メタフィジカルパニック

「あんな近くにあった。いつもいつも傍にあったはずのものを知らぬ間に見失っているのに、思い出そうにも理由がわからない。いつ無くしたのかもわからない。なぜ無くしたのかもわからない。どうして気づかなかったのかも、もう、わからない。なんにも。私、わからない。ぜんぜん分からない。ぜんっぜん」
「は?」

 仕事中、あまりに深刻そうな顔でため息を連発していた同僚(女)を飲みに誘えば、たったビールジョッキ一杯でぶちまけるように一気にまくし立てられて、シカマルは呆気にとられていた。
 ったく、ぜんぜん分かんねえのは俺の方だっつうの。
 悩みを聞いてやる為に仕方なく、なんて理由をつけてやっと誘い出した浮ついた気持ちも、いい感じに酔いかけた気分もすうっとおさまってゆく。

「………」

 アホみたいに口をぽかんと開けたままカウンターの隣にある顔を凝視したら「そんなふざけた顔しないで」と肘を突かれた。けっこう痛い。

「別にふざけてねぇっつうの」
「嘘だ。シカマルにはどうでもいい話だもんね、どうせ無関係だし」

 どうせ、っつうか。別にどうでもよくもねえんだけど。むしろ無関係じゃなくなりたいとかこっそり思いはじめて何年も経ってるっつうの。よぎった言葉を飲み込んで、シカマルはぐいっとビールをあおった。
 彼女のあの調子なら多分、放っといてもまたその内喋り始めるだろう、とは思ったけれどそのままただ黙っているのも居心地がわるい。あくまでも今日は彼女の話を聞いてやるために連れ出したんだしな、初心を繰り返して息を吸い込む。

「お代わり、いるよな?」
「ん」

 店員に生2つ注文して突き出しをつついていたら、隣からふたたび聞こえたため息にそっと肩をすくめた。

「それ」
「え…?」
「それだよ、それ」

 彼女は自分では気がついていないらしい。ふっ、と息を吐き出して頭を撫でたら、不思議そうに首を傾げる。子供みたいに。やわらかそうな髪がふわっと揺れた。

「なに」
「ため息。今日一日中ついてたろ?だから飲みに誘ったっつうのに」

 はっとしたように見開かれた眼が俺を見つめる。でかい眼がかすかに潤んでみえた。
 吸い込まれないように眼鏡ごしにそっと見つめ返すと、しずかに視線が伏せられる。

「………」
「どうせ無関係、ってヒデー」
「ごめ、」

 まあ。半分冗談なんだけど。腹の中だけでちょっと笑って、申し訳なさそうに小さくなった肩をとん、と叩く。今日のところは、相談できるいい同僚の役を演じてやるよ。

「ほら、来たぜ」
「あ…」
「改めて、カンパイ」

 タイミングよく現れたお代わりを手にとって、カチンとわざとらしくジョッキを合わせれば、彼女の顔に微笑みが戻った。俺を見上げる、きれいな二重まぶた。

「…カンパイ」
「で?」
「え?」
「聞いてやるっつってんの」
「………」

 さっきあんなに勢いよくまくし立てていたのが嘘みたいに、彼女の様子はしおらしい。長い睫毛を伏せたままジョッキの泡を見つめる横顔が、お酒のせいかほんのり染まっている。

「ん?何がわかんねーの?」
「う…」
「話してみ」
「…ん。あの、ね」

 相槌だけ打って、彼女が話しやすいように視線をそらすと、シカマルはビールを口に含んだ。

「わからないものがわからなくて、何がどう大事だったのかすら、もうわからなくて」
「ああ」
「手繰り寄せよう、寄せようとするたびにそれは遠く遠くはなれてって」

 ジョッキの水滴をなぞる彼女の指先を見つめる。機械的に上から下への動きをくりかえす細い指。

「大事なものだった、ってことだけは分かるんだけど、それだけで。掴もうとしたらすり抜けてって」

 きれいな指がまたすっとガラスの表面をなぞって、ぴたり、止まった。

「不安、なのか」
「そう」

 言葉を重ねてもさっぱり要領を得ない彼女の話に、ただ頷きながら先を待つ。ジョッキに添えられていた指がはなれて、テーブルの上、なにかを掴むようにぎゅっと握られた。

「本当はね、わからなくても困らないし必死で求めるようなものでもないって分かってるんだよ」
「へえ」
「なくても生きていけるし。ないほうがいっそラクだとも思うし」

 そうだよ、そうなんだよきっとそう。と、ぶつぶつ呟きながら彼女はジョッキを煽る。二杯目ももうすぐ空になりそうだ。

「でも、さ」

 俺が口を開くと、多少アルコールでしっとりした目がこっちを見据える。なんて隙だらけの顔してんだ、ったく。大丈夫かよ。

「それでもやっぱ大事なんだろ、お前は。それが」
「………ん」
「で。それって何」
「うーん。難しいけど、強いて名前をつけるなら、」
「強いていえば?」

 音を立ててジョッキを置くと、まっすぐ視線を合わせる。ずれた眼鏡を指先でそっと持ち上げたら、彼女が大きな瞳を眇めた。


「こ…恋する気持ち…的な」


「……は?」

 騒ぐ気持ちを抑えて、話のできるよい同僚ポジションを貫こうと思っていた心が、たった一瞬。たった一瞬で、俺の胸を内から圧迫する。膨らんでいる。逆の方向へ。

「え…と…」
「……こ、い?」

 恋、っつったよないま。彼女。心臓がばくばくと激しく脈打ちながら体温をぐいぐい上げてゆく。急に酒に酔ったみたいな、そんな変な気分。なんだこれ。

「や、い、いまのナシ!何でもない!分かんなくなってないないないないから忘れて」
「おい!」
「ところでなんで今日はシカマルくん眼鏡なんですかそれ似合ってるね超似合ってるいつもコンタクトだったんだ知らなかっ、」
「おい、」

 ひらひらと溢れでる言葉に併せて所在なげに泳ぐ手を捕まえる。膨らむ感情がじわりとにじみ出てきたような汗ばむてのひら。ふたたび眼鏡ごしに視線を合わせたら、一瞬だけ交わった瞳がわざとらしく反らされた。

「あ…の、ね。眼鏡が」
「俺の眼鏡とかどうでもいいし」

 力無い彼女のてのひらに、俺から逃げる気配はない。さっきよりもっと染まった頬は、お酒のせいだけなのかどうか。

「どどどうでもよくないよ世の中には眼鏡男子萌えっていう確固としたジャンルがあってだね、一部のマニアックな女子には絶大な人気が、」
「いいから、黙れよ」
「…っ!で、でも関係ないのに変な話聞かせちゃったしそれに、」
「黙・れ」

 また関係ないなんて口走る彼女に無性に腹が立って、悔しくて、捉えた手首ごと引き寄せる。
 このまんま気づかない振りなんて絶対させてやらねえ。話のできるただの同僚ポジションは、今日、たった今、ここで返上してやるよ。なんてガキみたいにムキになってる自分にちょっとだけ笑える。けど。

「ちょ、シカマ…」
「バーカ」

 たぶん確率は85%以上。テーブルの下、指先をそっと重ねて、耳たぶを掠めるくらい近くで宣言してやった。



メタフィジカルパニック

それ、関係大アリなんだけど。
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2011.12.11
何をもってメタフィジックなのかさっぱりわかりませんがシカマルくんとお酒のみにいきたいです。
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