3月にもなれば花粉がすごい。
くしゅんとくしゃみをかます音が響く。
そしてその音を響かせた張本人であるスクアーロ、もとい先生の銀髪がちらちら視界に映り込んでくる中で有機化学の設問に勤しんでいると、ふとある疑問が私の頭を過ぎった。
「ねぇ先生て歳いくつー?」
「歳だぁ?」
「うん、」
「さてなぁ、幾つだと思う?」
「うーん…」
二十六、とか?
たっぷり数秒間間を置いてからそう小首を傾げると、先生の整った顔が忽ちに歪んでいくのが見て取れた。どうやら私は見当違いの解答を出してしまったらしい。あらら。
慌ててフォローの言葉を繕おうと息を吸うと、同時にむずむずと鼻に違和感を感じた。遂に私も花粉症デビューかもしれない。
「あ、すいません間違えました?」
「……」
「ああ分かった二十三ですね!」
「……二十一だぁ」
あれ、やっちゃった。
気まずさを緩和する為に、あちゃー、なんて可愛らしい擬音を付けて小首を傾げてみるもののスクアーロさんの眉間の皺が伸びる兆しは一向に見えなかった。
二十一って事は、私は彼を五歳も年上と勘違いしてしまった(挙げ句に面と向かってそう言ってしまった)という事だ。
そりゃあ腹を立てられたって仕方無いよなあ。
頭の端の方でそんな風に考えながら、先生の顔を覗き込むように伺い見る。とは言っても、私の部屋で何となく浮いた存在である白いローテーブルを挟んでだけども。
「…じゃあスクアーロさんって、」
「あ?」
「今、大学三年生なんですか?」
敢えて反省の色は出さずに、けろりとした表情でそう問えば、先生から溜め息と共に「四年だぁ」という返答があった。
ああ、早生まれか。ひとり納得しつつ、一応何月生まれなのかとも問うてみる。
今や化学の問題集は、私の肘の遥か右、つまりテーブルの端へと追いやられていた。
「三月生まれしかねーだろぉ」
「ですよね、でもじゃあ今月だ」
「それが何だ?」
「何日なんですか?」
「…十三」
「ちょ、なんで渋々?」
如何にも誕生日を教えたくないオーラを発しながらの返事に、自然と眉尻が下がっていくのは必然というヤツで。
その不可抗力に逆らおうという気も起きず、ただ不思議そうにスクアーロさんを見やると意味不明の舌打ちが返ってきた。私としては、なんで?なにこの銀髪、というのが本音だ。
「別に理由はねえ」
先生ははぐらかすかの様に私の腕に再度ワークを押し付けながらそう言ったものだから、私の疑問はより深いものとなってゆく。
…のも確かだけれど、それ以上に私の中で別のある事実が浮かび上がってきてしまって、更にそれが私の脳の大部分を支配してしまった。ああ、これは切り替えが早いと取ってもいいんだろうか。
まあ何はともあれ、私の頭を一瞬にして埋め尽くした事。
「…先生、お兄ちゃんと同級だ」
その事実だった。
兄は確か留年でもしていない限りは、確か大学四年生だった筈だ。
気付いたら無意識に出力していた言の葉は、意外の意外、スクアーロさんにも結構な驚きを与えたらしかった。証拠に彼の銀の瞳が、今までより一回り大きくなっている。
「お前、兄貴がいるのかぁ?」
「いますよ、言ってませんでしたっけ?」
「しかも同級生かよ」
「はは、しかも私の兄って、少し先生に似てるかも」
似てるだあ?
私の言葉尻を捉えるように台詞を放ったスクアーロさんに、思わず笑顔が漏れてしまう。
何故だろう、何故だかは全く分からないけれど、彼と同じ空気を共有する事はとても落ち着く。
訝しげな顔で私をじいっと見詰める先生を見て、そこはかとなしにそう思った。
「似てますよ、眼光が鋭いとことか」
「俺の知り合いはもっとすげーぞぉ」
「あ、あと外人っぽいかも」
「…ハーフかぁ?」
「あ、はい、父がイタリア人なので」
そう言うとスクアーロさんは、また同じような台詞を口にした。
俺の知り合いもイタリアの血が入っている、と。
(20120309)