特効薬


連日同じニュースばかり。今までは世の中終わってんなとまるで他人事のように見流していた活字が、最近では間違いなく俺の思考を揺すぶっていた。

会社から家までのコンビニその他薬局や小さいスーパーまで、一番賑わっているのはマスクの陳列棚と赤で書かれた売り切れの文字。

売れ残りが当たり前の高額な物からどんどん消えていくそれは、皆の不安をたやすく想像させた。


従来の風邪の予防策で防げるものなのだろうか。それでも無駄にはならないだろうからと、やっと買えたマスクとうがい薬、ハンドソープを買って家路を急ぐ。

今日は早めに帰ると言っていた彼女はもう家にいる頃で、そわそわしながらまた同じニュースを見ているのかと思えば無意識にアクセスを踏む足にも力が入る。

近々訪れる彼女の誕生日にと予定していたデートコースを頭に浮かべ、極力外出は避けたほうがいいのかもしれないとやる瀬ない気持ちが募った。



「ただいま」

「お帰り…!」


インターホンを鳴らすといつもより早く扉が開き、とは言っても最近こんな調子が続いているのだが、とにかく不安で堪らないといった表情の彼女が出迎えてくれる。

鞄と一緒に俺の手荷物を受け取り、その顔は益々居心地が悪そうに曇った。


「今日ね、同じ職場の人が欠勤してさ」

「ん」

「ただの風邪だと思うって本人も言ってたみたいなんだけど」


怖いよね。そう呟く唇に今すぐ自分のものを重ねたかったけれど、単純な本能より彼女を大切にしたいという理性が勝ったのは当たり前で。

ガキみてぇに急いで洗面所に向かい、いつもより念入りに手洗いうがいを済ませてから、俺の後ろで落ち着かなそうに佇む彼女を抱き締めた。

元々呆れるくらい気遣いの出来る彼女。それが輪をかけて心配性なのだから、他人放任主義(まあ自律を促してるっつーの?)の俺にしたら子猫のようにしがみついてくる彼女は少し考えすぎだと思うところもあるわけだ。

けれどそこも彼女のいいところだし、そんな彼女から不安を取り除くのが男の役目というより俺の役割。

何より、愛しい女を守りたい、大事にしたいと思うのは当然のことだ。


「ただいま」

「お帰り…ってさっきも言ったよ?」

「お前まだ足りねぇみたいだからよ。俺もちゃんと帰って来たし、これからだって帰って来るし」

「うん」

「考えすぎは毒にしかなんねぇから、お人よしもほどほどにしとけな」


そんなんじゃないよ。俺の胸に顔を埋めながら呟く彼女。分かってるよ、お前が何を心配してるかなんて。だって俺も同じだから。

小さい頭を撫で、背中に回る彼女の細い腕の感触を確かめる。それは迷子の子供が親を見つけたときみたいに力強く、そして不安に押し潰されそうな自分を奮い立たせようとする様によく似ていた。

猛威を振るっている新型の病原菌は想定範囲すら予測させてくれず、だから余計に人を臆病にさせる。

もし目の前の人が、知人が、愛する人が、まして恋人がと考えたら今にも心臓が潰れそうだ。大丈夫なんて言葉も気休めにすらならない。

だから、互いに触れ合うことが何よりの薬になる。現に、眉尻を下げていた彼女もやっと一息ついたような顔で俺を見上げた。


「考えすぎなのは分かってるけど…シカマルが好きだから」

「バーカ。俺も同じだっつーの」

「私、子供みたい」

「それもかなり、な」


くすくすと弧を描いた唇にやっとキスをひとつ落とし、今度は甘く抱き着いてきた彼女に煽られるのは男の性ってもんだ。

腕を摺り抜けようとした彼女の額に口付けて、そのまま姫抱きに抱え思わず漏れた笑みを隠すことすらしなかった。


「安心したら腹減った」

「あ、ご飯出来てるよ」

「それもいいけど、まずは先に」


食いてぇもんあるんだけど、いいよな?了解を取るつもりもないくせにそんな言葉を吐いたのは、俺の腕の中で赤く染まる彼女が見たかったから。



万能にして唯一の特効薬


頭の芯から爪先まで、良薬は口に苦しなんて覆すくらい甘い彼女に溺れている俺は立派な中毒者だ。

(お前こんなに甘くてどうすんだよ)


end


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社会人さん向けVer.こちらは奈良さんとこの良妻mims姉さんに捧げます。関西圏の方は特にご用心下さい。



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[Monkey Bite]の仁ちゃんから頂きました。
ほんとにね、関西はいま異様な雰囲気なんですよ。マスク売り切れまくってるし。
電車には乗るの怖いし。会社には行きたくないし(それはインフル関係ない)。

そんな折に、仁ちゃんのサプライズは本気で特効薬並みに効いたってば!!ありがとう、愛してる。こんな愚姉をいつも見守ってくれて幸せだ
2009.05.20 mims
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