だだだっ、まるで漫画のような擬音と共にだだひたすらに足を動かす。 ハアハアと弾む呼吸と同じリズムで廊下の床が軋むのを聞きながら、私の脳は焦燥に駆られプチパニック状態に陥っていた。 やばい、やばいやばい。 このままじゃ完璧に土方の野郎にどやされるよ私、嫌だそんなの耐えられない。 というか初出勤の日から遅刻なんて笑えないし。昨日作業用BGM巡りなんかしなきゃ良かった。 そう、なぜ私がこんなにも焦っているかというと、真選組の日課であるという朝礼に遅れそうだからなのだ。いや、遅れそうというかもう完璧に遅刻決定ではあるのけれど。 昨日土方さんに今日の朝礼で隊士の人達に紹介するからちゃんと来いと言われていたのに、だから目覚ましだって二つかけたのに、朝起きたら言われていた時間まであと十五分というデスゾーンだった時の衝撃ったらない。思い出すだけで涙が出そうになるくらいだ。 それからは着慣れない制服に頑張って着替えて、無論朝食なんてとらずに家を飛び出して。ああもう本当に悔やまれる。 兎に角今は一秒でも早く到着する為に闇雲に走らなくてはと、改めて気合いを入れて屯所内を直走する。 確かここを真っ直ぐで、そのあと曲がるんだっけ。 そんな風に頭の中で屯所の地図を広げ考えながら走っていたからだろう、不意に私の骨の髄に、ドンっという鈍い衝撃音が響き渡った。 短い悲鳴を上げる暇もなく、自分の体が後方に崩れ落ちるのが分かる。 遅刻して廊下走ってる時点で転倒フラグ立ってたけど、まさか本当に誰かとぶつかるとは。 そんな気の抜けた事を考えた時には、私は盛大な尻餅をつき腰にじんわりとした痛みが伝わってきた。 「いったあ…!」 「すいやせん、大丈夫ですかィ?」 「大丈夫で……げろげろ。」 イケメン第二派、きちゃったよオイ。 尻餅をついたままの体勢でげろげろなんて阿呆みたいな声を上げた私の視線の先には、蜂蜜みたいな色をした見るからにサラサラの髪を持つイケメン。容姿からしてまだ未成年。 土方さんといい彼といい、真選組って意外と粒揃いだわ。 余りの美少年オーラにやられたのか、金縛りにあったように動かなくなる私の肢体。我ながら使い物にならない。 でもそれよりイケメンくん滅茶苦茶こっち見てるんだけどどうしよう。心臓飛び出ても引かないかなどうだろう。 「アンタ、もしかして土方さんが言ってたニート女かィ?」 「酷い言われようですね私」 「なんでィ、どんなドブスが来るかと思ったら案外普通でさァ」 興醒めだ、とか中々グサッとくる台詞をくりくりの、それこそアイドル顔負けの目をして言う美少年。 そんな彼にどう反応したら良いか分からず、ただ固まったままその美しい顔を脳裏に焼き付けるように見詰めていると、彼は小さく眉根を寄せて私の方へと屈み込んできた。 これが乙女ゲームだったらいいのに、とか考えてしまう私は俗に言うヘタレなのかもしれない。 「オーイ、何固まってんですかィ」 「あ、あ、あなた誰ですか?」 「自分から先に名乗るのが礼儀ってモンですぜ」 「う、すみませんごめんなさい」 全く同じ言葉を昨日土方さんに投げつけていた所為か、彼のニヤリとした笑みにとても狼狽えてしまった。 でも展開上名乗らない訳にもいかず、床にへたったまま自己紹介をする。 座ったままなんて無礼なのは分かってる。でもね、こんな瞳で間近で見詰められては立てる筈がない。寧ろ立ちたくない。 「一ノ宮な、俺は沖田と言いやす」 「お、沖田さん…?」 「まァ歳はアンタより若ェが、呼ぶ時は敬称付けてくだせェ」 「はあ、」 さん付けで呼べって事か、このドイケメン。 もやっとした思いが湧いてこなかったと言ったら嘘になるけれど、逆らうと色々面倒臭そうなので敢えて無言で、そして精一杯の笑顔を沖田さんへと手向けて返答代わりとした。 すると何を思ったか彼は鼻がくっつくのではないかと危ぶむくらいに顔を近付けてくる。 私の心の中が一瞬にして、色んな意味で荒れ狂ったのは想像に難くないだろう。 鼻血は我慢だ私、今ここで噴射したら沖田さんの綺麗な顔が、そして何より私の保とうとしてるイメージが台無しじゃないか。それだけは避けたい。 「なァ一ノ宮、」 「はい?」 「ご主人様って呼んでみなせェ」 「……は?」 「ホラ早く呼べ」 「…え、無理ですムリムリ」 私メイド経験とか無いんで。 予想外の命令に掠れてしまう声で答えれば、あれれ何故なんだろう。 理解は全くできないけれど、沖田さんのその艶やかな唇が綺麗に歪んだ。 …あれ? なんか今すごい背筋が寒くなったんだけど気の所為かな。 そんな私の動揺を知ってか知らずか、彼が徐に私の髪に手を伸ばしてきたものだからもっとどぎまぎする事になってしまう。 もしや沖田さんはタラシなんだろうか。こんな可愛い顔して女誑しって完璧にアニメキャラかぶれだろ、狡すぎるだろ。 「面白ェ」 「え?」 「アンタが気に入りやした」 「すみません説明お願いします」 「アンタを俺の下僕にしてやらァ、って言ってんでさァ」 「いや説明になってないですから」 俄然輝き出した沖田さんに、私の体は本能的に底知れぬ危険を感じたらしく気付けば勝手に後ずさっている自分がいた。 真面目に危ないかもこの人。 さっきまでとは打って変わって黒っぽいオーラ全開、おまけに黒い笑みまで引っさげて私ににじり寄ってくる沖田さん。 そんな彼に対し私はただ、下僕とか無理ですから私マゾじゃないですから、なんて内容の言葉を口走ってじりじりと後退するだけしか出来ないでいる。 後ずさりする度小さく悲鳴をあげる木の床を、目的であり原因である朝礼なんて二文字を、気にする余裕なんてミジンコ程も残ってはいなかった。 ただサディスティックな笑みを浮かべる沖田さんに生命の危険をひしひしと感じている。 ああ今分かった。 この人絶対ドエスだ。 「ホラ言ってみなせェ」 「言いませんパワハラですかそれ」 「最初は抵抗があるかもしれやせんがすぐ慣れるぜィ」 「人の話聞いてないですね」 「それか首輪でも繋いでやろうか」 「嫌です無理です止めてください」 首を振り思いっきり嫌だという信号を送ったものの、どうやらそれは逆効果らしく「もっと顔歪めなせェ」とかもうサディストとしか形容できない言葉を投げられた。抵抗すればするほど喜ぶんだから、もうどうしたらいいのか分からない。 取りあえず彼に流されるまいと必死になってまるで陸に上がった魚のようにじたばたと足掻いてみる。 こんなイケメン願い下げだよもう、茶髪メガネ助けてお願い。 「テメー等何してんだァァア!」 びくん。 廊下が歪みそうな怒号が空間と私の肩を揺らした。聞き覚えのある低く艶めかしさを含んだこの声は…。 見ずとも分かる、土方さんだ。 今日もきっちり形成されているV字の前髪も、今だけは馬鹿にしないどころか敬いの念さえ芽生えそうに思えた。 助かった、良かった。 ホッと息を吐いた私の目の前で、相反して苦い顔をした沖田さんはあからさまな舌打ちを一つ。 「何ですかィ土方さんうるせーな」 「お前ら二人揃って油売ってるたァいい度胸じゃねーか」 「土方さん助かりました…!」 「あァ?一ノ宮オメーも初日から遅刻だとは流石ニート女だな」 土方さんの言いようにカチンときた事は否めないけれど、それでも遅刻したのは確かだし…まあ、半分は沖田さんの所為だけどね。 言い返すまではせずとも悶々とした思いを抱えていると、不意に未だにへたっている私の横で風が鋭く切り裂かれる感覚を覚えた。 …ん?なんじゃいな。 そう思った刹那、何だか鋭い金属音が廊下に木霊する。 一人状況把握が出来ていない私の耳に、続いて届いたのは土方さんの若干上擦った声音だった。 「総悟ォォオ!お前何しやがんだ」 「何って刀の切っ先を突き付けてみただけですぜィ?」 「なんっだそれ殺す気か!」 「無論」 「お前なァ…!」 昨日目の当たりにした物と全く変わらない青筋が、怒りゲージが溜まったらしい土方さんの額にピキピキと浮かんでいく。 それを目の前にしても涼しげな顔を貫く沖田さんは、多分相当強靭なメンタルを持っているに違いない。 …というか、土方さんて副長なのに楯突いちゃっていいんだろうか。 気になったので、睨み合いの膠着状態を続ける二人の間におずおずと顔を出して土方さんを見上げてみた。 うわ今の土方の顔すげーうける。 やばい写メ撮ったら切腹とか言われるかな。でも言われたら笑っちゃうよな多分あははは。 「あのー…土方さん、」 「あァ?」 「一応すみませんでした」 「一応ってなんだよ」 「いや…あの、」 「全く…大体今だって朝礼が終わっちまったから来た訳でな」 明日は挨拶させんぞ、このぐうたら女が。 そう毒を撒き散らしてきた土方さんに嫌な顔をお見舞いしてやったら、何故か土方さんからの耳鳴りのしそうな文句よりも先に沖田さんの高らかな口笛が空間を彩った。 私が意味が分からないと言った表情をしてしまうのも当たり前だろう。 「いいねィこの反抗的な態度」 「え?」 「益々調教してやりたくならァ」 「ええ?」 「つーか下僕決定なメス豚」 「えええ?」 最早「え」の発音しか出来ない私と生き生きとした表情で懐から首輪みたいなモノ(見間違いであることを願いたい)を取り出した沖田さんを、土方さんは呆れ顔で交互に見詰めて溜め息を吐く。 その中に私への同情みたいな物も混じっている気がして、正直もうワケが分からなかった。辛うじて働いた思考はSM断固拒否。 警察だから手錠ならまだしも、首輪常備ってほんと沖田さんて何の人だよ。これで直属の上司とかだったら私の人生お先真っ暗だわ。 「沖田さんて…なんなんです?」 「あ?何言ってんだ一ノ宮」 「へ?」 「総悟はお前の一番隊の隊長だぞ」 「……え、」 「そーいう事ですぜィ、覚悟しやがれ花果」 「…うえ、呼び捨て、」 「俺好みに調教してやりまさァ」 あ、人生終わったわ私。 ∴所詮は苦い なんだか早足でチュドーンw (20120129) |