「綱手サン、何で昨日すっぽかしたんすか」
「あぁ、ちょっとヤボ用でねぇ」

(飲みすぎて二日酔いだなんて言えやしない)
(どうせ二日酔いとかだろ。筒抜けだっつうの)

「で、進めちまって良かったんですよね」
「森埜林檎の件だろう」
「はい」
「桃地のお墨付きもあることだし、な」
「もう、彼女の出向開始日程まで詰めちまったんすけど」
「珍しくお前が自己主張を通したんだ、信用してるよ」







 朝は早めに出勤するのが日課だ。
 面倒臭がりのシカマルには似合わねぇ。とキバもナルトも揶揄を含んだ言葉をかけるが、俺にとってはラッシュアワーの人波に揉まれることの方が、ずっとめんどくせぇ。

 うちの社は割と時間の縛りが緩くて、10時を回って出勤してくる人もいれば、アオバさんみたいに一件直行した後に出社する人も多い。
 だから、早朝の事務所っつうのは人気がなくて。電話が鳴ることも、誰かに用事を言いつけられることもない。
 朝の孤独なひとときは、合理的に業務を遂行できる貴重な時間で。その時間を過ごすのが、俺は結構気に入っていた。
 邪魔が入んねぇと、マジで仕事も捗るんだよな。

 入社して数年。
 大抵1時間ほどは、誰もいないデスクの並んだ空間をぼんやりと眺めながら、一人のしずかな時間を満喫するのが常だった。

 なのに。

 その日を境にして、俺の朝の風景は鮮やかに変わった――



-scene03 顔合わせ-






 出社して鞄をおろした瞬間、背後に感じた人影。
 珍しいな、こんな時間に俺以外の人間が事務所に現れるなんて。そう思いながら首を捻ると、やわらかい微笑みを浮かべた森埜が立っていた。

「奈良さん、おはようございます」
「おう、おはようさん。早ぇな」
「人ごみが苦手なんですよ。奈良さんも早いんですね」
「ああ、満員電車っつうのは苦手でよ」

 こっちな。と言いながら先に立って歩いて。広いフロアを横切り、俺たちのスペースへと案内する。
 窓際のちいさな打ち合わせルームが一つと、その周辺のいくつかのブースが今回のプロジェクト用。

「森埜の席はここな。んで、俺がこっち」
「奈良さんと背中合わせなんですね」
「ああ。近ぇ方が何かと連携取り易いだろ?」
「はい。今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ」

 互いにかるく頭をさげて、視線が重なった瞬間に笑みがこぼれた。
 まだなにも始めていないのに、今回の仕事はかなり面白ぇものになりそうだという確信が、むず痒い高揚感を伴って、じわりとこみあげる。

「皆が来る前に、煙草でも吸いながらかるく下打ち合わせしとくか」
「じゃあ、私コーヒー買ってきます。1Fにスタバありましたよね」
「ああ」
「何が良いですか?」

 俺も一緒に行くわ。言いながら財布を手に取り、一緒にEV(エレベーター)へ向かった。







 キバ、今日はいつもより早ぇじゃねえか。低い声に、視線を動かす。
 まだ火を点けていない煙草を大きな指で挟み、にやりと笑みを浮かべたアスマさんが手招きをしていた。

「アスマさん、おはよーっす」
「あの子が森埜林檎か」
「はい、けっこう可愛いでしょ」

 そういえばあの子、今日からだったな。

 ガラス張りの喫煙室で頭を寄せ合っているシカマルと林檎の姿は、やっぱりただの仕事仲間には見えなくて。
 ついつい、にやにやと頬が緩む。

「なぁ、キバ…あのふたりって」
「……アスマさんも、そう思います?」
「ってことは、お前も?」

 やっぱ、そんな風に見えんのは俺だけじゃねぇんだ。
 あのふたり、まだ付き合ってねぇっつってたけど。
 明らかに同じ匂いがすんだよな。男と女じゃ体温も違うから、つけてる間に多少は香りが変化するもんだし、本人達は気付いてねぇみたいだけど。

 多分、同じ香水――

 これって、偶然にしては出来過ぎじゃねぇ?

「ったく、煙草吸いてぇのに」
「あの雰囲気じゃ、ねえ」
「入って行けやしねえ」
「なんだか今回のプロジェクト…いろんな意味で楽しくなりそうっすよね」







 就業時間が近付き、化粧室行ってきます。と、喫煙ルームを出る。たしか廊下に出て右の突き当たり。
 給湯室の前を通り過ぎようとした際、中から聞こえてくる会話に、ふと足を止めた。


 ――奈良クン、今度のビッグプロジェクトでついにリーダーらしいよ!
 じゃあ、奈良さんが[Project N]のクリエイティブ・ディレクターって事ですか?きゃー、カッコイイ!!
 奈良クンみたいに顔だけじゃなくて、頭も良い男って最高だよね…理想。
 将来有望どころの話じゃないですよね、しかも奈良さんすごいフェミニストで優しいし。

 私は犬塚さんが良いなぁ…あの自信満々な所がすごくカッコいい!
 ああ、犬塚クンも確かに可愛いよねー。
 犬塚さんもサブリーダーなんですよね、やっぱりなかなかやり手なんだ?
 うん。可愛い顔して、やるときはやるって感じ?

 あ。この前の奈良さんのスーツ姿、最高じゃなかったですか?
 あー…、私はあの眼鏡にやられちゃう。あのパソコンに向かってる横顔なら、何時間眺めてても飽きない!
 分かりますー。あと、A1の図面をぱさって広げる時の手…どきどきですよね。

 私は、犬塚君の笑った時に見える八重歯が堪らないわー。
 あの明るい表情が、仕事してる時はきりっとキツイ顔になるのも、ぞくぞくする!

 そう言えば…今度出向してくるの、男じゃなくて女の人らしいよ。
 あぁ、私…我愛羅さんが良かったなー。
 って言うか、羨まし過ぎだよね?
 うちのイケメン軍団に囲まれて仕事出来るなんて、私も建築士の資格取っちゃいたいくらい。

 うちはクンとうずまきクンは死守!!ってね、あはは。
 どんな方なんでしょうね?
 ホント、興味あるよね――



 へぇ…
 奈良さんも犬塚さんも人気あるんだなぁ。

 って、ぼーっとしてる場合じゃないよね。

 腕時計を覗き込むと8:50。
 無意識に止めていた足を前に進めながら、責任者の猿飛さんとの顔合わせの時間に遅れないようにと、慌てて化粧室へ向かった。







「森埜林檎です、宜しくお願いします」
「猿飛アスマだ。噂は桃地から色々聞いてるよ、頼りないこいつらのケツ、思いっきり叩いてやってくれ」

 プロジェクト用の打ち合わせ室で顔合わせを済ませた頃、珍しくにこやかな顔で綱手サンが入ってきた。
 朝の挨拶を交わして、森埜を紹介しようとしたところで、先に彼女の方が口をひらく。

「先日はありがとうございました」
「ああ、無事に帰れたかい?」

 ん?この会話は、もう面識があるっつうことか。じゃあ、この前森埜がここに来た後に?

「奈良、犬塚!」
「「はい」」
「林檎は資格こそ二級だが、なかなかやり手だよ!ぼーっとしてると抜かれちまうから、しっかり気合い入れな」
「「はぁ…」」

 力ない返事をしている俺とキバの方を、睨み付けるような意味ありげな視線で見つめると、にやりと口元を歪めて綱手サンは楽しそうに言葉を続ける。

「それに、仕事だけじゃなくて酒も強いしねぇ」
「いえ……そんな事は、綱手サンには到底敵いません」
「まあ、とにかく期待してるよ」
「はい」
「今年一級も受験するんだったね?頑張りなよ」
「ありがとうございます」

 今にも高笑いが聞こえてきそうな風情。打ち合わせ室を後にする綱手サンの背中を、俺たちは半ば呆然と見送った。







「さ、今日も昼飯は天姫ちゃんで……じゃなくって、天姫ちゃんのトコで良いよな?」
「キバ、お前…顔赤ぇんだけど」

 こっちが恥ずかしくなる。毎回のことだけど、なに考えてっか丸見えだっつうの。
 ふっ。と、抑えたちいさな声が聞こえて。森埜を見ると、口元を手で覆い、キバの方を見つめて必死で笑いを堪えていた。

「あーーもう、シカマルうるせぇ!つうか、林檎ちゃんまでそんなに笑う事ねぇじゃん」
「で、昼飯どーすんだ?」
「天姫ちゃんとこに決まってんだろ」

 じゃあ、さっさと注文しろよ。笑いを耐えながらキバを促すと、森埜と顔を見合せて、思い切り笑った。

「林檎ちゃんは今日も日替わりでいいんだろ?いいよな?掛けちゃうぜ?」

 不機嫌そうに電話を掛けながら、キバは俺たちの方を向き直ると、照れ隠しに睨んでいる。ったく、わかりやすい奴。

「お前らだって……覚えとけよ」

 その挑戦的とも思えるキバの言葉が何を意味するのか。
 その時は、俺も森埜も全然気付いていなかった――







「あっ!天姫ちゃん、こっちこっち!」
「お待たせしましたー、白眉ケータリングサービスでーす」
「天姫ちゃんは、今日も可愛いなァ」
「犬塚さんは、今日も煩いですよねー」

 笑顔で近付いてくる彼女に向って、森埜が軽く手を挙げる。

「林檎、今日からこっちなんだ?」
「うん。また暫くは毎日天姫に会えるね」

 ああ、こいつらって本当に友達同士なんだ。合縁奇縁っつうけど、どこでどう繋がってるもんか分かんねぇよな。
 まぁ、それを短絡的に“運命”とかって言っちまうキバは、どうかと思うけど。
 その気持ちも分からなくはねぇ、か。

「じゃ、まずは。おすすめランチ3つ」
「天姫ちゃんには俺、おすすめー」

「…日替わりランチ2つ」
「日替わりでデートすんのもいいなァ」

 キバ…。
 お前の気持ちは分からなくもねぇ。分かる。分かるけど、もうその辺でやめとけよ。
 ほら、天姫ちゃんの顔だんだん引き攣ってんじゃねぇか。
 っつっても、お前は気付かねぇんだろうな。

「……オープンサンドセット2つ」
「なぁ、天姫ちゃん。俺たちもオープンな仲になろうぜ?」

「………犬塚さん、邪魔です!!」
「つれねぇなぁ…んな、照れんなよ」

 まるで夫婦漫才のようなふたりのやりとりに、俺と森埜は笑いをかみ殺す。

(犬塚さん、やられちゃいましたね)
(ああ、いつもの事だけどな。メゲずに毎回“口撃”がキバのモットーみてぇだから)
(そうなんですか?天姫も気が強いから…)
(見てる俺らとしては、楽しめるんだけど)
(そうですね)








 天姫ちゃんにお金を払ってふと視線を動かす。シカマルと林檎ちゃんが、再び頭をくっ付けるようにしてささやき合っていた。
 やっぱあれって、何かある雰囲気だよな…同じ匂いもするし。
 あ!天姫ちゃんに聞いてみるか?



 俺は、天姫ちゃんを手招きすると、耳元で囁いた。

(なあ、天姫ちゃんさ…)
(何ですか、口説くのは勘弁してくださいよ)
(いや、それは多分止めねぇんだけど…それとは別で、ちっと気になることがあって)
(気になること?)


 あれ見てみろよ。と言いながらシカマルと林檎ちゃんの方を指さす。

(何か、あのふたり妖しくね?)
(うーん、どうだろ)
(林檎ちゃんって、香水つけてるよな)
(えぇ、たしかここ数年は同じものをつけてるって言ってたかな)
(実は、シカマルからも同じ匂いがすんだよ)
(じゃ、カマ掛けてみます?)


 俺と天姫ちゃんは顔を見合せて一度頷くと、まだちいさな声で囁き合っているシカマルと林檎ちゃんに向かって話しかけた。

「ねぇ、林檎って香水変えた?何だったっけ…」
「シカマルって何つけてんだっけ?」
「え…変えてないよ」
「何だよ、唐突に」
「「ふたりで一緒に言ってみて。せーのっ」」

 ちらっと訝しげな視線を絡めたシカマルと林檎ちゃんは、それでも素直に同時に返答をした。

「「BVLGARI pour Homme Extreme」」

 ほらな、やっぱり同じ匂いじゃねーか。だから付き合ってんのか?って聞きたくもなるっつの。

「やっぱり、犬塚さんの読み通りだ」
「まあな、俺の嗅覚をなめんなよ?」
「森埜、マジ?」
「奈良さんも?」
「ああ、すげー偶然。だからか…なるほどな、気のせいじゃ無かったんだ」

 さあ、シカマル。
 どこまでお前がいつものポーカーフェイスを続けてられんのか。
 俺、すっげーこれからが楽しみなんだけど。







「私も、奈良さんって知ってる匂いがするな…と、思ってたんです」

 森埜の言葉を聞きながら、胸の中を駆け巡るこの不可解な感覚は一体何だろう。
 ただ単純に、彼女と同じ香りを好んで使っていたと言う偶然が嬉しい。
 でも、それだけじゃ、ない…?

「この偶然を必然にしちゃえば?んで、もちろん俺と天姫ちゃんもヒツゼン!」
「犬塚さん、いい加減にしてよ。私はイヤ!」
「だから、そんなに意地張んなって。まぁ、天姫ちゃんのそういう所も可愛いけど」
「意地なんて張ってません」
「あっ!必然じゃなくて“運命”って言って欲しかった?」
「もう、違うってば。犬塚さん、頭悪いの?」

 キバと天姫ちゃんのやりとりを笑って見ている森埜は、何も気にしてない様子で。それを横目で盗み見ながら、俺はかすかに体温が上昇するのを感じていた。

「もう、犬塚さん」
「なになに」
「せっかく心を込めて作ってるんだから、冷めないうちに食べてよね」
「天姫ちゃんが俺の為に心を込めてくれてんの?」
「犬塚さん“以外”の全ての人に心を込めました!」
「じゃあ、俺には愛を込めて天姫ちゃんが食べさせてくれるとか?」
「軽口ばっかり叩くな!お昼休み終わっちゃいますよ」

 延々と続きそうなキバと天姫ちゃんの会話に、心の中だけで何度かツッコミを入れて。身体を火照らせているこの感覚の理由を、追及しないために咽喉の奥から言葉を絞り出した。
 このまま黙ってっと、変な所に考えが行きついちまいそうだ。

「キバ、もうその位にしとけよ。天姫ちゃん困ってんだろ」
「天姫、次の配達先があるんだよね?」
「そうなの。犬塚さんがあんまりしつこいと、ここに配達来れなくなっちゃう」
「え、マジかよ!?俺、一日一回は天姫ちゃんの顔とその綺麗な脚を見ねぇと、元気出ないんだけど」
「キバ…お前それ、セクハラ」

 そう言う俺自身も、キバを非難なんてできねぇのかもしれない。
 もう少し森埜に近付いて、同じ香水から変化した微妙に違うその香りを、じっくり味わってみたいだなんて。

 理由の付かないちいさな欲望が、頭のなかでぐるぐると渦巻いていた――




2008.04.16
シカと林檎の香水[BVLGARI pour Homme Extreme]ブルガリ・プールオム・エクストレームは管理人の愛用品。私情挟んですみません
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