恋愛境界線

 
 貸切状態の更衣室で、胸元に修理課の3文字が刺繍された可愛げのないグレーの作業着に袖を通す。この作業着に身を包むたび、私はこれをデザインした奴に文句を言ってやりたくなる。あまりにもダサい、と。恐らく、女性が着用することを想定されず無骨なデザインがなされてしまったのだろう。
 立て付けの悪くなったドア、調子の悪いPC、トイレの水漏れ、エトセトラ。社内の備品のメンテナンス全般を担う修理課に私は唯一の女性課員として所属していた。仲の良い同期達が受付や秘書課など華やかな部署に配属される中、地味な部署に配属されたと当初は嘆いていたが、細かい作業が好きな私は存外この修理課での仕事が気に入ってしまった。適材適所というものを熟知している人事部の手腕に、自分のことながら感心したことをよく覚えている。

 今日も今日とて社内の要請に応じ修理現場へと向かっているのだけれど、その場所に赴くのはもう何度目になるか……。両手では数え切れない回数になる、ということだけは確かだった。業務の特性上、全館通行の権限が付与されたIDカードをエレベーターのコントロールパネルにあてがえば、ピピ、というという心地よい音と共に扉が開かれる。修理機材が入った手押しカートと共に乗り込むとエレベーターはゆっくりと降下を始めた。
 時々、いや、常々この会社のセキュリティに疑問を感じている。一端のヒラ社員にこんなにも高度なセキュリティレベルの権限を付与して良いものなのか、と。私個人としては毎日社内のてっぺんから地下まで行ったり来たりする必要があるから、とてもありがたいことだけれど。
 そんな事に思いを巡らせている間にチン!というベルの音が鳴り響く。使用したカードを胸に下げたIDケースに大切にしまいながら、到着した地下階へと降り立った。

 



「よぉ、なまえ。まーたこんな陰気な事務所までお疲れさんっと」
「レノ、お疲れ様。まーたなんか壊したの?」

 そう。ここ総務部調査課の事務所はしょっちゅうものが壊れる。椅子、ドア、パソコン……原因は、地上階で仕事をする社員とは全く異なる派手な様相の、目の前のこの男のせいであることが殆どだった。叩けば直るという謎理論でパソコンをぶっ叩いたり、イラついたからという理由で椅子を蹴っ飛ばして破壊したり、とにかく笑えるほどめちゃくちゃなのだ。会社の暗部を司るタークスに所属をしている彼の抱える、想像もし難い責務がそうさせるのか。……いや、多少それが起因していたとしてもあとは当人の性質がそうさせるのだろう。呆れながらも、彼らの苦労を思えば不思議とそれを強く咎める気持ちは湧かなかった。
 そんなレノに疑いの眼差しを向ければ、少年のように悪戯な笑みを浮かべて首を横に振る。

「今回は俺じゃねぇよ。隣に座ってるルードがパソコンクラッシュさせたんだよ」
「一応、いつも壊してる自覚はあるんだね」

 うるせえ、と私の軽口に応えながらレノの立てた親指が示す先で、ルードさんが居辛そうに自身のかけているサングラスを指で押し上げる素振りを見せる。

「……すまない」
「気にしないでください!わざとじゃ無いって分かってます」
「おい、差別すんな」
「レノはイライラしてパソコンぶっ叩いたりするから壊れるんでしょ!」

 噛みついてくるレノをあしらいながら画面が真っ暗に消えたルードさんのパソコンをチェックする。モニターと繋がれているコードの動線が剥き出しになってしまっていたので、恐らく原因は部品の経年劣化だろう。システム異常でも無さそうなので私で対処できる案件だ。故障の原因を告げればルードさんは「そうか、頼んだ」と少し安心した様子で書類作成の業務に戻った。今日は修理依頼があちこちの階で殺到しているので、さっさと交換作業を終わらせて次の現場に向かわなくては。依頼に合わせて修理部材を詰め込んだカートをパソコンの側まで寄せる。

「えーと。コードコード……」
「なあ、今日なんか化粧違くね?いつもより気合い入ってる感じする」

 ガチャガチャとカートの中を漁っているとデスクで作業をしていたレノは回転椅子の向きをくるりと変えて業務とは全く関係のない話を振ってくる。そんなレノの行動にはもう慣れっこだった。始めこそ、この薄暗い事務所の雰囲気と、ここにいるタークスという肩書きを持つ面々にビビりながら修理作業を行なっていたが、このレノという男はそんな私の心境などお構いなしに当初からこの調子で気さくに絡んできた。真面目に仕事しろ、と思いながらも存外彼と無駄話に話を咲かせることは私の楽しみで、忙しい業務の息抜きとなっていた。

「正解!よく分かったね? 流石、モテる男は違いますなぁ」
「タークスの洞察力舐めんな。んで? その地味ぃな制服と不釣り合いなキラキラの化粧でどこいくんだよ、と。」
「ふふ、気になる?」

 レノも私と同じようにこの制服をダサいと認識していることが言葉の端々に表れていて少し笑えた。埃の被った配線を撤去しながら勿体ぶるようにうーんとねえ、と一呼吸置いてレノの問いに答える。

「仕事終わった後、デートなんだ」

 そう言えばレノはデート!?と素っ頓狂な声をあげたかと思うと、聞いていない、と少しばかり不機嫌そうに眉をしかめて私をじっとりと睨む。そうそう、そう言う反応が見たかったの。レノのリアクションにしてやったりとほくそ笑みながら新しいコードで配線を繋ぎ直す。

「ごめんごめん。ビックリさせたくてちょっと話盛っちゃった。デートというより、ただご飯に行くだけだよ」
「そういうの一般的にデートっていうんだよ。どこの、誰だよそいつ」
 
 組んだ膝の上で片肘を付いて、不貞腐れた様子で私の作業を見守るレノ。面白がって話に食いついてくれると思っていたのに、少し意外な反応だ。心配してくれているようにも思えて、ちょっぴり嬉しくて口角が持ち上がってしまうのを堪えて、今朝の記憶を手繰り寄せながらレノを揶揄う。

「やきもち?」
「可愛い可愛いなまえちゃんが悪い男に騙されないか心配してるんだよ」
「ふふ、なに言ってんの。えっとね……朝いつも裏口の自販機でコーヒー買って飲んでるんだけど、そこで一服してた人が声かけてくれたの。多分、社内の人。」
「多分?」
「名前も所属も聞いてなくて……でも朝にあんなところにいるんだから社内の人か」

 今朝1人ベンチでくつろぐ私に気さくに話しかけて来た彼は、そのほんの短い時間で一体私の何を気に入ってくれたのか、ものすごく熱心にお誘いしてくるもんだから勢いに負けてその誘いに思わず応じてしまった。その彼がタイプだった訳でもないし、初対面だからちょっと迷ったけどね、と事の顛末をつらつらと伝える。黙って私の話を聞いていたレノは何か思案するように眉間に皺を寄せて瞳を伏せたかと思うと、唐突に私の額に人差し指を突き付けた。

「イタッ!」
「……お前まじで男運ないんだからそういう素性の知らないヤツはやめておけよ、と。この間の合コンだって全員既婚者だっただろ」
「ちょっと、その話掘り返すの禁止したよね?」
「知るか。とにかく、俺の勘がヤバいっつってる。よく考えろ」

 妙に真剣に、なんともスピリチュアルなことを言うもんだから思わず笑ってしまった。でも意外とこういう時のレノの勘はよく当たる。実際、この間の黒歴史合コンの時も実際レノは忠告してくれていたのだ。でももう約束してしまっていたし、今更ドタキャンする訳にもいかない。
 
「一応……ちゃんと考えてるよ。でもさあ、この作業服の私に声掛けてくれたんだよ?このだっさい作業服の私に!なんか天啓とも思えて。食事ぐらいならと思ってオッケーしちゃった」

 そんな私の話を聞いて些か不機嫌そうに、そんなわけわかんねぇ奴より俺の方がまだマシだろ、とも付け加えられた言葉にどきりと心臓が震える心地がしたけれど、へらへら笑って平然を装う。
 こんなこと口に出来ないけれど、昨日今日出会った男より、レノの方がずっといいに決まっている。ルックスが良くて、少し意地悪だけど親しみやすさやがあって、タークスというミステリアスとも言える一面を持つ彼は、神羅の女性社員から本当に人気があって、モテるのだ。受付や秘書課の同期も、業務上レノと関わりの多い私を「羨ましい」と言うけれど、華も可愛げもないこの泥臭い仕事をしている私に勝機があるとは思えず。下手に踏み込んでこの関係を失うより、このふざけ合って話が出来る関係をずっと続けたいと思っていた。

 レノは何か言いたげな様子だったけれど「気を付けろよ」とひとこと言い残してルードさんと同じようにデスクの書類と向き合い始めた。気を付けろ、なんて戦地に赴くわけでもあるまいし、大袈裟だなあと笑う。レノの不自然な様子に僅かに疑問を感じながらルードさんのパソコンの電源を入れ直す。画面にパッと神羅カンパニーのロゴと共に起動画面が映し出される。修理完了、だ。

「ルードさん、終わりました。また何か不具合が出れば連絡してくださいね」
「助かった。感謝する」

 言葉は少なげに、けれどサングラスの奥で表情がやわらぐのがわかって嬉しさが胸に込み上げる。やっぱり修理課の仕事が好きだとこういう時にしみじみと感じる。
 カートに作業道具を積み直して「失礼しましたー」と総務部の扉をくぐれば、レノがヒラヒラと後ろ手を振っているのが見えた。いつもと変わらない見送りにほっと胸を撫で下ろす。やっぱりさっきの違和感は勘違いだったのかな。見えていないだろうけれど、私も小さく手を振って次の現場へと向かった。







 総務部、トレーニングルーム、展示室と予定の作業を終えたところで1階の受付から急ぎの依頼が入る。約束もあるので急いでそこへ向かえば受付カウンターで同期がキラキラの笑顔で私を手招くのが見えた。神羅の華の笑顔は沁みるな、なんて我ながらおっさんみたいなことを考えながら同期にひらひらと手を振る。

「なまえー!おつおつ!」
「お疲れ。なんか久しぶりだね」
「ね。会いたくて早く備品壊れろー!って思ってたよ」
 
 遅くにごめんね、と向けられるチャーミングな笑顔に女の私も思わずドキドキしてしまう。やっぱり、彼女達と同じ土俵で戦うなんて、えらくおこがましいことだと改めて身を持って感じる。修理の依頼はまたもやブラックアウトしたパソコンで、先ほどと同じく原因は部品の劣化だった。会社中同じタイミングでガタが来ているのだろうか、同じような依頼で忙しくなりそうな予感がして小さくため息をついた。まあ、暇を持て余すよりずっとマシだけど。

 新しく始まったランチメニューの話や、口うるさい上司の愚痴、他愛のない話をしながら作業をする中で「そういえば」と同期が思い出したように携帯端末をいじり始める。端末を触るつやつやの爪先に目を奪われていると、社内で配信されたと思われる連絡文のデータをひとつ開いて見せてくれた。

「これ見た?今日のお昼に配信されてたやつ」
「全然見てない。メールチェックする時間なくてさ」

 『注意喚起』の表題とともにつらつらと書き綴られているのは社内への不審なメール、電話、不法侵入者が増加している、という内容だった。その理由もしっかり明記されていて、最近活発に活動をしているアバランチに触発された、反神羅組織の仕業とのことだった。うんざりした様子で同期は端末をデスクに放り投げる。

「最近さー、爆破予告とか社長に対する殺害予告の電話やらメールばっかりで……。不審者も何回かエントランスに侵入しちゃって、その都度警備兵に対応してもらってるんだけど異常な数なんだよね」

 そう溢す同期の視線を辿れば、確かに、いつもよりも重装備をした警備兵が出入りする人の流れに目を光らせていた。

「大丈夫?ここ、誰でも入ってきちゃうから危ないよね……」
「まあ受付だからね、元々変なのはたまに来るんだけど……嫌になっちゃうよね。なまえも気を付けなよ」
「私は……へーき。社外の人なんて滅多に会わないしね」

 それより気をつけるのはそっちよ、と同期の肩を叩いた。理解はしていたけれど、改めて自身が一部の人々に恨みを買われる企業に身を置いているのだと認識をさせられた。幸い、電話も取らず会社の中をグルグル回っているだけの私には縁遠い内容ではあったけれど、連絡文の内容を心に刻む。

「本当に気をつけてね。んもー、もっと警備の人数増やしてくれてもいいのに!心配だよ私は」
「ふふ、ありがとうなまえ。お互い気をつけようね。……っと、作業の邪魔してごめん。続き、よろしくね」
 
 チカチカと光を放ちながら、推測ったかのようなタイミングで受付の内線が鳴り響き、同期も自身の仕事に戻る。彼女とのおしゃべりに名残惜しさを感じながらも、残るところ僅かな作業に取り掛かった。





 それから小一時間。作業が終わりを迎える頃にちょうど社内の終業アナウンスが鳴り響いた。エントランスにオレンジ色の夕日が差し込み、タイルに反射した光に思わず目を細める。定時だ。そして、彼との約束の時間が近付いていた。定時前に私に一度連絡を入れると話をしていたけれど、チラリとポケットに入った端末の画面を確認しても通知は0件だった。すっぽかされたのだろうか。私の男運の悪さを考えれば、十分あり得るから笑える。いや、実際笑えないけれど。
 正面口からチラホラと帰路に着く社員の後姿を見送りながらガチャガチャとカートに作業道具を積み込んでいると、同期が私の肩を叩いた。

「ねえねえ、言いそびれたけど今日のメイク可愛いね。デート?」
「やば、そんなに化粧濃いかな?」

 さっきも化粧のこと下で言われたんだよね、といえば名前を出していないのに「レノに?」とその人物をぴたりと当てて来たものだから思わず大きな声を出してしまった。どうして分かるのか。驚いて同期を見つめればケラケラと声を出して笑った。

「なまえが下階で仲良い人なんて、それぐらいしかいないでしょうに」
「仲良く……見える?」
「なまえが思ってる以上に、ね。レノ、デートなんて聞いたら妬いてたんじゃない?」
「いやいやそれはない、絶対にない。この私だよ?」

 わざとらしく私が世界一ダサいと感じている胸元の刺繍を見せながら、作業で埃だらけになった姿をくるりと一回転して披露すればまたケラケラと笑った。

「結構噂になってるよ、難攻不落のタークスレノを絆す修理課の女ってね」
「んもー……なにそれ。あんまり揶揄わないでよね。そんなんじゃないし、レノに失礼だよ……」

「誰に、失礼だって?」
「わ!!」

 突如、話題にしていた主の声が後ろから聞こえて来たものだから、また大きな声を出してしまった。同期と目を合わせれば申し訳なさげに眉尻を下げながら、ご・め・ん!と声を出さずにパクパクと口を動かしていた。聞かれてたかな。そうだとしたらとても気まずい。こういう時に取れる行動はひとつ。シラを切る、だ。

 あれこれ言い訳を考えつつ、覚悟を決めて声のする方向へと振り返る。いつものようにニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべて佇んでいる彼を心のどこかで想像していたのに、その姿を私の瞳が捉えた瞬間、ずきん、と大きく心臓が動悸を打った。その場に佇むレノのいつも綺麗な真っ白のシャツが、彼の髪色と同じ赤色で染まっている。不意に冷水を浴びたように、心臓が震える心地がした。

「れ、レノ……どうしたのそれ、怪我したの……?」
「俺のじゃねぇよ」
「そういう問題じゃなくて……!」
「後で話す。とりあえずそれ寄越せ、IDカード」

 ぶっきらぼうに震え声の私の問いに答えたかと思うと、私の首にかかっていたIDケースを半ば強制的に没収して自身のポケットに捩じ込む。唐突すぎる展開に、頭が付いて行かない。ただ、いつもよりピリピリとした様子のレノの言葉に従うほか選択肢はなかった。どこかに電話をして「回収しました」となにか報告をするレノの隣で、ただただ黙って突っ立っていることしかできない。流石に、何かトラブルが私の周りで起きている、ということだけは辛うじて理解できた。
 ぱちり、と閉じた端末をポケットに突っ込めば次は同期に向かってあれこれ指示を始める。

「なあ、こいつのタイムカード修理課に連絡して切っておいてくんね?」
「え、うん、了解。連絡しておくね。」
「サンキュ。帰る準備しろ、なまえ」
「え!?」
「裏口で待ってる」

 勝手に外出るなよと言い残して、赤い尾っぽを左右に揺らしながら嵐のようにこの場を去っていこうとする背中に慌てて声を掛ける。

「ね、ねえ。ちょっとは説明してよ。さっき話したけどこの後私予定もあるし……」
「もうそいつは来ない」
「……へ?」

 冗談でしょ?と喉まででかかった言葉を飲み込んだ。振り返って私を見つめる目があまりにも真剣な色をしていたから。血濡れたシャツとレノの態度で流石の私もうっすらと勘付く。約束をしていた彼と、レノの間で"なにか"が起こったことを。黙って頷けば、今度こそレノは裏口へと向かって行った。

「なんなの一体……」

 背中を見送りながら思わず溢れた独り言はまだ震えを伴っていて。聞きたい事はまだ山ほどあったのに、いつも通りに声をかけることが出来なかった。
 とりあえず、このままレノを待たせておくことも出来ないので、言われるがままに帰り支度をして、裏口で待つというレノの元に向かう。夏でもないのに、嫌な汗が背中をじっとりと濡らしていた。







 裏口を出れば、空はいつの間にか優しい黄金色から血を塗り込めたような真っ赤な色へと表情を変えていた。落ち合ったレノはいつもと同じ綺麗な白いシャツに着替えていて、人通りの少ない小道を選んで「行くぞ」と言葉少なげに私の前を歩き出す。
 黙ってレノの後ろを着いて歩きながら、頭の中は赤く染まったシャツのことでいっぱいだった。いつもふざけて話をしているレノが、違う世界で生きているという事実を嫌でも意識させられる。分かっていたつもりなのに、いざ暴力的な痕跡を目の当たりにして動揺している自分がいた。無意識のうちに握りしめた拳に力が籠る。
 何か、しゃべらないと。顔を上げれば真っ赤な空の色とレノの髪色が溶け込んで、境界が曖昧になっているように見えて。そのままレノがどこか消えて、遠くの存在になってしまうような気がして、出来るだけいつもの調子を装ってレノの隣に駆け寄って声を掛ける。

「送ってくれるの?」
「ああ、ただ今日は自宅には帰るな。七番街の社宅に泊まれ」

 家に帰れないということがわかり、いよいよ本当に大変なことに巻き込まれているということを自覚する。何かから、私のことを守るためにこうして送ってくれている。事実を確認するのが怖くてなかなか口に出来なかったけれど、核心を突くつもりで心に留めていたことをレノにぶつける。

「私が約束してた人、もしかして連絡文に載ってた反神羅組織の人だったの?」
「……全館通行の修理課IDの話がどっかから漏れたらしくてな。お前が目ぇ付けられたって訳」

 制服の胸元に自己紹介が書かれてるせいでな、と付け加えるレノ。バラバラだったパズルのピースが埋まるように、全ての出来事が繋がっていく。だからあの男はあの短い時間で私をあんなにも熱心に誘ってきたんだ。確かに、会社の裏口なら警備も薄くて外部の人間でも出入りができる。目的は私との仲を深めることなんかじゃなくて私のIDカードで、待ち合わせて私から奪い取ろうとしていたんだ……。
 ここまでくるともう男運が悪いとかそう言う次元の話ではなくて、自然と乾いた笑いが漏れた。

「はは…やっこさんににモテモテだね、私。もうオフの日も修理課の作業着でお出掛けしようかな」
「……おい」

 いつものようにへらへらと冗談を口にすれば、隣を歩くレノは突然こちらを向いて私の両肩を掴んだ。驚いてその顔を見上げれば、刺し貫くほどの鋭い眼差しが私を捕らえる。翡翠の瞳の奥に潜んでいる怒りにも似たものを感じ取って、思わず息を呑む。レノの剣幕に縛られたようになって、体が強張って動かない。

「意味わかってんのか?お前番号教えただろ?名前も、住所も、全部ヤツらに割れてんだよ」
「刃物だって隠し持ってた。下手すりゃ今日、お前」

 殺されてたぞ、と続けられた言葉は聞いたこともないほど弱々しく、レノの唇から溢れる。あまりにも真剣な眼差しに、死、という非現実的な言葉が、掴まれた肩の痛みと共に強い現実感となって襲い掛かる。軽率な発言だった。もしあの話をしていなかったら、話したとしてもレノが気付いてくれなかったら、私は今こうやって、帰路に着くことも出来なかったのかもしれない。

「ご、ごめ……」

 ごめんなさいと謝りたいのに、時間差でじわじわと湧き上がって来た恐怖で唇が震えて上手く言葉にできない。どくどくと早鐘を打ち始める心臓のせいで眩暈がして、足が震えて、その場に思わず座り込んでしまいそうになる。そんな私の様子の変化に気付いたのか、悪い、と強く掴んでいた肩をそっと手離す。
 一回座れ、と道端のガードレールに腰掛けるレノ。言われるがままに腰掛ければ、力の入れ方がわからなくなってしまった足が少し楽になる。

「……悪かった、怖がらせるつもりじゃなかった。」
「ううん……ふざけて、ごめん」
「……今日はたまたま俺が対処出来た。でももし、そうじゃなかったと思うと」

 そこまで言葉にして押し黙る。続きを口にしなくたって、どこか怯えを含んで揺れる瞳を見れば、私のことを案じていてくれていることが痛いほどに伝わってくる。

「だから気を付けろ。お前とはいつでも一緒にいてやれるわけじゃないんだから」

 生きる世界も違う、住むところも違う、恋人でもなくて、ただ仕事で顔を合わせれば言葉を交わす関係。友人とも同僚とも名前を付けられない関係の私達にとって、一緒にいられないというレノの言葉は至極真っ当で当たり前のものであるはずなのに、明確に私達の間に線を引かれたような気がして、鼻の奥がツンと痛んで、こみ上がりそうになる何かを唇をかみしめて堪えた。どうしてこんなにショックを受けているんだろう、なんて。答えはとっくに分かっていた。きっと今、私はひどい顔をしている。バレないように、ガードレールから放り出してぷらぷらと遊ばせる足先を見つめれば、それがじわりと滲んだ。

 ガードレールから腰を上げて「歩けるか?」と私の手を取ろうとして、レノはその手を引っ込めた。不意に、私の両頬が熱いものに挟まれて「ひゃ、」とおかしな声が漏れる。突然レノの長い睫毛が、翡翠の瞳が、整った綺麗な顔が視界にが飛び込んで来て、彼の両手が私の頬を包み込んだことを理解した。近い、近すぎる。やっと落ち着きを取り戻した心臓がまたせわしなく動き始める。

「おい。今は俺がいるんだからそんな不安そうな顔すんな。ちゃんと守ってやるよ、と。」
「ふ、不安になんて思ってないよ」

 レノ以上に頼もしいボディガードが神羅にいるだろうか。あとは伝説のソルジャー様ぐらいしか頭に浮かばない。「じゃあ」と不服そうに私の瞳を奥を探るように、じり、と額を寄せるレノ。

「なんでそんな顔してるんだよ」
「そ……れは……」

 今まで通りレノとふざけて話ができればそれで満足だったはずなのに、私達の間に引かれた境界線にひどくショックを受けている私がいて。何もかも見透かされそうな眼差しに、いっそ暴いて欲しいとも思ってしまった。私たちの関係に、住む世界が違っていたとしても隣で生きる事が許される名前が欲しいと、私が望んでしまったことを。

「……レノの特別になれたら、ずっとそばにいてくれるの?」

 この境界を越えてはいけないと思いながら、目の前の男に上っ面の嘘なんて通じるわけもなく、今私が伝えられる精一杯を言葉にする。敵に狙われて、せっかく送ってくれているレノになんて話をしているんだという自覚はあったけれど、気付いてしまった感情を言葉にする事を止められなかった。
 私の瞳を覗き込みながら、頬を包むレノの親指が乱暴に私の目頭をぐいと拭う。滲む視界がクリアになったかと思えば、今度は真っ暗に視界が塞がって、香水とタバコの香りが鼻を打ち胸に迫った。いつも仄かに感じていたレノの香りが色濃く感じられて、レノの腕の中に閉じ込められた事が分かった。頬を包んでいた手が私の後頭部を掴んで、硬い胸元に強く押しつけられるように抱き締められる。バランスを崩してガードレールから降り立って、もたれ掛かるようにレノに自重を預ける。望んでいた温もりに、自分の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと心配になる程、激しく鼓動を打っている。

「ずりーよ、お前。ずっと俺から逃げてたくせに、突然そうやって踏み込んで来て」

 押し当てられた胸の奥からは私と同じように鼓動を速める心音がして、自惚でなければレノも私と同じ気持ちでいてくれているような気がして。それを確かめるためにレノを見上げれば、同じようにレノもまた腕の中の私を見下ろしていた。一時前と違って、その瞳の中に潜んでいるのは怒りでも、怯えでもなくて、熱だった。予感が確信に変わって、急に恥ずかしさで体が火照る心地がして、レノの胸板を両手で軽く押し返した。

「そ、そういう訳だから……」
「どういう訳だよ。逃げんな」

 胸板を押す手を握られて、いよいよ覚悟する。レノの瞳に映る私の像がどんどん近づいて来て思わずぎゅっと目蓋を閉じれば、私の予想をしていた場所ではなく、額にちゅ、と音を立ててキスがひとつ落とされた。暫くして離れていく熱を追うように閉じた目蓋をゆっくり持ち上げれば、私の反応を愉しげに見守り、悪戯な笑みを浮かべるレノがいた。

「……意外と紳士だね」

 嬉しい、とか恥ずかしい、とか様々な感情が胸に込み上げる中で、結局いつものように私の口から出るのは照れ隠し代わりの軽口だった。

「紳士?楽しみは後にとっておくタイプなんだよ、と。俺は」
 
 そう言って私の肩にかかった髪をひと掬いして、口付ける。口付けながら私を覗き込むその目は、今まで向けられたことのない情欲の色を湛えていて、思わず息を呑んだ。本当に、ひとつ境界線を超えてしまったんだと、眼前で楽しげに細められる目を見つめながら実感した。

 掬った髪の毛を手放して「そろそろ行くぞ」とレノは帰路をたどり始める。進路が七番街から総務課の社宅のある五番街へと変わった理由を聞くのは少し野暮な気がして、口元が緩むのを堪えながら黙って後ろを着いて歩いた。





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