さよならジンクス

「もうこんな所来たらダメですよ」

 ここに来て、ここを去っていく人達におまじないのようにこの言葉をかけて見送る。これは仕事をする上での私のちょっとしたジンクスだ。怪我をせず、この医務室に訪れることがないよう過ごせる事がなによりも1番だ。そんな思いを込めて私はこの言葉を日頃口にしていた。

 神羅カンパニーのワンフロアの一角に位置する医務室には今日もぽつりぽつりと業務中にケガをした人達が訪れる。大抵はポットのお湯で火傷をしたとか、カッターナイフで指先を傷つけたとか、熱が出たとか、ちょっとした手当てをすることが殆どだ。あとは主に、訓練兵や任務帰りのソルジャー達の、治療にちょっと時間がかかるような怪我人のお世話。この医務室では大掛かりな処置はできないけれど、病院で怪我の処置をした人達の経過観察なんかを病院から依頼されて担当することも良くある。ここ数日は大きな軍事ミッションもないようで、比較的平穏な時間が流れていた。
 仕事が落ち着いているということはとても良いことだ。それはそのまま、怪我の痛みに苦しむ人が少ないということを意味するから。……という本心と共に、ただ単に仕事がサボれるから、という下心があるのも事実だった。昼食をとってから来客もなく暇を持て余していたのでアフタヌーンティーでも洒落込むかとマグを片手に給湯室へ向かおうとしたその時、ピピピピとデスクの内線が鳴り響いた。私宛の内線というのは大半が怪我人の受け入れ要請だ。この電話もおそらくそうだろうとマグをデスクに置いて、ペンを片手に受話器を取った。

「はい。医務室なまえです」
「お疲れ様。総務部調査課のツォンだ。依頼がありこちらにかけた」

 落ち着いた男性の声が耳元に響く。総務部調査課、ツォンさん。手元のメモ用紙に書き取りながら記憶を辿る。名前を聞いたことがあるような気がするけど、誰だったかな。普段は軍事担当部署からの連絡ばかりだから、関わりのない部署については興味関心が薄いこともあって頭のストレージからすぐに消えてしまう。私の悪いところだ。部署の名前からするに、パソコンとにらめっこをして情報収集に勤しむ姿しか想像ができず、大きな怪我をするイメージが浮かばない。なんて、勝手気ままな想像をしながら用件に耳を傾ける。

「結論から伝えると今からそこへ部下が搬送される」
「搬送?」
「ああ。先日のプレート落下事故による怪我人の受け入れと対応で市内の医療機関はまだまだ逼迫状態でな」

 プレート落下という単語を聞いて、何度も何度もニュースで流されたあの惨劇の映像が頭の中でフラッシュバックする。七番プレートには社宅も多く家財を失った同僚は少なくなかった。ただ、不幸中の幸いか、社内で早々に避難命令が発令されたおかげで身の回りで命を落としてしまった知人は1人もいなかった。アバランチ、というグループの脅威に会社から守られているのだと改めて実感する機会となった。

「承知しました。ただ、あくまで簡易的な処置しかできないのですが大丈夫でしょうか?」

 搬送というぐらいだから決して状態は良くないはずだ。デスクモニターで備品の確認と病床の確認をする。タイミングよく、数少ないベッドには空きがあった。

「構わない。命に別状はないことは確認が取れている。取り急ぎ、そこで出来る限りの応急処置を頼む」
「わかりました。これから来られる方の社員IDだけ教えて下さい」

 メールで送る、とツォンさんは私に伝え電話を切った。私たち救護員には社内のデータベースの中でもとりわけ個人情報に関わる情報へのアクセス権限が与えられていた。社員の名前はもちろん、血液型であったり家族情報であったり緊急時に必要な情報を確認することが許されていた。アフタヌーンティーはお預け。これから搬送されてくる怪我人を迎え入れる準備に私は取り掛かった。

 とりあえず、メールで送られてきたIDをデータベースで検索する。レノ、28歳。血液型などのメモを取る。所属は総務部調査課の……

「タークス」

 ペンを走らせる手が思わず止まる。ツォンさんの名前に聞き覚えがあると思ったのは、彼がタークスの所属だったからだ。泣く子も黙るタークス。彼らの黒い噂は私のような末端社員の耳に届いている。暗殺、誘拐、他にも会社の黒い仕事を担っているという部隊。治療を行うのに所属や人となりなんて関係ないことは分かっているのに、ペンを握る手がじっとり汗ばむ。

「粗相をしたら……消されちゃったりして」

 ふざけて口にしてみたけれど、間もなく搬送されて来た彼の姿を見てあり得なくもないな、と冗談ながらにも思ってしまった。真っ赤な髪の毛に着崩したスーツ。耳にはピアス。目元にはフェイスペイント。そして、返り血と思われるもので彩られた赤く染まったシャツ。絵に描いたようなガラの悪い風貌に、ごくり、と自らが飲み込んだツバの音が聞こえた。ここに運ばれる手前、この綺麗に見える骨張った手で人を傷付けたのだろうか、殺めたのだろうか。悪い想像ばかりが脳裏を掠める。ただ、そんなことを考えて手を止めている暇はない。苦しそうに浅い呼吸を繰り返す胸が上下に揺れる。命に別状はないとは聞いたけれど、できるだけ早く楽にしてあげたい。
 怪我の状況を搬送員に聞きながらある限りの備品を使って処置を行なっていく。返り血で汚れたジャケットとシャツを脱がせて、湿らせたタオルで体を慎重に拭く。赤黒く変色した胸部にそっと触れると指先の感触で助骨が折れているのが分かった。痛み止めの湿布を貼り、バストバンドで固定を試みる。最後におまじない程度にケアルを唱える。私が唯一所持しているものだ。マテリアから溢れる淡い光をかざすと、彼の乱れた呼吸が少し落ち着くように見えた。
 会社の為にここまで身体を張ることができる精神というのはどこから生まれてくるのだろう。私だって少なからずこの会社への愛社精神を持ち合わせている。この医務室で少しでも神羅に貢献ができればという思いはあるけれど、こんなにもボロボロになるまでの覚悟があるかと問われれば、答えはノーだ。
 処置を終えて彼を寝かせたベッドサイドに乱雑に丸められたシャツを手に取る。血に染まったシャツを眺めながら心に浮かんだのは畏怖の感情ではなくてこの会社の為に身を捧げてくれていることに対する感謝の念だった。ほんの少しだけ、苦しそうに眠っているこのレノという男に対して恐怖に勝る興味が湧いた。

「……洗っておいた方が、いいよね」

 暫く眠りから目を覚さないであろう彼に私が残りできることはそれぐらいだろう。これは、興味が湧いた彼と会話を交わす為の口実なんかじゃなくて、業務の一環なんだと自分自身に言い聞かせながらビニールの袋に汚れたシャツを突っ込んだ。



*****



 目を覚ますと見覚えのある天井が目に飛び込んできた。何度か来たことがある。会社の医務室だ。上体を起こそうと腹に力を入れると脇腹に激痛が走り、息が詰まった。今日の任務で不意を疲れてブン殴られた場所だ。多分、折れてるなこりゃ。起き上がるのを諦めて腕時計を確認すると時が飛んでいた。半日以上気を失っていたらしい。
 七番街支柱爆破任務で負った傷を癒す為に前線を引いていたが、リハビリも兼ねてスラムを根城にする小規模の反神羅組織を叩く任務に身を投じた。が、自分が思っている以上にブランクは大きく身体は思うように動かなかった。手こずりはしたものの相手の息の根を止めたことは覚えている。ロッドでターゲットの頭をカチ割った時に浴びた赤も、覚えている。ただ、その後の記憶がコマ送りのフィルムのように曖昧で、気が付いたらこのお世辞にも寝心地がいいとは言えない硬いベッドの上にいた。どこかで意識を手放した俺を、兵士達が運んでくれたのだろう。今回ばかりは、普段煩わしくも思う同行させた兵士達に救われた。

「情けねぇー……」

 誰に聞かせる訳でもない独り言が漏れた。自分のコンディションも把握出来ずに、何が"タークスのエース"だ。今の自分には分不相応の肩書きに嫌気が差す。
不調の理由はわかっていた。あの日、プレートの支柱をこの手で破壊した日。数えきれない罪の無い人々を殺めた日。今までどんな任務を与えられても仕事だと割り切って、泥水を啜るような思いも全て嚥下してきたと言うのに、今回ばかりは割り切っても割り切れない後味の悪さだけが胸の中でうねり続けていた。霧がかった思考が、瞬時の判断を曇らせる。今日のような失態を犯すたびに、嫌でも胸の中にこびり付いた真っ黒な罪を意識させられる。

 真っ白な天井を見つめているとどうにも考えたくない事ばかりが頭の中を巡ってしまう。煙草でも吸って、ゴチャゴチャした思考を一度洗い流そう。出来るだけ脇腹に負担を掛けないように、ゆっくりと上体を起こす。自分の他に誰もいない事を確認して胸ポケットを探ろうとした時、ようやく自分の衣服が引っ剥がされていることに気が付いた。辺りを見回しても、どこにも見当たらない。まあ、肉片がついていてもおかしくない殺し方をしたから汚れたシャツは廃棄されたと考えるのが妥当だろう。お気に入りのライターも、ポケットの中には入れたままだった事を思い出して思わず溜め息が漏れた。何もかもツイてない。ベッドからは動くことができないし、さてどうするか。口うるさい後輩にでも使い走りをさせるかと考えあぐねていると、突如、遠慮がちな声が俺に向かってかけられた

「さ、探し物はコレですか」
「うおっ!?っ、痛ぇ……」

 驚いた拍子に脇腹にまた痛みが走った。大丈夫ですか!?と慌てた様子で紙袋を小脇に抱えた白衣の女が駆け寄ってくる。こんな一般人がこの距離にいる事すら気付かないだなんて、どれだけ根詰めてるんだ、俺は。
バンドがズレてるので直しますね、と迷いなく俺の身体に触れ慣れた手つきでバストバンドを巻き直す。圧迫される患部の痛みに俺の意志とは関係なく呻き声が喉から漏れる。

「イテテ……もっと優しくしてくれよ、と」
「ケアルで治癒の促進をしているので今日明日が痛みのピークだと思います……痛いけど、頑張りましょうね」

 俺のことを子供か何かだと思っているような喋り方に思わず毒気が抜かれる。コイツが俺の手当てをしてくれたのか。

「アンタが処置してくれたの?」
「そうです。あ……あとこれ、お節介かもしれませんが洗っておきました」
「マジか、すごかっただろ。大丈夫かよ……」
「仕事柄、血を見るの慣れてるので」

 そうじゃないだろ、と思いながらも手渡された紙袋を受け取る。俺がシャツを汚すまでの血を流していないということは、それはつまりあの血は俺が殺した相手のものだということ。分かってんのか分かってないのか、特に気にする様子も見せずにベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けた。

「動けるようになるまでは私がレノさんのお世話をするので、何かあれば声かけてくださいね」

 すぐそこのデスクに大抵いるので、とカーテンで仕切られた奥を指差した。仕切られてはいるとはいえ、プライベートもクソもないこのベッドの上で長時間過ごさなければいけない事実にため息が出た。けれど、この状態じゃ従う他ない。諦めて受け取った紙袋を漁ると普段使わない、柔軟剤の匂いが鼻を掠めた。なんで女のモノっていうのは良い匂いがするんだろうな。なんて、意識はどうやって退屈な時間を潰すかに向かい始めてた。遊び道具におあつらえ向きの女が1人。使わない手はない。

「……りょーかい。お世話ってなに?何でもしてくれるの?」

 含みを持たせて、隣に座る女の瞳を覗き込む。きょとん、とした顔で瞳を見つめ返される。

「は、はい、私にできることであれば。あ、最近は結構業務も落ち着いているので、話し相手ぐらいにはなれるかもしれません」
「……じゃ、タバコ買ってきてくれない?」
「ここ、禁煙なのでできれば我慢して頂きたいです……」
「そ、わかった」

 少しでも期待をした俺がバカだった。色気もクソもない反応に俺はまた一つ大きなため息をついた。やっぱり口説くのは秘書課の女や受付の女みたいな色香のある女に限る。こういう真面目そうなのはダメだ。そんなくだらないことを考えながらガサガサと紙袋からお目当ての感触を探りあてた。お気に入りのライター。気付かず一緒に洗ったんだろう、ホイールに指を滑らせても着火できなくなっていた。そのことに気づいたのか、サーっと顔色を変え、真っ青な顔で頭を下げ始めた

「す、すみません!確認もせず洗ってしまって!」
「おい……そんなペコペコするな。別にこんなのオイル入れりゃまた使えるからな」
「お、怒ってないですか……?」
「こんなことで怒るかよ、と」

 そう伝えるとびっくりした様子で俺の顔を見る。ごめんなさい、と何度も口にしてやたらと怯える様子に違和感を抱く。そういえば、さっきからずっとオドオドしてるなこの女。俺のことを何だと思ってるんだ、と口にしようとした時に自分で答えが分かってしまった。救護員は確か個人のデータベースへのアクセス権限が与えられているはず。名乗らずとも、俺の所属や立場を知っているということ。

「泣く子も黙るタークス、だからか?」
「ご、ごめんなさい、データベースで情報は確認済みで……怖いうわさを耳にすることが多くて……今日も機嫌を損ねたりしたら、消されるんじゃないかと思って……」
「ぶはっ!それ、思ってたとしても俺に言う?」

 正直過ぎる告白に思わず笑いが込み上げる。消されるってなんだよ。良くない噂が流れているのは分かっていたけれど、こうも突飛な受け取り方をされていることがおかしくて仕方なかった。真面目そうに見えるこの女、前言撤回、暇潰しにはいい相手かもしれない。

「なあ、あんた名前なんて言うの?」
「なまえ、です」
「なまえね」

 話し相手ぐらいにはなってくれるんだろ?と確認するとさらに驚いたように目を大きくした。そうそう、そういう反応が見たいわけ。

「とりあえずコーヒー淹れてきてくれないか?」

 2人分な、と付け足すと不安そうな表情がパッと晴れて、給湯室の方に向かっていった。



*****



 レノさん。データベースで確認した名前を反芻する。すっごくコワモテだけど、噂に聞いているような悪い印象は全く受けない。むしろ優しい。予想外の発見に給湯室に向かう足が軽い。まるでヒーローと言葉を交わしたような心地だった。会社の為に、体を張って頑張ってくれている人。

 この間のプレートが破壊された日も、現場に向かっていたという噂を聞いている。きっと、アバランチを阻止する為に動いてくれていたんだろう。コポコポとコーヒーメーカーが沸き立つ音を聞きながら戻ったら何を話そうかとあれこれ考える。多分、この先私が前線で体を張るレノさんと話が出来る可能性はほぼないだろう。いや、あってはならない。それは彼がまた怪我するということを意味するから。そう思ったら、これを機に感謝を伝えたいな、という気持ちが湧き上がってきた。この間のプレート落下のこと。前線で戦ってくれる人達のおかげで私は安心して過ごすことが出来ました、と。
 あつあつのコーヒーをカップに注いで戻ろうとした時、パタパタと足音が近付いてきた。違う部署に所属している、同じフロアの同期だった。

「なまえー!お疲れ様。ちょっと、聞いたよ」
「え?なんの話?」
「噂になってるよ!その……タークスの人、面倒みることになったんでしょ?」

 声のトーンを落として、ヒソヒソと私に耳打ちをする。社内の噂というのはあっという間に伝播するもので、この件も既に彼女の耳に届いていたらしい。

「うん、そうなの。私も最初びっくりしちゃった」
「だよね。なまえも運が悪いね。あんまり大きい声じゃ言えないけど…タークスって、人攫い、人殺し、汚いことなんでもやるヤバい人達でしょ。なまえも気を付けなよ」
「えっ」
「じゃあね!心配で、それだけ言いたかったんだよね!」

 嵐のように去っていく同期の背中を見つめながら、もやもやとした気持ちが胸の中で渦巻いた。彼らは確かにとても怖い存在だけど、忌み嫌うような物言いに疑問を感じずにはいられなかった。あの返り血に染まったシャツの赤を、ベッドで待つ赤いあの人を心に浮かべる。でもやっぱり浮かぶのは感謝の気持ちだ。私が医務員として社員の体を癒し守るように、あの人は私たちには到底成し得ない責務を負って飲み込んで、私たちのいる神羅カンパニーを支えてくれているんじゃないかな。貢献するかたちは違えど、同じ社員として彼らのことを悪いように思う気持ちは1つも生まれなかった。

「運が悪い、かぁ」

どうにも腑に落ちない気持ちを抱えながら、私は少しぬるくなったコーヒーを手に医務室へ戻る。足取りは、心なしか重く感じた。



*****



「……ぬるいな」
「同僚と少し話し込んでしまって……ごめんなさい。」

 別にいいけど、と言いながらも怪訝な顔で私をジロジロと見てきた。視線が痛い。コーヒーひとつ満足に手渡さないくせにお世話をしますだなんて、良くまあ言えたものだ。チラリと隣でぬるいコーヒーをすするレノさんを見やる。汚いことをやる、ヤバ い人達。強面ではあるけれど、よく見たらとても端正な顔立ちをしている。気を付けろって言われたけど、何を?運が悪いって、何?頭の中で同僚の言葉と脈略の無い考えがグルグルと巡る。

「おーい、聞いてんのか、と」
「んわ!」
「何があったんだって、聞いてんの」

 突如、鼻っ面を軽く摘まれる。何があっただなんて、本人に言えるわけもなく「特に何も……」と言えば鼻を摘む指の力が僅かに強まった。

「い、言います!なのではなしてくだひゃい」

 わかればいい、と言わんばかりに頷きレノさんは手を離す。適当な事を言おうと思ったけれど、やめておいた。嘘なんて、すぐに見透かしてしまいそうな鋭い翡翠の瞳が光っていたから。

「……タークスの人達は、汚いことをするヤバい人達だから、気を付けろって話をされたんです」
「へぇ、真っ当なこと言うじゃん、その同僚は」
「そんなことないです!!」

自分でも驚く程に大きな声が出た。目の前のレノさんも驚いた顔で私を見ている。真っ赤に染まったシャツ、怪我だらけの身体、謂れのない行き過ぎた中傷、様々なことが頭の中を巡り、まとまらないままに言葉を続けた。

「絶対、おかしいです。こんなにボロボロになるまで頑張ってくれてるのに、そんな風に忌み嫌われるだなんて、あまりにも報われなさ過ぎる……」

 身体を張って会社の為に頑張っている人達に、自分を卑下にする様な事を口にして欲しくなかった。その他大勢がなんと言おうと、私はこんなにも彼らのことを、彼の存在を尊いものだと感じているのに。殆ど初対面の私の話を、レノさんは揶揄ったりせずに真剣に聞いてくれていた。

「私、タークスの人達のこと噂で聞くように怖いと思っていますけど、嫌ってなんかいません。この間のプレート落下の時も、前線で戦ってくれたって聞いて、会社のためにいつも体張ってくれて……いつも感謝してます……」

 感情的に、まとまらないちぐはぐの言葉を紡ぐ。伝えたいと思っていた事を口にすることができて、少し気持ちがスッキリとした。でも、話を聞いていたレノさんの表情は、私が想像したどんな表情とも異なる、悲しみとも怒りとも取れる苦しそうな顔をしていた。私の伝えたいことと反して、何か触れてはいけないものに触れてしまったということがすぐに分かった。

「俺は感謝されるようなことなんて何もしてねえよ」
「そんなこと……ないです、あの日だってアバランチから時間を稼いでくれたから、救われた命も……」

 そこまで言葉を紡いだところでバンッ!!とレノさんの拳が勢いよくサイドテーブルを叩き鳴らした。怪我をしているというのに、そんな事もいとわないほど強い力で叩きつけられたその拳は僅かに震えている様に見えた。 

「知った様な口を利くんじゃねぇぞ、と」

 拒絶にも似た冷たい視線が私を貫く。温かいカップを握っているはずなのに、手指が凍りつく様な感覚に襲われる。怖い、けれど何故か引き下がれなかった。暗鬱な瞳を湛えた彼を、このままにしておくことが私には出来なかった。

「確かに私は何も知りません……でも……」
「俺が!あのプレートをぶっ壊したって言ってもなまえは同じこと言えるのかよ!」

 語気を荒げてぶつけられた言葉に私の頭は理解が追いつかなかった。プレートを、壊した?タークスが、あのプレートを?だって、あの事件はアバランチが起こした事件だって何度も何度もニュースで。
 壊した、とレノさんは断言はしていないものの、私を見つめる目はそれが冗談だとは思えない程に暗い色していた。もし本当にそれが真実だと言うならば、レノさんの反応にも納得がいった。感謝を伝えたいだなんて自己満足な感情で、レノさんの今1番柔らかい部分に無遠慮に踏み込んで、傷付けてしまった自らの軽率な言動を呪った。それでも、このおぞましい仮説を聞いてなお、私の根底にある彼等への気持ちが揺らぐ心地はしなかった。

「聞きたくもないこと聞かせて悪かったな。そういうことなんだよ、俺達のやってることは。だからその同僚の言ってることは正しいんだ。」

 怒鳴って悪かったな、と諦めにも似た、暗く影を落とすレノさんの言葉に、怒りがこみ上げた。どんな理由があって会社があのプレートを落とすという決断をしたのか。私には想像もつかないししたくもなかった。ただ、誰かが為さなければならないものを為すという、想像もつかない痛みや苦しみを、このボロボロの身体に押しつけて放っておくことが、例え何も知らない私のお節介でも、迷惑だったとしても、私には出来なかった。

「わ……私は何も知らない一端の医務院です。あのプレートで何があって、どんな理由で壊されたのか、とてもじゃないけれど想像もできません……」
「そりゃそうだ。知る必要もない。」
「……はい。でもそれが会社の、仕事としての行動だったということだけはわかります。」

 机を思い切り殴った衝撃でずれてしまったバンドが目に留まり、もう一度、きつく巻き直しながら私は言葉を続けた。

「それがレノさんの仕事なら、私はこうやってここに来た人の傷を、どんな傷でも寄り添って治療するのが仕事なんです。だから、少しぐらい頼ってください。私の仕事が、無くなっちゃいますから。」

 今私が出来るのは、同じ神羅の社員という立場として彼に接することだけだった。傷付いた彼を一人にさせまいと出た言葉が彼に届いたかどうかは分からない。これもまた、自己満足な行いであるという自覚はあった。ただ少しでも、自身を傷付けてしまう程に、彼の心に重くの積もった何かが、少しでも軽くなってくれればと思った。

「……一体なんなんだよ、と。オマエ」
「……医務員です」 
「……はあ、ビビったわ。俺にこんなに食い下がってくる奴、みたことねーよ」

 頭をボリボリとかきながら向けられた瞳に、いっとき前の拒絶の色は消えたかの様に見えた。怖くなかった、と言えばそれは嘘で無意識のうちに、緊張で強張っていた肩の力が一気に抜けた。勢いで言いたい事を言ってしまったが、不思議と後悔はなかった。

「調子狂ったわ。でもま、心配してくれているのは分かった。そこは感謝する。」
「はい……お節介ですみません。でも、全部本心です。」
「……ま、なまえの仕事は増やさない様にこれからもタークスのお仕事頑張りますよ、と」
「そうですね、本来はそれが一番なので。でも医務員の私がいる事、忘れないでくださいね」

 彼がどんな重責の中でこれからも働き続けるのか私には想像も出来ない。でも、この先なにかあったときに、居場所のひとつになれればと思った。

「へぇ、見かけによらず大胆なこと言うね。なまえは。」
「……!?違います、変な意味じゃありませんので!」

 突然揶揄われて、全身の血が顔に集まっていくのを感じる。このレノさんという人は本当に掴めない。誰も寄せ付けないナイフの様な尖った一面や、今の様に親しみさえ覚えさせる振る舞い。きっと私が見ている彼はほんの千重の一重なのだろう。だからこそ、興味を引かれてしまうのだけれど。顔色を隠す為にマグカップに残ったコーヒーをぐいと飲み干せば、レノさんは思い出した様に「あ」と声をもらした。

「それよりも、なまえには勢いでとんでもない機密事項漏らしちまったな、と。」
「あ……いや、でもレノさん断言してませんよね。」
「それもそうか。あ、いやダメだ。今言った。」

 フォローを入れたのに、わざわざ都合の悪いように事実を突き付けて、意地悪そうにニヤニヤと私の事を見つめる。どうしてわざわざそんなことを。タークスの機密事項を知ってしまったということは、つまり。

「……私、消されますか?」
「他に漏らしたりしたら、な。」

 今度こそ冗談ではなくて私の顔からサーッと血が引いていく心地がした。ひどい仕打ちだ。ひどすぎる。この世の終わりのような顔をしているであろう私を見てケラケラと楽しそうに笑いながらレノさんはぬるいコーヒーを啜った。怒ったり笑ったり、忙しく表情を変えるその人の目を祈る様に見つめる。

「怖がるなって。しばらくなまえのこと監視することにはなるけど、しばらく一緒にコーヒー飲めるし元気出せよ、と。」
「なんですかそれ……どんな誘い文句ですか……」

 そう口では言いながらも、目の前の意地悪そうに笑う怪我人との別れが遠のく事に、妙に弾んだ気持ちを覚えた。彼の事を、もう少し知りたいと思ってしまっていたから。
 医務室には別れが相応しい。その人がそこへ訪れるということは、本来喜ばしくないことだから。それでも、私はこの弾んだ気持ちの意味を知りたくて、初めて仕事のジンクスを破った。

「……それじゃ、また来てくださいね。」




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