「毎度―、白眉ケータリングサービスでーす」
「天姫ちゃん、待ってたぜー」
「犬塚さん、今日も煩いですっ……林檎、また残業なの?」
そうなの。と、返事しながら顔を見上げて肩を竦めると、ちょっと呆れた様子で天姫が喋り始めた。
「そんなんだから、彼氏にフラレるんだよ」
天姫の言葉と同時に、犬塚さんとうずまきさんは私の顔を覗き込む。奈良さんとうちはさんはかるく肩を揺らしただけで無反応だ。
「「えっ、林檎ちゃんって彼氏いたの?」」
「そんな。犬塚さんもうずまきさんも、声揃えなくても。昔の話ですよ」
たいした話じゃないし、さらっと流してくれるかなと思ったのに
「えー、詳しく聞きたいってばよ!」
「俺も気になるんだけど」
犬塚さんもうずまきさんも、そんなに簡単には済まさせてくれなさそう。天姫も、余計なこと言わなくて良いのに。
「彼氏に“仕事と俺とどっちが大事?”って聞かれて、林檎“仕事”って答えたんだよね」
「だって、我愛羅さんと同じチームになって、仕事が楽しかったから」
「2年も付き合ってて、そんなこと聞いてくる男の方が変だよ」
俺もそう思うぜェ。という犬塚さんの同意に勢いをえたのか、天姫は言葉を続けて。
私は何となく、奈良さんの反応が気になっていた――
-scene09 過去-
「そんな事聞いてくるようなバカな男、付き合う価値ないよ」
「天姫ちゃん、意見合うな。やっぱ俺たち、良い関係になれんじゃねぇ?」
「でも、犬塚さんみたいに毎日口説くのもどうかと思いますけど」
ガツンとやられたキバのことを、ナルトが思いっきり笑っている。それを横目に見ながら、俺はいつものように苦笑交じりの顔で森埜の耳元に囁いた。
(あいつら…案外、楽しんでねぇ?)
(えぇ、結構お似合いだと思うんですけど)
(ああ…俺もそう思う)
(天姫も天邪鬼だから、)
(ぽいな)
(逆に犬塚さんくらい強引な方が良いのかも)
そう言って、やわらかい顔をする森埜の横顔を見つめていると、いつもの笑みを浮かべたナルトと目が合った。
「なんだよ?」
「別にー、何でもないってばよ」
ニシシと笑うその顔は、さっき“彼氏”という言葉が出たときの俺の動揺までも見透かしているようで、なんとなく苛付いた。
もしかして、ピクッと肩が揺れたのを見咎められたんだろうか。
「おいナルト、あんまり人の恋愛話で面白がるもんじゃねえぞ」
「サスケは良いよなぁ、あんなキレイな彼女がいるんだもん。ちぇっ」
「そうやって拗ねてるから、お前には彼女が出来ないんだよ。ウスラトンカチ」
サスケとナルトの会話を聞きながら、俺はぜんぜん別のことを考えていて。
我愛羅さんと同じチームになって、仕事が楽しかった――
森埜の何気ない一言が、確実に心に波紋を起こしていた。
“彼氏がいた”事と同じくらい、“我愛羅”という名前に反応をしている。そんな自分自身に戸惑い、眉間に刻まれる皺が深くなっていく。
「奈良さん、どうかなさいました?」
「何かシカちゃん、顔こえぇぜ」
「山城さんのプロジェクトと兼任だから、奈良さんもお疲れなのかもしれないですね」
森埜とキバの言葉で我に返るまで、頭のなかで目まぐるしく動き続けていたその感情は、
もしかして…――
◆
「林檎、まだ彼氏作んないつもりなの?」
「今は仕事のことしか考えられないなぁ」
「奈良さんは?」
久々にお泊りに来た親友の口から飛び出した名前に、ほんのすこしだけ動揺したのはたしかだけれど。自分の感情に、納得のいく説明が付けられなかった。
「奈良さんと林檎って、すごくいい雰囲気に見えるんだけど」
「ただの仕事上のパートナーってだけだよ」
いい雰囲気に見えるという天姫の言葉に、嬉しさを感じているのは間違いない。なのに、何故彼女が急にそんな話を始めたのかはぜんぜん分からなくて、無意識に話を摩り替えた。
「それより天姫は?」
「え、私?」
「犬塚さんのことどうするの。意地っ張りもほどほどにした方が良いよ」
「犬塚さん、誰にでもあんな事言ってるんでしょ?放っておいてイイよ」
だって、犬塚さんの口調ってすごくかるいし。
言いながら頬を膨らませる仕草、すくなからず彼を好きってことじゃないのかな。長い付き合いだから、分かってしまう。
「犬塚さんってすごくモテてるけど、天姫以外の女の子を口説いてる所って見たことないよ」
「…っ!そんなことある訳ないって」
ほら、頬が赤い。天姫やっぱり犬塚さんのこと、気になってるんだ。
「もうすこし素直になればいいのに」
「無理だよ。だって…今更どうすれば良いの…」
急にシュンとして、いつもの勢いを無くした天姫が、犬塚さんのイメージと重なって可愛かった。
ふたりのこと、何とかしてあげたいな――
◆
ある昼休み。相変わらず奈良さんや犬塚さんたち4人は楽しげに会話を交わしている。
その様子を、私はすこし離れた所で聞いていた。猿飛さんに急ぎで頼まれた書類を、早く仕上げてしまいたくて。
「サスケ、婚約したんだって?」
「あぁ」
うちはさん、あれからプロポーズなさったんだ。上手くいったみたいで、良かった。
顔をあげたら、はにかんだ表情のうちはさんと目が合った。無言のまま「よかったですね」と軽く頭をさげる。
「あんな美人と結婚かよ、サスケずるいってば」
「うるさい、羨ましかったら相手見つけろ」
「俺には天姫ちゃんがいるもんなァ」
「「付き合ってから言えよ」」
いつものように、うずまきさんと犬塚さんの言葉に、奈良さんとうちはさんがツッコミを入れている。その様子が可笑しくて、顔を書類に向けたまま、密かに笑いを堪える。
「そういや、シカマルって彼女いないの?」
「いねぇよ」
「大学時代はいたぞ」
(ったく、サスケ。自分が婚約して気分いいからって、俺のことまでバラすなよ)
(悪いな、シカマル。口が滑った)
さらりと紡がれたうちはさんの言葉で、何故かびくりと肩が揺れた。
そりゃ、奈良さんはあれだけモテるしカッコイイんだから、彼女がいたのなんて当然と言えば当然のことだ。
「「えぇぇぇぇ!」」
「……なんだよ、それ……」
「だって、あんだけ女はめんどくせぇって言ってたのにっ!」
「めんどくせぇから今いねぇんだろうが」
「別れた?」
「ま、そういうこと」
犬塚さんとうずまきさんの叫びに同調するように、私の心には静かな沫立ちが生まれて。奈良さんの言葉を聞くごとに、すこしずつ鎮まって行った。
「でも、でも、シカだっていつかは結婚する気あるんだろ?」
「あのなぁ、結婚したいから恋をしようとは思わねぇし、別にそんなに暇じゃねぇっつうの」
頭をガシガシ掻きながら、ぶっきらぼうな調子で喋っている奈良さんの姿を視線の端に捉えると、目の前の書類に集中しなくちゃと思うのに、どうしても聴覚が彼らの方に寄り付いてしまう。
でも、語られる内容はあまりに奈良さんらしくて、自然と口元が緩んでいった。
「大体恋なんて望むと望まざるとに関わらず勝手にくるもんじゃねぇの?キバだってそうだろ?」
「ああ。俺、天姫ちゃん一目惚れだしなァ」
「ほら。そういうモンなんだよ」
「突然きたもんな。あれはマジでAutoFocusって感じだった」
「はいはい、自動的に焦点が合わさるんだろ?」
「そうそう、運命ってヤツ」
「シカの言うことは難しいってば」
「「「ガキ!」」」
うずまきさんの言葉に、他の3人がツッコミを入れている様子にくすっ、と笑って私は立ち上がった。
――聞きました?うちはさんの話。
うん、うん、婚約したって?あーん、ショックだ…
ホントですよね。しかも彼女は歳上らしいですよ?
こうなって来ると、他の3人は死守しなくちゃだよねー。
でも、奈良さんは既にちょっと危ういですよ!!
ああ、例の彼女?ちょうど歳上だし、並んでるとお似合いだもんね。
ホント、悔しいけど――
例の彼女?危ういって、なにがだろう。
化粧室に向かう途中、山城さんの隣に並んで歩くテマリさんとすれ違って、何故か鋭い視線を向けられた。
射竦められたように瞬間的に身体が強張って、気分が悪くなる。
そのとき私の脳内は、奈良さんの過去の話と、給湯室の会話と、テマリさんの意味ありげな視線とが交錯して。
飽和状態だった――
◆
いつものように夜食のお届けに行くと、珍しく犬塚さんが真剣な顔でパソコンに向かっていた。
しゃんと背筋を伸ばして、鋭い眼差しを画面の上に注いで。キュッと唇を結び、綺麗な濃いブラウンの髪が、すっきりとしたラインを描く頬に掛かっている。
忙しなくキーボードの操作をしている両手は、自分より随分大きいのが、やけに印象的だった。
キリッと引き締まった横顔が、いつも軽口ばかり叩いている彼しか知らない私にはすごく意外で。
――どくん
それを見た瞬間に何故か胸の動悸が激しくなる。
なによ。あんな風に真面目な顔もするんじゃない。
この前林檎の部屋で“素直になれば”なんて言われたから、余計に意識しちゃうよ。ばか。
「お待たせしました―、白眉ケ……」
私の声にすぐ気が付いてくれたのはやっぱり犬塚さんで。ついさっきまでの真剣な横顔が、私の方を見た瞬間に鮮やかな笑顔に変わるから、
――どくん どくん
なんで、そんな顔見せるの。
不意打ちは、やめて…。
いつもの私らしくなく急に心を乱されて、なんだか泣きそうになった。
「天姫ちゃん、お疲れ。今日も相変わらず可愛いなァ」
「……っ!!」
椅子に座ったままスライドして至近距離に近付いてきた犬塚さんに、悪態を吐くことも逃げることも出来なくて。
「あれ?どーした、具合でも悪ぃの?」
心配そうに私を覗き込む表情に、つい見惚れた。顔が、近い。息がかかる。
「何か、顔赤いけど。大丈夫か」
「……っ!」
額に伸びてきた犬塚さんの掌を避けられず、ひやりとした感触を肌に感じる。かたい指先。
脳内ではいろんな感情がぐるぐると乱れていて、パニックになりそうだ。
(何か今日の天姫ちゃん、変じゃねぇ?)
(そうですね、私がこの前余計なこと言っちゃったからかな…)
こちらを見ながら小声で会話をしている林檎と奈良さんの声は聞こえるのに。その姿を、まともに見ることも出来ず、慌てて運んできたものを下ろすと、私は事務所を飛び出した――
◆
「すみません、うみのさん。私しばらく綱手先生の事務所の配達には行けません」
社に戻ってすぐ、まだパニック状態のままの私は、サブリーダーのうみのさんに泣き付いた。
「天姫、何があったんだ?」
「とにかく、行けませんから」
「急にそんなこと言われてもなぁ。事情を話してみろ」
そんな。事情なんて言えるわけがない。だって、自分でも良く分からないんだから。
困っていると、カカシさんが現れて、やさしい表情で頭を撫でてくれた。
「まあまあ、うみのさん」
「カカシさん?」
「天姫も何だか動揺している様子ですし、明日からしばらくは俺が行きますよ」
「でも、あなたはグループリーダーなんですから、そんなことをしていただく訳には」
(俺が行って、様子を探って来ますから)
(えっ?じゃあ、俺が、)
(無理です)
(なんで?)
(多分、恋愛絡みだと思うんで。うみのさんより、俺の方が適任でしょ?)
(まあ、俺はその方面にはとんと疎いですから)
(それに、天姫の事は個人的にも良く知ってますし)
(……え?)
ふたりが小声でやり取りしている内容すら耳に入らない。そんなにも取り乱している自分が不思議だ。
急に私が行かなくなったら、犬塚さんはどう思うんだろう――
◆
「どうもー、白眉ケータリングサービスでーす」
天姫ちゃんの様子がおかしかった翌日から、彼女は配達に来なくなった。代わりに現れたのは銀髪の、やたらと顔がキレイな男。鷹揚な物言いと甘い声が、何だか俺の苛立ちを煽った。
一体あれって誰だよ、なんで天姫ちゃんは来ねえんだろう。
昨日の晩天姫ちゃん顔が赤かったし、もしかして風邪で寝込んでるとか?
「カカシさん、お久しぶりですね」
「あれぇ?林檎もここに居たの」
「ええ、今はこちらに出向させて頂いてるんです」
「そーなんだ?ちょっと林檎に聞きたい事があるんだけど」
林檎ちゃんのとの会話で、そいつの名前を知った。カカシって、変な名前。
にしても、あんな男前と一緒に天姫ちゃんはいっつも仕事してるんだろうか。
俺が思いっきりしかめっ面で横を向くと、シカマルは俺に負けないくらい眉を顰めていた。
(シカマル。あれって、誰なんだろうな?)
(多分、天姫ちゃんの会社の上司ってとこじゃねぇの?)
(なんで、天姫ちゃんは来ねぇんだよ)
(さぁな。でも…あの男、なんか訳アリっぽいぜ)
(訳アリ?)
(後で、森埜に探り入れてみっか)
◆
食後の喫煙ルームで、くっきり眉間に皺を寄せた奈良さんと犬塚さんに迫られて、何事かと驚いた。
「ふたりとも、どうしました?」
「いや、天姫ちゃんのことなんだけど」
「さっきのあの男って誰だよ」
「カカシさん、の事ですか?天姫の上司で、白眉ケータリングサービスの社員さんです」
落ち着いて下さいよ。と、宥めつつ、私はどこまで話したら良いだろうと思案しながら会話を切り出した。
「白眉ケータリングサービスは、天姫の叔父様の経営している会社で」
「ああ、だから名字が一緒なんだ?」
「ええ。だからカカシさんは天姫がまだ幼い頃をご存知なんですよ」
「天姫ちゃん、きっとちっちゃい頃から可愛かったんだろうなァ」
遠い目になった犬塚さんは微笑ましい。
「私も天姫と一緒に、大学の頃にはカカシさんに色んな所へ連れて行って貰ったんです」
カカシさんが天姫の初恋の相手だとか、過去に付き合ってたってことは言わない方がよさそうだ。
「で?今日はなんで天姫ちゃんじゃなくて、そのカカシが来たんだ?」
「それは……」
理由は間違いなく犬塚さんを意識してしまったからなんだけど、それを本人差し置いて伝えるのはどうかと思う。
救いを求めるようにちらりと奈良さんを見ると、軽く首を横に振っている。
(どうしましょう。犬塚さんの事が理由だって話しても?)
(いや、まだ言わねぇ方が良いんじゃねぇか?)
(ですよ、ね)
(ああ。キバも舞い上がっと、うっせーし)
「今日は天姫、体調が優れないらしくって」
「そーなのか?それってすげぇ心配だな」
「私、今晩様子を見に行ってみますね」
さあ、そろそろ仕事に戻んぞ。奈良さんの声で、3人並んでデスクへ向かうと業務を再開した。
しばらく時間をおいて、カムフラージュの書類を片手に立ち上がる。犬塚さんの真剣な横顔を目の端に止めながら、奈良さんへ声をかけた。
「奈良さん、ちょっとあちらでご相談に乗っていただけませんか?」
「ああ。コーヒーでも買ってくっから、先行っといて。いつもので良い?」
「はい」
◆
会話の切り出しに困っている森埜の様子から、俺と同じことを考えているのはすぐに分かった。
「キバと天姫ちゃんのことだろ」
「何で分かったんですか」
「そりゃわかるって」
「仕事中なのに、すみません」
「別にそれ位、構わねぇよ。で、どーすっかな」
「天姫も間違いなく犬塚さんを好きなんですよ。でも、すごい意地っ張りだから」
酒でも入れば、天姫ちゃんも素直になるかもしんねぇな。
そう言えば、結局森埜ともゆっくり飲んだことねぇし、ちょうど良い機会か。
「天姫ちゃんは土日休み?」
「ええ。たしか、そうだったと思います」
「じゃあ今週金曜の晩にでも、4人で飲みに行くか。誘える?」
「多分。奈良さんにまでお手を煩わせてすみません」
お前が気にすんな、俺だって偶には飲みてぇし。そう返せば、森埜はふわりと口元を綻ばせた。
「まだ皆さんと外で飲んだことありませんもんね。楽しみです」
「ああ、俺も」
じゃあ、ついでに仕事の相談もしておいて良いですか?と、持参した書類を森埜が捲り始める。
初めて会ったあの日から変わらず、厭味のないマニキュアが綺麗に塗られている指先に、そっと見惚れていた。
コーヒーを飲みながら、心地よい時間が流れ始めた刹那、小気味よいヒールの音が近付いてきて。
――コンコンッ
打ち合わせルームのドアが勢いよくノックされる。扉が開いて顔を覗かせたのはテマリ。
「奈良、ちょっと良いか?」
彼女を見て、何故か森埜の表情は瞬時に暗く歪んだ――