ほのか

 コキ、コキ。左右に傾け、首を鳴らす。長時間PCと向き合っていた所為で、目が疲れている。それに加え、お尻が痛い。
もうだめ。疲れた。今日のところは引き上げて家に帰ろう。そう決めて、立ち上がる。大きく、伸びをしながら。

「お先に失礼しまーす。」

 ちらほらと残っている上司や同僚たちに声を掛けてから、いつものように駐車場へと向かう。ゴソゴソと鞄の中を漁りながら鍵を探す。

「あれ?」

 手を鞄に突っ込み、何度も何度も手探りで車の鍵を探してみるけれど、ない。鞄の口を開けて覗き込んでみる。やっぱり、ない。
可笑しい。私、鍵なんかデスクに出したかな?そんな疑問を抱きながら、また、今 出たばかりのオフィスへと戻る。
エレベーターのボタンを押して、目指すは五階。ハアっと、深い溜息が漏れる。
 オフィスに戻ると、私が捜し求めていたやつが、ポツリと寂しげに取り残されていた。なんだかその鍵が、まるで今の私の精神状態を現しているようで、胸が切なく軋んだ。
 訳もなく、ごめんねと心の中で鍵に向かって呟いてから、私はオフィスを後にした。
 無駄な時間を費やしてしまった。と、車の内でエンジンを掛けるまで、暫く佇む。また、深い溜息が漏れる。

「……帰ろ」

 一人呟いた言葉は、静か過ぎる空間に、虚しさを飾っただけだった。

 移ろいゆく景色。見慣れているはずの帰り道が、いつもと違って見えるのは、きっと、来たるクリスマスの為に用意されたイルミネーションの所為。

 温もりと切なさが入り混じる、冬。そんな冬が、一番人間の心理に近いと思う。
夜が、闇の時間が長くなる冬は、心細さを煽るくせに、慌ただしくて。あっと言う間に過ぎ去ってしまうのに、光が溢れ、触れ合う機会が多い。
希望と絶望。喜びと悲しみ。愛情と憎悪。欲望、劣情。綯い交ぜになった各々の知情意が一番現れる、年の終わり。そして、新たなる年の始まりを告げる季節。

「……私 なんでこんなこと考えてるんだろ。」

 時偶、そんなことを考える。疲れているときはなおさらで、考えても仕方がないことを考えるくせがある。
どれだけ考えても、答えがない。なにが正しいとか、正しくないとか。果てのないトンネルに向かって走り、佇み、藻掻き、抗い、絶望し、夢を見る。
思考のループに一度嵌まるとなかなか抜け出せない。私の、悪いくせ。
 果てのない思考のループに囚われていると、いつの間にか家に着いていた。これだけ邪念でいっぱいだったのに、事故を起こさずちゃんと家に辿り着いていることに驚きつつ、疲れきった心身を引きずり、自分の部屋のドアノブを捻る。鍵を差し込んでいなかった所為で、開くはずのドアが開かない。

「どんだけなの、私……」

 ぐだぐだな自分に呆れ果てつつ、再び鍵を差し込み部屋に入ると、リビングから明かりが漏れていた。

「え……?消し忘れた?」

 記憶を手繰ってみる。心許無いけれど、やっぱり消して出ている。

「まさか…」

 慌てて履いていたブーツを脱ぎ捨ててリビングの扉を開くと、サラサラの髪をしたあいつが、寝そべりながらテレビを観ていた。

「真子、」
「おー。おかえり」
「た だいま…」

 帰宅する時間にしては、随分早い。見ると、既にお風呂も済ませているようだった。僅かに髪から水滴が滴り、ルームウェアを濡らしている。

「なんやねん んなとこでボケーッと突っ立って。」
「え、いや…今日帰って来るの早いなって思って。」
「早よ帰っとったらアカンのか?」
「そうじゃないよ。あ、ご飯作るね。ちょっと待ってて」

 一体、この男のどこに惚れたんだろうか。口の悪さは光一で、いつも彼に捩伏せられる。理不尽なことを言われたり、バカにされたりなんていうのはしょっちゅうで。いい加減、愛想尽かしてもいいんじゃないかって、そう 言われることが多い。

「飯まだええから先風呂入って来いや」
「え?でも……」
「俺が先入れ言うたってんねんから、素直に はい。解りました 御主人様。言うて入って来い。」

 御主人様って。こういう処が好きな処の一つだなって思う。キツい言葉を言う中に、ユーモアを忘れない。キツさをキツさのまま置いておかないところ。

「じゃあ、お言葉に甘えて…。」

 有難う。そう言ってから、温かいお湯に身を委ねることにした。

 沁みる。その言葉の意味はきっとこういうことなんだろうな。と、湯舟に身体を浸しながらそう思った。
疲れた身体がお湯と溶け合い、ゆらゆらと揺れ動く。胎児が羊水に浸っている時はこんな感じなんだろうか。と、心地よさに数十分、酔いしれていた。

「気持ち良かったー。あ、れ?なんかイイ匂いが…」

 お風呂から上がりリビングに行くと、バターの風味がふわりと鼻を掠めた。

「ほら」
「え?」
「しゃーないから、晩飯 今日は俺様が作ったったんや。」

 テーブルに並べられた夕飯。サラダとスープとオムライス。とってもシンプルだけど、逆にそれが真子の温かさと優しさを有りの儘伝えてきて、目頭が、堪らなく熱くなる。

「アホか。せーっかく作ったったのに、泣くやつが何処におんねん」
「だ、っ 」
「有難う御座います。御主人様 だーいすき。言うて素直に食え!」

 本当に疲弊してどうしようもない時にはこうやって甘やかしてくれる真子の優しさは、外からは解らなくて。そういう不器用な優しさを持ってる処も、照れ隠しの口の悪さも、私だけが知ってる。私が知っていたらそれでいい。結局は、そういうこと。





ほのか
お前のしんどそうな顔なんか 見たないねん。

fin
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2010.12.07
菜々さまよりいただきもの
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