「なあ、シカマル」
「ん?」

 昼間の事務所で、同僚に声をかけられてシカマルはふりかえる。

「今日も昼飯は天姫ちゃんでいいよな」
「今日はずっと事務所だからな」
「了解」
「つうか、キバ。“昼飯は天姫ちゃん”って言い方はねぇだろ」
「え?俺、何かヘンな事言った?」

 ったく、こいつは。鋭いのか鈍いのか、







 あのとき近付いた君との距離は、あれから重なることもなくて。それに漠然とした寂しさを感じながらも、日常の雑事に追いたてられていた。

「今、帰ったぞ」
「「お疲れさまっす」」

 得意げな顔で帰社した綱手サンへ、顔を上げお決まりの言葉を掛けると図面へ向きなおる。

「奈良、ちょっと話がある」
「はい」
「アスマと一緒に10分後、打ち合わせルームA」
「了解っす」

 その綱手サンの言葉がどんな意味を持つのか、いくら洞察力の優れている俺にもさすがに予想はつかなくて。
 まさか、あんな形で未来への扉が開かれるなんて思いもしなかった――



-scene02 誰を?-





「前々から狙っていた、デカイ仕事が取れた」
「あぁ、あれっすね」

 綱手サンの言うデカイ仕事ってのが、N地区再開発事業だっつうことはすぐに分かった。
 じゃあ、俺が呼ばれてるのはアスマがリーダー、俺がサブリーダーってところだろうか。

「今回は奈良。お前に意匠チームのリーダーをやってもらう」
「へ、俺っすか…アスマじゃなくて?」
「そうだなァ、お前もそろそろ駒を動かす立場になるってのも良いんじゃねえか」

 アスマのゆるい台詞で、突如綱手サンの言葉がリアリティを増して動きはじめる。

「どうだ、奈良。やる気はあるか?」

 すげえデケェ仕事だよな。技術屋ってのは新しいことに挑戦してなんぼだし、そりゃやりたいに決まってる。でも、俺に出来んのか?一抹の不安をのこして返事をためらっていたら、透き通った綱手サンの声が部屋にひびいた。

「まあ、拒否は受け付けないつもりだけどねぇ」

 だよ、な。
 指示という名の命令、それが綱手サンだった。忘れてたワケじゃねえけど。

「責任者猿飛、意匠リーダー奈良、サブリーダー犬塚で進めろ」
「分かりました」
「……了解」
「これに目を通せ」

 分厚い資料の束を机越しに渡されて、アスマとふたりパラパラとページを捲る。

「今回メインで動くのはうちの事務所だが、そこにあるように入居予定のクライアント指名で…」
「この3つの事務所のどれかを、協力業者にと要請されているんですね?」

 大蛇丸さん、ガイさんに、桃地さん。
 どこも商業建築専門の意匠事務所か、なるほど。

「ああ。どうだ、奈良。どことならやりやすい?」
「うーん、そーっすね。ガイ先生の所はデザインセンスが違い過ぎるし、大蛇丸大先生は…ちっと苦手なんすよ」
「では、桃地の所なら……我愛羅で行くか。私から連絡しておく」

 桃地さんとこと組めば、また森埜に会う機会もあるかもしんねぇ。
 そんな打算が、頭のなかで渦巻いて消えた。

「桃地にはこないだの件で貸しがあるしねぇ、ちょうど良い。では、仕事に戻れ!」







「あー…やっぱ天姫ちゃんはいつ見ても可愛いな」
「つうか、キバ。全然相手にされてねぇじゃねぇか」

 ったく、キバはマジでいつもお目出度ぇ野郎だぜ。まあ、この明るさに救われてる部分ってのもあんだけどな。

「でも、いっつも俺の方見てすげェ良い笑顔してくれんぜ」
「愛想笑いは、売上伸ばす為だろう(キバもナルト並みのウスラトンカチか?)」
「キバは、ウスラトンカチだってばよ」
「「「お前が言うな!」」」

 キバとナルトのボケに、サスケと俺でツッコミを入れる、いつもの風景。
 最近では、昼食と言えば同期4人で集まって、事務所で取ることが多い。
 偶には外へ食いに行きてぇとも思うが、会社に出入りするケータリングサービスの社員に惚れちまってるキバの恋に皆が協力している(いや、協力させられてるっつう方が正しいか?)感じ。

「シカちゃん、俺もプロジェクトメンバーなんだよな?ヨロシクー」
「キバがサブリーダーなんて、信じられねえな。まぁ、ナルトよりはマシか」
「でもさ、でもさ、サスケ…俺だってお前と組んでサブリーダーやってるってばよ?」
「プロジェクトの規模が全然違うだろうが」

 ほんの一瞬だけシュンとすると、すぐに立ち直る所ってのがナルトもキバも似てるよな。
 サスケとふたり、視線だけで会話を交わすのは、大学時代からの常だ。

「あー、シカマル!」
「ん?」
「何かその大プロジェクトで我愛羅と組む事になったんだって?」
「ああ、ナルトはあいつと知り合いだったな」

 どんなヤツだ?と問いながら、そう言えばナルトは我愛羅と同じ大学だったと思いだす。学科も学年も一緒のはず。確か今でも付き合いがあるとか言っていた。

「親友だってばよ」
「はいはい、それじゃ何も分かんねえだろ」
「色が白くて、目付きが鋭くて、お坊ちゃま風で白いスーツとか似合って、」
 いつもなに考えてるか分かんない無表情で、それから…えーっと。

「別に外見はどうでもいいーっつの。それに顔なら俺も知ってるし」
「ふんっ、ウスラトンカチが」
「ナルト…お前が二級建築士だってこと、信じたくねぇぜ」
「キバだって同じ二級じゃん」
「で?」
「あー…もう、分かってるってば!シカマルが聞きたいのは中身の事だろ?無口で出来るやつだったってばよ」
「へぇ。じゃあ、仕事はやりやすそうだな」







 なごやかな昼食を終えて激務をこなしていた昼下がり、ほんのすこしだけ渋い表情をした綱手サンに、再び呼ばれた。

「奈良、犬塚。アスマを呼んでもう一度打ち合わせルームA。5分後だ」

 もしかしたら、リーダー外すとかって話だろうか。まぁ、俺としては、どっちでもいいけど。



「実は桃地の件なんだが」
「断られましたか?」
「いや、別に断られた訳ではない。ただ、我愛羅は別のビッグプロジェクトに掛かり切りらしくてねぇ」
「出向は難しいっつうことですね」
「ああ。協力事務所を変えるか?ガイの所の日向かリー、大蛇丸ん所のカブトなら空いてるらしい」

 出て来た名前で一番まともに組んで仕事できそうなのは日向だよな。
 まぁ、ガイ先生が口出しして来ねぇかどうか、って所だけが心配か。

「猿飛、どう思う?」
「そうですね…今回の仕事は長丁場ですから、出来れば対等に話ができて多少の無理も利く相手が望ましいかと」

 じゃあ、どこでも良いじゃないか?と、不思議そうな顔をする綱手サンに向かってアスマは言葉を続けた。

「いや、綱手サンだったらそうでしょうけど。俺らでは大蛇丸先生の所は無理ですよ。当初の予定通り桃地ん所が一番かと」
「俺も、桃地さん所がいいなー」
「今は犬塚の意見は聞いていない、黙ってろ」

 怒鳴られて、シュンと尻尾を巻いた子犬のように落ち込んで項垂れるキバに、憐れむような視線を投げる。
 目が合うと、笑いが込み上げてきた。ったく、お前はタイミング悪ぃんだよ。

 彼女へ繋がる流れが、途絶えたかと思った瞬間にふたたび繋がる。
 目の前で交わされる会話を他人事のように眺めながら、俺の頭のなかは、ただひとつのベクトルを指示しはじめていた。

 もし、俺に誰かを選ぶ権利が与えられるのなら

 彼女を――



「ふーむ。私としては大蛇丸ん所でも良いかと思ったんだがな、」

 カブトという若造はなかなかのやり手らしいし。綱手サンのセリフに、アスマが言葉を挟む。

「いや、あいつだと絶対シカマルと衝突しますよ。逆に食われちまう」
「そうか?で…奈良、お前は何処がいいんだ?」
「そうっすね、やっぱり桃地さんとこが一番やり易いです」



「分かった。では桃地に決定だ」

 こういう所、決断の早い綱手サンは好きだ。
 女とは思えねぇほど度胸も据わってるし、大胆で強引で、だからこそこの業界で名を馳せることができんだろうな。
 つうか、マジでホッとした。あのカブトって男は、真意が読めねぇから苦手なんだよな。

「では我愛羅以外だったら誰が良いんだ。アテはあるのか?」
「あそこには、お前と同期と言やぁ…確か、サイってのが居たよな」

 サイって奴は、何かムシが好かねぇんだ。アスマ、余計なこと言うなって。
 俺は出来れば、彼女と。
 森埜林檎ともう一度仕事がしてみてぇ。

 あの、モノクロの図面が彩りを放ち始める感覚を、また味わえるかもしれないと思うだけで、わくわくする。

「今回は奈良がリーダーだ、誰でも選ばせてやろう。桃地には言う事を聞かせる」
「じゃあ……森埜林檎で」

 俺の答えを聞いた綱手サンとアスマは、訝しげに首を傾げた。

「森埜林檎?ほう、顔見知りか?」
「挨拶交わす程度っすけど、この前のプロジェクトでちょっと。なかなか有能っすよ」
「分かった、女性の視点が入るのもなかなか面白いかもしれないねぇ。じゃあ、それで進めよう」

 声を揃えて了解の返事をした俺達に向かって、綱手サンは山のような仕事の指示を始めた。

「奈良、ざっくりとでいいから今後のスケジュールを組んで教えてくれ」
「はい」
「それからスケジュールと一緒に、前例から参考になりそうな資料を抜粋して提出」
「…はい」
「後は大枠の予算計画。それから、組みたい構造事務所の希望があれば申し出ろ、話は付ける」
「……はい」
「森埜林檎の一件は、一応私が会って自分の目で確かめてから決定する。明日にでも来て貰え」
「………はい」

「犬塚は、擬似案件の過去物件データを収集して奈良に渡せ」
「はい」
「現地視察して、簡単にで良いから報告書を作って提出すること」
「…はい」

 聞きながら、気が遠くなりそうだぜ。

 歪めた顔を見合わせて、だんだんげっそりして行く俺とキバに向かって、綱手サンは更に言葉を続けた。

「その後は、ふたりで……」
「まだあるんすか?」
「何だ、文句でもあるのか?」
「「いえ、ないっす」」
「その後は、ふたりでアオバのやってるプロジェクトのサポートに回れ。あっちは今が佳境だからねぇ」
「「了解っす」」







「すげーな、シカマル。ハンパねぇぜ」
「あぁ、さっさとやっちまおう」

 肩を落として文句を言ってる暇なんてねぇ。出来るだけ効率よく仕事を進めねぇと、今日は帰れそうにねーな。

「キバ、お前は…そうだな過去案件で似てるっつったらK地区とR地区の再開発だろうから」
「じゃあ、あっちの資料庫だな」
「ああ。その中から使えそうな所をピックアップしてくれ。後は俺がやる」
「りょーかい。じゃ、それが済んだら俺は視察行ってくるわ」

 互いに作った拳同士をコツンと合わせながら、視線を絡めて。

「さ。めんどくせーけど、いっちょやるか」
「やりますか!」

 俺たちは、本気モードに突入した――




「で、その林檎ちゃんってのはどんな娘だ、可愛いのか?」
「あー…無駄口叩いてる暇なんてねぇだろ?明日会えんだから、自分の目で確認しろ」
「シカちゃん、何かこえぇー」

 何故だろう。多分キバの言葉には深い意味なんてないはずなのに、胸の奥がくすぐったくなるような、不思議な感覚がじわじわとこみあげる。
 これは、自分に任されたプロジェクトへの期待の大きさから生み出される武者震いのようなものなのか、それとも、ぜんぜん別の感情なのか。
 俺にはまだ分からなかった。


「なあなぁ、シカマルー。キバも…お前らが今度やるプロジェクトって、めちゃくちゃデケェんだってな!すごいじゃん」
「おー、ナルト。忙しいからまた後でな。鬼みてぇに用事言いつけられてっから」
「奈良!何か言ったか?」
「いえ、何も」

「はっ、綱手のばーch…綱手社長!」
「ナルトもこんな所で油売るくらい暇なら、やって欲しい事は山ほどあるんだよ?」
「あ、あーーっ!!俺これから敷調、行って来なくちゃなんねぇってばよ。サスケー!」
「はっ、どいつもこいつも使えないねぇ」


 はーっ、とためいきを吐いた俺の顔を覗き込みながら、何故か嬉しそうなキバが不可解だ。

「お前、用事言いつけられんのがそんなに嬉しいのかよ?」
「だって、残業決定だろ?」

 あー、なるほどね。

「勿論、残業時の夜食は天姫ちゃんでお願いします。っつうか、もうオーダーしちゃったもんね」
「だから…“夜食は天姫ちゃん”とか言うなって」
「え、何で?」
「知らねぇやつが聞いたら、天姫ちゃん=食い物みてぇに聞こえんだろ?」


「……っ!」


 なあ、キバ…顔、赤ぇぜ?
 お前の頭ん中ってすげー分かり易いのな。今お前が考えてること、全部顔に書いてあんだけど。
 つうか、今まで自分の言葉がそんな風に誤解を招くって気付いてなかったのかよ?


 その日。
 全ての作業が終わったのは深夜だった――







 翌日、朝一で事務所へやって来た森埜は、あの頃よりもすこし痩せて髪が伸びていた。

「奈良さん、ご無沙汰してます。今日はスーツなんですね」
「ああ。今回はよろしく、こっちはサブリーダーを務める犬塚キバ」
「犬塚キバです。林檎ちゃん、よろしくー」

 挨拶を交わすために近付いた彼女からはやっぱり良い香りがして、何度目かもわからない記憶の底をくすぐる感覚に首を傾げる。
 キバも何か気付いたように鼻をひくつかせながら、俺の方へ耳打ちしてきた。

(なぁ、シカマル…すげぇ可愛いじゃん)
(そうか?)
(もしかして、お前らって付き合ってんの?)
(はぁー?何言ってんだ、突然。付き合ってねぇよ)
(ふ〜ん……なら、別に良いんだけど)


 何か楽しくなりそうだよなー。と呟き、意味ありげににやついているキバを横目で睨んで。戸惑っている森埜の背を押すと、打ち合わせルームに移動する。
 計画の概要と、森埜にやって欲しいことを説明した後に社内を案内することにした。

「森埜さんは、煙草吸う?」
「あ、はい。いつも社に居る時は、屋上が定位置で」
「じゃ、喫煙ルームも案内しとくわ」

 ついでに一服するか。と言葉を続ける俺に、彼女は頷いて、控え目に口をひらいた。

「あの、奈良さん。名前は呼び捨てにして頂いて結構です。私の方が歳下ですし」
「わーった。じゃ、これからは森埜で」

 一服して打ち合わせルームに戻り、森埜の予定と擦り合わせながら今後のスケジュールを見直す。出向開始の日を決定して、一段落が付いた頃には昼前になっていた。

「森埜もここで食ってったら?」
「じゃあ俺、天姫ちゃんとこに追加オーダーするわ」
「え…天姫?」

 いそいそと電話をかけようとしているキバの横で、森埜が訝しそうな声を発する。

 キバ、お前も慌て過ぎだって。
 まだなに頼むかはおろか、ここで食ってくかの返事も彼女はしてねぇだろうが。

「ん、知り合いか?」
「天姫って大学時代からの親友がいるんですけど、同じ名前の別人かも」
「ちなみにケータリングサービスの社員さんなんだけど」
「じゃあ、もしかして…白眉天姫ですか?」

 同一人物みてぇだな。と言う俺の声は、キバの絶叫にも似た声で掻き消された。

「じゃあ林檎ちゃんって、天姫ちゃんの親友?」
「はい、そうなんです…って、犬塚さんなんでそんなに笑顔?」
「うわ、マジかよ!やっぱ俺と天姫ちゃんの出会いって、運命じゃね?」

 不思議そうにキバの様子を見つめている森埜に、ちょっとこっち来いよと手招きをして。素直に近付いてきた耳元に顔を寄せると、含み笑いを堪えながらささやいた。

(あいつな…ずーっと天姫ちゃんの事狙ってんの)
(そうなんですか?)
(まぁ、全然相手にされてねぇみたいだけど)

「シカマル、林檎ちゃん!何、ふたりで仲良さそうに笑ってんだよ?」
「あー…はいはい、良かったな。キバ」
「犬塚さん、頑張ってくださいね」
「おう!で、林檎ちゃんは何が良い?日替わりランチ?おすすめランチ?」

 じゃあ、日替わりで。と答えながら楽しそうに笑う森埜の顔が、やけに眩しく見えた――




[補足]
敷調:敷地調査のこと
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