「なるほどねー、うずまきさんが林檎の携帯からイタメを」
「そういうこと」
「にしても、あん時のシカマル。めちゃくちゃ焦ってたよな」
「ええ。何事かと思ってびっくりしました」
「お陰で俺と天姫ちゃんは、ふたりっきりの甘い時間を過ごせたけど」
「犬塚さんっ?皆に誤解されるようなこと、言わないでよ!」
「だから、照れんなって」
毎度お馴染みの夫婦漫才を笑いながら見ていると、申し訳なさそうな表情で森埜が顔を近付けて来た。
(ホントに、すみませんでした。家まで送って頂いて)
(別に、森埜が謝ることじゃねぇって)
至近距離でふわりと漂う森埜の甘い香り。自分とは少しだけ違うそれに酔ってしまいそうな気がして眉を軽く顰めていると、打ち合わせルームの扉が開いて、アスマが顔を覗かせた。
「悪ぃな、昼休みまで。今週プレゼンだし、ランチミーティングっつう事で宜しく頼むわ」
「「「はーい」」」
「じゃあ、私はこれで失礼しますね」
「天姫ちゃん。また夜になー!!」
名残惜しそうに天姫ちゃんの背中を見送っているキバの頭を後ろから小突くと、森埜が楽しそうに笑う。
その笑顔が訳もなく嬉しくて。
自然に綻んで行く目元を引き締めようともせずに、俺はただ見惚れていた――
-scene08 プレゼン-
アスマ、俺、キバ、森埜の4人で食事を摂りながら頭を突き合わせる。間近に迫ったプレゼン対策ってヤツだ。
ふ、と会話が途切れたのを見計らうように、昼飯を持参したサスケとナルトが現れた。
「アスマさん、お忙しいとこ悪いんですけど、」
「おお、どうした2人とも」
「ちょっと急ぎでシカマルとキバに相談事があって」
うちはさんの言葉に快く頷いた猿飛さんは、彼らに席を譲って私の隣の席へと移動する。
うちはさんとうずまきさんが担当している物件に似た仕事を、奈良さんと犬塚さんがすこし前にやっていたらしくて。その件で相談に来たらしい。
それにしても、給湯室でいつも話題のこの4人が勢揃いすると、やっぱりすごいな。
さっきから、女子社員達がちらちら打ち合わせルームを覗きに来てるし。なんだか、ためいきが出そうな景色だ。
「森埜、どうした?」
「え」
「ためいきなんて吐いて」
「私、ためいき吐いてました?」
「ああ。しっかりな」
目の前の4人は雑談混じりで盛り上がっている。ふっ、と見上げた猿飛さんは意味深に笑っていた。
「……給湯室とか化粧室で4人の名前、良く聞くんですよ」
「へえ」
「改めてこうやって4人揃って見ると、納得ですよねぇ」
「まぁ、確かにこいつらモテるよな」
「さっきから、女子社員の視線が痛いです」
用事もないんだろうに、4人をチラチラと見に来る女子社員の視線は、明らかに紅一点の私には厳しくて。やっぱり、ためいきがでちゃうな。
「で、あんたはどうだ」
「はっ?」
「あんただったら、4人の中で誰が良い?」
猿飛さんはにやにやしながら私の方を見ていたけど、私にはそれが何故だか分からなかった。
4人の方へ視線を戻すと、彼らは打ち合わせをしながら楽しそうにじゃれついていて。それを見ていると微笑ましいな、とは思うけど。
誰が良いだなんて、考えたこともないもの。
「モテる彼氏は大変ですから、遠慮しておきます」
「ほぉっ…」
じゃあ、こいつらの打ち合わせが終わるまで、俺は煙草でも吸ってくるわ。と、彼は席を立つ。猿飛さんを見送りながら、何故、彼はそんな問いを私にしたんだろうか、と、ぼんやり考えていた――
◆
「俺、煙草切らしてっからコンビニ行ってくるわ」
「あー、俺も立ち読みしたいってばよ。今日は月曜だし、WJ読まなきゃ」
「じゃあ、俺も。(…ナルト、あの連載は今週休みだぜ?)」
「行ってらっしゃい」
「森埜は、まだ煙草あんのか?」
えぇ、まだありますから大丈夫です。彼女はやわらかい表情でシカマルに応える。その様子を観察しながら、“こいつってうちの女子社員とは明らかに人種が違うよな”と、サスケは思っていた。
ナルトやキバみたいに煩くはないけど、いつの間にか人の心を解してしまうような独特の雰囲気が彼女にはある。
じゃあ、行ってくるわ。と、出て行く3人を見送って、打ち合わせルームには俺と森埜のふたりきり。
暫く何の会話もなく、静かで心地のいい時間が流れる。
こいつなら、口も堅そうだよな。
ずっと気になっていて誰にも相談できなかったことを話してみようか。
「なあ、森埜ってさ。今付き合ってる男とかいるのか?」
「いえ、いませんよ。うちはさんにはいらっしゃるんですよね」
「ああ…何で知ってる?」
いつも給湯室の女子社員の間で噂されてますから。言いながらふわりと笑った森埜に、僅かな警戒心はすっかり消えていた。
「実は俺の付き合ってる女、歳上なんだけど」
「ええ、うちはさんにはその方がお似合いですね」
「そうか?」
「4人の中ではすごく大人っぽい雰囲気ですから」
何となく気分が良くて、口の滑りも良い。
恥ずかしくて聞き辛いことも、やっぱり彼女になら素直に言えそうだ。
「森埜は、結婚願望とかあんの?」
「いずれは、とは思いますけど」
「女の人ってのは、30歳までに結婚したいとか思うもんなのか?」
「え?」
「プロポーズしようかと、迷ってるんだ」
「そうなんですか」
「ああ」
「でも、好きな人に言われるのなら、いつでも嬉しいものだと思いますよ」
森埜の言葉を聞いて、肩に不必要に入っていた力が抜けていく気がした。
「「「ただいまー」」」
「おかえりなさい」
帰って来た3人に声をかける森埜と、シカマルの視線が不思議な具合に絡み合う。それを見て、この先きっと何かありそうだな、という予感を感じながら立ち上がると、ナルトに声を掛けた。
「ナルト、行くぞっ」
「え、もう?」
「シカマルもキバも、忙しいのに悪かったな」
「じゃあ私、猿飛さんを呼んできますね」
ナルトと並んでデスクへ向かいながら、いつもの俺らしくもない噂話が口を吐いて出て来る。
「なあ、ナルト。森埜って」
「あ!サスケもそう思う?あれは、絶対シカマルとアヤしいってば」
「やっぱり」
「でも、本人達は全然気付いてないみたいだから、すごいもどかしいってばよ」
◆
「奈良、ちょっと来てくれ」
綱手サンのデスクに呼ばれたのは、キバや森埜と模型の最終チェックをしていた昼下がりのこと。
傍には鈍い黄金色の髪をしたひとりの女が立っていて、その微かに記憶に残る印象に首を捻りながら近付いた。
「何っすか」
「忙しい所悪いが、プレゼンが終わったら1週間ほど山城のプロジェクトのサポートに回ってくれ」
「……」
「猿飛の許可は得ている」
「だったら断る理由はねえっす」
「彼女はそのプロジェクトのJV先担当者、テマリだ」
名刺を手に顔の向きを変えた彼女の瞳が、俺を映した瞬間に大きく見開かれるのを、不思議な気持ちで見ていた。
「奈良シカマルです、よろしく」
「お前 っ」
「へ?」
「いや何でもない。テマリだ、よろしく」
互いに軽く頭を下げながら振り仰ぎざまに森埜の方へ視線を流すと、不安な面持ちで俺たちの方を見つめている。
「ちなみに、テマリは桃地ん所の我愛羅のお姉さんらしいぞ」
「へー、そうなんすか」
気のない返事を返しながら、目の前で見開かれたままの綺麗な翡翠のような瞳と、森埜の不安げに揺らぐ視線とが、脳裏で交互に彷徨っていた――
◆
綱手サンの傍に立っている女性が、この前の霧雨の昼下がりにすれ違った女性だという事はすぐに分かった。
何故、彼女がここに?
綺麗に手入れされているらしい燻んだ金色の髪、見間違えるはずがない。
名刺を交換し合いながら奈良さんと談笑している横顔は、やっぱりあの日見たのと同じように喩えようもなく美しくて。遠目に見るとまるでお似合いのカップルのように見える。
「林檎ちゃん、平気か?」
犬塚さんの声が耳に響いてくるまで、どれくらいの時間が過ぎたんだろう。どうしても、2人の姿から視線を離せなかった。
すみません。と、言いながら見上げた犬塚さんは、とても優しい表情をしていて。ポンっと私の頭に手をのせると、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと撫でてくれた。
「大丈夫、大丈夫…」
まるで呪文のように何度もそう呟くと、ちらりと八重歯を覗かせて、明るい笑顔を見せてくれる。
私は犬塚さんの大きくて温かい掌の感触を感じながら、訳もなく泣きたい気分になっていた――
◆
この様子からすっと、多分林檎ちゃんもシカマルのことが気になってんだよな?まだ自分の気持ちには気付いてねーみたいだけど。
あー…、シカマルのやつもチラチラこっち見てるし。
「林檎ちゃん、煙草でも吸いに行くか?」
「いえ、大丈夫です」
「ならいいけど」
「私、犬塚さんに言わなくちゃと思ってた事があるんですけど」
すこし気分を直した様子の林檎ちゃんにホッとして、頭を撫でていた手をおろすと、顔を覗き込んだ。
「偶には、残業時のオーダー止めておいた方が良いんじゃないですか?」
「えぇ、何で?そしたら、残業になっちまった時、天姫ちゃんに会えねぇじゃん」
「でも……」
林檎ちゃんが理由を話しかけた所でシカマルが戻ってきて、話は中断されたまま作業を再開した。
だって、好きな子の顔だったら毎日見てぇもんだろ。
何で“オーダー止めておいた方が”なんて、林檎ちゃんは言うんだろう。もしかして、俺って本気で天姫ちゃんに嫌われてるとか?
いや、そんなはずねぇよな――
◆
キバに頭を撫でられている森埜の姿を見て、鳩尾の奥が一瞬でどろりと澱むようにもやもやした。
俺じゃなくても撫でられれば誰でも良いのかよ?
「さ、作業再開すんぞ」
さり気なく発した声に孕まれたかすかな怒りには、2人とも気が付かない様子で手を動かし始める。
俺は静かに沈澱して行く不穏なその感覚を心の目で追いながら、明後日のプレゼンに向けて思考を切り替えた。
「で、さっきの女って誰だ?」
「ああ。アオバさんのプロジェクトのJV先担当者」
「すげぇ美人だったな、気も強そうだし」
「そうか?」
「じゃあ、我愛羅さんのお姉さまですか?」
そうらしいぜ。答えている俺の脳裏では“森埜と我愛羅はそんなことまで話をする仲なのか”という疑念が湧き上がり、一旦沈んでいた不穏な感覚がふたたび浮上する。
「俺、プレゼン終わったら1週間程アオバさんのサポートに回る事になったから」
その言葉を聞いた途端に僅かに歪んでいく森埜の表情を見て、俺の暗い感情は、ほんの少しだけ満たされていた――
◆
――奈良クンと犬塚クン、今日はスーツだったねー。
やっぱりカッコイイですよね。今日は午後からプレゼンなんですって!
心なしか表情にも気合が入ってて、ますます男前度が上がってる感じ。
そう言えばね、山城さんのプロジェクトでウチに詰めてるテマリさんって…
あ。あんたもそう思う?絶対、あの視線は狙ってる感じだよね?
あんな綺麗な人に攻められたら、策士な彼でも落ちちゃうのかな?
きゃー、そんなのイヤだ…
断固、阻止!!――
何の話なんだろう。
狙ってるって、なにを?
給湯室での会話を小耳に挟みながら化粧室へ向かうと、手を洗っていたテマリさんと鏡越しに目が合った。
「おはようございます」
「おはよう。あんたが森埜さん?」
「ええ。テマリさん…ですよね」
「ああ。あんた、我愛羅のトコから来てるんだろう?」
テマリさんがハンカチで手を拭き終えるのを見計らって名刺を取り出すと、手渡しながら改めて自己紹介をする。
へぇ、彼女はやっぱり一級持ってるんだ、流石だよね。
「森埜林檎です、宜しくお願いします」
「ふーん、二級は持ってるんだね。まあ、せいぜい奈良の足、引っ張らないようにしなよ」
何気なく吐かれたテマリさんの言葉が、何故か鋭い棘のように胸の奥に突き刺さった――
◆
今日は犬塚さんたち、午後からプレゼンって言ってたな。じゃあ、いつもよりすこし早めにお届けした方が良いよね。
「毎度――……」
「あー天姫ちゃん、今日は早目に持って来てくれたんだ?」
「ええ、今日は午後からお出掛けなんでしょう?」
「やっぱ俺と天姫ちゃんって以心伝心!」
スーツ姿の犬塚さんを見て、ちょっとだけどきどきしたからか、いつもみたいに切り返せなかったじゃない。
いつも纏わりついてくる困った人としか思ってなかったのに。
「なあ、天姫ちゃん。今日の夜は、空いてる?マジでデートしようぜ」
「空いてません。こちら、残業ですよね?オーダー入ってますから」
「じゃあ、明日は?」
「明日もこちらから予約入ってます」
「うっ……(予約入れたの、俺だ…)」
少しずつ沈んでいく犬塚さんの様子が、面白い。まるで、耳をペタンと垂らして、項垂れてる子犬みたい。
「ちなみに明後日も予約入ってますよ」
「………(それも俺だ……俺の、バカ)」
じゃ、そういうことで。と、返事をしながら、毎回空回りしている犬塚さんのことが、正直“ちょっと可愛いな”と思っていた。
だって、いつもサクっと切り易いことばっかり言うんだもん。仕方ないよね?
(あいつ、どこまでマヌケなんだ)
(この前、私もちょっと忠告してみたんですけど…犬塚さんに通じてなかったみたい)
頭を寄せ合って話している奈良さんと林檎の方を見ながら踵を返すと、頼りない犬塚さんの声が聞こえてきた。
「えーっと、……キャンセルしても…?」
ここでがっかりした顔を見せると、きっと犬塚さんは慌てるんだろうな。
でも、売上が落ちちゃうのは心配だし。
「キャンセルするんですか?」
「っ……!いや、キャンセルしない!絶対しない!だから、届けに来てくれよ?!」
「分かりました」
よっしゃー、売り上げ確保!!……って、犬塚さん可哀想かな?まあ、良いか。
あはは、今度は尻尾振って喜んでるワンコみたいだよ。ホント、可愛い!
((ハァ……))
揃って溜息を吐いている奈良さんと林檎の方に、ペロッと舌を出しながら私は事務所を後にした。
◆
午後の業務を開始してすこし経った頃、奈良さんが徐に立ち上がる気配に私は振り返った。
「そろそろ時間だな」
脱いでいたスーツのジャケットを、ぱさっと羽織る仕草はすごく優雅で。
襟元を整えて、ちょっと鏡を覗いて、緩めていたネクタイをキュッと結ぶ奈良さんから、目が離せなかった。
奈良さんってすごいな。細かくチェックしなくても、たったそれだけの動作でちゃんとサマになるんだ?
何をやらせてもスマートにこなしちゃうのって、やっぱりカッコイイ。
「めんどくせぇけど、行くぞ」
「はい」
「いざ、出陣…だな!!」
猿飛さんと4人でEVへと向かっている途中、カツカツカツと軽快なヒールの音が近付いて来て。すれ違ったテマリさんの視線が変な具合に心を乱したけど、今はプレゼンの成功のことだけを考えていれば良いよね。
「奈良さん、ネクタイちょっと曲がってますよ?」
EVの中で、軽く奈良さんのネクタイを直しながら、私は記憶の底に絡みついているあの霧雨の昼下がりのシーンを、必死で追い出そうとしていた――
◆
無事にプレゼンを終えて社に戻ったのはもう夕刻のことで、ひとまず成功した余韻に4人とも浸っていた。
「じゃあ、俺が綱手サンに報告してくっから」
無造作に上着を脱いで、片手で肩に引っ掛けると、もう一方の手でネクタイを緩めている奈良さんの所作は見惚れるほどにキレイで。大仕事を終えたという安堵の空気に、見ている私の方まで自然に笑顔があふれた。
そのまま上着を椅子の背に掛けている奈良さんの方へ手を伸ばすと、私の行動を読んだかのように、一旦掛けた上着を奈良さんはふたたび持ち上げる。
「そんな風に掛けたら、シワになりますよ」
言いながら、上着を受け取る際に、かすかに指先が触れる。
末梢から伝わってくる密やかな感覚は、瞬時に離し難くなるような不思議な感情を芽生えさせて。私は指先を絡めたまま、暫し思考を停止して奈良さんの瞳を見上げた。
「ハンガーに掛けておきますね」
「ああ、頼むわ」
離れていく奈良さんの凛とした背中を、私と同じように目で追っているテマリさんの視線。それに気が付いて、何故か、胸が痛かった――
◆
「これでやっと、一段落だな。ちょっと一服するかぁ?」
「私、コーヒーでも買ってきますよ。猿飛さん、何が良いですか?」
「エスプレッソマキアートで」
「んじゃ、俺はモカフラペチーノ。シカマルは?」
“いつものやつで”と、奈良さんから目線だけが送られて来る。
頷きながら“分かってます”と微笑むと、口の端だけをキュッとあげるいつもの奈良さんの笑みが返ってきた。
「何だよ、アイコンタクトって奴か。シカマルと林檎ちゃんって何かアヤしくね?」
財布を持って事務所を出る際に聞こえてきた犬塚さんの言葉に、微かなくすぐったさを感じる。でも、何故自分がそんな風に感じるのかは、分からなかった――
2008.04.21
[補足]
プレゼン:プレゼンテーション。計画・企画案・見積もりなどを、会議で説明すること。