人間は海からきたって言うでしょ?だから海に還るってとても素敵な事だと思うの。幸せだよね。私も死んだら水葬にして欲しい。


「まあ、溺死は嫌だけどね」


大きく伸びをしながら彼女は歌うように口にした。それが何とも自然な動作に思えて思わず生唾を飲み込む。艶めかしい、とかそういう俗な感情ではなくてただ美しいと思った訳だ。

ザザン、気怠げに波が浜に打ち寄せる音が優しさを孕んだリズムで鼓膜を揺らす。
下を見ればぼんやりした月明かりに照らされた海が俺達を口を開けて待っているし、上を見れば濃紺に染められた夜空が果ての無い様子で広がってやがる。

今、この空間は明らかに彼女が望む世界だった。だからこそなんだろう、コイツが何時もより儚く見えるのは。


「チェッ、溺死は嫌なのか」
「なに銀時、突き落とそうと思ってた?」
「さァな」
「溺死は生きながらふやけて魚に食べられちゃうでしょ、だから嫌」
「水葬だって同じようなモンだろ」


俺の問に対し、至って真面目な目をして否定する彼女を伺い見るように覗き込む。

コイツの目ん中には俺がいた。
真っ黒くてデケェ瞳の中に俺のくすんだ銀色がゆらゆら揺れて、思わず顔をしかめちまった。無論人の表情の変化に敏い彼女が、俺のそんな変化に気付かない筈は無く。


「なに、なんか不満?」
「いーや別に」
「雰囲気壊さないでよもう」
「死に方の話してる時点で雰囲気もクソもねーよ」
「あるから」


負けじと反論してくる彼女だったが、それは半ばヤケクソに口走ったようにも見えた。まあ俺等の間で甘ったるい雰囲気が流れるなんつー方が俺的には可笑しい事に思える訳で、逆に今の流れが出来て助かったっちゃ助かったんだが。


世界は今日も戦だった。
戦って戦ってこちとらもうへとへとだ。どうにかこの下らねえ戦いは終わらないモンか。今日明日、いや、欲を出したって仕方無ぇ、一週間後くれェに終わればいい。
疲れ切った脳が無意識の内にそんな事を考えていた。わらえる。

一人でそんな馬鹿みてーな事を考えていたからだろう、今度は俺が覗き込まれる番になっちまった。怪訝そうな黒目の中で、やっぱり銀と装束の白が揺れる。


「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるきーてる」
「じゃあ私は何て言ったでしょうかー?」
「はァ?知らねーよンなの」
「聞いてないじゃん嘘吐き」
「お前の声が小さすぎんだよ」
「うーわ責任転換最悪」


うっせー、と小さく抵抗の声を出力しながら彼女の髪をひと梳きしてみる。

するとまるで発情期のパンダみてーに凄ぇ剣幕で「なによ」ときたもんだ。こんな風に威嚇出来んならなんの心配もいらねーよなぁ。
悪い男関連では特にないなと勝手に安心しながらパッと手を放してわざとらしく溜め息を吐く。尖った視線は気にしないことにした。


「お前はさ」
「なによ」
「可愛いよな」
「は?なにキモイ、はぐらかさないで質問しなよ」
「…死にたいわけ?」


もうこの世は飽きたかと、言葉には出さないまでも眉間に寄せた皺でそう伝えると、彼女は一瞬虚を突かれたかのように瞬きをしたものの直ぐに元の表情に戻った。

心臓の音と同じ速さで時間が進む。深青色から星が落ちてくるかと思った。


「…うー、どうだろ」
「分かんねーの?」
「うん」
「やっぱ死にてーのか」
「…死にたくないって言ったら嘘になる」


けど死にたい訳じゃないの。
隣に座り足を投げ出す彼女はやっぱり歌うようにそう口にした。俺としちゃあ意味不明もいいとこな解答だったが、本人が自分の出した答えに満足そうに微笑んでいたから何も言えなくなっちまう。

こんな質問されて、柔らかく微笑むなんて可笑しな女だ。まあそれを言ったら、異性にそんな質問をしちまう俺の方も可笑しい事になるが。


「まあ安心しろ」
「ん」
「お前が死んだら俺が責任持って水葬にしてやる」
「…ありがとう」
「だからって明日明後日に死ぬなよ」
「さあどうだか、ここは戦場だし」


先程の微笑みとはまた違った、今度はもう諦めたかのような笑顔を浮かべる彼女に思わず手が伸びていた。
なるべく静かに彼女の肩を引き寄せる。こんな細っこい肩で刀振り回してやがんだから世も末だ。

今度は威嚇も何も返っては来なかった。代わりのように波の音が強まったが、それで何が邪魔をされる訳でもねぇ、ただお互い身を寄せ合うようにして息を潜めていた。海も空も零れそうな程深く濃い青だ。

もしかしたら彼女はここで死ぬつもりだったんじゃねえだろうか。
戦疲れを忘れられる場所だと自分で彼女をここに連れてきた筈なのに、被害妄想みてーな考えが生まれる。わらえる。今日の俺はちと狂っちまってるようだ。


「でも臭い戦場で死ぬんなら」
「いっそここで死にたい、か?」
「すごいね銀時エスパー?」
「嫌な予想が当たっただけだ」
「嫌な予想?」
「お前がここで死ぬっつーやつ」
「ああ、それね」


彼女は青に包まれて死ぬのは本望だなあとしみじみ言う。五十過ぎたババアかと思わずツッコミを入れてしまいそうになるのも仕方無えと思う。

だがそれが出来なかったのは、アレだ、彼女が死ぬ事を仄めかしたからだ。女ひとりにここまで絆さたなんざ信じたくは無いが、確かにそうなのだ。何故かそう確信があった。


「でもそれは大丈夫だよ」
「何でだよ」
「だって銀時がいるし」
「ハア?」
「なに、おかしい?」
「俺ァどこも青くねーぞ」
「え、青いじゃん」


思わず彼女の顔をまじまじと見詰めてしまう。

なんだこのおんな。俺をバカにしてやがんのかそれとも素なのか。
どうやら答えは後者らしい、彼女は得意気な笑みを顔一杯に広げてから俺の手、彼女の肩に回している方の手をするする撫でてきた。

乙女じゃあるめーし、どきんとなんかしてやるか。心臓が跳ねたなんて死んでも言わねえからな。墓場に持ってく。
そんな風に思いつつ、彼女の右頬を軽く叩くとぺちん、小気味の良い音がした。


「なんで叩くの最低!」
「俺は青くねーんだよ中二じゃあるめえし」
「蒙古斑ある奴がよく言うね」
「は、なんで知ってんだよ!」
「ぷぷ、やっぱ青いよ銀時は」


落ち着くー、とか嬉しいんだか苛立つんだか分からねえ単語を口走りながら、何の気負いもしていないように見える顔で俺に寄りかかってくるこの馬鹿おんな。

気負ってねえ、なんてある筈も無い。
多分この顔の奥、体の奥の奥にコイツは色んなモンを纏わり付かせてる。じゃなきゃ男ばかりの戦場に、堂々と独りで立てる訳が無いのだ。

考えたら何故か泣きそうになった。情けねえ。情け無いが、もっと俺に頼れ仲間に頼れよと激を入れたくなった。こればかりはわらえねえ。
でもそれは悟られ無いように、ぐっと顔を夜空と対面させる。黒いのに真っ青な、意味の分からねー空が広がっていた。まるで俺の気持ちのようだ、とか思うのはロマンチスト過ぎるか。


「銀時は何時までも青くあれー」
「うるせーンな訳ねーだろ」
「いや、何時までも馬鹿みたいに青春しなよバカなんだから」
「お前が馬鹿か」
「でも銀時が青ければさ、」
「あァ?」
「私、帰ってこれるとおもうの」


いけね、こっちにもロマンチストがいやがった。
凄い根拠だな、と鼻にかけた笑いをお見舞いしてやったが、どうやらコイツは俺の心の内ならある程度見透かす事が可能らしい。

お返しと言わんばかりに「そんな喜ばないでよ」だとよ。全く参った。そーだよ思っちゃ悪ぃかよ。青くてもいいかなんて馬鹿みてーな事を考えちゃ悪いか。


「抱かれて死にたい」
「は?何に?」
「海か空。それか百万歩譲歩して」


銀時でもいいや。
尻すぼみになってゆく言葉だったが、自分の名前だけはしかと聞き取った。俺はオマケか、と言いたいのに声が出ねえ。使えねー。

だがそれを言葉にする代わりに、未だに手を置いたままにしておいた彼女の肩をぐっと胸に引き入れる。
こんな甘ったるい展開、コイツは望んでいなかっただろう。俺だってそんな気は無かった。でも仕方無ぇだろ。そんな柔らかく微笑む方が悪いと、だいたい相場は決まってやがる。

不意に俺の腕の中でロマンチストがスッと目を閉じた。つられて自分の瞼も下ろすと、その裏には海と空、それに俺のくすんだ銀色を混ぜたような深青が広がっていた。
これが幸福ってヤツか、なんて思うのはコイツに任せるか。






オデットの追憶さまに提出
(20120331)