摂氏28度の恋

街中のショーウィンドウがピンクや赤の甘い装飾に染まる季節。バレンタインは企業戦略だなんて根も歯もない事を言う人もいるけれど、私はこの行事が大好きだ。この時期に売っている宝石の様な艶を湛えたチョコレートや色とりどりのラッピングボックスをショーケース越しに見るだけで最高に幸せな気持ちになれるから。大切な人たちにチョコレートで気持ちを伝える、という趣旨から外れてはいるものの、私にとって毎年楽しみな季節だ。

今年も自分へのご褒美を買う為、仕事終わりに八番街に立ち並ぶ商業施設のバレンタイン限定ブースへ足を運んでいた。可愛らしい装飾の街並みにテンションが上がる。自分の格好がこのダークスーツではなくてお気に入りの服だったらもっとテンションが上がるのだけれど、任務も立て込んでいたので贅沢は言えなかった。同じミッドガルに勤務していると思われるOLが溢れるブースで、私はお目当てのお店にまっすぐ向かった。



「はー良かったー!なんとか買えた!!」

嬉しくて思わず受け取った紙袋を抱き締める。お目当だった真っ赤な塗装に金色の繊細な装飾が施された、ブリキ缶入りの限定チョコレート。味はわからないけれど、とにかくその缶が可愛くて、何としてでも手に入れたかったのだ。何を入れようかな。レターボックスにしてもいいし、ドレッサーの小物入れにしてもいい。中のチョコレートは、イリーナにお裾分けをしてもいいな。
あれこれ幸せな予定を立てながら帰路につこうとしたその時、後ろから耳慣れた声が私の名前を読んだ。

「よ。なまえ。」
「あれ?レノ、お疲れ様。珍しいねこんなところで会うなんて。」
「ちょっと野暮用でな。ニヤニヤしてる女がいるから思わず声かけちまったぞ、と。」
「へへー。わかる?私今ちょー幸せなの。」

今買ったばかりの紙袋をぷらぷらとレノに見せつける。持ち手についた小さな赤いリボンが揺れる。きっと、レノにこのお店のロゴを見せてもわからないだろうけど。
でも意外にはレノは「チョコか。」と見事に紙袋の中身を言い当てきたものだから思わず驚きの声を上げてしまった。

「なんだよその意外!みたいなリアクション。」
「いや、男の人ってそういうの疎そうだし……あ、そっか。」

不思議に思いながらも自ら答えに辿り着いてしまった。レノは、社内の女性に好意を寄せられることが良くある。ガラも悪いし、タークスという所属柄怖がられたり煙たがられることも多いが、そういう"アブナイ男"のファンというのは意外にも多い。このシーズンに貰うチョコレートのおかげで、このロゴも分かってしまったのだろう。

「レノ、顔はいいもんね。」
「顔"も"だろ。マジで失礼だよな、お前。」

冗談だよ、と言って笑うと私の軽口に慣れているレノは特に気にする様子もなく微笑を口角に浮かべた。このニヒルな微笑みで、一体今日何人の神羅カンパニーの女性を惑わせたのだろう。そう、レノの顔の良さに関しては"冗談"におさまらない。毎日近くで彼を視界に入れている同僚の私でさえも、思わず魅入ってしまう色香がある。こんな事を伝えたら、九分九厘、からかってくるだろうから口には絶対に出さないけれど。

「それにしても野暮用ってなに?……あ!わかった、デートでしょ。バレンタインチョコくれた、会社のおねーさんと。」

なんてったって今日はバレンタイン当日。きっと、沢山のチョコレートをもらって、タイプの女性に声でも掛けて、これからしっぽりお楽しみタイムってところだろう。それなら、この商業ゾーンにいることにも納得だ。この辺は女性が好むお洒落なバーも多いから。でも意外にもレノの返答は「ノー」だった。

「あのな。勝手にイヤらしい妄想していらっしゃいますけど、そもそも俺は今年1個もチョコ貰ってないぞ、と。」
「うそ。ぜーったい、うそ!」

信じられない。だって、去年はデスクに色とりどりの小箱が積み重なってたのをハッキリと覚えている。その中に、本命と思われる手作りと思われる包装のチョコレートがあったことも。その男が、1個ももらえないなんて事あり得るのだろうか。でも、確かに目の前にいるレノは手ぶらだし、スーツのポケットに何か入っている様子もない。念のためぱんぱんとポケットを叩かせてもらうが、チャリ、とコインがぶつかる音がするだけ。「本当に本当にもらってないの?」と念を押せばそうだ、と言う。

「……レノのモテ期終わっちゃったのかな。」
「かもな。はー、悲しいぞ、と。」

わざとらしい嘆きに思わず笑いが溢れる。しかたないなあ、と紙袋のリボンを解いて中から真っ赤なブリキ缶を取り出す。かぱりと音を立てて開いたその中から規則正しく整列したキューブ状の生チョコが顔を出した。触れたところから溶け出してしまいそうな繊細な柔らかさが、その見た目だけで分かった。ふわり、とカカオのほろ苦い香りが鼻をくすぐる。
元々イリーナと半分こにするつもりだったし、もう1人ぐらいお裾分けの相手が増えることは別段問題ない。

「一個だけ!一個だけだよ!あとはイリーナと一緒に食べるんだから。」

はい、とチョコレートの入った缶を目の前に差し出せば、レノは当たり前かのように長く揃ったまつ毛を伏せて、かぱり、と口を開けた。まるで、食べさせてくれと言わんばかりに。
日が落ちた時間とはいえ、爛々と街灯の光が満ちる、ミッドガルの商業ゾーンの道端だ。誰が見ているかもわからないこの場所でそんな気恥ずかしいことを、できるわけが

「なんだよ。くれないのかよ、と。」

レノにとってこれは自然な所作なのだろうか。私1人が動揺しているみたいで、それがレノを意識している事の現れのようで、そんな風に受け取られてしまうのが恥ずかしくて平静を装ってチョコレートを手に取った。
レノの形の良い唇にチョコレートが触れないように、そっと指で口の中に押し転がす。この一瞬の所作で、私の指先は体温で形を失った茶色で色づいた。
目を伏せながら、味わうように口の中でチョコを転がす。

「ん、うまい。」
「良かった。これ、買った事ないブランドのチョコだったから。イリーナにも安心してお裾分けできる。」
「それならなまえも食ってみろよ。うまいぞ、と。」
「えっ、んむっ!」

人のチョコレートだというのに、断りもなく私の手の中にある缶から一粒取り出して私の口元に差し出す。急に差し出すもんだから私の唇にぶつかって、間抜けな声がもれてしまった。否応なしに押し込まれるそれを受け取るために口を開けば柔らかい感触が口の中に飛び込んできた。ほろ苦いカカオの香りが口いっぱいに広がり、じんわりと舌の上で溶けた。レノの言う通り、美味しい。

チョコレートは私の口の中にすっかり収まったというのに、それを押し込んだレノの指が私の下唇から離れない。おいしいね、という言葉が喉まで出かかっているのに、唇に押し当てられた熱に否応なしに意識が乱されて、たった5文字が紡げない。

「やわらけーのな。」 

押し当てられた熱は驚くほど優しく私の下唇をなぞり、離れた。その言葉は押し込まれたチョコレートに対するものなのか、それとも。

あまりに唐突な出来事に呆気に取られる私を他所に「じゃあ用事済んだし帰るわ」「ついでにチョコは貰ってないんじゃなくて、受け取ってないだけだから。」と好き勝手言い残して駅に向かう姿をバカみたいに口を開けて見送ることしかできなかった。

野暮用って?私からたった一粒のチョコを貰いに来たってこと?それより他の人からチョコを貰わなかったのはどうして?その意味を考えようとすると、こんなにも寒い2月の夜だというの私の顔はどうしようもなく火照って熱を持った。

レノの指がたどった唇にそっと触れると、溶けたチョコレートが指先を僅かに染めた。ぐずぐずに溶けた私の気持ちみたいだな、と去って行く男に想いを馳せた。


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