彼女の提案 W


 王立魔法音楽院の入学試験、二次審査…
 実技試験の日程は、今日を入れれば丁度十日後となっている。

 蒸気機関車などの交通機関は使わず、音楽院のある街カンタービレに向かう。その間、アリシアにはギルバートと行動をともにして欲しい…イーディスの「お願い」とは、つまりこういうことだった。

「えと…、私は、構わないのですが…」

 領主の頼みに、旅人はおずおずと頷いて花飾りを揺らす。
 しかし表情はどこか優れず、むしろ、本当にいいのかな、といった様子だ。そしてその視線は、険しい顔で鍵盤を静かに見つめている領主の息子に送られていた。

 イーディスは頷き、アリシアの肩にそっと手を置くと、彼女の元を離れそのまま息子の方へ歩いていく。思えば、こうやってギルバートと向かい合ったのはいつ以来だろう…彼女は、ぼんやりとそんなことを思った。

「あのね、ギルバート…」

 少しだけこちらに視線を寄越したギルバートを見て、イーディスはゆっくりと、そして自分にも言い聞かせるように言葉を口にする。

「私は考えなしに、アリシアちゃんまで巻き込んでこんなことを言っている訳じゃないの」

 彼女は書庫に置いてあるグランドピアノを見ていた。
 少し埃を被った、古びた窓枠を見ていた。
 そして、本棚に詰まったたくさんの楽譜を見ていた。

「貴方の、お父さん…
あの人がいなくなってから…。貴方はすっかり変わったわ。自分の殻に閉じこもって、音楽だけを奏でて、書庫から出なくなってしまった…」
「………」

 イーディスの言葉は、誰も責めてはいなかったし、ひどく悲しんでいる様子もなかった。ただ、過去をなぞるようで少し寂しそうだと、アリシアは思った。
 ギルバートも、いつの間にかしっかりと顔を上げ、母親を見つめている。

「ここに勤めてくれている人たち、リリアンナ……もちろん私だって。貴方のこと、どれだけ心配したと思っているの…?」

 彼女の声音で、アリシアはやっと理解した。

 息子の話をするときのイーディスの様子、使用人たちの振る舞い。…それは、いったいどうしたらいいのか、困り切っているだけではなかった。
 彼を心配していたのだ。
 ピアノの音色だけを生きている証のように響かせ、薄暗いこの書庫から出てくることがなくなってしまった彼を…。

「………母様」

 ギルバートは小さく呟くと、再び顔を伏せてしまった。
 母親の言葉に唇を噛んでいるのが分かった。
 イーディスはギルバートの肩に両手を置くと、また明るく笑いかけてみせる。



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