北極星の彼

散りばめられた星は、幾重にも張り巡らされた迷路のように見えた


星座の見方や意味はまったく知らないのだけど、北極星だけは見つけるのが得意で


一際輝くあの星を見るたびに、私は黒い嫉妬を覚えた




――あんな風になりたい




何が私を駆り立てるのかは知り得なくて


無謀だと周りに言われても、自分の芯が見つけられないうちは恐かった






取り敢えず足掻いて、自分の全てを誇張して


いつからか、仲間から浮いた存在になっても


私はひたすら、不安定な闇に向かって声を張り上げた








高校生になって、私は一人の男子生徒に目を奪われた


長い黒髪を結い上げたうなじは、確かに太くて男の人のものであるのだけれど


そこはかとない色気と、揃った生え際の清潔感に胸騒ぎがした




世の中全てに、不満があるような瞳をしているくせに


真一文字に結ばれた無礼な口や、取り乱さず冷静な仕種


彼の全部が、彼の進む一本の道を示しているみたいで






私は、違うクラスの『奈良シカマル』その人に、身震いするほどの興味が湧いた








その日から、奈良シカマルに恋心のような、闘争心のような感情を抱いた私は


なるべく彼を視界に入れるようにした




すれ違ったら、背中を追って


傍で声がしたら、辺りを見渡した






上級生の下っ端で働く彼は、どこか偉そうで


逆らわないのに、いつも反抗的な目で雑用をこなしていた






群れの中にいて、群れない


近くにいて、傍にいない






まるで彼のつけている香水のよう


僅かに香る移り香が、底無しの深い眩暈を引き起こす








「‥ったい‥‥」




それは急に起こった




高校でもやっぱり浮いていた私の上履きに、画鋲が入っていて


それなりに会話していた人たちも私を無視するようになった


机の中には『消えろ』と書かれた大量の紙


終いには、『奈良クンのストーカー女』という訳の分からない罵声を浴びせられた




熱視線=恋愛感情の方程式は、色恋に必死なバカにしか通用しないと


この学校でも、教えてくれないんだろうな‥‥






「‥ふぅ」




今日も、上履きに仕込まれた画鋲を取り出すことから一日が始まる




取り出した画鋲は掲示板の隅へ、ノルマのように貼る


これで20ね、なんて数える自分は、浮いても仕方ないと思う








「その画鋲、一個くんね?」




隣から不意にした声は、私が毎日探す声で


なぜそれが隣からしたかは分からなかったけど、私は確認もせずに画鋲をひとつ差し出した






「ん、どーも」




手渡すときに見た手


ごつごつしてて、でも、触れたら気持ち良さそうで


幾つかの切り傷と擦り傷


顔を上げると、手を見たとき感じた私の疑問が、確証へと変わる






「ケンカしたの?」




口の脇に絆創膏、目尻の上にも絆創膏、掲示板の紙を押さえる手にまで絆創膏


初めて交わす会話だと云うのに、一方的な親近感を持つ私は、思わず笑い出しそうだった






「あ?ん、そ。つーか、アンタ誰だっけ?同じクラスの人?」




彼は親指で画鋲をぐいぐい押しながら、眉間に力を込めた顔のまま私に向いた






「違うクラス。私ね、キミのストーカーなんだって。だから、まぁ、イジメ?に遭ってんだ」


「本当?そりゃ難儀だな。オレのことストーカーしても、何もいいことねぇのに」


「そうだね」




ふふ、と笑うと、彼の後ろから私を睨むクラスメートの数名と目が合った


きっと西階段からクラスへ行って、私の悪口を囁くに違いない






「そんなめんどくせぇことされてんのに、なんで学校に来んの?堂々と学校サボれるチャンスじゃねぇ?」




彼らしい言い分にまた笑うと、クラスメートたちが何やら相談していて


あの奴らは、あんな風に私を蔑むしかできないのかと思うと、さらに笑えた






「なんかまずいこと言ったか?」




さすがに私の逸れる視線に気付いた彼は、後ろを振り向くと後方を見渡した


でも残念ながらクラスメートの姿がなくなっていて、私は、なんでもない、と笑ってから続けた






「平気、私、キミのストーカーだから」


「へっ、そりゃご苦労なこって」




彼は鼻で短く笑うと、私を捉えて止まない瞳のまま小気味よさそうに頭を掻いた






しばらく世間話をして、憂鬱な予鈴が鳴ったのを合図に私達は離れた


薄っぺらい鞄を掴み、彼は『手をついたら剥がれた』と言った紙を確認した






「画鋲、あんがとさん」


「いいよ、別に。私の上履き、毎日画鋲が出てくる魔法の上履きみたいだから」


「アンタ、おもしれぇ奴な」


「シカマルもね」




なんとなく名前を呼ぶと、シカマルは方眉を上げて不思議そうな顔をした


けど、また直ぐに意地悪そうな笑顔をして、






「アンタの名前は?」




と言って、ポケットから煙草を取り出した






「なまえだよ」


「なまえ、ね。おっけ」




なぜか私達は頷き合って、私は東階段へシカマルは西階段へ足を向けた






「なまえ!」




階段を一段上ると、気怠い背中に私を呼ぶシカマルの声がぶつかった






「オレ、いっつも屋上で煙草吸ってっから。ストーカーすんなら屋上来いよ」




まだ火の付いてない煙草をチラチラ振るシカマルは、私の嫉妬に火を付けた









地上で、北極星を見つけた


暗い海原で、足元の覚束ない船乗りたちを導く北極星




シカマルは間違いなく、私の行く先を知っている






そんな高ぶりを覚えた私は、無言で手を振って


私への不満で溢れている教室に、重い足を踏み出した






案の定、堅い私の机には、真っ赤なペンキで『死ね』と書かれていて


それを取り巻くクラスメートは、どす黒い視線を呆れるほど真っ直ぐ私に向けていた




どこからペンキを持ってきたのか、わざわざ買って来たのか


私に対してここまで尽くしてくれるクラスメートに、私は畏敬の念すら抱きそうだった




けどペンキの落とし方を知らない私は、仕方なく机を持つと


4階の奥の物置に、机を取り替えに向かうことにした




まだペンキの乾ききっていない机を、制服に付けないように運ぶのは一苦労で


腕力の足らない私は、休み休み、シンナー臭い机を運んだ






やっとの思いで物置に到着し、机を軽く選んでいると


静かで散らかった空間が、少しだけ私を落ち着かせた




古い本の匂いや、薄く差し込む日の光


慌ただしく過ぎる時代に取り残された教材たちは、私を仲間みたいに温かく迎えて


それが心地良くなって、私は並べられた椅子の埃を掃うとそれに腰を下ろした




机を運ぶ途中で本鈴が鳴ったから、今から教室に向かっても遅い


――どうせ、時間に厳しい並足先生に叱られるのだから




そう思うと、私の足は自然と階段の上へ向いていた










冷たいドアノブを回して、陽気を含んだ太陽光を身に浴びる


風に靡くネクタイを押さえて見渡すと


同じように、群青色のネクタイをそよがせる二人の男子生徒が目に入った




一人は、胡座をかいて座る短髪の男の子


もう一人は、紫煙を漂わせて寝そべる、私のライバル的な北極星くん






「シカマル、女の子、」




短髪の男の子はくるりと上体を捻ると、茶毛のキラキラ光る髪をそよがせて私に向いた


つんと口を尖らせた幼さと、鋭い瞳で射抜かれて


私は少しどきりとした




――犬塚くんだ




シカマルと一緒に『上級生荒らし』の異名を持つ、血の気が多い彼のことは


シカマルと人気を二分する存在として知っている






「お、なまえじゃねぇか」




すらりと長い指で煙草を口から離すと、犬塚くんと同じようにシカマルがこっちを向いた






「シカちゃんの知り合い?可愛いじゃん、紹介してよ」




シカマルと自分の間に一人分空けて、犬塚くんは私に、来い来いと手を振った


シカマルと違って愛想のいい彼は、人懐っこい犬みたいで


私は“可愛い”と言われたことに気恥ずかしさを感じながら、そのスペースに腰を落ち着かせた






「オレ、犬塚キバ。シカマルのダチってか、相棒!」


「めんどくせぇけど、オレが飼ってんの」


「飼ってるってなんだよ!犬扱いすんなっつーの!」




お前犬みてぇじゃん、と笑うシカマルにつられて


やっぱりみんな同じ印象なんだな、と私も笑ってしまい






「あ!なまえちゃん?だっけ?もしかしてキミもそう思ってんの?!」




と図星を突かれた






犬塚くんが、あまりにも真っ直ぐに目を見つめて問い掛けるから


その視線に、考えている言い訳さえ見透かされそうで、私は返事に困った






「いい意味だから、気にすんなって」




シカマルが楽しそうにフォローを入れると、煙草の苦み走った香りが鼻に届いた





久々にした、他人の近い香りに触発されたのか


私は滅多に使わない笑顔に力を込めて、そうだよ、と頷いた






「なんか、釈然としねぇ」




犬塚くんは、がくんと項垂れてまた唇を尖らせた




その仕種全部が、犬みたいなのに‥自覚、ないんだね


そう思って、犬塚くんから見えないように顔を逸らすと


私は、くくっと笑った




その顔がシカマル側に向いていたせいか、シカマルも喉の奥で同じように笑っていた








――楽しい


私は素直にそう感じた




薫風に混じる煙草の香りも、テンポの早い明るい声も


私の両脇から感じる熱は、冷え荒んでいた私を燻らせて


まるで、新しい世界に足を踏み入れたような感覚さえする






北極星の導きは、私を明るい空の下へ引き上げてくれたんだ


下唇を少しだけ強く噛むと、その痛みさえ、この温かな空気に溶ける




犬塚くんが空けてくれたスペースは、私を虜にしてしまいそうなほど魅力的


この温もりに、甘えてしまっていいものかと


独りで弱い私の臆病な想いが、ぐるぐると胸でとぐろを巻いた






「なまえちゃんってさ、格闘技とかしてる?」


「‥‥‥は?」


「キバ‥変な考え起こすなよ?」


「別に、一緒に喧嘩しようとは思っちゃいねーよ」




唐突な質問に混乱する私の頭上では、シカマルと犬塚くんのよく分からない口論が飛び交っていた






「や‥格闘技は何も‥フィギュアスケートを少しやってたぐらい」




何とか答えた返事は、道理で骨格が綺麗だよねーと、セクハラ紛いの言葉に上塗りされて


さらに、骨格が綺麗とか分かんのかよ、と言うシカマルの返しに潰された






「いや、なんつーかさ‥‥同じ匂いがする‥」


「またそれかよ、なまえ、気ぃ付けろよ。キバの常套文句だからな、犬の仲間にされんぞ」




シカマルの忠告より、犬塚くんの言った『同じ匂い』が気になって


犬だなんだと、じゃれ始めた二人を尻目に、私は自分のブレザーに鼻を押し当てた




「あー、そーゆうの匂いじゃなくってさ。なんか、感覚的に?仲間みてぇな、そんな匂い」


「仲‥間‥?」


「当たりめぇだろ、ダチなんだからよ」


「ダチ‥?」


「だよな、気が合う匂いっつーのがすんだよなー、なまえちゃんって」






私には聞き慣れない言葉を、当たり前のように発する二人に気後れしながら


私は、自分の中で湧いてきた激しい動悸に胸が潰されそうで


この感情が『嬉しい』であると、なかなか気付けなかった




けど、何が嬉しかったのかまでは分からなかった


ずっと独りだった私に、仲間ができたこと?


憧れていた北極星に、近付けたこと?


心地良い陽気に誘われて、温かなひだまりを浴びていること?




きっと、答えはひとつ




『全部』が『嬉しい』んだ




くたびれた自分を労うことを忘れた私は、いつしか、自分自身に愛想を尽かしていて


確たる自分が欲しいと願う傍らで、そんなものは無理だと決め付けていた




シカマルを北極星だと思ったのは、本当に間違いじゃなかった


シカマルが歩む一本の道が、不安定な私を魅了したのは


もしかしたら、必然的なことだったのかもしれない




そんな気さえして、私は飽和状態の目を、二人から隠してこっそり拭いた






「あっ‥アレ?!なまえちゃん、泣いてる?!」


「え?!‥えと‥笑いすぎた!」


「そんな力いっぱい言わないでよ!なまえちゃん、いいキャラしてるわ‥」


「キバへのツッコミ、任せるからな、なまえ」




いやいやと首を振る犬塚くんを見て、私とシカマルは一緒に笑った






青空に流れる雲は、誤魔化して涙を拭った目にとって、痛いくらい白くて眩しかった


これからも、同じ場所で同じ空気を感じられるのだと思うと


小さな胸は、高く大きく跳ねる






屋外にいるせいか


鳴り響くチャイムが、校内で聞くよりぼやけて聞こえて




私は、肺いっぱいに、爽やかな風と煙草の煙りを吸い込み


軽くなった足で、気持ち良く立ち上がった










北極星の彼


(シカマル、なまえちゃんって彼氏いんの?)

(ダーメ。オレんだから)

(付き合ってんのか?!)

(まだだよ、まだ。)

(ちぇ。やっぱ狙ってたのかよ)

(二人とも、何か言った?)

((いや、別に))







end









あとがき


mims様宅!10万打!!!

おめでとうございます!!


素晴らしい文才と丁寧な描写!虜にされてストーカー並に通わせていただいております!!もうメロリン!


シカ連載にも、魅了されまくりのサイト様です☆


10万打、本当におめでとうございますm(__)m汗

こんな私と仲良くしていただいて、いくら感謝してもしたりません!


[現在拍手のヒロイン求{シカ落ち]と云う、私自身がワクワクしてしまったリクに近付けたか不安ですが‥‥(かなり微妙なシカ落ち‥しかも長すぎる。泣)


10万打記念に、どうかもらってやってくださいっ(><){不法投棄?!


これからも、しつこいぐらいに通わせていただきます!


本当におめでとうございます!末永くよろしくお願いします〜(T_T)/〃


お持ち帰り&ダメ出しは、mims様のみOKです☆



ここまでお付き合いくださいましたなまえ様、ありがとうございました♪







仁さまから頂いた、10万打お祝いの夢でした!!
いつもながらの素晴らしい文章力と、繊細で鋭い心理描写に、こちらこそメロリンです〜(>_<。)

こんなに素敵な夢、頂いても本当に良いんでしょうか?
ってか、遠慮なく頂きます!!

この世代の葛藤を描かせたら、仁ちゃんの右に出る者は居ないって感じ…
シカ落ち、全然微妙じゃないですよ〜。もうすっごい好みぴったり!!

これからも、どうぞよろしくおねがいしますね〜。
同じくストーカー返しさせて頂きます(笑)
2008.05.02 mims
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