「私、シャルルカンが好き」 「…参った、お前には適わねえな」 「え、それって」 「俺もお前が好きだ」 柔らかな日が差し込む部屋の中、日光に反射してキラキラ輝く銀糸を持て余すようにして向かいに立つシャルルカンが、少し照れたように表情を崩した。私はと言えば勿論じわじわと込み上げてきた幸福感と格闘しつつも、口角が上がるのを防げないでいる。 こんな、こんな幸せな瞬間があっていいのだろうか。 なんといっても私はシャルルカンを好きになってから、二度告白して二度玉砕したのだ。でも諦めずにシャルルカンに好かれるように努力して、今日遂に両想いになることができて。これこそ三度目の正直だ、と自分で自分が誇らしくなった。 傍目から見ても舞い上がりそうになっているであろう私の様子を、正面から嬉しそうに見てくれるシャルルカンが何より愛しい。ああ、きっと今が一番幸せな瞬間だ。それが嘘偽りのない気持ちだった。 火照る頬を両手で押さえて叫びたい衝動を必死で押し込めていると、不意に今まで一定の距離を保っていたシャルルカンがそれを一気に縮めてくる。それを拒否する馬鹿はこの世にはいない訳で、無論私も例外ではなくて、彼の長い腕が私へと伸びて来ることに何より喜びを感じた。されるがままにすれば、あっという間に私の体はシャルルカンの腕の中だ。暖かい、暖かくて泣きそうだ。 「シャル」 「…なあ、」 「うん?」 「遅くなったけど、さあ」 密着している所為で彼がごくりと生唾を飲み込んだのが聴覚的に感じ取れた。今、私とシャルルカンの距離は皆無に等しいくらいのものだと、そう考えると体の芯がぶるりと震える。幸せ過ぎて吐き気がしてきた。 「お前が一番良い女だって、気付くの遅くて悪かった」 「ううん、」 「これからは絶対大切にするから」 「うん」 「俺と、付き合って欲しい」 「うん、それは無理」 「………は?」 三秒間だけ、時が止まる。正確に言うと時が止まったかのように無音になる、というのが正しいのだけれど、兎に角そんな風に感じた。 思わずといった様子でシャルルカンが私の肩を両手でぐいと押したので、必然的に私達は向かい合う形になる。シャルルカンの目が、自分が状況を把握出来ていないこと、そして私の言葉が意味不明だと言う事を痛いくらいに訴えていた。ぞくぞくと、背筋に電流が走ったのは勿論私の方だ。 「いま、なんつった…?」 「聞こえなかった?」 「いや、でも、聞き間違いか?」 「ん?私は、シャルルカンとは付き合えません、って言ったよ」 ゆっくり、小さな子供に言い聞かせるように口内で言葉を咀嚼しながらそう言うと、彼の顔が訝しげに歪んだ。ふふふ、なんて笑みがつい漏れてしまわないように、再び口角を必死に下げる努力をする。 私が冗談で言っているのではないと察したらしいシャルルカンの表情は擬音を付けるとまさしく「ポカン」という感じで、それが面白くてくすぐったくて思わず右頬を押さえた。 「え、どういう事だ…?」 「どういう何も、こういう事」 「冗談だったら今すぐ止めろよ」 「冗談なんか言わないよ」 この状況で言える訳ないでしょう?肩を竦めてそう続けると、シャルルカンは本気で信じ難いといったように私の両肩をがしっと掴んできた。目を覚ませとでも言いたいのだろうか、それとも頭が可笑しくなったと思われたか。 「お前、どうかしたのか?」 どうやら後者だったようで、シャルルカンに力強く掴んだ私の肩を揺するわけでもなく、ただ心配そうに真剣な眼差しで顔を覗き込まれる。安心させようと最高の笑顔で微笑んでみるものの、それは逆効果だったらしく彼の眉間のシワが更に深くなっただけだった。ああ、素敵すぎてどうにかなりそうだ。こうも物事が上手くいくと、もはや後が恐ろしい。 「どうもしない、大丈夫」 「じゃあ、今の今までのお前は何だったんだよ」 「え、私だよ?」 「そうじゃなくて!お前、さっきまで散々俺の事好きだって言ってただろ!」 焦ったように、困ったように、シャルルカンの美しい褐色をした表情は忙しなく動いていく。キラキラキラキラ、わざとらしく視界の真ん中で揺れる金色が何だかとても神々しく感じられた。その所為か分からないけれど、鼓動が私の中を走り抜けていくのがヤケにリアルに感じ取れた。 「俺の事好きって言ってたのは、嘘だったのか!?」 「まさか!それは違うよ」 本当にそれだけは違う。私は確かにシャルルカンを愛している。いや、正しくは愛していたし、今もまだギリギリ愛している、といった所か。 兎に角そこだけは誤解して欲しくなくて勢い良く首を横に振ると、彼は只でさえ垂れた目尻をもっともっと下げた。困った顔が愛らしい、なんて言ったら流石に怒られるだろうか。 「ほんとに、ほんとに、違うの」 「じゃあ何でだよ!」 「何でって、だって…」 「だって…?」 「手に入ってしまったんだもの」 本音を吐き出すと、シャルルカンは更に意味が分からない事の意思表示としてのハア?という短い声を呈した。肩は依然解放される事のないままで、じんじんと彼の掌の熱が私の皮膚に染みて内部に入り込んでくる。妙な感覚だ。何だかほんとうに胸の辺りが熱くなるような。それでも私は、シャルルカンという人物とこれから真摯に甘い感情を絡ませ合う事はないのだろう。何となく考えた。 「好きって言われるのは、有り難い」 言い切ってそれから真っ直ぐ相手を見詰める。小さく息を吸った。 でも私は何故か、手に入ると一気に冷めちゃう人種みたい。好きだ好きだって感情が高ぶってる間は本当にクラクラするくらい好きで熱いのに、相手の気持ちが手に入った瞬間から、じわじわ好きが引いていくの。それでまた、次、次ってね。好きになって冷めての繰り返し。自分でも最後に残る物が全くない、非生産的なのは分かってるし止めたいんだけど。でもこれが私の大元の哲学みたい、だから。 小さく息を吐いた。シャルルカンは藁半紙を丸めたみたいに顔を歪めていて、無性にありがとうと言いたくなる。 「じゃあ、もし俺がお前を好きにならなかったらずっと…」 「うん。私はずっとシャルが好きだったろうね」 「…悪い」 「なんで謝るの?」 「本当に、ごめんな」 さっきまでとは逆転して、今度は私が焦る番だった。私の肩を掴んだまま無言で、見てるこっちが痛いくらい申し訳なさそうに頭を下げるシャルルカンに、胃液が逆流するみたいな感覚を覚える。焼け焦がれるような、と表すのがしっくりくる感覚だった。 取り敢えずこの奇妙な状況を打破すべく、謝るのは私の方だからと口を零して彼のうなじ辺りをそっと撫でる。すると捨てられた子犬顔負けの表情のシャルルカンが私の瞳をすっと捉えた。吸い込まれそうだと、もう好きの絶頂は超えた筈なのに考えてしまう。私は可笑しくなってしまったのだろうか。元々おかしかったのに、更に。 「シャル?」 「…もう一度、好きになれねえの?」 「…分からない」 「分かんないなら、やってみろよ」 「でも今まで一度好きが冷めた人に回帰するなんて、予兆すらなかったし」 口を窄めてそう声に出す。何だか自分でも言い訳がましくなっている気がしたけれど、その理由がよく分からなかったので気には留めない事にした。 それでもシャルルカンは食い下がる事を知らず、ただひたすら真っ直ぐ私を見つめてくる。それが余りにも別人みたいに真剣だからか、もう手に入れた筈なのに私の心臓は三ミリくらい跳ねた。 「俺は自信がある」 「え?」 「お前をもう一度惚れさせる自信がある」 「……」 「そうしたら今度は告白なんかしない、何度でも交わして逃げてやるから」 だから、もう一度好きになれよ。 馬鹿みたいに切実な声音に、私の跳ねた心臓も震えた。私は、もう一度、彼を好きになれるのだろうか。仮に可能でも、今度こそ手に入る事のない恋になることは確実なのだ、そんな不毛過ぎる片想いに全力を賭す事が出来るのだろうか。自問の答えは、今までだって十分不毛だったろうという声に一瞬にして押し負かされてしまった。 私は非生産的。そして今、他人までもを非生産的にしようとしているのか。声を出そうと開いた声帯が、申し訳なさそうにぶるりと振動した。 「一度目程熱くはなれないと思う」 「別に構わねえよ、そんなん」 「ほんとうに後悔しない?」 「お前は手に入らないのが幸せ、俺は好きでいてもらうのが幸せ」 一体何処に矛盾があるんだと、シャルルカンは笑った。その時えもいわれぬ幸せと一緒に苦々しさが喉元を駆け上がってきたけれど、それは見なかった事にしようと思う。ごめん、ごめんねシャルルカン。 気持ちとは裏腹にありがとうと呟くと、神々しい彼の優しく下がった目と私のそれが合った。ああ、私たちは呆れるくらい馬鹿だから、こうやって幸せで残酷な恋を始めるらしい。 屈折したフィロソフィア (20120929) |