「は?いま、何て言いました?」 「潜入捜査してこい」 「ごめんなさい最近わたし耳遠くて」 「潜入捜査してこい」 まじですか。そう聞き返すと目の前で悠々と緑茶なんか啜っていらっしゃる瞳孔開きっぱなしのマヨネーズ副長さまの眉根がピクリと上がる。溜息と共に机上に置かれた湯飲みからは、白い湯気が控え目に立ち昇っていた。 「嘘なんか吐いてどうすんだよ」 もっともらしい事を言われ押し黙るしかない私に追い打ちを掛けるかのように、因みにテメエ一人でだ、なんて容赦の無い台詞が降りかかってきた。 真選組に来て早三か月。 私に始めての、本気で危なそうな仕事が回ってきやがりました。ていうかほぼ素人に潜入捜査って、全くどうなってんだよ江戸の警察は。 しかも土方さん、潜入先はテログループだとか淡々と説明し始めたんだけど何?なにこれ冗談?笑えばいいのねえ笑ったら全部嘘にならないのこれ。テロ組織って何、だって待ってそれ危険過ぎるんじゃないの下手したらこれって。 「命を落とすんじゃないですか?」 「あー、まあ、半歩間違えばな」 「は、一歩すら間違えられないってどういう事だマヨラー」 「おもっくそ危険だっつー事だバカニート」 「ニートそんなとこに放り込むって一体どんな神経してんですか死ね土方」 「テメェ…敬語どうした敬語ォ。俺はお前の上司だぞ」 「わたしの親父はお前の上司の上司だぞハハハッ」 「てんめぇ…」 ピキピキピキ、なんて漫才のような音を立てて土方さんの額に浮かんでゆく青筋たち。いや、怒りたいのはこっちだよ、はすんでのところで飲み込んだ。 何で半歩間違えただけで命を失わなきゃいけないんだ。そんなの可笑しい。しかも私一人って。確かに真選組にいる雌は私ひとりだけど、流石に荷が勝ち過ぎてるというか、兎に角そんなの乗り越えられそうにない。 だから、一人は嫌です行きません、そうはっきりと口にした。ええ言ってやりましたとも。だって本当に無理だ。仕事にわがままを付けていい立場ではないのは分かっているけれど、それでも。 渋い表情で勝手を言う私を見詰める土方さんから目を逸らして、「テロ」という単語を三度ほど宙に迷わせる。マヨラー上司が湯飲みを再び持ち上げる音、それから緑茶に向かって落としたかのような大きな溜息が、やけに強く響いた。 「…仕方ねえな」 「…?」 「同行者を付けてやるよ、一人な」 「え、…本当ですか!?うっわ土方ちょっとは人に気遣えたんだ新発見じゃん瞳孔開いてるだけかと思ってたのにうけ」 「お前…もうその癖治す気ねえだろ」 言葉尻を見事に捉えた彼の台詞に、またもや心の声を出してしまったという事実に気付く。まあいいや今更だ。というか本当に今だけはそんな事に謝っている場合じゃないと思う。同行者はうれしいけれど、それでも潜入捜査だもの。命の危険だもの。 あーあ、こんな事になるんだったら昨日は徹夜して百合子ちゃん攻略しとけば良かったなあ…あのシリーズはスチルがエロいから楽しみにしてたのに。 ***** ついに潜入開始の日がやってきた。 真選組の屯所の前で、着物の襟を正しつつもきちんと呼吸を整える。女物の着物を着たのは久し振りであるからか、なんだかむず痒い気持ちが収まらずにうそうそしながら空を見上げていると、後ろの扉が苦しげに泣いた。 「あっ、もういたんだね、一ノ宮さん。今日からよろしく」 そう言って屯所の内側から現れたのは、あまり顔を合わせた事のない女装をした黒髪の男性。土方さんや沖田さんにどやされている姿をよく見掛けるけれど、名前は覚えていない。 因みに何故男性だと分かったかというと、見目というよりは声が男性のそれであったからだ。 小さく会釈をする私の上では、オレンジ色の朝日が苛立つくらいに照っていらっしゃる。全くやんなるわ。 「俺は山崎退、監察やってるんだ」 「へえ、山崎ね。よろしく」 「うん…って、え?何でタメ口…?」 「え、だって私のが年上っぽいし…それに監察って別に偉い訳じゃないでしょう?」 「くっ…」 「まあ嫌なら敬語使いますけど、山崎さん」 「…ハア、まあいいよ。お互い様だしね」 少し自嘲的に笑いながら肩を竦めた山崎は、一度大きく伸びをしてから私の隣までやってきた。背は流石に私よりも高いが、細身だしぱっと見は完全に女の子だ。まあ、喋ったら残念だけど。ていうか喋ったら完全にアウトな気がするけど。 その辺りの懸念を素直に口にすると、山崎は僅かに目を細めて、それから何故か遠くを見る目になる。なにこのひと面白い。 「その点は心配いらないよ…俺、空気だから…」 「え、空気なの?だから監察なんだ。そりゃ可哀想だねーお疲れさま」 「あームカつくんですけど言い方」 「メンゴ」 「…あーはいはいもういいよ」 もう気を取り直して行こうか。 どこか投げやりに放たれた言葉に従って、重たい右足で一歩目を踏み出す。これからテロ組織にゆくのだと思うと、どうしても胃がキリキリと痛くなった。 ああ、さよならお母さんお父さん。花果は立派になりました。ソードマスターの称号も手に入れました。もし私が帰らぬ人となっても、私の墓石には花を添えないで下さい。代わりに、鈍色に光る一太刀を…。 「一ノ宮さーん、おいてくよー」 「あ、はーい」 「早くいかなきゃ船が出ちゃうから急ごうか」 「うん…え?」 「え?」 「…船?船に乗っていくの?」 「は…知らないの?」 まさか、という表情で尋ねてくる山崎に対して、千切れんばかりの勢いで首を縦に振る。すると間髪いれずに頭を押さえ、「副長も沖田さんも全く…」とかなんとか呟き始めた山崎に、思わず眉根が寄った。 それは何も私に情報が入って来なかったからではない。山崎の口から、沖田という単語が飛び出してきたからだ。 だってだって沖田あの野郎、テロ組織に飛び込んでゆく事になった私を見て小躍りして応援してきやがった!しかも、運が良けりゃ煩えのが一人片付くって訳だなァ?だとさ!そりゃムカつくに決まってるだろう。出来る事なら髪の毛全部剃ってやりたい「スフィンクスみたいー」って嘲笑いたい。 「一ノ宮さん…ご愁傷さま」 「は?」 「出てたよ…心の声」 「あ、」 またやってしまったよ、と口を開けた私に、山崎は至極残念そうな笑顔で再びの催促の言葉を口にした。黄色の着物の袖口の揺れ方が少し不安そうに見えたけれど、きっと気の所為なのだろう。 とりあえず、死にませんように。心の中でそう拝んでから、ツインテールの山崎の背中を追い掛ける。朝日がやけに目に染みる。何故かはよく、分からなかった。 いざ行かん、鬼兵隊。って、あれ?何で私組織の名前知ってるんだろう。…あ、そう言えばこの間土方さんが言ってたっけ。聞いてなかったけども。 ∴命、懸けます (20130325) |