「出掛けたついでに、コーヒー買って来ました。奈良さん、アイスでよかったですよね?」
「ああ。さんきゅ」

 林檎の手から水滴の付いた冷たいカップを受け取り、顎の先で喫煙室へと促す。
 窓際に並んで立ち、煙草を銜えた所で、自然に手渡されるライターに、つい頬が緩んだ。

「今週末、ですね」
「ん…?あぁ。そうだな、一緒に行くだろ」

 えぇ。と短く答え柔らかく笑った林檎の視線の先には、相変わらずクールなのに、僅かに表情の緩むサスケの姿。

「じゃあ、金曜の晩は一旦家に礼服取りに帰るわ」
 それからお前ん家に行くから。

 煙りを吐き出しながらゆっくりと言葉を続ける。

「分かりました、晩ご飯は?」
「あー……お前と一緒に食う、かな」

 言葉に出来ないほどかすかな幸せの空気が蕩揺う。
 昼下がりの喫煙室は穏やかで、差し込んだ日差しが室内を明るい色に染めている。
 陽光が反射して林檎の耳朶を彩る小さな石の輝きは、何よりも眩しかった――




-extra03 見つめた先、-







 ――いよいよ、今度の日曜日ですね…どうしよ。
 あー、うちは君の披露宴?別にあんたが呼ばれてるわけじゃないでしょ。
 ほら、だって2次会には行くでしょ?イイ男狙わないと。
 まぁね…でも、うちは君って友達とか少なそうじゃない?
 どうなんでしょう。

 あ、そう言えば森埜さんは式から呼ばれてるらしいよ。
 ってことは、あの噂…本当なんですかね?
 噂って?
 奈良さんと婚約したらしいとかって話。
 ……うーん、多分ね。
 良いなぁ、羨ましい…でも、あの2人ならお似合いですよね。
 うん。悔しいけどそれは認める。

 はぁ……残るはうずまき君だけか。
 ほら、やっぱりうちはさんの2次会でイイ男ゲットですよー!!
 そうね。
 気持ち切り替えなくっちゃ――


 給湯室での会話を聞きながら、つい頬が緩む。

「さ、急がねぇとアポの時間に遅れんぞ」
「そうですね」

 隣を歩く林檎の顔を覗き込むと、かすかに笑みを浮かべた目許がやさしい想いを伝える。
 さり気なく差し出した手に、無言のままで手渡されるジャケット。
 さらりとそれを羽織りながら振り返ると、細い指が首筋に伸びて来る。

「奈良さん。襟、折れてますよ」

 まるでふたりきりの時みたいに親密な仕草なのに、呼び方は他人行儀なことが妙にくすぐったくて。
 更に緩みそうな頬を気にしながら、眉間に皺を寄せた。


「出掛けんのか?」
「あぁ」

 EVホールですれ違ったサスケ達に、ふたりの空気を見咎められたのではないかと心のなかだけで焦っていると

「外、めちゃくちゃ暑いってばよ。林檎ちゃん、熱中症とかなるなよー」
「ありがとうございます」

 何の含みもないナルトの声が、その場の空気を明るく塗り替えた。


「シカマル。例の件、悪いが頼んだぞ」
「りょーかい。ま、適当にやるわ」
「ああ。お前なら余計な事は絶対言わねぇだろうし」

 任せて安心だ…。と、表情を崩したサスケは幸せそうで。

「先輩は元気か?」
「相変わらず…だな。シカマルもたまには研究室に顔出せよ」
「俺はサスケみてぇにマメじゃねぇし、めんどくせーから遠慮しとくわ」

 つうか、サスケが今でも大学に顔出してんのは、先輩がいるからだろ?

(え、例の件って何だってばよ?俺、何も聞いてないけど)
(お前には二次会の幹事頼んでんだろ、大丈夫なのか?)
(なんだよ、サスケ…シカにも何か頼んでんの?)
(お前が気にすることじゃねぇ。ウスラトンカチ)

 ふたりの声が遠ざかって行くのを聞きながら、明滅するEVの階数ランプを見つめる。

「ほら、荷物 貸せよ」
「大丈夫ですよ?」
「いいから。女にそんな重いもん持たせらんねぇだろ」

 甘えろよ。と、言いながら林檎の手から荷物を奪い取る。

「奈良さん、相変わらずですね」
「森埜も、な」

 顔を見合せて同時に笑みを漏らした瞬間、EVの扉が開いた。

「行くぞ」

 頷いた林檎の表情に見惚れながら、この何気ない時間が心地よくて。

「うちはさん、ホントにお幸せそうでしたね」
「そうだな」

 ふたりきりのEVの中でそっと絡めた指先が、二度と離れなければいいと
 心から願った――







「もしもし久しぶり、杏。いま大丈夫?」
「うん、久々だね林檎。どうした?」
「突然なんだけど…実は、プロポーズされてね。結婚することにしたの」

 杏には話しておかなくちゃと思って。と、続けながらシカマルの顔が頭に浮かんで、つい笑顔になる。
 案の定、すごく驚いた様子の杏は、矢継ぎ早に色んな質問を投げかけて来て。

「いま綱手先生の事務所に出向してて。彼、そこのプロジェクトリーダーなの」
「綱手先生って。あっ!!じゃあ、もしかしてうちはさんって方、知ってる?」
「うん、同じフロアで働いてるけど。何で?」

 まさか、今聞くとは思ってもみなかった名前が杏の口から飛び出して、意外に思いながら次の言葉を待つ。

「今度9月にね、彼の結婚式のプロデュースを任されてるの」

「それホント?」

 なんて奇遇なんだろう。こんなところでまた杏と縁がつながるなんて。
 彼女は学生時代からアルバイトでブライダルコーディネートの仕事をしていたからその流れでいえば不自然ではない。でも、たまたまにしては出来過ぎと言うかなんというか。

「ウソついてどうするの」
「だね。杏、卒業後もブライダルコーディネーターなのか」
「いまじゃチーフなんて面倒な職任されちゃって、」

 重労働も良いトコだよ。なんて言いながら、彼女の声の調子はすごく楽しそうだ。
 ああ、彼女もきっとイイ仕事をしてるんだろうなあと、容易に想像が出来た。
 昔からすごく面倒見が良くて姐御肌だったから、杏は。

「私もうちはさんの式に招待されてるから、そのあとちょっとだけ時間頂戴」
「ほんの少ししか時間取れないと思うけど、」
「紹介したい人がいて、ね」
「婚約者?分かった。何とか身体空けるわ。じゃ、9月に」

 久しぶりの杏との電話を切って、縁ってほんとうに不思議なものだなあと、ぼんやり考えていた――







 帰宅途中の電車で、いつものようにシカマルの腕を借りながら、すっかり暗くなった窓の外を眺める。この時間が結構好きだ。

 反射するガラスに映る車内の光景、穏やかな笑みを浮かべるシカマルの顔、小さく規則的に響くレールの音。
 かすかに車内に漂うアルコールの香り、なにもかもが深夜の少し気怠くてゆったりとした時間を感じさせる。

 最近少し疲れ気味だし、帰ったら早めにお風呂を入れてバスタブに浸かろう。

「ところで林檎、サスケの式に着てく服決めてんのかよ?」
「一応ね。前に桃地さんの代わりにレセプションに出た時のがあるから」

 それで良いかなぁって思ってるんだけど。と、言葉を続けるごとに、何故かシカマルの表情がすこしずつ歪んで行く。

 私、何かまずい事言っただろうか。
 あのワンピース、結構気に入ってるんだけど。その眉間の皺、きっと何か理由があるんだよね。

「シカマル。どうかした?」
「いや。帰ってからゆっくり話すわ」
「うん」
「今日は、お前ん家に泊まるつもりだから」
「わかった」

 さっきまでとは変わって、苦しげに眉を顰めたシカマルの顔が、流れて行く夜景をバックに電車の窓を切なく見せていた。



 帰宅して、バスタブにお湯を張る準備をすると、寝室のクローゼットに向かう。
 あの時のワンピース、確かクリーニングして……あ、あった。

「シカマル。これ、なんだけど」

 リビングのソファに腰かけた、シカマルは相変わらずあまり機嫌が良くなさそうで。それを気に掛けながら、おずおずと手に持った服を胸に当ててみる。

「どう、かな?」
「それって、我愛羅と一緒にレセプションに出た時のだろ?」
「そうだけど」

 じっと見つめていたシカマルの表情が、すこしだけ変わった…ような気がした。

「 似合ってっけど、だめ」
「え、なんで?」

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべたシカマルに、不可解ながらも胸がどくんと跳ねる。

 どうしてそんな表情してるの?

「とにかく、それは却下。つう訳で、今週末は買い物な」

 もしかして
 また、あの時みたいに我愛羅さんに嫉妬してる、とか?
 もしそうなら、今のシカマルには逆らわない方がいいよね。きっと。

「 分かった」
「ふっ…今日はヤケに素直じゃねぇか」
 ま、俺がもっと林檎に似合うヤツ、選んでやっから。

 軽く笑みを漏らし、楽しそうに言葉を続けるシカマルを見ながら、私は大人しく言うことを聞くことにした。



「仕舞って来た?」
「うん。コーヒーでも淹れようか」

 リビングを素通りしてキッチンへ向かおうとしたら、ソファから手を伸ばしたシカマルに手首を掴まれて。
 あっという間に膝の間へと引き寄せられていた。

 こうやって、後ろから抱き締められるのも、すごく好き――

 肩に乗っかっているシカマルの顎の感触が心地よくて、小さな笑みが漏れる。

「なあ、林檎」
「ん……?」

 耳元で囁くシカマルの声が、いつもより甘ったるく掠れている。

「風呂にお湯、溜めてんだろ?」
「うん。たまにはゆっくり浸かろうと思って」
「ふーん」

 吐息を態と耳孔に吹き込むように喋るシカマルは、何を考えてるんだろう。
 くすぐったくて、背筋がぞくぞくする。

 もしかして、甘えたいの?

「じゃ、偶には一緒に入ろうぜ」
「え」
「髪、洗ってやるから」

 嗄れた声が頭のなかをとろとろに溶かして、返事も出来ずに軽く頷くと
 首筋に滑り降りた熱い唇の感触に、しばし酔い痴れた――







 披露宴会場内には、鳴り止まない拍手とともに、温かい幸せの空気が漂っていた。
 こういう場ってのも、案外悪くねぇもんだな。ま、他人ごとだからかもしんねぇけど。とシカマルはひとりごちる。


「では、次は新郎の大学時代のご学友で現在は同じ会社に勤務なさっている、」

 奈良シカマルさまより、ご祝辞を頂戴いたします。と、マイクからこぼれる自分の名を、どこか遠いものに感じた。

「シカちゃん呼ばれてんぞ」
「あぁ。行ってくるわ」

 めんどくせぇけど。と、キバに向かって返事をしながら隣に座った林檎と目線を合わせる。
 淡い笑みを浮かべた表情に、ふたりの未来が透けて見える気がした。

 すこし緩めていたネクタイをきゅっと締め直して、椅子の背を引くと立ち上がる。
 ふたたび湧き上がる拍手の中、スポットライトに照らされる席に向かうのは、ある意味プレゼンの演壇に立つよりも妙な緊張感があって。

 何つうか、気恥ずかしい。

 ちらりと盗み見たサスケは、居心地悪そうに微かに眉を潜めて「悪いな」と目だけで伝えて来る。
 隣に座ったドレス姿の先輩はいつも以上に綺麗で、幸せそうで。

「気にすんな」サスケに向かいニヤリと笑みを浮かべると、俺はマイクを握った。







 いつも思うんだけど、シカマルって人前で喋るの、すごく上手い。
 こういうスピーチも、スマートにさらりとこなしちゃうんだね。

 拍手を浴び、細身のジャケットの裾を翻しながらこちらに向かってくるシカマルは、やっぱりすごく格好良くて。
 会場の女性たちが皆振り返って、彼のしゃんと背筋を伸ばして歩く姿を目で追っている気がする。


「おつかれさま」
「おう」

 ふっ、と溜息を吐きながら隣の席に座ったシカマルに、ほんのすこしだけ見惚れた。
 目線の端には、次に乾杯の音頭を取る予定になっている並足さんの肩を、ふざけたように叩いている不知火さんの姿。

「シカマルがあんなに上手く喋ると、俺 やりにくいよ」
「大丈夫だって、お前には誰もそんなに期待してねぇから」
「ひでぇな、ゲンマ」

「でも、本当の事だから。ま、気合いいれずに行きなよ」
「……っ!?アオバ――」

 並足さんと不知火さん、山城さんのやり取りに、テーブルに同席した皆がどっと笑い、つられて私も笑った。

「シカマル、スピーチすごく上手いね」
「そうか?」
「やっぱり、普段プレゼンとかで喋り慣れてるからかな」

 同じテーブルに座っている犬塚さんや猿飛さんに聞こえないように、すこしだけシカマルの方に近寄って小声で話し掛ける。

「んなことねぇって。ほら 汗掻いたぜ」

 テーブルの下で、そっと私の手を握って来たシカマルの掌は、確かにほんのりと汗ばんでいて。
 そのしっとりとした感触と、皆に見えない所で触れられている密やかな甘さに、くらくらする。

「どうした、林檎」
「え」
「顔赤ぇけど?」

 乾杯もまだなのに酔っぱらってるみてぇ、と言いながらシカマルはくつくつと笑って。わざと私をもっと赤面させようとする。テーブルの下、指を絡めるシカマルは、楽しげに口の端を歪めているから間違いない。
 だけど。
 その匂いたつようなつやっぽさが、堪らなく愛しかった――







「では、皆様お待たせいたしました。新郎直属の上司でいらっしゃいます、並足ライドウさまによる乾杯の音頭です」

 あー…ありゃ、ライドウさん相当緊張してんな。
 あの歩き方、まるでロボットみてぇ。
 ひやひやしながらシカマルはライドウの背を見守っていた。

「大丈夫っすかねぇ」
「ま、何とでもなんだろ」

 ゲンマさんもアオバさんも、他人ごとって感じで、面白がってるし。

「ライドウさーん、頑張るってばよ!!」

 ナルトの茶化すような励ましの叫びも耳に入らない位、緊張している様子のライドウさんが、ちょっと可哀想になった。

 つうか、スタンドマイクに顔ぶつけてるし。マジで大丈夫なのかよ?

 不安な想いでライドウさんの方を見ていたら、隣の林檎にジャケットの袖を軽く引っ張られた。

「シカマル、あれ」
「ん?」
「ライドウさんの斜め後ろで、ヘッドセットのマイク着けてる女性。見える?」

 ああ。と、返事して視線を泳がせると、タイトなスーツを着こなして、テキパキと動く女が目に入った。

 へぇ、結構綺麗な顔立ちした子だな。
 視線の配りに隙がねぇし、仕事出来そうなタイプ。

「あれが、高校からの親友の杏。後で紹介するね」

 林檎の眼を見て頷くのと同時に、上擦ったライドウさんの声がスピーカーから響いてきた。

「えー…。ただいまご紹介に預かりました、うちはサスケ君の上司の、な、な、並足ライドウと申します」


「あー……アイツ、やっぱり噛んだな」
「仕方無いよ、ライドウだもん」

 ったく、ゲンマさん達もひでぇ言いようだよな。

 それから数分、妙な緊張を覚えながらライドウさんのスピーチを聞き続けて。
 「皆様ご起立下さい」という言葉に合わせ、林檎の椅子を引いてやると、手を貸して一緒に立ち上がった。

「で、ではっ、ふたりの未来に…カンパーイ!!」

 相変わらずの上擦った声に、会場全体が静かに笑いでどよめくのを聞きながら、林檎と視線を絡め、シャンパンのグラスをカチリ、と合わせる。
 眼の前の細いグラスの中でライトを反射して輝く小さな泡が、ぷつぷつと音を立てながら弾けていた――







「こちらのテーブルにうずまきナルト様、いらっしゃいますか?」
「あ!!はい、俺だってばよ」

 耳からマイクを着けた綺麗な子に、いきなり声を掛けられてナルトはびくっと肩を揺らした。

「杏、どうしたの?」
「ちょっとね。林檎、また後で」

 林檎ちゃんの肩に手を置いて、親しげに話してるってことは、友達かなにかかな。
 彼女、結婚式を仕切ってる会社の人だよな?

「お食事をお楽しみの所、申し訳ありません」

 すぐ近くにある秀でた額と、大きな瞳に、何故か視線が釘付けになる。
 ちょっとドキドキするってばよ。俺、もう酔ってんのかな?

「うずまき様は、二次会の幹事をなさるとお聞きしたのですが」
「ああ、そうだけど…何だってば、これ?」

 差し出された紙片を受取る際に、軽く指先が触れる。
 完璧な営業スマイルを眩しく思いながら、その紙を開くと名前のリストだった。

「新婦さま側の幹事様から預かった、二次会の出席者リストです」
 会費を徴収なさるのに必要ではないか、と思いまして。

 彼女の声を聞きながら、綺麗に塗られた爪ばかりを見つめていた。
 ヌードカラーのマニキュアは厭味がなく、耳に入ってくる声は高過ぎず低過ぎず心地よくて。

 椅子に座った俺の高さに合わせるように屈んだ彼女の、いくつかボタンを外した胸元の奥につい吸い寄せられる視線。
 白い肌の奥で、影になっている胸の谷間が魅惑的で。

 …って、俺なに考えてるんだってば!?

「……」
「うずまき様、どうかなさいました?」
「な、何でもないってばよ!!ありがとうございましたっ」
「では、私はこれで」

 くるりと踵を返した彼女から、ふわりと清潔感のある甘い香りが漂って。
 それが、いつまでも記憶の底にこびりついたように離れなくなりそうな予感。

(じゃ、林檎。終わったら1Fのロビーで待ってるから)
(うん。杏、忙しいのにごめんね)
(ううん。でも、ホントにちょっとしか時間ないのごめん)
(分かってる。また、後で)

 軽くシカマルに会釈して去って行く彼女から、視線を外せない。

「おい、ナルト。どうした?ボーっとして」

 問いかけるシカマルの声も、耳に入ってこない位に彼女に意識が集中して。タイトなスーツの後姿がきれいだ。誰かの背中にこんなにどきどきしたことなんてないってばよ。

「ナールートー!?うずまきナルトくーん…大丈夫っすか?」

 ふざけて背中を叩くキバの仕草で、やっと我に返る。

「なぁなぁ、林檎ちゃん!!あれって誰だってばよ?なぁ!!」
「え、杏ですか?私の高校大学時代の親友で」
「親友!?」
「ええ。ブライダルコーディネーターやってるんですけど、何か?」

 不思議そうに俺に答える林檎ちゃんの横で、くくっと笑いを堪えているシカマルの姿を気にしながら
 受け取ったばかりの紙片を無くさないように無造作にポケットへ突っ込む。

「いや、別に何でもないってばよ。可愛い子だな、と思っただけで」
「そうですね、学生時代から彼女すごくモテてましたから」
「へぇー……」

 持ち場へ向かい、すこしずつ俺から距離を伸ばして行く彼女の後姿を見つめる。

(良かったら、紹介しましょうか?)
(でもさー、杏ちゃん位可愛かったら彼氏も居るんじゃねぇのー?)
(いえ。確か、今は付き合ってる人いなかったはず)

 ぴんと背筋を伸ばして歩く杏ちゃんの、凛とした姿にばかり気を取られていた俺には、他の情報なんててんで入ってこなくて。
 目の前で会話を交わしている林檎ちゃんとキバの声が、霞んだように遠くから聞こえてくる気がした――


2008.08.20
番外編終了後に、第二部[透明な軌跡]の作成に取り掛かる予定ですので、今暫くお待ちくださいませ。
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -