はあはあと息を弾ませる私の肩は、ぐるぐると渦巻く思考を更にややこしくするかの様に上下している。 目の前には人の残骸。頬に付いた返り血を思わず舐めてしまう私。どうやらこの癖は治す事は無理そうだ。 気持ちを落ち着かせるため一度大きく息を吸って、改めてこの状況を確認する。 この場所は華やかな明かりから一本だけ道を隔てた路地裏。 別段土地勘が鋭いわけではないから確信はないけれど、明るさとか匂いとか、何より物騒な雰囲気からして間違ってはいないと思う。 そして私の剣をひたひたに濡らした真っ赤な血の持ち主は、先程まで談笑していた筈の彼女。 ヴァリアーを抜けてアパレル店員になっていた、美人な私の部下だった。 何故私が彼女を殺したか。 その理由は単純だった。 順を追って説明すれば、彼女の休憩に合わせて二人でお洒落なカフェに入ったところで、私は彼女が以前のベルの恋人…いや、愛玩具だった事を聞いた。 恋人にしてくれと懇願したものの、お前は王子の趣味じゃない、ただの玩具だと一蹴されたと彼女は言った。 その時点で私の中には沸々と、彼女への殺意が湧いていた。 ベルの玩具であった事に傷付いたのは勿論だけど、それ以上に彼女がベルを詰るような口調だった事に頭にきたからだ。 彼女が自分に魅力が足りなかった事なんて棚に上げて、おもちゃなんて扱い酷いと思いません?なんて私に同意を求めて時は思わず笑ってしまいそうになった。 ベルに必要とされるなら玩具でも何でもいいじゃない。 何でそこでベルを悪く言うんだろう、この人は。 そう思って体中の血が彼女を殺そうと囁いてきた。 …けれど、流石に店内で殺人なんか犯したら、どうなるか分かったものじゃない。 私は逃げおおせる自信はあるけれど、その迂闊な行動の所為でヴァリアーやボスに迷惑がかかったらと思うとどうしても出来なかった。 それに、私も暗殺者と言えど所詮は人の子。元部下に手をかけるのは、多少だけれど良心が疼いた。 聞けばベルと関係を持っていたのは私とベルが付き合い始める前のようだし、ベルだって男なんだから仕方ないと、彼女も見逃してやろう。 そう思っていた。 思ってはいたんだ、その次の彼女の発言が私の耳に届くまでは。 「でも私…あんな風に言いましたけど、実はベル様をまだ恋い慕っているんです…」 ノエル様には負けたくないんです。 続けてはっきり口にした彼女への殺意が膨らんだのは、言うまでもなく。 気付けば私は彼女の細っこい手首を掴んで立たせ、店の外へと強引に連れ出していた。 彼女も元ヴァリアー隊員であるだけに、すぐに私の目に宿った殺意の存在に気付いたようで、ヒッと短い悲鳴を上げて私を振り切り逃げ出した。 だけれどそこは引退者と現役の差。 追いつくのなんて赤子を捻るくらい簡単だった。 ただ、あまり人目に付きたくない私は彼女を泳がせるように逃げさせ、そして彼女は見事に私の策の中で泳いでくれたらしく、ものの五分で現場となった路地裏に辿り着いた。 ここなら、人通りもないし…。 細く微笑みながらコートの下で携帯していた細身の剣を抜くと、彼女の顔が面白いくらいに歪む。 いやいやと首を振って後退する彼女と、自然な笑顔を絶やさぬまま一歩一歩近付く私。 映画で言ったら私は完璧に悪役だろう。彼女という恋するヒロインの命を摘み取ってしまう、自分勝手で無慈悲な悪役。 それでもいい。 悪役だってベルが好きなの。 彼への愛を貫く為なら、一国を、世界を滅ぼす覚悟があるの。ベルという何にも代え難い存在を望むのなら誰だって容赦しないし、出来ない。 「私に負けたくないのなら、私を殺してみなよ」 カツカツとブーツの音を響かせながらそう言うと、彼女は目を見開いて立ち止まった。何か策でもあるんだろうか。 つられて私も立ち止まれば、彼女からは笑顔が返ってきた。 一見不適な笑みに見えるその表情を、私はよく知っていた。 相手との力量を知っていてもう適わないと諦めつつも、差し違える僅かな可能性を持って挑んでくる目だ。 可能性なんてゼロなのに。 「ノエル様、ベル様がお好きですね」 「ベルは私の全てだもの」 「その狂気、いつか壊れますよ?」 「いいよ。ベルの為に壊れるんだったら」 私は自我なんて簡単に手放すよ。 そう付け加えれば、彼女は一瞬目を丸くしたものの、すぐに笑みを取り戻して私を見た。 いつの間にか彼女の手に握られている護身用らしき短剣も、彼女の嘲りを含んだ笑顔も、何もかもが憎たらしい。 「そんなノエル様って、人間じゃないですよ」 一際憎たらしい台詞を最後の言葉として、彼女は私に短剣の刃を向けて突進してきた。 結果は分かりきっていた。 私が彼女の突きを避けて、そのまま剣で斬りつけて、終わり。彼女の人生も終わり。 そしてあまりにも容易く、地面に赤い血溜まりを作っていく彼女を見下ろしているという今の状況が出来上がった訳だ。 ベルの絡みとしても衝動的な殺人を犯した私は、息を整えつつ剣を振って刃についた赤を落とした。 ただ殺したのに、まだ気が済まないのは多分、彼女が死に際に放った言葉が存外私の心臓に突き刺さったからだと思う。 私は人間じゃないと、彼女は言った。 じゃあ人間じゃなかったら私は一体何なのだろう。 ベルに執着する人形?人殺しの道具? それとも認めたくはないけど、彼女と同じただの玩具…? 胸ポケットに忍ばせていた、ベルにと購入した銀のネックレスの重みを手のひらで受け止めてから、その場を後にする。 そんな私の後ろで、ベルに恋しながら無残にも横たわった脱け殻は、まるで私とベルを嘲笑うかのような笑顔を浮かべていた。 To be continued... (20111219) [←→] |