酒は飲んでものまれるな

 オフィスの無機質な壁に掛かった時計の短針が9の文字を指す頃、デスクに積み重なっていた書類の山は私の決死の努力によってまっさらな平地と化していた。山のように積み重なっていたのはつい先日終わりを迎えたアイシクルロッジでの長期任務の完了報告書だ。社長直々に命じられた任務だったと言うこともあり、かなり詳細な報告を求められていたが、それも今日でさよならだ。極寒の地での活動は精神的にも体力的にもかなり厳しいものがあったので、あの日々との別れは正直言って嬉しい。
 冷え切って苦味だけが残ったインスタントコーヒーを一気に飲み干して、足早に帰り支度を始める。「随分と急いでいるな。」と忙しない私の背中に声を掛けてきたのは主任のツォンさんだ。この時間だと言うのに主任が帰る気配は未だ感じられない。

「この後予定がありまして…お先に失礼させて頂きますね」

 上司を残したまま急ぐ私に「構わない」と小さく笑った。

「華の金曜日だしな。楽しんでこい」

 社用携帯は忘れるな、と一言添えた後ツォンさんはパソコンのモニターに視線を戻した。仕事を抱えた上司を残して去る後ろめたさを感じながらも総務部調査課のオフィスをあとにして約束の店へと急いだ。

 今日の約束の場はミッドガル飲み屋街の一角にあるこじゃれたワインバーだ。いつだったか忘れてしまったが任務でこの店の前を通った際お洒落な外装に目が止まり、私がふと足を止めたことをやつは覚えていたのだ。そんな事を思い出しながらブラックウッドの扉を押し開けるとカラコロと心地よい木製のウィンドチャイムが鳴ると共に店内の熱気が押し寄せてきた。金曜日ということもあって店内は仕事終わりと思われる人々でほぼ満席状態だ。

「いらっしゃいませー!お待ち合わせですか?」

 こちらに気付いた店員が空になったトレーを片手に愛嬌いっぱいの笑顔で声を掛けてきた。白いシャツに黒い腰巻エプロン。私と同い年ぐらいに見えるがボタンが弾け飛びそうな胸元に、女の私も思わず視線が吸い寄せられてしまった。いかんいかんと意識を逸らす。待ち合わせですと答えようとしたその時、店の隅に位置するテーブルに赤い髪の男が見えた。レノだ。この満席の店でも良く目立つ、燃えるような赤髪。隠密行動を求められる任務もある中でどうしてその色なのか聞いてみたことがある。答えは単純明快「イケてるから」とのこと。仕事でその要素が必要かどうかは置いておいて、待ち合わせの際はとても便利だと口には出さないけれど常感じていた。
 待ち合わせの相手が奥にいる事を店内の喧騒に声が掻き消されないよう店員へ叫ぶように一言断り、彼が座る席へと向かう。こちらに気付いたようで気怠げにヒラヒラと手をふっている。テーブルには空になりかけたビールジョッキとお通しとして出てきたであろう枝豆の小皿が既に置いてあった。

「ワインバーなのにビール飲んでるの!?」
「おいおい……一言目がそれか?」

 開口一番思わず突っ込んでしまった私をみてけらけら笑いながらおつかれさん、と手にしていた枝豆を一つ口に放り込んだ。まあ座れよ、と私に声を掛けながら視線を店内に彷徨わせた。

「お疲れのなまえちゃんに、今からイイもん見せてやるぞ、と」

 そう言ってホールを回っていた店員に注文!と声をかける姿を見て呆れた。先程私を出迎えたセクシーな店員をわざわざ探して声を掛けたのだ。

「白のボトルワインと、このピザ頂戴。なまえは?」
「……レノが頼んだやつ一緒につまむ」
「おっけ。じゃああと……おねーさんのオススメのおつまみ、なんかちょうだい」

 それなら、とレノが手にするメニュー表を店員が背を屈めて覗き込みメニューをひとつ指す。こぼれ落ちそうな胸。海鮮カルパッチョの文字。じゃーそれでと青い瞳が見つめるのは、指先が示すメニューの文字ではなく店員さんのくりくりとした大きな瞳。店員はにこりと微笑みテーブルから離れていった。去っていく彼女の頬がチークのカラーとは別に、赤く上気するのは私は見逃さなかった。

「な? すげー胸だったろ」
「ほんとあり得ない鼻の下伸ばしてサイテー。そういうの、なんて言うか知ってる?」
「んー……目の保養?」

去っていく店員の姿をつまみに残ったビールを喉に流し込むレノ。手に取ろうとした枝豆を奪い取って突き付けながら言ってやった。

「セ・ク・ハ・ラ!!」
「お? 嫉妬してんの?」

 楽しそうに奪われた枝豆を私の手元から犬のようにぱくりと食べる。行儀が悪いことこの上ない。こんなデリカシーのないガサツな男、万が一でも好きになるなんて「ありえない……」と心の声が思わず漏れてしまった。まあ、気になっていたお店を予約してくれたり、こうやって任務から帰ってきた私に気に遣ってくれたり、そういうところは気が効くとは思うけれど。それとこれとはまた別の話だ。

「今日はなまえの長期任務の完遂を労る会だからさ、そうブスッとするなよ、と。」
「ブスッと…」

 いちいち気にしてはいけないと分かってはいるけれど、いちいち失礼なのだ、この男は。ただ、折角の花の金曜日だ。「今日はレノの奢りだよね?」と問い掛ければ当たり前とばかりに万ギル札がいくつか挟まったマネークリップを胸ポケットから覗かせた。現金なもので私のもやもやとした気持ちは吹っ飛びこれから来るであろう美味しいツマミとお酒へ意識が向かっていった。

「お待たせしました。ご注文のワインと、カルパッチョです」

 先ほどの店員がトレーの上に料理とボトルワイン、そしてグラスと銀色に光るボトルクーラーを乗せてやってきた。テーブルにそれらを並べると慣れた手つきでワインのコルク栓を抜いた。きゅぽん、と心地良い音。とくとくとワイングラスに注がれる琥珀色の液体に私のテンションがぐんぐん上がっていくのを感じた。
 ピザは後程お持ちします、と言い残して店員は席を後にした。彼女がレノばかりを見ていたことはもうどうでも良くって、私は早く早くとグラスを手にレノを急かした。

「じゃあなまえ、お疲れさんっと」
「かんぱーい!!」

 チン、とガラスがぶつかり合う音が鳴り響く。薄い飲み口のグラスに口を付ける。注がれた白ワインを一口目は注意深く味わう。私好みの甘口のワインで、葡萄の芳醇な香りが口いっぱいに広がる。美味しい。その後は衝動を抑えきれずにごくりごくりとグラスが空になるまで一気に喉に流し込んだ。ワインが喉を滑り落ちて、食道と胃の底が火が灯ったように発熱するのを感じた。

「ぷはー、最高。幸せ」

 空になったグラスを恍惚に見つめる。今日は金曜日で明日は非番。寝る時間も起きる時間も気にする必要がないし、どれだけ酔いを深めても咎める人はいない。辛かった任務もおわった。全てから解放されてふわふわと気持ちが高揚する。透明のグラス越しに同じ様に目の前でワインを煽る赤色が揺らめく。同じように1杯目はすぐに飲み干した様子だった。

「ビールみたいに飲んでたなお前」
「そういうレノも、グラスが空いてるけど?」

 ワインクーラーから休む間もなく出番を迎えたボトルでレノと自身のグラスに2杯目を波並みに注ぐ。ケラケラ笑い合いながら2杯目もすぐに飲み干し、追加のボトルがテーブルにやってくるまでそう時間は掛からなかった。

 レノと飲むお酒は好きだ。何もかも楽しい話に昇華してくれる。その時の気分や衝動に任せて話をすることが出来る。普段あれこれと言葉を選びながら話をするストレスからの解放。何か都合の悪い言葉を口にしてしまったとしても、それは全部「お酒のせい」にしてしまえばいい。レノもそれを理解してくれているし、私もレノが飲んでいる間の失態については目を瞑る。お互い様だからだ。やり直しが効くかのような魔法の時間とレノに、私は甘えるのが好きなのだ。

 長期任務での苦労話、めちゃくちゃな量の提出書類への怒り、ルードのスペアサングラスの数の話や最近食べた社食の話など話題にまとまりは無く、あちこちに飛んでいった。楽しい時間というのは瞬く間に流れていく。

 2本目のボトルが軽くなってきた頃、レノはションベン、と一言残して席を立った。もっと言い方があるでしょうにとつぶやいたがその声は届かなかった。去っていく赤毛の後ろ姿を眺めながら、いつの間にか席に届けられていたピザを一口かじった。冷たくなっていて、チーズはもう伸びない。話をするのに夢中で、冷めてしまったことに全く気が付かなかった。
 ピザをここへ持ってきたであろう先程の店員を思い出す。レノが店員の女の子にちょっかいを出す事は日常茶飯事だ。大抵、出るところが出て、引っ込むところが引っ込んでいるような女の人に声をかける。ただ、誰かと付き合ったり、特定の女の噂は耳にしない。彼の中で線引きをしているのだろう。自分はそういった選択肢の範疇にいないというのはとても楽だ。そうでもなければこうやって安心して酔いを深める事はできないだろう。

「おーい?」
「わ!?」

気付けばレノがもう着席してこちらを覗いていた。

「いるならいるって言ってよね…」
「何回も声掛けてるのにピザ頬張ってぼーっとしてたのはそっちだろ」

そう言いながら私の低い鼻を摘む。

「い、いひゃい」
「それより見ろよ、これ」

 そう言って見せてきたのは小さく折り畳まれた店の紙ナプキン。丁寧に広がるとそこには可愛い書体の数字が並んでいた。電話番号だ。

「あの子にもらったぞ、と」

 そう言いながら紙ナプキンにキスをするレノ。はあ、と自然と大きなため息が漏れた。

「どうせレノ、ちょっと遊んですぐポイするじゃん。フケツ。罪悪感とかないの?」
「おいおい、人聞きが悪すぎるな」
「だって!本当のことじゃん」

はあ、と今度はレノがため息をつきながら紙ナプキンを元の小さなサイズまで畳んだ。

「なまえには関係無いだろ?それとも何?代わりに抱かせてくれるの?」
「な、何言ってるの!?そんなことする訳ないでしょ!」

 じゃあ口出すな、と番号を胸ポケットにしまう。ビックリした。冗談だとしても一瞬"そういうこと"が頭の中に浮かんでしまった。ガサツでデリカシーのかけらも無いけれど、その横顔には悔しい程に色香が漂う。でも、私のタイプじゃない。ありえない。と本日2回目のセリフを噛み締めた。グラスに残っていたワインを煽る。顔が火照っているのはアルコールのせいだと自分に言い聞かせる。この話題の後に沈黙が訪れるのが嫌で、脊髄反射のように話題を続けた。

「でも中途半端に付き合うのって可哀想じゃない?ちゃんと継続してお付き合いすればいいのに」

 レノもいい歳なんだしさ、と付け加えるとあからさまに嫌そうな顔をしながら空になった私のグラスにワインを注いだ。ふう、と一呼吸置いて青い瞳を伏せる。長いまつ毛が頬に影を作りだす。

「俺達はさ、極論いつ死んでもいつ殺されてもおかしくない生活をしてるだろ。そんな男と付き合わされる方が、よっぽど可哀想だぞ、と。」
「……」
「なんだよその顔」

 意外だった。てっきり相手のことを考えずに遊び回っているものだと思っていた。いや、相手の気持ちについては考えていないようなものなので褒められたものではないけれど。
 他人事では無い物の言い方に少し気持が沈んだ。つまり、レノが言っているのは私達タークスに真っ当な恋愛をする資格がないということだ。なんかさみしいね、と本心を口にするとレノは笑った。

「さみしいも何もなまえはそんな恋愛してないだろ」
「ねえ…こっちは心配してあげてるんですけど…」

 笑うレノを目の前にちょっとでもセンチな気持ちになった自分がばかばかしくなった。何か言い返したいのに、頭がうまく回らない。ワインボトルは2本目が空になろうとしていた。そりゃ頭も回らない訳だ。

「だから1、2回付き合うぐらいがちょうどいいんだよ。」

「そんなこと言いながら、毎月毎月私のこと誘うよね。私のこと、よっぽど好きなんでしょ?」

 回らない頭で絞り出した言葉は稚拙で、声に出しながら笑ってしまった。深い意味はなかった。今日の飲み会も、同僚としての付き合いだと思っていたから。ワイングラス越しにレノの青い瞳を覗き込む。
 バカ言うなと声を上げて笑うのか、はたまたふざける私の鼻っ面をまた摘むのか、反応を待つ私の顔を、至極真面目な表情で黙って見つめ返してきた。

流れる沈黙。

 店の中は酩酊した客達の喧騒で満ちているのに、私たちのテーブルは異様な静かさに包まれた。

「な、何か言ってよ…」

 妙な緊張感で張り付きそうな喉から言葉を絞り出す。
何か言ってくれないと、まるで、本当にレノが私のことを。
 頭がぐらぐらする。アルコールのせい?違う。目の前で黙っているこの男のせいだ。

「ねえ…酔ってるんでしょ?」

この沈黙から解放されたくて、魔法の言葉を口にする。平常を装って口に出したつもりだったけれど、言葉が微かに震えを伴った。酔ってると言ってくれれば、いつもみたいにお酒のせいに出来るから。それなのにレノは首を縦に振らない。

「もうやめようぜ、それ」

 そう言って私が覗き込んでいたガラスを握る手を、レノの骨張った大きな手が掴んで押し退ける。視線を遮る物がなくなって、丸裸にされた様な心地になった。視線が交錯する。あまりに真剣な顔をするもんだから、ふざけて突っ返すことなんて出来なかった。

「…さっきまで嬉しそうに電話番号しまってたじゃん…」
「言ったろ、真剣になったらその女が可哀想だって。だから我慢してたんだぞ、と。それなのに…」

青い瞳に見つめられて、その瞳から逃げ出したいのに目が離せない。早鐘を打つ心臓が送り出す血流によって、ぐらぐらと私の視界が揺れる。レノに掴まれたグラスを握る手から、じっとりと汗が滲み出るのを感じる。
「ありえない…」今日3度目の言葉はレノに向けてのものではなく、存外に動揺している私に対しての言葉だった。もう戻れない、お酒のせいにできない。

「お前が、焚き付けたんだぞ、と」

レノの、私の手を握る力がぎゅっと強まる。アルコールのせいではない、胸の奥でちりつく熱が答えだという事にはもう気がついていた。

「…いついなくなるか分からない男と付き合わされる、可哀想な女になれってこと?」
「…善処はする」

なにそれ、と思わず笑いが溢れた。

「私は可哀想な女にはならないよ、レノ。同じタークスとして、全部覚悟の上で、付き合うんだから」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのは、この時のレノの表情を指すのだろう。私だってやられてばかりではない。やっぱりお前、サイコー。と握っていた私の手の甲にキスを落とす。

「言質、取ったからな」
「そっちこそ。明日になってお酒のせいにしないでよね」

 そんなことしねえよ、と言いながら私の鼻っ面ではなく頬を撫でる。レノが触れた手の甲が、頬が熱を持つ。ほんと、ありえない。こうもドキドキするなんて。
 
 もう一度グラスに注いだワインで互いに乾杯をする。
私たちの新しい関係の始まりの音が、未だ騒がしい店内に鳴り響いた。



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