かわいい、すごく可愛い。 これが私が獄寺隼人というクラスメイトに対して専ら抱いている感情だった。 陽射しを受けると鈍色に光る髪やつり上がった目元等の視覚的要素はもちろんの事、不良なのに秀才なところや不器用そうなところ、そして何より沢田君に対してだけはまるで忠犬のように振る舞うところ。全部ひっくるめて可愛い、そう思ってしまう。 だからつい構ってあげたくなってしまうのは自然の摂理っていうやつで。例え本人に物凄く、そりゃもう凄まじく尖った態度をとられても中々引き下がれないのだ。 そんな訳で今日も私は、獄寺君と同じ委員会であるのを良いことに彼の机の前に仁王立ちしています。 「獄寺くん、今日放課後に委員会あるから帰らないでね」 「はぁ?んで俺が委員会なんかに出なきゃなんねーんだよ」 「何でって、委員だし」 「出ねえ」 「うーん、でもそれだと私ひとりに」 「うるせぇ勝手にやってろ殺すぞ」 口に煙草をくわえたまま、敵を威嚇するライオンみたいに睨みを効かせて私を見据える獄寺くん。そんな不良気取りなところもきゅんとします、とは流石に言えずに小さく溜め息を吐いて酷いなあと零した。 別に彼の威嚇行為は怖くない。だって何故かは分からないけれど、獄寺くんの視線には本物の殺気みたいなものは全く籠もっていないから。だから怖くない。 きっと彼は子供だからこういう風にしか他人との距離を取れないのだと、そこもまた愛しいとすら思うのだ。 「流石に死ぬのはやだなあ」 「つーか大体何なんだよお前は」 「ん?」 「一々俺につっかかってきやがって」 「そう?なんでだろう、席近いからかな」 「俺に話しかけんなブス」 吠えるようにそう口にした獄寺くんに間髪入れず、女の子にブスとか言っちゃ駄目だよと丁寧に忠告をしたら予想はしてたけれどもっと機嫌を悪くしたらしく、すごい目つきで睨まれた。やっぱり怖くない。 もしかしたら話し掛けてくる人間にこうやって視線で自分の縄張りからの退場を促すのは、彼のクセみたいなものなのかもしれない。 ふう、ともう一度だけ酸素を肺に取り入れてから素早く笑顔を作る。 可愛い、人との接し方を知らない可愛いひと。そんな彼に手向けた急造の笑顔は、すかさず肺を汚す汚い煙に巻かれていく。ちょっとそれが目に染みた。 「何笑ってんだよ気色悪ぃ」 「いや、獄寺くんっていいよね」 「ハア?お前頭おかしいんじゃねえの?」 「あはは、反抗期遅いよー」 会話の流れ上、ほんの冗談でそう口にした。それがまずかった。 どうやら反抗期という単語が彼の高いプライドに障ってしまったらしい、みるみるうちに表情に険しさを増していく。 今のはごめんね、そう謝罪する暇もなく完璧にご立腹の様子の獄寺くんは凄い、それはそれは凄い音を立てて椅子から立ち上がった。すると当たり前だけれど、彼の顔が私の目線より上に位置するようになってしまった。 あれ、なんかものすごく怖い。 見下ろしてた時より、見下ろされている今の獄寺くんの視線は鋭く感じられた。刺さる、獄寺くんの眼力が刺さる。すごく痛い。 「お前いい加減うぜぇんだよ、死ねブス」 十分痛い状態から発せられた攻撃は、もう私死ぬんじゃないのってくらいに効いた。上から降ってくる獄寺くんの声が受け止めきれない。 その時初めて私は彼の事を「恐ろしい」と感じた。それはもしかしたら他の子たちからしてみれば普通の感情なのかもしれないけれど、少なくとも私にとっては初めての物だった。怖くて、彼の前に、いや彼の斜め下に立っているというこの状況から一刻も早く逃げ出したくなって。 泣きそう、そう思った瞬間にはじわり、右目に生温かい感触を覚えた。人間の体は正直だ。 それでも他のクラスメイトもいる手前、泣き顔を晒す訳にもいかずに必死にほっぺたを上に吊り上げる。漸く作り上げた笑顔はきっと、傍目から見たら不格好で非対称な物だったに違いない。獄寺くんの目がちょっと大きく開かれた事から何となくそう察した。 弱いなあ、私。自分に充分嫌気を感じてから、私は担任には体調不良と嘯いて学校を早退した。今季初めての早退。こんな理由でいいのか私、とか無駄な葛藤が左心室をぐるぐるするのを感じながらただベッドに顔を埋める。それを夕方から夜の間中ずっとエンドレスで繰り返していた。 そうしたら朝はびっくりする程早足で訪れた。 きちんと泣く暇もくれなかった、夜は意地悪だ。 取り敢えずだるい体を無理矢理起こして意識覚醒の為にぬるい水で顔を洗う。学校を休む訳にはいかない。というか休んだりしたら皆に自意識過剰だなんて陰口を叩かれるに決まっている。ただでさえ早退してしまって、クラスからの私への視線が心配なところなのだ。 いや、そんなのは昨日の獄寺くんへの「恐怖」の再来に比べれば何ともないのだろうけれど、それでも。 「怖いんだよなあ、」 結局、クラスの目だって気になる。私はとても弱虫だ。 随分早くから身支度を始めた筈なのに、予想以上のまぶたの重みを感じながらのろのろしていた所為か気が付けばもう家を出る時間が迫っていた。テーブルの上に並んでいるいつものロールパンも獄寺くんの事を考えたら口に入れる気になれず、そのまま玄関に直行する。 いつもと何ら変わらないローファー、なのに普段よりきつい気がした。むくんでいるのかもしれない。やだなあ。溜め息を吐きながら私にしては弱々しく外へと足を踏み出す。 慣れっていう奴は恐ろしいもので、例え頭で全然別の事を考えていようと私の足はそのままいつものように学校へと向かっていた。向かって、いたのだ。 途中、つまり近所の公園で獄寺くんが何かを待ち構えている姿を見付けるまでは。 彼の待つ「何か」が私であると直感的に気付いた。いや、驕りじゃないかと言われるかもしれないけれど、でも何となくピンときたのだ。そしてそんな私を肯定するように、私を見つけた瞬間に獄寺くんの背筋は針金が入ったように真っ直ぐに変わった。 昨日みたいな恐ろしさは感じられず、動揺すると同時にほっと胸を撫で下ろす。 心なしか顔が赤い獄寺くん。 でも今の私にはそんな事は二の次、どうでも良すぎることであって、何故今彼がこんな場所で私を待ち伏せているのか、兎に角それだけで目一杯だった。 どうしよう、ものすごい眩暈が。 卒倒はしまいと地に足を付けて踏ん張る。流石にこちらから近付くのは憚られ、そのまま石のように立ち尽くしていると驚くことに獄寺くんの方から頭を掻きながら近付いてきた。私が更に固まってしまったのは言うまでもないだろう。 「なあ!」 「な、なあに…」 「そ、その…なんつーか、」 「うん」 「わ、わ、悪かった!」 「うん、え?」 悪かったと、目の前の不良少年は確かにそう口にした。 信じられない。昨日はあんなに眼光が鋭かった獄寺くんが、今はこんなにも真っ赤になりながら私に向かって謝っているなんて。 可愛い、可愛いにも程がある。 たった先程まで彼に抱いていた「恐ろしい」は何処へやら、もう私の中では赤面した獄寺くんが何重かのフィルターを通って脳内を闊歩していた。 余りの殺人的な可愛らしさに言葉が出てこない、としたい所ではあるけれど、何も言わない訳にもいかないだろうと辛うじて小さく漏らすようにそんな事はないと声を発する。今なら爆発出来る気がした、なんて馬鹿みたいだろうか。 「ほんとに、本当にか?」 「うん、…てか獄寺くん」 「あ?」 「そんなに思い詰めた顔するくらい」 私に言ったこと気にしてたの? 半信半疑で小首を傾げてそう問うてみた。それは結構な傲慢発言だったにも関わらず、どうやら図星だったらしい。あっと言う間に耳まで林檎状態の獄寺くんの出来上がりだ。おいおい、可愛すぎるでしょ。 紅潮する頬を隠すようにそっぽを向いてしまう獄寺くんに心臓の奥をぞわぞわ擽られる感覚を覚える。横を向いた所為で隠すに隠せなくなってしまった頬に何だか色々爆発しそうだった。ツンデレ、これはツンデレってやつなのか。 「あー、もう!」 「なっ、悪かったって!」 「違う、違うの!」 「は、違う?」 「もう!獄寺くん大好き」 早朝の人気の無い公園に木霊させるようにそう言ったら彼の顔は林檎から林檎飴にグレードアップした。本当は可愛い、って言おうとしたのに可笑しいな。よくわからないけれど変なことを口走ってしまった。 嘘、とも言い難くて取り繕うみたいに曖昧な笑みを零す。 ああ、もう後戻り出来ないかも。 そう感じたのは獄寺くんが驚いたように、そして思い切り照れたように顔を手で覆ったからだった。 「ほんと獄寺くん可愛いよ、ずるい」 「か、可愛くねぇ!」 「可愛いよ大好きだよ私」 「おっ、お前の方がかわ、かわいっつの…」 「え?なんて言ったの最後の方」 「何でもねえよ、気にすんな!」 そんな意味深な言葉を発するや否や、獄寺くんは私の体をその大きな背丈で包み込んできた。 無論彼が何を言わんとしていたかなんて、そしてこのままだと学校に遅刻してしまうだなんて思考はどこかに飛んでいった。そりゃあもう勢い良く、飛んでいきました。はいさよなら。 ただその時の獄寺くんの耳朶が真っ赤だった事に目が眩んだ。 「ずっと好きだったんだよ馬鹿」 彼の昨日からは考えられない程の甘い音が私の鼓膜を揺する。 それで漸く私は、獄寺くんがその小学生みたいな思考回路と共に今まで私をどんな風に思って見ていたのかを悟った。好きな子には意地悪しちゃうアレなんだと思う。 余計に愛おしくなってその耳朶に口づけたら彼の広い肩が面白いくらいに跳ねた。ああやだ、可愛いらし過ぎてきゅんきゅんします。 ピンクカードが出ました (title:苺夫人) (20120618) |