「久しぶりだね、林檎」
「元気に頑張ってるの?」
「サイさん、お疲れさまです」
「はい、やっと慣れて来ました」

 送別会の会場で、我愛羅さんに先日の話を聞いてみようかな(私的頼まれ事なんて、ちょっと気になるし)と思っていたら、近付いてきたサイさんに捕まってしまった。

「綱手先生のトコはうちより大きいから、人間関係とか大変じゃない?」
「ほとんどプロジェクトリーダーの奈良さんとばかり動いてますからね」
「へえ…そう、なんだ。奈良ってこの前の目付き悪いヤツだね」

 そんなに奈良さんって目付き悪いですか?と、サイさんに返事をしながら軽く瞳を閉じる。さっき別れたばかりの奈良さんの照れ臭そうにはにかんだ表情が、頭のなかに浮かんで来た。

 今日の奈良さんはちょっと可愛かったな。
 何に困ってたのかは、全然分からなかったけど。

 そんな事を思いながらそっと目を開けると、サイさんが私の顔をじっと覗き込んでいて。いつもの蝋人形のような完璧なポーカーフェイスが、今日は微妙に暗く沈んでいるように見えた。

「サイさん、どうかなさったんですか?」
「いや、何でもないよ。林檎、飲もう」

 口にした久しぶりのビールは、不可解な感覚が絡み付いた咽喉の奥を心地よくひやりと鎮めて行く。
 もっと飲んで、感覚がアルコールで麻痺してしまえば、この数日感じている何とも言えない焦燥感は拭えるんだろうか。


 奈良さんの表情と、サイさんの表情とが交互に像を結ぶ脳裏は、確かに感情の変化を指し示していたのに。
 プロジェクトを成功させるために、もっと役に立てる人間になりたいという気持ちで頭がいっぱいで。
 私はまだ、自分のなかで起きているその緩やかな動きに、思惟が向かわなかった――




-scene07 イタズラ-





「林檎さん、あちらで再不斬さんがお呼びです」
「ありがとうございます、白さん」

 白さんはいつ見ても綺麗だな。女の私でもぜんぜん敵わない。
 そんなことを思っていたら、ほうっ、とためいきが洩れた。

「ちょっと、サイ君に困ってる様子だったので」
「え?」
「出過ぎた真似をしました」
「いえ」

 サイさんに困るって、何のことだろう。
 寧ろ、いつもの作り笑いやポーカーフェイスを崩していたサイさんの方が、困っている様子だったんだけど。

「だって彼は林檎さんを、」
「私を?」


「いえ…(彼女が気付いてないのなら、別に言う必要はないよね)」

 私の目の前で、意味ありげに微笑む白さんの顔は本当に美しくて、いつ見ても見惚れてしまう。

「桃地さんも白さんもお変わりありませんか」
「ええ、勿論。(……それにしても、サイ君も報われないな)」







 白の隣に並んで俺と桃地さんの方に向かってくる森埜の姿を見て、心なしかほっとしていた。
 どう見てもサイは彼女に下心があるとしか思えないからな。
 別に他人の恋路には興味など無いが、同僚ながらサイって奴にはまだ得体の知れない部分がある。

「ほら、林檎さんは桃地さんと我愛羅君の間にどうぞ」
「はい、ありがとうございます」

 白の言葉で俺の隣に座った森埜に、グラスと瓶を差し出すと、彼女は素直に受け取って。傾けられた縁から、黄金色の液体を注ぎ込んだ。

「すみません、我愛羅さん。私の方が先にお注ぎしなくちゃならないのに」
「気を遣うな」

 じゃあ、我愛羅さんもどうぞ。その声に従ってグラスを傾けると、はっと思いついたように森埜が笑顔になる。

「この前は、あそこで我愛羅さんに会えるとは思わなくて、驚きました」
「ああ。ウチには人使いの荒い姉が居てな」
「お姉さま、ですか?」

 互いに冷たい液体で満たされたグラスを、カチンと合わせて。労いの言葉をお決まりのように掛け合う。

 どうしたもんかな。
 俺は、多少思案しながら会話を切り出した。

「姉も同業者でな。今、山城さんや不知火さんのプロジェクトに関わっている」
「じゃあ、JV先の担当者の美人さんってのが、我愛羅さんのお姉さまなんですね」
「……美人?」

 ええ、給湯室での女子社員の噂で。と、グラスからビールを喉の奥へ注ぎ込む横顔。森埜は、頬をほんのりと染めて、楽しそうにやわらいでいた。

 姉なんかより、お前の方がよっぽど可愛いと、俺は思うがな。

「気の強さを絵に描いたような女だぞ?」
「素敵じゃないですか!この業界で女がやって行くには、気が強くなくちゃ続きませんよ」
「まあ、な」
「もしかして、テマリ女史というのがお姉さまですか?」
「ああ。来週からプロジェクト絡みで、綱手先生の会社に詰めるらしいから。よろしくな」

 こちらこそ、よろしくお伝えくださいね。笑顔を崩さずに喋っている森埜の姿の向こうに微かな不安。でも、上手くそれを伝える言葉を見付けられずに、俺はただ、口を噤んだ――







「我愛羅さん、電話鳴ってますよ?」

 ちょうど我愛羅さんとの会話が途切れ、沈黙を見計らった様な微かな振動音が耳に入ってきた。私と彼の間に置かれていた携帯の液晶には「うずまきナルト」の着信表示。
 我愛羅さんが受話ボタンを押した瞬間に、大きな声が隣にいる私にまで聞こえて来た。





「我愛羅、今何してるんだってばよ」

「今日は送別会だ」
「あー、じゃあ今もしかして飲んでんのか?な、な、俺も行って良い?」
「桃地さんに聞いてみ…」
「じゃあ、すぐ行くってばよ。また後でなー」

 肩を竦める我愛羅さんの顔を覗き込みながら、桃地さんは“別に構わないぞ”と苦笑いを浮かべていた。

「あいつは、全く…」

 うずまきさんと会話を交わしたのは、この前の朝が初めてだったけれど、人懐っこい強引さが彼の明るい髪に象徴される見た目の印象にピッタリで。
 困ったように表情を崩している我愛羅さんの姿は、いつものクールで動じない様子からすれば随分意外なのに、何故かその僅かなはにかみが、私にはとても微笑ましく見えた。







「うずまきさん、お疲れさまです」
「おぉ、林檎ちゃんも居たんだー」
「林檎は出向しててもウチの社員なんだから当然でしょう、君…バk」
「サイ、その辺で止めとけ」

 我愛羅の言葉で遮られたけど、サイって奴いま俺のこと「バカ」って言おうとしたよな?
 なんだか、ムシの好かないヤツだってばよ。
 さっきからずーっと林檎ちゃんを占領してるし、ちょっとシカマルのことで探り入れてみようと思ってたのに。
 ぜんぜん喋れないってば…


(なぁなあ、我愛羅…あのサイって野郎、もしかして林檎ちゃん狙い?)
(どうも、そうらしいな。お前もか?)
(いや、俺じゃないってばよ。でもそうかー)
(俺、じゃない?)
(どうすっかなー……あっ!!)
(ナルト、また下らん事を企んでるんじゃないだろうな?)



 俺ってば、すごいじゃん。良いこと思い付いちゃったってばよ!!

 突如思い付いた自分の策に、浮かんでくる笑いを抑えようともせずに、俺は自分の携帯を手に取った。


---------------------
To : 奈良シカマル
---------------------
Sub: 送別会で
---------------------
シカ、まだ仕事か?
今我愛羅ん所の送別会に
来てんだけど…

林檎ちゃんがさ、
すげー酔った上にサイに
口説かれて困ってる様子
だってばよ。
迎えに来てあげた方が
良いんじゃねぇ?
---------------------


 ほい、メール送信 っと!!

 ニシシ。これで、きっとシカは今頃慌ててるってばよ。
 あー、ポーカーフェイス崩して焦ってる顔、ホントなら間近で見たかったなー。

「うずまきさん、お注ぎしましょうか?」

 俺の方に瓶を差し出している林檎ちゃんの目の前には、卓上に置かれた彼女の物らしい携帯があって。それを見た俺は、もっと良いことを思い付いた。

 これできっとシカも、もっと焦るってばよ!

「なあ、林檎ちゃん。ちょっと携帯見せてー、俺そろそろ機種変しようかと思ってんだよねー」
「あ、はい…どうぞ」

 彼女の手から携帯を受取ると、一通り裏にしたり表にしたりを繰り返してから画面を開き、手早くキー操作をすると、俺は一件のメールを作成した。

 こういう悪戯って、マジで楽しいよなぁ。
 さ、シカマルがどんな顔して登場するか、見物(ミモノ)だってば!


「ナルト、何がそんなに可笑しい?」
「もうちょいしたら、我愛羅にも分かるってばよ!」

 不思議そうな我愛羅と林檎ちゃんの顔を見ながら、俺はいま作ったばかりのメールを、彼女の携帯から慌てて送信した――







 まださっきの森埜と軽く触れ合った指の感触が、残っている。一瞬の熱がいつまでも俺の心を捉えているようで。なかなか仕事に集中できずに、携帯を持ったまま煙草を吸いに行くことにした。

「キバ、俺 ちっと煙草行ってくっから」
「ああ。じゃ、俺も行くわ」

 喫煙ルームで窓の外にひろがる夜景を見ながら、並んで煙を吐き出しているとすこしずつ落ち着いて来る。

 ったく、あんな事ぐれぇで動揺するなんて、俺らしくねぇよな。
 携帯の番号を教えてくれたのは、森埜の責任感の現れだっつうの。

「シカマル、ちょっとは落ち着いた?」
「ああ」

 しかも、こうやってキバにまで見抜かれるなんて、マジで情けねぇ。

「何かあったんなら、言えよな」
「別になんもねえよ」
「それより、もうすぐ天姫ちゃんの来る時間だぜェ」
「そうだな…」

 キバ、お前はいつも幸せそうだよな。
 苦笑混じりの顔をキバの方に向ける。
 遠くの空に昇った淡い月を見上るキバの横顔には、言い知れぬ憂いが浮かんでいた。

「お、シカマル 携帯鳴ってねぇ?」

 いま見たばかりの意外なキバの表情から、こいつの天姫ちゃんへの想いが俺の心にまで伝わってきて。
 キバの奴、天姫ちゃんのことマジなんだな。

 手元に置きっぱなしの携帯を開きながら、じわりと胸が熱くなった。


 ん、ナルトからメールか…――


「……はぁ?」
「どうした、シカちゃん。変な声出しちゃって」
「いや、ナルトのヤツからなんだけどよ」

『シカ、まだ仕事か?今我愛羅ん所の送別会に来てんだけど…
林檎ちゃんがさ、すげー酔った上にサイに口説かれて困ってる様子だってばよ。
迎えに来てあげた方が良いんじゃねぇ?』


「ったく、あいつらしい悪戯だよな…」
「そんなこと言って、シカちゃん気になってんじゃねぇの?」
「んなことねぇっての。さ、仕事に戻んぞ」

 にやにや笑っているキバの背を押してデスクへと戻る。
 森埜が事務所を立ち去る際に感じた、胸の奥がもやもやと澱むような変な感覚がふたたび湧き上がってきて、それを振り切るように俺は眉間に力を入れた。




「毎度―、白眉ケータリングサービスでーす!!」
「おぅ、天姫ちゃーん。待ってたぜ、こっちこっち!!」
「もう、犬塚さんの席位覚えてますから、毎回呼ばなくてもちゃんとここに来ますよ」

 これから恒例のキバと天姫ちゃんの夫婦漫才が始りそうな予兆に、すこし頬を緩め始めた頃。再び、俺の携帯が鳴った――


 ん、またメールか……って、森埜?!
 何で俺のメアド知ってんだ…あ、ナルトの奴から聞いたのか?

 俺はさっき登録したばかりの森埜からのメールに、ほんの少し胸を高鳴らせながらフォルダを開いた。


---------------------
From : 森埜林檎
---------------------
Sub: 無題
---------------------
奈良さん…
助けて下さい。

---------------------


 見た瞬間に、昂揚していた気持ちが一気に突き落されるように背筋を駆け抜ける不穏な波。
 確かに、前に桃地さんの会社に行った時に顔を合わせたサイという男、あまり良い印象は受けなかった。

「おーい、シカちゃん?どーした、黙りこんじゃって」
「悪ぃ、キバ…俺ちっと行って来るわ」
「は?何があったんだよ、夜食どーすんの?」
「天姫ちゃん、俺の分食べといて。キバ、立替頼むわ」

 非難の声を発しているキバと天姫ちゃんに構う余裕もなくして。俺は片手で上着を肩に引っ掛けると、慌てて事務所を飛び出した。







 私の手へと携帯を返しながら、やたらに可笑しそうに歯を見せて笑っているうずまきさんに、つい釣られて笑った。
 隣の我愛羅さんの苦笑いが気になる所だけど。誰かの楽しそうな顔って、見てるとこっちまで楽しくなるよね。


「で、林檎。あの、奈良って男は仕事デキるの?」
「はい、すごい人だと思いますよ。いつも落ち着いて周りを良く見てて」
「へー、そうなんだ…そんな風には見えなかったけど」
「サイさんと一緒の歳でしたっけ?」
「ああ、確か同い年のはずだよ」

 気のせいかな、サイさんの言葉にはちょっと棘があるような気がする。
 だけど、それが何故なのかは分からなかった。







 会社を出て、ナルトに聞いた店に向かいながら、何故か異常に心が逸っていた。

 ったく。こんなに全速力で走んのって何年ぶりだ?
 場所は、駅前の●◎庵っつってたよな、あれか!?
 これで、冗談だったらタダじゃ置かねぇからな。つうか、冗談であって欲しい。

 困っている森埜の顔が何度もなんども脳裏をよぎって、気が気じゃなかった――







 そろそろシカマルが来る頃だってばよ。外に出といた方がいいよな。

「桃地さん、突然すみませんでしたってば。俺、そろそろ行きます」

 我愛羅と林檎ちゃんも連れて行きますね〜。と、言いながら店を出る背中をサイって野郎の冷やかな視線が追いかけてきたけど、そんなの俺には関係ないってばよ。

 それより、シカマル どんな表情してんだろ?
 ワクワクする――







 3人で二次会へ向かうのだろうと思いながらうずまきさんの後について店を出ると、表に息を乱してすこし怒った表情の奈良さんが現れた。

「おいっ、ナルト?!」

 苛立ちを含んだ奈良さんの声を聞きながら、うずまきさんはニシシと笑っていて。私はただ訳が分からないままに、奈良さんの顔とうずまきさんの顔を交互に見つめ続けた。

「あれぇ?シカってば、何でそんなに慌ててんのー?」
「お前……っ!!」



「なんで、奈良さんがここに?」

 困ったような表情で眉根を寄せている奈良さんに問いかけると、“後で説明すっから”と口の動きだけで返事が返ってきた。
 うずまきさんは奈良さんの肩を何度か軽く叩きながら、耳元に口を寄せて何かを囁いている。

「じゃあなー、後はシカに任せたってばよ」

 うずまきさんは親しげに我愛羅さんの肩に手を回すと、後ろ手にひらひらと掌を翻しながら去って行った。
 その隣で、腑に落ちないといった様子で、我愛羅さんは何度もこちらを振り返っている。私だって何が何だかよくわからない。


(ナルト。一体何なんだ?)
(まあまあ、我愛羅には後でゆっくり説明するってばよ)


 ちいさなふたりの話し声だけが、風に乗って聞こえてくる。

 なんだかよく分からないけれど。今夜はもう顔を見ることがないと思っていた奈良さんに会えたことが嬉しくて。びっくりするくらい嬉しくて。そんな風に感じている自分が、ただ、不思議だった――







 あいつ、やりやがった…――

 柄にもなく走ったせいなのか、それとも、ふたたび森埜に会えたからなのか、ばかみたいに昂ぶる胸。
 乱れた呼吸を必死で抑えて。まだ困惑している様子の森埜と一緒にタクシーへ乗り込んだ。

「ナルトにやられた」
「え」
「あいつ、昔っから悪戯好きな奴でよ」
「そうなんですか?」
「ああ。森埜 携帯見てみろ」

 首をかしげつつ、鞄から携帯を取り出している彼女を横目で窺いながら、何故か森埜の顔を正面から見ることが出来なくて。俺は窓の外を流れる景色へと視線を走らせた。

「あれ。私の携帯から、奈良さんへメールを?」
「そ。それ、俺のメアドな」

 じゃあ、登録しておきますね。と言う森埜の言葉を聞きながら、さっきのナルトの言葉が頭のなかをぐるぐると回っていた。


(ちなみに、サイはマジで要注意だってばよ…)



 何故そんなことで動揺しているのか分からない。でも分からないままに、心のなかでは湧き起る波がだんだん勢いを増して。感情がうねって行くのを漠然と感じていた――






「お待たせしましたー、白眉ケータリングサービスでーす」
「あーっ、天姫ちゃん。今日はこっちな」
「はーい」
「土日会えなくて、すっげ寂しかったぜ」
「私は全然寂しくないですよ!」

「天姫ちゃん、この前はわりぃな。急に」
「いえ。犬塚さんからしっかり徴収しましたから」
「そうそう、あの晩はふたりっきりで楽しかったよなァ。天姫ちゃん」
「別に。美味しかったけど、楽しくは…」
「ひでぇ」
「それより奈良さん。随分慌てて出て行かれましたけど、何だったんですか?」

 あー、あれな…と、理由を説明しながら、胸がざわつく。
 週末の不可解な波が再燃しているのを、シカマルはまるで、自分のことではないかのように感じていた――
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