。いまさら一体どんな顔をしてシカマルに会えばいいんだろう。

「自分がどんな顔をするか以前に、シカマルってどんな顔してたんだっけ」

長い黒髪を頭のてっぺんで一つにまとめて、元々きつめの眼をさらにキツく見せるような風貌を頭の中で思い描いてみるけれど、どうにも細部がぼんやりとぼやけてしまって自分の脳細胞の稚拙さを呪いたくなる。
あんなに好きだったはずなのに。寝ても覚めても奈良シカマル三昧、ってほど好きだったのに。人の記憶ってかなしいくらい脆弱なものなんだね。

「シカマル…」

そこまで考えたら、切なくなった。
長いこと会わなさすぎて、記憶のなかの面影がすっかり薄れてしまったのは私だけに起こる現象ではないはずだ。同じようにシカマルだって、もうすっかり私の面影が薄れてしまって、記憶から私の存在が消えてしまって、もしかしたら隣にはもう新しい女の子がいたりして。

もう、
新しいカノジョが

いたり、しないこともないかもしれない。いるかもしれない。
ドアをあけた向こう側で、シカマルが新しいカノジョと寄り添っているかもしれない。

「その可能性、なんでもっと早く思いつかなかったの私ばかなの」

たったいままで一度も思い浮かべなかった新しいカノジョの存在が、思いついたら 途端にぎゅうぎゅうと胸を締め付ける。恐ろしい勢いで締め付けてくる。自分とは別の誰かとシカマルが寄り添っているかもしれないと思ったら苦しくて、苦しくて堪らなくなった。

「そうだよシカマル、かっこいいんだもん皆が放っておくはずないよ。平気であんな心身ともに極上のイケメンを放っておける馬鹿野郎は私くらいだよ。そうだよ」

小さく呟いてみたら、自分の呟きが胸をぐさぐさと突き刺すから泣きたくなる。
そうだよ。あのレベルのいいオトコがいつまでも一人でいるはずないのに、そんな可能性にも気付かず数ヶ月も放置するなんて余程のバカしかやらない愚行だよ。
はあ、と吐き出したため息が白い。寒い、ね。寒い。

悩み疲れた上に凍えかけてやけくそ気味にインターホンを鳴らしてみたら、室内から聞こえてきたくぐもった声に我に返って条件反射でUターンダッシュしかけたところを、後ろから伸びてきた影にあっさり捕まえられた。
久しぶりに見せられた奈良家の術が、ゆるく私の身体を縛っている。

「っ!はなして」
「はなすかよ」

痛くはないけれど動けない。あっと言う間に玄関の内側へ引き込まれる。

「なんで?」
「それはこっちのセリフなんすけど」

だよね。そうだよね。
何ヶ月も放置していたのに突然現れたかと思ったら理由も明かさずピンポンダッシュで逃げるとか、なんなの。その変人なんなの。私ひどい。ひどすぎて何も言えない。

「で?」

問いながらシカマルが、くるりと私の身体を回転させる。伸びてきた影は容赦なく私を締め付けるから、逃げられない。こういうときに術を使うのはずるいなあ、と思う。シカマルはずるい。

「…で、って?」
「今度の理由はなんなんすか、ってこと」

今度の。
うん、私前科あるんだよね。前も同じパターンで数ヶ月どこかに消えたことある。し。

「その前に一つ伺ってもよろしいですかシカマルさん」
「んだよ、その他人行儀な喋り方」
「た、他人…でしょ」
「まあな。で、何?」
「……お一人ですか」
「は?」
「今お一人ですか。お部屋にカノジョさん来てらっしゃるとか、そんなことはないですか」

一息に尋ねて、呼吸をとめる。

「来てる、な」

やっぱり。
来てる、のか。

新しい「カノジョ」居たんだ。

予想はしていたことだけど、シカマルの口から直接聞かされたら目の前が真っ暗になった。
けど、自業自得だ。シカマルはなにも悪くないし、悪いのは自分。この状態を招いたのは自分。全部自分のせいだ。

「やっぱり?」
「ああ。来てる」

何度も言わないでほしい。
もう、聞きたくないよシカマル。私が悪かった。私が悪かったから。

「そ、そう…ですか」

そうですか。そうですよね。分かる。
これは、何ヶ月も連絡なしに放っておいた私の罪。私への罰。
だったら、せめて新しいカノジョさんにあらぬ誤解させないようにすることが、今の私に出来る最大限の償いだと思った。そう思って、玄関先で声を張り上げる。

「か!帰ります お邪魔しました 突然失礼いたしました 私は別に怪しいものとかではなくてですね、シカマルさんの古い友人と言うかなんというか 暇すぎて鼻ほじるくらいしかすることのない時にちょこっと相手してもらうただの取るに足りない知り合いと言うか、そんなようなもので。気になさる必要なんて全然…ぜんぜん」

全然、なくて。
関係なんてなくて。
私はシカマルとはぜんぜん関係などなくて。なんの関係もない。
また、自分の言葉がグサリ、グサリと心臓を突き刺す。

私と彼は、いつの間にか、
何の関係もない存在に成り下がってしまいました。

「ただ、たまたま顔を知っている程度の底の浅い付き合いで、なんの関係もなくて…なにも」

しゅるしゅると私の身体から、シカマルの影が消えてゆく。ひとつ、ふたつ、影が退くたびに私は姿勢を保てなくなる。思っていたよりずっとショックが大きかったのか、脱力しすぎて立っている自信がない。支えを失った全身が崩れ落ちる寸前で、シカマルの手ががっしりと腰を支えた。
途端にむん、と胸に迫る懐かしい香りにまた泣きそうになる。シカマルの香り。
なにこの状況。こんなところを新しいカノジョに見られたりしたらどうするの、困るんじゃないの。私も困る。すごく困るけどいまのふらふらの足では自分を支えられないし、何よりもシカマルに離してほしくないと思ってる自分の気持ちに困惑している。

「お前、誰に喋ってんの」
「え。あの、カノジョさん…に」

ごにょごにょと俯いたまま口ごもれば、シカマルがふっ、前髪に息を吹きかけてピンと私の額を弾いた。
なぜいまデコピン?意味がわからない。

「なにそれ…痛い」

意味がわからないけど、なんだか嬉しい。痛みなんてどうでもいい。ものすごく嬉しい。

「バーカ」

久しぶりに聞いたシカマルの「バーカ」が恐ろしく優しすぎると思ってしまった私はバカだ。

「カノジョさん、来てるんでしょ」
「ああ」
「私に構わずカノジョさん構えばいいじゃない」

嬉しいのに、こうして強がってしまう私は大バカだ。
本当はね、カノジョなんて放っておいて私を構えばいいのにって思ってる。本音なんて おこがましくて絶対口に出せないけど、そう思ってる。いま構われていることで、顔も知らないカノジョに対してかすかな優越感なんて感じてしまっている自分が愚かすぎて、いっそ笑える。

「やっぱりお前バカだな」
「バカは放っておいてカノジョさん構えばって、言って…」
「今構ってるんですけど」
「え、?」
「俺いまカノジョ構ってる」
「え、え、?」

ちょっと待って、いま私の脳内は大パニックです。
状況を整理する時間をください。
少し、時間を。

「カノジョ=お前」
「!?!!!」
「俺はまだ、そのつもりなんだけど」

お前は違うのかよ、と問いながらシカマルの指が額から頬へとすべりおちる。
嬉しいのと驚きと愛おしさと後悔となんだか温かいものと切なさと喜びが混ざり合って、おまけに泣きそうでぐちゃぐちゃ。
どんな顔でシカマルに会えばいいのか悩んでいたのに、ますますどんな顔をすればいいのか分からなくなって俯けば、さらりと長い指が顎を掬った。

「…っ、」
「いい加減にこっち見ろっつの」
「え、っと……」

久しぶりに至近距離で見せられたシカマルの顔は記憶の中のものよりずっと鮮やかで、ずっと優しくて。優しくて。溶けてしまいそうにやわらかくて。
キツい顔立ちの人が微笑むと、こんなにも心臓にクるんだね。私知らなかった。

「で?今度の理由、なに」

別に怒らないから言ってみ、という表情をされると逆に何もいえなくなるものなんだね。私、はじめて知ったよ。

「言いたくなけりゃ、別に無理しなくていいけどな」

無理しなくていいと言われたら無理したくなるものだ、ってことも初めて知った。
言わなくちゃならないと思った。言っても大丈夫だと思えた。

「……う、浮気」
「……」
「私 浮気をしてました」
「ふーん」
「思い切り、盛大に、浮気をしていました」
「へー」

何気ない表情で私を見下ろしながら、それでも視線だけはずっと逸らさないシカマルをしっかり見つめる。
深呼吸をして、さあ。一気に。言う!

「私、途轍もないレベルで浮気をしていました。二次元のイケメンとべったりラブラブ典型的バカップルデイズ爆進しちゃってました。リアルなんてもうどうでもいいと思えるくらい甘やかされて、あり得ないくらい甘やかされまくって、うっかりリアル忘れかけてましたごめんなさい」
「二次元、なァ」
「…う、はい。」
「ま、そんなこったろうと思ってた」
「……ごめん、なさい」

温かいため息が、頬をなでる。

「で、もういいわけ?」
「はい。満足しました」
「そ」
「いや、正確に言うなら満足したというよりも物足りなくなって少々飽きてしまったというか、二次元は所詮二次元にすぎないのであって実際に生きて喋って自分の意志を持って動く存在には敵わないことを思い知ったというか」
「へいへい」
「生きて喋って動くシカマルと接しているほどには、自分の心も動かないことにやっと気がついたというか」

ぽふぽふ、とシカマルの手のひらが私の頭を撫でくりまわしている。それだけで全部を赦され、全部を受け入れてもらえた気になる。わしゃわしゃ掻き混ぜられる髪が、皮膚が、私が、全身で喜んでいる。
自分が本当に欲しがっていたものはこれだ、と思った。なぜ何ヶ月もこれなしに生きていられたのか不思議な気がした。

「おかえり」
「……っ、ただいま!」

自分の愚かさを今度こそ思い知ったよ、私。もう大丈夫。
私の居場所はここだ。

「さァて、」
「……ん?」
「どうやって償ってもらうかなァ」

私の、居場所は。ここ。


迷えよ子羊、覚めぬ夢はない
楽しげに言いながら持ち上がる唇の端に、胸の奥がきゅうっと引き攣れた。
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2015.02.04

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