早朝の喫煙ルームでは、頭を突き合わせて、書類を覗き込んでいるシカマルと林檎ちゃんの姿。
あの子が出向して来たその日から始まった、相変わらずの朝の光景。
やっぱ、ただの仕事上の付き合いには見えねぇんだよな。
シカマルが煙草を銜えると自然に手渡されるライターも、お互いを見つめるその視線も。
ほとんど同じタイミングで持ち上げられるコーヒーカップも、笑顔を交わすその遣り方も。
なんつうか、
シンクロしてるみてぇ。
「キバ。あのふたり、どうなってんだ?」
「俺が聞きたい位っすよ」
不意に肩を組まれたアスマさんからの問いに、満足な答えなどなくて。お節介なじれったさに、大の男ふたりでそっとためいきを吐いた。
-scene17 シンクロ-
――奈良クンと森埜さんって、最近怪しくない!?
うん、どう見てもただのプロジェクトリーダーとメンバーって感じじゃないよね?
そうなんですよね〜この前私、それとなく森埜さんに聞いてみたんですけど。
えー、何て?
「森埜さんって、奈良さんと付き合ってらっしゃるんですか?」って。
全然それとなくじゃないじゃん、直球だよーそれ!!
で、どう言ってた?
「いえ、付き合ってないですよ?」って、不思議そうな顔してて。
嘘だー、どう考えてもあれは男と女の雰囲気だよー。
そうそう、この前も事務所でヒール気にしてた森埜さんにさり気なく奈良さんが手を差し伸べてて。
あー私も見た!!何だか阿吽の呼吸って感じだったよね。
そうなんですよ、ふたりともすごく自然だったし。
それにしても、うちはクン・犬塚クンに続いて奈良クンまで盗られちゃうのかー。
でも、テマリさんに奪われるよりは森埜さんの方が納得じゃないですか?
まあね…――
ゲンマは給湯室の会話を立ち聞きしながら、ひそかな笑みを堪えていた。
やっぱり、シカマルと林檎ちゃんって絶対何かあるよな。林檎ちゃんの荷物をさり気なく持ってやったり、何かっつうとアイコンタクト。俺から見れば、どうぞ怪しんで下さいって言ってるようなモンだ。
テマリ女史の動向も気になる所だし、ここはひとつ探り入れるか。
とは言っても、大体あのふたりは殆ど一緒に行動してるからなァ。
「ゲンマさん、何してるんすか?」
「通りかかっただけ。そういやキバ、シカマルってもう帰社してんの?」
「席に居たと思いますけど」
「林檎ちゃんも一緒?」
はい、何か用事っすか?と尋ねてきたキバに、適当な返事をして俺は自分のデスクへと戻った。
(アオバ…ちょっと協力してくんねぇかな)
(今、忙しいんだけど。何か面倒事なら後にしてくれる)
(ちょっとの間で良いから、林檎ちゃんを席から連れ出してくれ)
(あー、アレ?ゲンマがずっと気になって、仕事が手に付かないって言ってた2人の件?)
(そうそう。やっぱアオバは察し良くて助かるわ)
(ほどほどにしてくれないかな、と思ってたから)
(わりぃな)
(彼女に聞きたい事もあったし、打ち合わせルームにでも連れ出すよ。でも早くしろよ?)
◆
めずらしくアオバさんが森埜の所に現れて、彼女を連れ去った直後。にやにやしながら俺の方へ近付いて来たゲンマさんを見て、嫌な予感がした。
この人は、ほんと侮れねぇからな。
「シカマル、ちょっと聞きてぇ事があんだけど」
「何すか?」
やけにデカイ声で問いかけてくんのが、気になんだけど。
それに今ゲンマさん、ちらっとテマリさんの方に視線を送らなかったか?
「お前さ、林檎ちゃんとどうなってんの」
「へ?」
「とぼけんなよ。で、付き合ってんのか」
「いや、付き合ってねぇっすよ。何すかいきなり」
つうか、急にそんなこと言われっと顔赤くなりそうだ。森埜がここにいなくて、マジで良かった。
「へぇー、そうらしいっすよ。テマリ女史」
「なんで私にそんな話をふる」
聞こえてきた声に振り返ると、不機嫌そうに眉根を寄せたテマリさんが立っていて。
「仕事の話があるから、不知火は席を外せ。邪魔だ」
怒りを孕んだ彼女の声で、ゲンマさんは立ち上がる。相変わらずの飄々とした様子で自分の席へと戻って行った。
「ったく、めんどくせぇ人っすよね」
「お前の態度が煮え切らないから玩具にされるんだよ。まったくこの会社は、男も女もお喋りで暇人が多いねぇ」
「で、何すか?」
「ああ、奈良が困ってる様子だったから、助け舟を出しただけだ。お礼に今晩付き合え」
「はぁ?」
「大事な話があるんだ。お前に拒否権はないよ」
言い放って去っていくテマリさんの背中を見ながら、どうしたもんだろうと、シカマルは頭を抱えた。
◆
「わりぃ、今夜ちっと急用出来たから定時で上がるわ」
「分かりました」
慌てて帰る準備を済ませ、事務所を出て行った奈良さんの姿を見送る。まるで、それを見計らったように、私の席へうずまきさんが近付いてきた。
「シカのヤツ、随分慌てて出て行ったけど何かあんの?」
「さあ、急用としか聞いてませんけど」
「そう言えばさっきテマリさんも珍しく定時で上がってたってばよ」
その言葉で、ほんのすこしだけ胸が騒いだ。
「俺、ずーっと林檎ちゃんに聞きたかったことがあるんだけど」
「何ですか?」
「林檎ちゃんと我愛羅って何かあんの?」
「いえ、ただの職場の先輩と後輩ですよ」
「ほら、この前1Fで抱き合ってただろー」
「あれは私が泣いてたから慰めてくださっただけです」
「あ、そーか。そうだよなー?」
我愛羅に聞いても何にも教えてくれないんだってば。笑みを浮かべたうずまきさんは、「じゃあさ」と、言いながら少し私の方へ顔を近付けた。
「やっぱり林檎ちゃんはシカと付き合ってんだよな?」
「え?いえ…付き合ってませんよ」
「それも違うのか。俺てっきり林檎ちゃんは、シカの事好きなんだと思ってたってばよ」
じゃあ、俺の勘違いだったのかなぁ?と、首を捻っているうずまきさんを暫く見つめた。
私は、奈良さんのこと 好きなんだけど。
今は言わない方が良いのかな?
でも、うずまきさんが誤解してるみたいだし、ちゃんと言っておいた方がいいよね?
「あの。私、奈良さんのこと好きですよ?」
「えぇーーー!?好きなのに付き合ってねぇの?」
「はい。今はプロジェクトと試験で忙しいですし、奈良さんの立場もありますし」
「そんなこと言ってる場合じゃないってばよ、だってテマ 」
喫煙ルームから戻ってきた犬塚さんは、少し不機嫌そうに顔を歪めていて。
「おい、ナルト!うるせぇぞ」
「キバは黙ってろってば、お前は気になんねぇのかよ」
うずまきさんを諭すように口を挟んでくれて、すこしホッとしていた。
今、うずまきさん“テマリさん”って言おうとしたんだよね。
何故だろう、彼女の名前を聞くといつも胸が苦しくなる。
「周りが気にしても仕方ねぇだろ?林檎ちゃんとシカマルの問題なんだから」
「でも、気になるってばよ。見てたらもやもやするって」
「大きなお世話っつうヤツじゃねえの?」
ふたりの会話は自然に遠ざかり、頭の中では再び霧雨のシーンが浮かび上がる。
私のこの気持って、もしかして…
嫉妬――?
◆
「で、大事な話っつうのは何すか」
「まあ、せっかく飲みに来てるんだ。取り敢えず乾杯しようよ」
「うす」
別に艶めかしい雰囲気もなく、淡々と流れるその空気は案外心地よくて。仕事に対する彼女の姿勢も、貫こうとしているポリシーや知識に基づいた意見も、交わし合うのは楽しかった。
てっきり今日は口説かれちまったりすんのかな、って覚悟してたのに。どうやって断ろうかと頭悩ましてた俺がバカみてぇじゃねぇか。自惚れすぎだっつうの。
それにしても、テマリさんはいったい何がしたかったんだろう、と首をひねり始めた頃。
「奈良……」
真剣な眼をしたテマリさんに、射竦められた。
「何すか?」
「単刀直入に聞く。決して誤魔化すなよ」
「はい」
「お前は、森埜の事が好きなのか?」
突然のその問いに、頭を殴られたような衝撃を感じて、俺は口を噤んだ。
「私には聞く権利があると思うが」
「どういう事っすか?」
「はっ、お前がそこまで察しが悪いとは思ってなかったんだけどねぇ」
「……」
つまりは、テマリさんが俺のことを好きだから、俺の気持ちが気になるっつうイミだよな。正直に言った方が良いんだろうか。
「私は、いい加減給湯室での噂話にも、周りのお節介な色眼にも飽きあきしてるんだよ」
「はぁ…」
「そんな頼りない返事してないで、はっきりしなよ?男だろ」
全く、普段は男だ女だって煩いくせに…と、呟きながらジョッキを呷る彼女の横顔は綺麗で。曖昧なまま放っておく訳には行かない気がした。
「私は、奈良の事が好きだよ」
さらりと聞かされた告白に、さっきよりももっと強い衝撃を覚えながらも、嫌な感じはしない。
でも、俺の気持ちは――
◆
「テマリさん、すんません」
「……」
聞く前から、本当は答えなんて分かっていた。
もれそうなためいきを溜めたまま、テマリはそっとジョッキの表面の水滴をなぞる。
「気持ちはすげぇ嬉しいんすけど、受け取れません」
「知ってるよ。だから、さっさとキッチリ決めな」
でないと、うちの我愛羅に浚われるよ?という私の声で、彼は謝るように俯いていた顔をふっともちあげる。
こうして真正面から見る奈良は、やっぱりとても綺麗で。アルコールを摂取してもすこしも崩れていない表情に、僅かに滲む苦悩すら男振りを上げていた。
不思議なことに、私のなかには執着はなく、ただ目の前の美しい男が幸せになってくれればと思う。
私はお前の仕事の手腕も、デザインセンスも人となりも気に入っているんだ。
変なストレスで精神を浪費してないで、しっかりやりなよ。
「応援してるよ」
「ありがとう、ございます」
もう一度、奈良とジョッキをカチンと合わせて。
私は報われない恋心に蓋をした――
◆
テマリさんを駅まで送った後も、神経が泡立っていたのは、きっと自分の感情をあんな形で他人から突き付けられたから。それと、アルコールのせい。
まだ帰り難くて、俺は社の近くの公園へと向かった。
見上げたビルの最上階には明かりが灯っている。
森埜は、まだ残業しているのだろうか。
電話してみるか、と携帯を取り出した所で、呼び出し音が鳴った。
「奈良さん、突然すみません」
「別に、全然構わねぇよ。森埜、今どこ?」
「まだ事務所です、これから帰ろうかと」
「じゃあさ、公園で待ってるからちっとだけ時間くれねぇ?」
「はい。5分後には行けると思います」
短い会話を済ませ電話を切ると、途端に緊張してきた。
急に呼び出したりして、何から話そう。
つうか、何か用事あって掛けてきただろう森埜の電話なのに、ぜんぜん内容を聞く余裕もなかった。
まあ、会ってから聞けばいいか。
小走りで近寄ってくる森埜の姿は、優しい色の月に照らされて。さらりとなびく深い色の髪と、対照的に光を放つような白い肌。浮かんでいる微笑みに、遠くから見惚れる。
「お待たせしました」
「ぜんぜん待ってねぇって。そんなに慌てなくても良かったのに」
彼女の持っていた大きな鞄へ手を伸ばして持ってやると、ベンチの方へ並んで歩き始めた。
「すげぇ重たいんだけど、何が入ってんの」
「土日の内に、商業施設部分の構想を進めておこうかと思って、図面を。すみません、勝手に持ち出したりして」
「そんなに頑張り過ぎんなよ?」
はい。と頷きながら笑顔で俺を見上げる森埜から、目が離せなかった。
「で、さっきの電話。何だったんだ」
「……」
「わりぃな、要件も聞かずに」
「いえ。すごく下らない事なんです、忘れて下さい」
んなこと言われっと、逆に気になるんだけど。
「こうして奈良さんの顔を見られたら、落ち着きましたから」
「……」
「だから、もういいんです」
それって、どういうことだ。
電話は下らないことで、でも、俺になにか聞いて欲しかったんだろ?
で、俺の顔を見て安心した。
全然分かんねぇわ。
ベンチに座り会話の切り出しに悩んでいると、先に森埜が口を開いた。
「今夜は……テマリさんとご一緒だったんですか?」
驚いて隣を見れば、森埜は切なげに顔を歪めながら俺を見上げている。
「うずまきさんに、そうなんじゃないかとお聞きして」
ったく、ナルトのヤツ。
んな、余計な事ばっか喋ってんじゃねぇよ。
「あぁ、ちょっと仕事の話でな」
「そう、ですか」
なんで森埜は今、泣きそうな表情になってるんだろう。
期待しちまいそうなんだけど、これって自惚れてもイイの?今日の俺、自惚れすぎだろうか。
「森埜…?」
名前を呼ぶと、瞳で膨らんでいた雫がきらりと弾けて、頬を伝った。
切なくて頼りなげな空気。そんな森埜が愛おしくて、堪らない。
指先でその涙を掬う。脳内で蠢く理性と本能の鬩ぎ合いにひそかに苦悩する。
その細い肩、抱き締めちまいてェ。
不安定にゆれ続ける森埜の瞳に、吸い込まれそうだった。
掌で触れている頬のやわらかさも、月を浴びで白く発光しているようななめらかな肌も。俺からすこしずつ理性を奪っていく。
雫で頬に張り付いた髪を掻き分けるように、指を耳元へそっと差し入れたら、小さな耳たぶを彩るピアスが目に入って、さらに胸が跳ねた。
「森埜…俺、」
もう一度名前を呼んだのと同時に、ちいさな掌が俺の顔へと伸びてくる。
俺の所作とそっくりに、頬に触れてきた森埜の掌の感触は優しくて。背筋を鈍い快感が走り抜ける。
上目遣いに俺を見つめている森埜の表情は、まるで愛しいものを眺めるようなそれで。勝手な俺の願望がそう見せているのか、それとも彼女の心がそう見せるのか。
冷静な判断をする余裕すら失っていた。
このまま、何も言わず、何も考えずに
唇を重ねてしまいてェ。
そう思った瞬間に
唇をやわらかい感触で塞がれた――
◆
やっぱりテマリさんと一緒にいたんだと聞かされた時、胸の奥が溶けてしまいそうな位苦しかった。
苦しくて、くるしくて。何故涙が浮かんでくるのか、自分でも良く分からないままに瞳は潤む。
隣にいる奈良さんを見つめているのが、切ないのに眼を反らせなかった。
肩越しに見える月はやさしい色の光を放っている。それに照らされた奈良さんの表情も、喩えようもなく優しくて。
すこし困ったように眉を顰めているその顔を間近で見ると、思ったよりも長い睫毛は頬に綺麗な影を作っていた。
切れ長の眼は鋭いのに、私を吸い込んでしまいそうな程に深い闇を孕んでいて。
シャープなラインを描く頬に、すっと筋の通った鼻が描く陰影は、見ているだけで心をふるえさせるほどにキレイだ、と思った。
奈良さんって、本当に端正な顔立ちをしてるんだな。
薄い唇は何かの迷いを顕すようにかすかに歪み、それすらも奈良さんの魅力を引き立てている。
いつもの香水に混じって漂ってくる微かなアルコールの香りに、酔ってしまいそう。
「森埜…俺、」
名前を呼ばれた途端に、胸を占めていた表しようのない切なさがふわりと膨らんで、苦しくて堪らなくなった。いまにもはじけそうで、苦しくて苦しくて、くるしくて。
それを表現する方法を思いつかなくて。そっと掌を伸ばすと奈良さんの頬に触れる。
指先から伝わってくる、奈良さんの肌の感触。はじめて触れてみたら、いままで、すごくふれたかったことに気が付いた。
ずっとずっと、こうしてふれたかった。自分よりすこしだけ高い体温が、心地よくて、切なくて、愛おしくて。増殖していた切なさが、ますますあふれ出す。
じっとしていられない。
あの日は肩越しの月を見ながら、我愛羅さんに唇を奪われたけど。
今は、月の光を浴びている奈良さんに魅了されている。彼の姿は、あのときとは比べものにならないほどに、きれい。
眩暈がしそうだ。
見下ろす奈良さんの視線に、吸い込まれて溶けてしまえたら良いのにと思った。
この気持ちを表す方法って、何…?
頬に触れていたのと反対の手を奈良さんの肩にかけ、すこしだけ背伸びをして。
至近距離の整った顔を目蓋の内側に焼き付けながら、かるく眼を閉じると
薄く開かれた奈良さんの唇を
そっと塞いだ――
◆
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
唇に触れているもの。溶けてしまいそうな程にやわらかい感触と、ふれそうに近くにある頬。
瞳に映るのは緩く閉じられた森埜の目蓋と、まだ濡れて光っている長い睫毛。
俺、森埜に
キスされてる?
唇から与えられる湿った快感は、瞬時に身体中を駆け抜けて。やわらかい。きもちいい。もっと。でも、なんだこれ。
状況を把握した途端にシカマルは内側から湧きあがってきた情動に、押し潰されそうになる。
何でこんなことになってんだ?
確かにさっき、このまま何も言わず、何も考えずに唇を重ねてしまいてェ、って思ったけど。
もしかして俺の心の中って、こいつに読まれてるんだろうか。
それとも、シンクロ?
つうか。
女からこんなことさせてる俺って情けねえ。
たった数秒の間に、俺の脳内はこれ以上ないほどの混乱に陥って。そっと唇を離した森埜の顔を、まともに見ることすらできなかった。
耳まで赤くなっちまいそうな程に熱を持った身体を、見られるのが恥ずかしくて。
俺は森埜の背中に両腕を回すと、思い切りきつく抱き締めた。彼女にこの顔が見えないように。染まった表情が見えないように。
「奈良さん すみません」
「……謝んな」
「でも、」
まだなにか喋ろうとしている森埜の耳元に唇を近付けると、ふっ、とためいきを吐きだして。火照りで掠れてしまった喉から、ありったけの甘い声を絞り出した。
「俺も、したかったから」
「奈良 さん」
彼女は、腕のなかで微かにふるえている。そんな森埜のことが、愛しくて堪らなかった。今なら、言えそうな気がした。
「好き、だ。林檎」
「私も、です」
抱き締めていた身体をそっと離す。片腕でうなじを抱きながら、呼び慣れない名前を音にする。
「林檎……」
その響きが、ずっとなかで抑えつづけていた欲情の引き金を引いて。胸の内側で沸きたつ想いに突き動かされる。
ゆっくりと顔を近付けると、それに応えて、彼女は瞳を閉じる。唇は湿って、ほんのすこしだけあいている。林檎の顔を見つめながら、今度は俺の方から唇を塞いだ。
何度も角度を変えて、つよく、やさしく。啄ばむように唇を重ねる。ふたりが繋がるたびに、思考はすこしずつ麻痺する。
離れていく俺の唇を追って、もれる林檎の吐息。その甘さが、俺から余裕を奪っていく。
でも。
流石に外で、これ以上ってのはマズイよな。
身体中を満たしている熱を必死で冷ますように、何度か啄ばむようなキスをして。そっと唇を離して。
くたりと力の抜けている林檎の身体を、もう一度、ぎゅうっと抱き締めた。
「わりぃ、何か夢中になっちまって」
「いえ。私も」
「マジだから。林檎のこと」
「私も、です。我愛羅さんにこうされるのは嫌じゃなかったけど、奈良さんとだとやっぱりすごく嬉しい」
「俺も、すげぇ嬉しい」
森埜の言葉の本当の意味を、その時の俺はまだ知らなかった――