苦労人とひそやかな始まり

 吉良イヅルは書類が山と積まれた机に座って黙々と書類を書く傍ら、何度もため息をついた。ため息を吐いているのを見られようものなら、銀髪狐目の隊長に幸せが逃げるだのなんだの言われるが、その原因の最たるものが三番隊隊長・市丸ギンなのだから質が悪い。
 今日も昨日も一昨日もその前も、自隊の隊長に振り回されているのだ(そして恐らくきっと、いや、確実に明日も明後日も、イヅルが三番隊から離れない限りずっとこの運命に違いない)。そのたびに自分が後始末や尻ぬぐい(主にデスクワーク的な意味で)をしているのだから堪ったものではない。
 イヅルは、今まで何度市丸に迷惑をかけられたか思い起こそうとして、やめた。そんな事をしてわざわざ胃痛を悪化させることはないし、そもそも数え切れないのだからまるっきり無駄なことだ。
 最近は、そんな市丸隊長が夢中になっている隊員がいて、何かと執務を放り出して無茶苦茶な、イヅルにとってみればまさに「どうでもいい」話を振ってくる。
恋愛モードに突入した市丸の脳内が真っピンクに染まっているのがありありと分かる上に、人の話を聞かない・オメデタイ思考・無茶振りと三拍子揃っていて迷惑極まりない。頭痛と腹痛の種に事欠かないばかりか増える一方だ。
 はぁー、とイヅルはもう一度溜め息を吐いた。
 今、執務室に市丸の姿はない。どうやらイヅルがすこし目を離したすきに逃げ出したらしい。恐らく、十番隊副隊長のところにいるのだろう。
(……また要らない知恵を吹き込まれて帰ってくるのだろうか?)
 それにしても、十番隊の日番谷隊長も大変だろう。イヅルの脳裏に眉間の皺を深くした小さな隊長の表情が思い浮かんだ。立場が違うだけで、彼と自分は案外似た境遇にあるのかもしれない。そう思うと。
(日番谷隊長も、大変だなぁ……)
 イヅルは眉間を押さえてまた溜息を吐いた。

「あの、吉良副隊長? お疲れさまです……えっと……大丈夫ですか?」
 澄んだ柔らかな声が降ってきた。顔を上げると、最近席官に抜擢された隊員が書類を抱えて立っていた。
「君は……えーと……」
 市丸が夢中になっている彼女と姉妹のように仲の良い子、というそれほど重要でない情報は分かっているのに、肝心の名前が出てこない。確かに名前を知っている筈なのだが、とイヅルは困惑した。
「あ、みょうじなまえ、といいます」
 困っているイヅルを見かねたのか、隊員が名前を言った。
「あ……あぁ、すまないね」
 イヅルが申し訳なさそうに謝った。
「いえ、私は最近席官になったばかりですから」
「いや、そういうのじゃなくて……」
「?」
 なんと言えばいいのか分からなくて非常に焦れったいが、イヅルはそれを脇においておくことにした。
「そういえば、僕に何か用があったんじゃないのかい?」
「あっ、あの、書類が終わったのですけれど……」
 そこまで口にしてなまえは口ごもる。その視線が例の空席に向いているのを見て、イヅルは瞬時に彼女の言いたいことを理解した。
「あぁ、僕が預かっておくよ」
 イヅルはなまえの手から書類を取り上げた。
「す、すみません」
「気にしなくて良い。君に落ち度はないんだから」
 山積みになった書類のすぐ脇になまえからの書類を置く。この山積みの書類の多くが市丸宛のものだと考えると目眩がした(あの人は本当に、何をやっているんだ)。

「あの、副隊長……大丈夫ですか?」
 なまえの声でイヅルは我に返った。
「……大丈夫だよ」
 できるものなら隊長を侘助でメッタ切りにしてやりたい、と思った事は秘密だ。
「で、でも、お顔の色が優れませんが……」
 ああ、心配されるなんて情けない。元四番隊員が聞いて呆れる。イヅルは深く息を吐いた。
 なまえは何かを思いついたように口を開いた。
「で、では、少し休憩なさったらいかがですか? 私、お茶、いれてきますね」
 なまえはぱたぱたと走って行ってしまった。

 しばらくして、なまえがお盆を持って入ってきた。
「どうぞ」
 お茶と一緒に、小さなお皿も渡された。
「……羊羹?」
「あ……もしかして、お嫌いでしたか?」
「いや、そういうわけじゃないけれど……」
「副隊長、お疲れのようでしたから。……疲れた時には甘いものがいいんですよ!」
 ここのは美味しいって評判なんです、そう付け加えて、なまえははにかみながらイヅルに笑いかけた。優しい笑顔に、凝り固まっていた心がほぐれていく。
「ありがとう。いただくよ」
 毎日毎日振り回されている中での、小さな気遣いがたまらなく嬉しかった。
「それでは、失礼しました」
 なまえはぺこりと頭を下げて扉へと足を向けた。そのまま扉を開けて出ていくのかと思いきや、ぴたりと足を止めた。
「あの、副隊長……」
「?」
「副隊長はいつも沢山お仕事をされていますが、あの……お身体大事になさってください。私は……その、き、吉良副隊長をっ、尊敬していますから!」
 早口で言いきると、もう一度振り向いて素早く会釈をし、なまえは扉を開けてすぐにいなくなった。
「あ……! ……ええ!?」

 最後に振り向いたなまえの顔がほんのり赤くなっていたのを思い出して、つられてイヅルの顔も知らないうちに赤くなった。

苦労人とひそやかな始まり

(あ、イヅル。さいぜんなまえちゃんが顔真っ赤にしもって出ていったのを見たけれど)
(ああ、何ということ)
(僕は彼女に、惹かれてしまったようです)
(イヅル? ……あかん、反応せん)
(……こらおもろいことになったかもしれへん)



2010.03.21 by 玻月

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苦労人なイヅルが愛おしくて、ついカッとなってやってしまった……。
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はっきちゃん、いつもありがとね。不憫なイヅル萌え!
2010.03.21
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