「始めるぞ」

低い低い、ライオンの唸り声に似た低音が、防音材が壁一面に貼られた部屋に反響した。

彼の声に答えるかのように、私以外の全員が既にスイッチの入ったアンプを調節している手を止めて声の主であるザンザスさん、通称ボスへと視線を投げる。
それに習って私もキーボードのボリューム調節を止めて周りと目線を同調させた。


全身真っ黒、ただ首元の羽だけは鮮やかな色を放つボス。
風貌だけでも幼い子供からは初対面だろうが何であろうが恐れられる彼は、怖さの反面美貌と色気を兼ね備えている上に喧嘩が強いという最高ランクの男性だ。少し、いやかなり横暴なのが玉に瑕だけれど。


「分かってんなお前ら、演奏乱したらかっ消す」


背筋が凍るような事を言い睨むように全員を見回したボスは、私の組んでいるバンドのリーダーだ。
ご覧の通り統率力もさることながら、ボスのリーダーとしての魅力に見事魅せられた私を含めたメンバーの集まったのが私達。

バンド名は「Varia」
因みに私達メンバーの意見なんて端っから聞かずにボスが付けた。まあ格好いい名前ではあるので気に入ってはいる。実際名前負けもしていないと思う。


ボスが「かっ消す」宣言をした以上、どんな小さな失敗も許されない。というかミスなんてしようものなら本当にかき消される。

そう思った私は焦ってスコアを取り出して不安な箇所を見直し、忘れそうな部分を脳にインプットするようにじいっと見詰める。

その間にもボスの合図によって、弦楽器陣の音合わせが行われようとしていた。

まず主にリードギター担当のボスが、愛用の真っ赤なテレキャスターの1960代モデルのレアギターを大きなモーションを付けて掻き鳴らす。

その直後にベース担当の銀髪が眩しいスクアーロとボーカルとギター担当のベルフェゴールがそれに合わせるように弦を弾けば、何とも痛快な「ジャーン」という音が練習スタジオ内に木霊した。

それを聞きながらスコアを一心不乱に見詰める私。よし、たぶん大丈夫。

一人でこくこく頷いてスコアをファイルに戻すと同時に、ボスがもう一度始めるぞと唸るように声を発した。
ギターの重低音の中でも聞き分けられるような声音に、一同が揃って演奏の準備をする。


「じゃあいくわよーん!」


ドラム担当で俗に言うオカマであるルッスーリアさんが、何時ものように超音波のような声を上げてからドラムスティックを掲げた。

カツカツカツ、小気味よいリズムを感じてから、私達の演奏は始まった…――。


筈なのだけれど、それは前奏が終わる前にボスの右手によって止められてしまった。私なんてまだ二小節分しか弾いていないのに。


「ドラム走ってやがるぞ」
「あらまっ!ごめんなさぁい」
「カスが、気をつけろ」


厳しい目をしてルッスさんを叱り付けるボスに、ルッスさん本人は肩を少しだけ落として謝っていた。電車に乗れば誰もが振り向く色鮮やかなモヒカンも、心無しか垂れているように見える。

練習とはいえ、私達のボスさんは手抜きをしない。
練習で手を抜けば大事なコンテストやオーディション、ライブは絶対成功しないと思っているからだ。

確かにそれは正しいと思うし、練習はキツい方が上手くなれる。
だから毎日のように金持ち坊ちゃんであるボスの家、豪邸の一角にあるスタジオで練習している訳だ。


でも、でもなのに何故だろう。
私達、全然売れないんです。

何回対バンをしても、小さいライブハウスを貸し切ってライブをしても自費出版でCDを出しても、思うように売れないのが実情。

ボスやスクアーロみたいに色気がある人達に固定のファンの子が付いているのが奇跡なくらいに芽が出てくれない。
メジャーデビューどころか、インディーズの中でさえもそんなに高評価を貰えずにいるのだ。


毎日毎日顔を合わせて練習して。
自分自身では結構な出来映えだと思う曲でも、コンテストに出れば最終審査までいって駄目になる。おかしい。おかしいし、悲しい。

辞めたくなる気持ちも勿論ある。
でもそれでも辞められないでいるのは、このメンバーでバンドで成功してやるっていう思いが強い事と、何より皆が好きだから。

私は彼等が大好きだ。
それだけの理由でこのバンドに居続けているのだ。





*


持ち曲を一通り合わせて、各々が一息吐いている時。
男のクセに私より髪の長いスクアーロさんがそう言えばと徐に口を開いた。

彼の手には哀れにも真っ二つに折れた黒いピック。
何事に置いても力加減という言葉を知らないスクアーロさんは、練習ごとに…酷い時には一曲弾くごとにピックを折ってしまうという悪い癖があった。弦も可哀想だと思う。力任せに弾かれて…ああ本当に気の毒。


「今週の土曜は開けとけよぉ」
「土曜日?何でですか?」
「対バンだぁ」
「…は?」
「対バンだぁ」


繰り返したスクアーロさんに、私は文字通り開いた口が塞がらなかった。

今日は月曜日。
という事は対バンまであとい、5日?

対バンと言えどお客さんは入る。
しかもスクアーロが言うには結構大きなライブハウスで、チケットノルマも千円を四百枚と言うではないか。

む…無理だ。そんなの突然過ぎる。

思わず隣で虎猫のような木目が可愛らしいレスポールのギターを抱えるベルと目を合わせてしまう。

眩しい金髪にこれまた眩しいティアラを載せた彼は、私と同様口をあんぐりと開けて意味が分からない、分かりたくもないという感情を丸出しにしていた。
まあ多分ベルの場合は、チケットノルマや対バンの規模どうこうよりも、ライブ前特有の過酷な練習を嫌がっているのだろうけれど。

なんせライブ前の一日練習時のボスといったら…。
考えただけで頭痛がするほど怖い、鬼だ。

取り敢えずスクアーロさんを問い詰めてみようと顔を再び彼の方へと向けると、私達の反応に苦虫を噛み潰したような表情の彼とがっつり目が合った。


「突然過ぎませんかスクさん」
「俺が決めたんじゃねぇ」
「え?じゃあ誰が?」
「…ザンザスだぁ」
「え、ぼ…ボスが…?」


やばい、問い詰めるどころじゃなくなった。
そう思ってベルにヘルプを求める視線を送ったものの、この堕王子はもう知らん顔でエフェクターの調子を見るフリをしている。

くそ、こんのバカベル…!
同い年なのに全く私を助けてくれない、それどころか良いように扱うベルが憎らしくてならない。もう一緒に買い物してやんない。

三日で潰れそうな決意を抱いてから、スクアーロさんにどうやってチケットを捌くのか捌ける見込みはあるのかと尋ねた。

するとスクアーロさんの顔が益々苦いものになった。そこから答えは察せる。売る当ては特に無いという意味だろう。どうすんのさ私達。

余ったチケットは自分たちで買取だ。
生憎私は実家住まいのアルバイトで生活を繋ぐ貧乏人。チケットを買い取るお金なんてない。


もう駄目じゃないボスのば…馬鹿!
そう叫びたい気分になるも、無論実際声に出して叫べる筈もなく(命は大切にしたいので)、私はただ大きく溜め息を吐いて床に座り込んだ。隣のベルの「しししっ」なんて笑い声が煩わしい。

でもそんな私の絶望見え見えの態度が、この対バン話を持ってきたボスに不快感を与えない筈はなく。

「何か文句あんのか」とドスを効かせた声と共に、まるで獲物を見つけたライオンのような視線でギロリと睨まれた。私が震え上がったのは言わずもがなだろう。


「もも、文句なんてないです」
「じゃあビービー言うな」
「ご、ごめんなさいボス」


しゅんと肩を落とす私の視界に、色っぽい手付きで満足気に黒髪を掻き上げるボスが入ってくる。


「Varia」結成早五年。
凶暴君主と従者的な鮫男、自称王子様と派手好きオネエ、そして何の取り柄もない私こと碧。
この五名で今日も私達は、いつか売れると信じて練習に励んでいます。


ウィーアーヴァリアー!


(20120209)