「あ、おはよー」
「……誰だぁ」
「なに、覚えてないの?」


きのう三回もしたのに。
唇を尖らせて、俺の目の前で缶ビールを傾ける見知らぬ女はそう言った。

それを聞き俺の体が硬直したのも束の間、昨夜の断片的な記憶らしきモンがじわじわ脳みそに戻ってきた。そう言やあ抱いたな、コイツ。確か背が低い割に胸はデカかった気がする。なんて思い出しても何の得にもならねぇ事を脳内にぽんと浮かべる自分がいた。
安ぽっさ全開のクリーム色をしたカーテンから差し込んでくる陽光が寝ぼけた瞼に容赦なく降りかかってきやがる。どうやら本当に朝みてぇだ。


「あー…、」
「あ、思い出した?思い出した?」
「まあなぁ」
「良かったあ」
「はぁ?何でだよ」


黙って帰りゃあ良かっただろぉ。
女、というよりはまだ少女と言うべきような幼い面持ちの彼女に声を大にして問い掛ける。外見からして十代だ。何も言わずに帰ってくれりゃあ関係も終わりだったんだが。何せ俺はコイツの携帯番号も名前も何も訊いてねーしなぁ。

ああうぜえ、面倒臭さに支配された頭を掻きながらベッド脇にぐしゃぐしゃになって転がるシャツを手に取った。半裸でベッドに転がっていたのも、俺がコイツと関係を持っちまった証拠なんだろう。


「ねえ、スクアーロさんはいつイタリアに帰るの?」
「明後日」
「ふうん」
「つーか何で俺の名前を」


知ってやがんだぁ、口にしようとした台詞は彼女が零したクスリと癪に触る笑みに阻まれた。大人みてぇに笑うヤツだ。
でも顔をしかめれば慌てたように「昨日言ってたの!覚えてないの?」と弁解したので少しだけ気が和らいだ。こんなガキみてぇに焦るクセに、何であんなに大人びた笑い方が出来るのか。

面倒だからと言って無碍に追い返す訳にもいかず、取り敢えず何も言わずに女の姿をまじまじと見詰める。下着姿の彼女は、どうしたのと目を丸くして日本人らしい黒髪をサラリと揺らした。


「お前歳は?」
「十八」
「高校生か?」
「です、よろしく」
「は?もう帰るんだろぉ?」
「え、帰んないよ?」


は?帰れよ、とは流石に言えずただ眉を顰める。彼女は昨日ホテルに連れ込んだ時のように妙に落ち着いた表情をしていた。何故だか知らねえが、不思議と目を引かれる表情。

そんな馬鹿みてぇな事を考えている間にも、名前もしらないその女はベッドの上で気怠く体を起こす俺にすり寄るように近寄ってきた。まるで水商売の女みてーだと、そう思った事は黙っておこう。


「私、スクアーロさんと離れたくない」
「冗談はよせぇ」
「冗談じゃなくて」
「ハッ、一晩で俺の何を知った?」
「知らないけど、最初に会った時にびびっときたの!」

ほんと、ホントだよ?
必死にそう口にする彼女の言葉も仕草も嘘臭すぎて少し笑えた。


コイツと出会ったのは昨日だ。
イタリアから遠く離れた異国の、ここ日本での任務が終わり帰りの便を手配した後だったか。偶然入った深夜のファミリーレストランで、コイツが俺に声を掛けてきたんだったな。任務終了っつー事、それと酔ってたって事の二つに飲み込まれていた俺は、確か大して嫌がりもせず彼女の呼び掛けに答えた。

が、結果がコレだ。面倒臭えヤツに引っ掛かったモンだと、歪んだシーツの上で後悔に似た思いが脳裏を過ぎる。


「気持ち悪ぃ嘘吐くなぁ」
「…ほんとだもん」
「目ぇ泳いでるぞぉ」
「っ、ごめんなさい」


女は諦めたように肩を落とした。細い骨が俺の二の腕に見計らうかのようにぶつかった。これも計算付くだったら本当に笑える。
ただそれは計算ではなかったようで、彼女は小さく謝罪の意を呟いて間もなく再び口を開いた。大人びた笑みも何もねえ、不貞腐れた悪ガキみてぇな表情で。


私、親が大嫌いなんだ。でもお母さんに向けてのイライラを言葉に乗せて、物に当たる自分はもっと大嫌いなの。だから、なんか色々耐えられなくなっちゃって。口うるさいお母さんも、私を見ると苦い表情を見せるお父さんもいなくなっちゃえばいいって思うんだけど、幾ら思ったって二人が消える訳ないでしょ?だから、うん。


「家出してきたんだよね」
「だから俺に声掛けたのかぁ」
「うん、宿なしだったし」
「帰るつもりは」
「なっしーんぐ」


無理におどけた笑みを浮かべる姿が痛々しかった。俺みたいな暗殺者がこんな情を沸かせるなんざ決していい兆候ではないと、そう分かってはいたが何故か本物の笑顔を見てみたいとバカな事を考えてしまう。それもこれも少しだけ震えているコイツの肩が悪いと、何となく責任転換をしてから肺に空気を溜めた。


「う゛お゛ぉい、家出女」
「何ですか」
「俺が向こうに帰るまでの間だけなら匿ってやるぞぉ」
「ほんと!?」
「どうせあと2日間だしなぁ」
「やった。それと私、なまえですから」
「変な名前だな」


うるさい、と建て前上の軽い反抗をしてくる彼女を尻目に、大きく一度伸びをする。柄にもなく女の名前を噛み締めるように諳んじてみる。なまえ、なまえなぁ…。


そして、そこから2日間は瞬きする暇もないくれぇに過ぎ去っていった。


任務の後始末、ザンザスへの報告書作成をしていない時間はほとんどなまえと二人で他愛のない会話をして過ごした。お互いあまり身の上には深く突っ込まなかった。

彼女は一度俺のシャツに付いた血を見た筈だが、それでも俺の職業が何なのかは問うて来なかった。というか職業やら身の上やら、知られちゃ不味いような質問をされたら直ぐに追い出そうと思っていたんだが、なまえが一線を間違える事はなかった訳だ。

本当にガキなんだか、大人なんだか分からねえヤツ。それが彼女と共にした四十時間余りで到達した結論だった。


「やっぱりもう帰るの?」


黒いスーツケースに荷物を纏める俺の後ろ姿をまじまじと見詰めながらなまえは徐に今更な質問を繰り出してきた。俺はと言えば、そんな俺の背中から目を離さずに固まる彼女の姿を目の前にある姿鏡でぼんやりと眺めるだけだ。いつもより幼いな、とか思える程時間を共有した訳じゃないが。


「当たり前だろ」
「そっか」
「なんだ寂しいのかぁ?」
「別に。ただ、家帰るのが嫌なだけ」


ついと顔を横に逸らしてそう言うなまえの黒髪が、ゆらゆらと揺れる。
親も心配してるんだから帰ってやれと言うと、そんな事ないと刺々しい口調で言い返された。が、俺は知っていた。

彼女の携帯の着信履歴は八割型親からの番号で埋められているという事を。いや、2日間以上も行方知らずで電話してこない方が可笑しいのかもしれないが、それでも親がなまえを心配している気持ちくらいは分かる。そしてそれに応えてやって欲しいとも思う。つまり俺もなまえにかなり絆されたって事だ。


「ちゃんと帰ってやれよぉ」
「っ、分かってるし!」
「う゛お゛、なにキレてんだよ」
「うっさいスクアーロさんの馬鹿!」


は、意味が分からねえ。いきなり頬を上気させて肩を震わせ、おまけに涙目ときたモンだ。自分が何も悪いことをしていないと確信が有るからか余計になまえの気持ちが計り知れなかった。

それを表情と態度に出して、要するに溜め息を吐き出すと共に首を振ると、鏡越しの少女は面白ぇくらいにびくりと体を揺らす。何だか傍目から見ると俺が悪者みてぇな役回りをしているようで気に食わなかった。


「スクアーロさんなんて嫌い!早くイタリア帰れ馬鹿!」
「言われなくてももう帰るぜぇ」
「っ、帰るなよ馬鹿鮫!」
「ハア?」


言っている事に矛盾が有りすぎて思わず何時にも増して大声を出していた。何だコイツ、さっきから全然理解出来ねえ。

ただそのままなまえににじり寄り問い詰めるのも憚られ、当惑を押し殺しながら涙を目に溜めに溜めた彼女を振り返る。当然のように合わさった視線の延長上の黒い瞳の奥には、色んな感情が混ざり合ってる所為だろう、深層心理も何も俺に分かりはしなかった。


「う゛お゛ぉい、なまえ」
「スクアーロさんの馬鹿阿呆ロリコン!」
「ロリコンじゃねぇ!」
「きゅんきゅんさせんなよエロオヤジ!」


なまえの余りにも不名誉な発言に気が立ち、エロオヤジだとぉ?とすぐに声を荒げちまったがよくよく考えりゃあ否定は出来ない事に気付いた。
ヤケになった女子高生をホテルに連れ込んで、やることやって2日間を共に過ごして…。一歩間違えば犯罪じゃねえかぁ。

しかし、だ。それに気付いたところで今更食い下がれる筈もない訳で。俺はもう一度反論しようと口を開いた。声を出すには到らなかったが。いや、というよりは出来なかったのだ。なまえが突然抱き付いてきやがった所為で。代わりのように俺の口からは情けねぇ驚きの声が上がっていた。


「ほんと最悪。お箸が上手く使えないとかさあ、きゅんってすんじゃん!」
「はぁ?」
「お風呂入ってる時に鼻歌とかもう私の事殺す気?」
「意味が分からねえ」

あと、よく備え付けラックの角に小指ぶつけるし!ボタンの掛け違えは普通にするし!自販機にビビるし!


私をキュンとさせないでよ、となまえは続けて弾丸のようにまくし立てた。
「キュン」っつーのはどういう意味なのかと聞く間もなく、彼女の細い腕が俺の体に巻き付く。まるで母親から離れたくない時の餓鬼だ。そう考えたら妙に愛おしくなってきた。俺は可笑しいのか。

乾いた笑みを漏らすと、俺の腹部辺りからくぐもった声音が飛んでくる。もうお別れって分かってるのに、だと。辛うじて聞き取れたが、コレは聞き間違いじゃなかろうか。


「お前、意外と可愛いとこあんだなぁ」


確認の為にそう言えばなまえの耳が一瞬にして赤くなる。聞き間違いじゃねえ、か。自分だけに聞こえるような小さな溜め息を吐いてから、放漫なリズムで彼女の腕を一本ずつ体から剥がした。俺はイタリアの暗殺者、片やコイツは日本の女子高生だ。彼女の気持ちに応えてはやれない。

ごめんなぁ、そう呟きながら白いメモを手渡す。今は気持ちに応えてやんのは無理だが、なまえが大人になれば話は別だ、そういう事だ。何も一生コイツの気持ちに応えてやれねぇとは言ってないだろ。

メールアドレスの書かれたメモ用紙を見て固まる彼女に向かってニヒルな笑みを飛ばせば、何故か餓鬼顔負けでワンワン泣き出された。泣き声が耳に障る。でも聞いていたい、とか俺はロリコンか。

「いい女になれよぉ」

兎に角、こんな歯の浮くような台詞、誰が考えたんだかなぁ。



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(20120430)



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