「げ、スクアーロ」


私の口からは何もしない思わないのに勝手に言葉が流れ出てきた。濃紺に金の刺繍を施したかのような夜独特の妖艶さを持つ空のした、金に負けず劣らず月の光と喧嘩をする銀色が私を一瞥しそれから眉をひそめる。

げっ、てお前なぁ。そんな感情がありありと読み取れる表情だった。
けれどまあ、他人の感情をいちいち推し量って生きるなんて器用な真似が私に出来る筈もないし、そんな風に生きる予定もないので取り敢えず彼の隣に滑り込むように座った。無論スクアーロからは可笑しな視線を寄せられたけれど気にしない事にした。

隣の彼のトレードマーク、そして願掛けでもある長い銀髪が私の腕に当たる。その所為でそこの部分だけひんやりするものの、次の瞬間に見上げた紺青が綺麗で何だか些細な事は全部脳内から漏れていった。代わりに入ってくるのはヴァリアー邸の屋根の上に流れる静寂と星星の光だけ。なんだか気持ちいい。


「あ、うお座」
「どこだよ」
「分からないの?」
「当たり前だろぉ」


星座なんて女々しいと言ってせせら笑うスクアーロに分かるように、指で仄かな光の集合体を指し示す。彼はしばらく目を細めた後、納得したようにポンと手を打った。乾いたその音までもが空気に溶けてゆき、まるで防音材のようにその場に更なる静寂を伝える。

こんな夜更けに、私以外の人間がこの場所にいるなんて思ってなかったけれど、こんな恋人みたいな雰囲気を味わえるならいいかもしれない。


「でも私、ピスケスは好きじゃないの」
「は?」
「自分を見てるみたいで嫌い」
「意味が分からねーぞぉ」
「ピスケスは有名な星なのに、三等星以上の星がなくて目立たないって」


まるで私みたいじゃない?含み笑いでそう言えば、隣のスクアーロが小さく呻いたのが分かった。
その通りだと、言ってくれたら一番楽だけれど。けれど私は知ってる、彼がこういった場面で相手を気遣わない事は無いってことを。知ってて言うんだから、私も相当悪い奴だと思う、なんて。

案の定、次の瞬間のスクアーロの顔は明らかに同情的な何かを纏っていた。見た目と違って優しい人。私なんかに優しくしたって何も良いことなんてないのに。


「お前は充分目立ってんだろ」
「はは、いいよ気遣わなくて」
「幹部だろ、女で唯一の」
「うーん、頼ってばっかだけどねぇ」


自分でも分かる、私は今自嘲的な笑みを浮かべているに違いない。だからスクアーロはこんな潰れたような表情をしているんだろう。

今だけはその優しさにもう少し漬け込ませてもらおう、そんな意地悪な考えが脳裏を過ぎり、過ぎるだけじゃ飽き足らないと言ったように私の脳みそに入ってくる。これは逆らえないな、と大した抵抗もせずに思った。


「今日もベルに無理させちゃった」
「あ?」
「私が足引っ張ってさ」
「そんな事もたまにはあるだろぉ」
「偶に、じゃなくて何時もだよ」


私はヴァリアーにいる意味があるのだろうか、というよりも居ても良いのだろうか。

それはずっと感じていた疑問だった。
何年か前、幹部に適用された時は浮き足立って任務への意欲も驚く程滾っていたけれど、結局男女の差というモノに抗う事は叶わずに何時だって迷惑をかけてばかり。そんな私をボスは何も言わずに見てるだけだし、他の幹部達も笑って背中を叩いてくれるだけだけれど、本当は私を疎ましく思っているのではないか。

そんな小心な気持ちがぐるぐると渦巻いていた。自分は嫌いだ。弱くて脆くて嫌になる。もういっそ、はっきり言って欲しい。
隣にいるスクアーロに催促するような視線を寄せる。私たちの真上では私みたいな魚座が仄かな光の点で線を繋いでいた。


「俺は好きだけどなぁ」
「なにが」
「ピスケスが」
「…あっそ」


少し嬉しかった。それは彼が下手な慰めの言葉を口にしなかったからか、それとも恋人でも何でもない、ただの同僚からの好きだという台詞の所為なのかは分からない。
まあ、スクアーロが好きなのは私ではなくてピスケスの光だけれど、それでも心がほんの少し和らぐ。比較的地味な集合体に自己投影していたから余計だったのだと思う。

思わず緩みそうになる堪え性のない頬を無理矢理引き締めて紺青の空と見つめ合う。私に釣られたのか、すぐ横のスクアーロも再び上を向くのが何となく感じ取れた。


「いいなあ、ピスケスは」
「は?嫌いって言ってたろぉ」
「きらいだよ、ただ、」
「ただ?」
「スクアーロに好かれてていいなって」


アハハ、いまさっきと同じ乾いた笑い。でも何故か私には、違う音のように感じられた。
幸いな事にどうやらそれはスクアーロも同じだったらしく、私をちらりと見、それから馬鹿言うなと独特な喋り方と声音で言われる。気楽な声だった。気負っていない、スクアーロの声。

それが何だか新鮮で、私は無意識的に彼の顔をまじまじと見詰めていた。すると当然の如く彼の濃紺の空に浮かぶ惑星と見間違えてしまうくらいな銀の瞳と私のそれとがぶつかる。
どうしたぁ、スクアーロが怪訝そうに問うてきて漸く、私はその違和感と言うべき新鮮さの正体を理解した。

私は今の今まで、スクアーロのほんとうの声を聞いた事がなかったのだ。

私が今まで聞いてきたのは、ヴァリアーの作戦隊長であるスクアーロの声だった。何時も気負って、張り詰めた空気の中で出す声。それが彼の本物の肉声と勘違いしていたくらいに、スクアーロはどんな瞬間でも色んな荷物を背負ってきていたのだ。

でも、今はどうした事ろう。
スクアーロが本当の地声を晒したではないか。もしかしたらこの夜空が、星が空気がそうさせたのかもしれないし、本当にもしかしたら私がそうさせたのかもしれない。

そんな風に考えたら涙が出てきた。何故だろう。彼に私の重みまで背負わせようとした罪悪感からだろうか。ううん、スクアーロが優しすぎる所為か。そうだそういうことにしよう。

取り敢えずスクアーロに涙を見られないようにとまた首を曲げてピスケスと対面する。けれど、私の両目から水が流れ出した事を感知する事など、彼に簡単だったらしく、はは、と今度はスクアーロの乾いた笑いが屋根の上だけに響いた。これだから夜目が利く人間は困る。


「珍しいなぁ」
「っ、見ないでよ」
「泣けなけ」
「うっさいカス鮫」
「今なら食ってくれんだろぉ」
「は、何が」
「ピスケスが」


馬鹿みたい。そんな事ある訳ないじゃん、ほんとうに馬鹿だ。
でもそれなのに、私の目からは涙が止まらなくなった。だばだばなんて、馬鹿みたいな効果音が付きそうなくらいだった。

何時も不安で不安で、いつ自分が切り捨てられるかとびくびく震えている自分が嫌いだった。そのくせ他人には自分の弱みを見せまいと、なるべく気丈に振る舞っていた自分はもっと。
だけど、スクアーロは私の弱い部分なんてとうの昔に気付いていたみたいだ。それなのに慰めてくれるみたいだ。嬉しい。悲しい。今までの私、馬鹿みたい。

色んな思いが脳内でぐちゃぐちゃに混ざってゆく。混ざるだけならまだしも、それが情けない嗚咽となって濃紺に溶け込んでいくんだから堪ったものじゃない。
まあスクアーロは私を見て笑いながら肩を叩いてくれるから、いいけども。


「弱いお前ってのも乙なモンだなぁ」
「オヤジかよ」
「また明日からは笑えんだろ」
「…まあね」


夜空を見上げたらやっぱりピスケスはそこに居て、私たち見守るみたいな恩着せがましい姿で仄かな光を紡いでいた。こういうのも有り、かもしれない。



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(20120425)