カリカリと小気味良い音を立てながら必死に机に齧り付いている私に向かって、死んだ目をした義兄は開口一番、あくび混じりに口にした。お前、朝からそんな勉強して何になんの?至極愚かな、そして失礼な言葉である。何になるって?そんなの決まっているだろう。


「弁護士になるの!」


腹の底からそう声を出すと、私の目の前にいる彼は、その特徴的な銀髪をふわふわ揺らして一度だけ目を瞬かせた。けれどそれも束の間、どっと何かに襲われたように笑い出す。お腹を抱えて、ヒーヒーと短い呼吸を繰り返しながら私を馬鹿にするその姿に、多少なりとも腹が立った。

何なんだこの男は。私を馬鹿にしているんだろうか、いや確実に馬鹿にしてるよな。
キュッと眉根を寄せて、その綿菓子のようなだらしのない頭を見据える。彼はそれに気付くでもなく、ただひたすらに笑い声を立て続けていた。

まあ、分からないでもないけれど。私は別に秀才という訳ではないし、今まで勉学に対しての意欲が大きかった事もない。どちらかと言えば勉強なんて大嫌いで、ギリギリまで遊んでいた。そんな私が突然弁護士になるなんて言い出したのだ、きっと私が彼の立場でも大笑いするに違いない。でも。


「本気だもん」


そう、私は本気なのだ。今回ばかりは引き下がる訳にはいかない。本当に頑張りたいと、思っている事なのだ。僅かに膨らませた頬袋から零れ落ちた私の言葉に、どうやら彼は少しだけ驚いたようだった。白い眉尻が静かに斜め上へと上がってゆく。少し怒っているように見えなくもないが、きっと気の所為、目の錯覚なのだろう。いや、そうだと信じたい。


「何か理由でもあんのか?」
「…うん、まあ」
「言ってみろ」
「なんで銀ちゃんに言わなきゃいけないの?」
「なんでもクソもねーよ、あと兄様と呼べ兄様と」


何時もそう言ってんだろ。
そんな言葉を浮かべながらポリポリと頭を掻く義兄に気付かれないように、そっと溜息を吐く。分かってないなあ、そんな感情を一杯一杯に込めた笑顔を顔に浮かべるも、矢張り彼はその表情の意味には気付いてくれなかった。いや、もしかしたら、気付かないフリをしていてくれているだけなのかもしれない。彼はとても他人の気持ちを汲み取るのが上手だから。それを、他人に明かさないだけであって。


「わたしね、苗字が欲しいの」


右の拳を程よい強さで握ると伸びた爪が肉に食い込んで、頼りの無い痛みを覚える。まるで私そのものみたいだと思った。覚束ないけれど、確かにここにある、私みたいな痛みだと。ポカンとした表情で頭の上にクエスチョンマークを浮かべる義兄に、今一度、精一杯の微笑みを向けた。


「苗字?何言ってんだお前」
「何って?」
「は?お前の苗字は坂田だろーが」
「うん、そうだね、でも、いつかは」
「…ああ、成る程」
「え?」


唐突に、何かに納得したらしい彼が渋い表情を浮かべる。何故だろう、何だろう、そんな私の疑問の糸は、間髪入れずに紡ぎ出された彼の言葉によってするすると解かれる事になった。良い男をとっ捕まえてえ、って訳か。義兄はそう言って、心底気に食わない様子で眉をひそめたのだ。


「違うよ、銀ちゃん」


違うよ、違うんだよ。
嬉しいような、擽ったいような、でも少し不満も混じっているような、よく分からない感情を顔中に広げて、ゆっくりとそう返す。そうじゃないんだよ、将来のお金持ちなんていらないの。私が欲しいのは、たったひとつ、たった一人。音もなく睫毛を伏せて、早朝の肌に刺さるような空気を一度、大きく吸い込む。肺胞にまで染み渡るなあ、なんて。

弁護士になれば、沢山お金が入るでしょう。それに法を学ぶ事が出来るでしょう。そうしたら自立して、私はお母さんの苗字に自分で戻す事が出来る。そこが、始まりなのだ。堂々と、坂田銀時が好きだと叫ぶ事が出来て初めて、私の恋が動き出すと思うのだ。だから、もう少しだけ、辛抱しよう。

冷たい二酸化炭素を吐き出して、文字通り真っ白な頭の義兄の右頬に、そろりと腕を伸ばした。



ガーベラ:花言葉は
辛抱



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普段は色々とおかしなみゆきちゃんですが、実は我慢強くて情に熱い性格だと思っています。根本的に優しいですよね。あと芯が強い。辛抱強い。いつも感謝しています。リプありがとうございました



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