数値と固有名詞
自分は数を数えるのが好きらしい、と気づいたのはいくつくらいの頃のことだろう。
数を数えるとは言ってもいわゆる数学的なあれやこれやではなくて、単純な数のカウント。トンネルのなかに並ぶ照明の数を数えたり、家から目的地までの信号機をカウントしてみたり、今年何本映画を観たとか、読んだ本が何冊だったとか。むしろカウントする数を増やしたいがために寝る間を惜しんでページを繰り続けているのではないかと思うこともある。本末転倒甚だしいけれど。
そんな私の目下一番の興味対象は、シカマルの「めんどくさい」の数だ。
彼はいったい生まれてきてからこれまで何度その言葉を繰返してきたのだろう。何度。
まさか過去に遡って計測することは出来ないから、せめて今のデータから類推しようと最近ではぴったり彼に張り付いているのだけれど、日によってその頻度は上下するのでなかなか正確なデータをとるのは難しい。だけど、せっかく思い立ったのだからできるだけ正確なデータを採取したいと思うのが人情というものだ。正確なデータを採ったところで、それが何かの役にたつわけではないことは充分わかっているのだけれど一度気になってしまったら仕方がない。
よって私は時間の許す限り彼のそばにいる。まるでストーカーみたいだ。
でもこのストーキングはあくまでカウントから彼のめんどくさい発生率を類推するための学術的な興味、というか単なる好奇心であって、周りの子たちが邪推しているような恋とか愛とかみたいな色っぽいものではない。断じてない。
そこの所は当のシカマル本人にきちんと伝わっているようなので周囲でふわふわ浮わついた噂話を楽しんでいる人達のことはちっとも気にしていない。こういう事は本人がわかっていてくれればそれでよいのだ。
惚れた腫れたは関係なくて、ただの興味。好奇心。
視線の先でさらさらとシカマルが書類に筆を走らせている。そういえば、頭の良し悪しと字のきれい汚いの因果関係に関してはひとつ持論があるのだけれど、その唯一の例外が彼、シカマル。シカマルは字が綺麗なのだ。そのことについてもちょっと語りたいことはあるけれど今の本筋を外れてしまいそうなので敢えて脇に避けておく。
とにかく、今はあれだ。めんどくさいカウント、私のライフワーク。そっちの方が大事。
金角銀角兄弟の紅葫蘆だっけ?べにひさご。言霊を録音して人を封印するっていう瓢箪みたいなアレ。その人物が一生で一番たくさん使用した単語を口走ったら吸い込まれる、ってやつ。あれをシカマルに向けたら、間違いなく「めんどくせぇ」で吸い込まれるよ。
私?私はもしかしたら「シカマル」って単語で吸い込まれるかもしれない。誰にも内緒だけど。
「シカマル」
「ん?」
「なんでもない」
「あ」
「え?」
「お前が変なとこで名前呼ぶから間違えた」
「ごめん」
「いや、別にいいけど」
また、だ。
またシカマルが「めんどくせ」って小声で呟いた。この言葉は何度彼に選ばれて愛されてきたのだろう。何度彼のくちびるで形作られてきたんだろう。何度彼の喉を通って音になったんだろう。何度。
そんなことを考えていると、いっそ私がめんどくさいになりたい。と思った。改名するなら メンドクサイ で決まりだな。そうすれば、一生で一番たくさんシカマルに呼んでもらえる。あんまり可愛い名前じゃないけど、サムイさん、カルイさん、ダルイさんやオモイさんがアリならメンドクサイもアリじゃないかな。私、めんどくさいになりたい。
そう思いながら、めんどくせぇカウントをひとつ追加した。
きょうは通算88回。朝からずっと張り付いていて、この数だ。一緒にいられない夜の間も同じくらいの確率でシカマルがめんどくせぇを口にしているとしたら、シカマルの1日辺りのめんどくせぇ使用回数は約108〜120回らしい、と最近やっと分析が出来てきたところ。
ということは、めんどくさいに改名したら私は1日にそんなにたくさん名前を呼んでもらえるってことじゃないの。それなんて幸せなの。いますぐ改名したい。めんどくさい、になりたい。私がめんどくさい、に改名したら、シカマルのめんどくせぇ発言比率が極端に跳ね上がったりしたらどうしよう、幸せすぎる。平均が1.5倍に跳ね上がる確率200パーセント。うわ。
そこまで考えたら、口元が緩んだ。
考えたり数えたり、結構頭のなかは忙しい。
「で、お前暇なの」
「ぜんぜん」
「ぼーっとここにいて退屈じゃね?」
「ぼーっとしてる暇なんて全くないんですけど。そもそもシカマルのそばにいて退屈したことがない」
「意味わかんね」
一瞬だけ眉間にシワを寄せたあと、シカマルがやわらかい表情にかわる。
ふわり、ほどけるその瞬間がすきだ。鼻の奥がすん、とする。
めんどくさいカウントするのも楽しいけど、時々不意打ちで変わるレアなシカマルの表情を観察しているのもかなり楽しい。
「暇ならこれ手伝って」
「いや、だから私暇じゃないってば」
「座ってるだけじゃねえか」
「これでも脳内は目まぐるしく動き続けているのですよ」
「どうだか」
鼻でふんと笑われた。
「私が興味あるのはシカマルのめんどくさいの数だけだからね。いまカウントと分析に大変忙しいのです」
「趣味わりいな」
「さっき、ちょうど88回目を数えたところ」
「は?」
「毎日一緒にいる間ずっと数えてるの、日記に日々記録して分析している」
「物好きなこって」
「これまでの分析によるとね、恐らくシカマルの1日のめんどくせぇ使用回数は平均114回で、×365日すると一年に約41,000回強。それに歳をかけて、言葉を話せなかった幼い頃の低減率を加味すると生まれてきてから今までのシカマルのめんどくせぇ使用総数は60万回を遥かに超えていて、ってことはもし私の名前がメンドクサイだったらシカマルにいままで60万回以上呼んでもらえてる、ってことで だから今すぐ私メンドクサイに改名したいと思うのです」
「バーカ」
「バカとはなんですかバカとは。こんな緻密な計算している人間を捕まえてバカだなんて信じられないんだけど」
「そんなどーでもいいこと計算してるからバカだっつってんの」
頭をコツンと小突いて、苦笑するシカマルの表情プライスレス。その顔もすき。
普段難しい顔ばかりしてるから、ちょっと笑うだけでどきどきさせられる。
あれ、この気持ちなんだ?好奇心、かな。あれ?
とく、とく、とくとくとく。
今あきらかに鼓動のペースがあがった。数えるのが間に合わないくらい早いリズムで心臓が脈うっている。あれ?
「………むむ」
「なに。怒ってんの?」
「違う、よ。たぶん」
「なんだそれ」
私の方を見ていた視線が、すうっと離れて書類に戻る。
書類だけを見ている切れ長の目と、伏せられた睫毛がきれいで、少しだけ気を引きたくなった。
「ちょっと私、気付いてしまったかもしれない」
「なにに」
「愛」
「は?」
「愛、かもしれない」
「……」
「これ、もしかしたら愛かもしれない。シカマルにくっついてめんどくさいカウントしたいって気持ちはただの好奇心だと思ってたけど違うかもしれない」
書類を離れ、うんざりしたような視線が私に届く。
呆れているその表情すら、好きだと思う。
また少し、脈拍が上がる。
「私がいっそめんどくさいになりたい、メンドクサイに改名したいと思ったのは、あれかもしれない。愛」
「………」
「少しは喜べシカマル」
たっぷり30秒ほど無言の視線をひとりじめしたあとに、やたらと優しい声が降ってくるから。
「まじめんどくせーヤツ」
シカマルが、私に向かってめんどくさいって言うから。
「!希望かなった!」
「そんなんで喜ぶなアホ」
めんどくさいって言いながら、髪をくしゃりと撫でる指が優しいから。
それだけで、どうしようもなく嬉しくなってしまった私はやっぱりシカマルの言うとおりアホかもしれない。
数値と固有名詞お前の気持ちなんてとうにバレバレ- - - - - - - - - - -
2013.12.05 mims
たくさん名前を呼ばれたいなんて、愛以外のなにものでもないと思います。