スクアーロさんはもうすぐ卒業だと言っていた。いや、というかもう卒業しているようなモンだがなぁ、とも言っていた。
何でも彼はもう就職先が決まっているらしい。だから大学にはもう暫く顔を出してはいないし、実質卒業したようなものだと、そういう事だろう。
因みにスクアーロ先生の就職先は知り合いが興す会社らしい。
かくいう私の兄も「俺は会社を始める」とか夢みたいな事を言いながら、どこから調達したのか見当もつかないような大金を以て新企業を起こさんとしていた。お兄ちゃんと先生の知り合いって、何だかとても似てる気がする。
兎に角そんな話を聞いている間、ずっとせっせと手を動かしてチョコ菓子を頬張っていたのが昨日の話。
そして今日は家庭教師が来ない日、つまり暇な一日だ。特に今は放課後にやりたい事がないし、なのに友達は捕まらないしで、本当に何もする事がない。
スクアーロさんに会いたいなあ…。
「……って、うええ!?」
驚きで思わず卓上に広げていた数学のプリントをぐしゃり、力一杯握ってしまう。
今、私…、先生に会いたいとか思った?しかも無意識に?
あ、有り得ない。確かにスクアーロさんは話しやすいし教えるのは上手いし、オマケに美形だけど。
でも、そんな恋い焦がれてる訳でもないのに会いたいって…ないないない。
ブンブンと頭を振ってみる。邪念よ飛んでけ、と思ってとった行動なのに、何故だろうか余計に顔が熱くなった。
ああああ、嫌だ嫌だ自分が嫌になる。
軽い自己嫌悪にどう応戦してやろうかとか、自分でも訳の分からない事を考えながら部屋の隅のベッドへと大袈裟にダイブしてみた。
もしこれが人気の先輩への想いを抱いて、だったならどんなに良いだろう。
よりによって家庭教師って、何よ。
しかもお兄ちゃんと同い年だし。私はブラコンか。
そう考える間にも、私の見据えていた筈の白い天井はどこへやら、忽ちスクアーロさんの髪のような銀色に埋め尽くされてしまう脳内。
ああ、誰かこの気持ちに名前を下さい。…いや、そんな事して「恋」だとか言われたら取り返しがつかないからやっぱりいいや。取り敢えず、暫く先生に会いたくないなあ。
ふうと溜め息を吐いて寝返りを打つ。
その瞬間、私の鼓膜を低い独特の声音が震わせた。
「ゔお゙ぉい、メイ、いるかぁ?」
信じたくない。
これは先生の声だなんて、絶対信じたくない。うんそうだ、これはお兄ちゃんの声だよね、お兄ちゃん風邪気味かな。希望を持て私。
無駄な励ましを胸に、そのまま脇にある窓を開けて外から言葉を投げかけてきた声の主を見やる。
「う…わ、スクアーロさん…?」
「は?当たり前だろぉ」
「……ですよね、」
もうお兄ちゃんだと言い聞かせるのは無理だった。だって兄は銀髪じゃないし声もあんな変な声じゃないし、何より自分はスクアーロであると認めちゃっているもの。
ああ、何でだろう。
会いたくない、そう思っている時に限って来るんですね、この家庭教師は。
なんだか大声で泣きたくなった。
でもそれをしたら引かれるのは分かりきっているので、取り敢えず精一杯平静を装って何の用なのかと問い掛けてみる。ただ、玄関前と二回の部屋とのやり取りだから近所迷惑間違いなしなのが少し気に病むところだ。
「何って、用件なきゃ来ちゃ駄目なのかぁ?」
「だっ…ダメに決まってるじゃないですか!無いんですか用件?」
「いや、あるけどよ」
「あるのかよ」
思わず鋭いツッコミを入れると、何でそんなにピリピリしてやがんだあ、と低い反抗があった。
スクアーロさんの事を悶々と考えていたんです!なんて当然言える筈もなく、溜め息をひとつ吐いて話題を紛らわせる私。ああ、私は狡いんだろうな。そう思いつつも、小さく息を吸って言葉を選ぶ。
「…で、どうしたんですか?」
「ああ、お前にやろうと思ってな」
「え?」
予想外の彼のセリフに小首を傾げると、先生は驚けとばかりに大袈裟な動きでその懐からオペラピンクの派手なマフラーを取り出した。
その色に一瞬目が眩んだものの、気を取り直してスクアーロさんに視線で尋ねる。それなんですか、と。
するとどうやら私の思いは見事に彼に伝わったらしく、気持ち悪い程に満面の笑みを返された。ときめいてんじゃねーよ私の心臓。
「お前に似合うと思って買ってやったぜぇ、使えよ!」
言葉と共に宙に放られ軌跡を描く、ピンク色のマフラー。
もう三月なんですけど。
そんな言葉は、マフラーと同じような色をした気持ちで胸が一杯になって、窓の外へと出力する事が出来なかった。
やっと動きました
(2012031)