プシャアァ…―― 空間を切り裂くような音と共に、私に赤ワインよりも毒々しい赤さの飛沫が飛び散った。私の顔に、服に、全てに容赦なく降りかかってくるその赤い液体が心地良くて仕方無い。 私にとっては今この瞬間が、何よりゾクゾク出来て何にも代え難い快感なんだもの。 自慢の剣にべっとり付着した血をペロリと舐めとれば、口の中に鉄臭さと何ともいえない味が広がった。 無意識に笑みが零れてしまうのが自分でも分かる私は相当いかれているんだろう。 私にもその自覚くらいはある。 それでも止めようとは欠片程も思わないのは、殺人という行動が余りにも甘美なものだから。 だからしょうがない、よね。 自分の足元に出来た死体の山を見下ろしながらそう小さく呟いた後に、さっさとその場を後にするべく自然に足が動いた。 後始末は部下に任せよう。 それで早くお屋敷に帰って、ボスに報告しなきゃね。 雲一つない濃紺のベールで包まれた世界で、私は返り血まみれの姿で一人、笑顔を崩すことなく帰路に就いた。 私の職業は暗殺者。世界一と謳われる暗殺部隊ヴァリアーの幹部をしている。 そんな私の趣味は人殺し。 というか、そもそも人の命を殺めるという行為に病み付きになったからこの職に就いた。趣味が先行してそのまま仕事に、って感じだ。 だから私はいま、とても幸せな生活を送っている。 だってそうでしょう、好きな事を生業として生きているんだもん。趣味の事をするだけでお金と居場所を与えられるなんて、幸せ者としか言いようがないじゃない。 それに私が幸せなのは、何も殺人の自由があるからだけじゃない。 私には、この世で一番大切な王子様がいるから。 私は彼のことを考えるだけで気持ちがピンク色になって宙にほわほわ浮いてしまう。 現に今だって彼のあの気高い金の御髪を、弧状に歪んだ口から覗く白い歯を、細長く適度に筋肉が付いた肢体を、彼の全てを知らず知らずの内に瞼の裏に浮かべてしまっている。 そしてその度に頬が紅潮してしまうのが温度変化で分かるから、私って世話ないなあ、なんて考えてしまう訳だ。私は重傷ね。 疲れた体をさり気に解しつつ、目の前にそびえる目的地であった私の帰る場所、ヴァリアー邸に入った。 夜が本番である暗殺者達の根城であるだけに、昼間と同じくらい沢山の隊員達が忙しなく動き回っている邸内を迷わず一直線に歩んでいく私に、周りから逐一挨拶が降りかかってくる。 幹部という立場上、深夜帯に雑務に勤しむ部下達に返事をしないのは非道ってものだろう。 そう考える私は仕方無く、曖昧に頷いたり会釈らしき動作をしたりしながら彼らの間をスルスルと歩いていった。 目的はもちろん、ボスに報告する為の隊長室。 …と言いたいところだけれど、生憎まだ報告書を書いていない為それは出来ない。報告書も無しにボスのところに行く程命知らずでもないし。 それより邸内に入ってから、いかに自分が鉄臭いか気付いたから、取り敢えず自室に戻ってシャワーを浴びようと思っている。 そのまま廊下を突き進んでいくと、ようやく自分の部屋が見えてきた。 報告書書きたいし、シャワーは手早く済ませよう…。 そんな風に考えつつ歩調を緩めた私の目にふと飛び込んできたのは、自分の部屋の前で座り込み、俯いて何かをする見慣れた金髪。 それは私の世界を構成する二つの要素の内の一つで、一瞬にして心拍数が上がった気がした。 「ベル…!」 「あ、ノエル。オカエリー」 「何でここで座り込んでるの?」 「ししっ、んー、気分?」 そうやって笑うベルの周りには綺麗に磨かれた彼愛用のナイフと、それを磨くワックスやなんかが乱雑に広がっていた。恐らく私を待ちながらナイフ磨きをしていたんだろう。 別にその点は微塵も疑問に思わない。 だってベルはキラキラと光を反射するそのナイフが大好きだし。 私が気になったのは、彼は何故私の部屋に入って待っていなかったんだろうって事だ。ベルには合い鍵だって渡してあるのに。 どうにも腑に落ちなくて小首を傾げてベルを見やると、彼は少し居心地が悪いかのような表情を私に向けてくるものだから、益々よく分からなくなる。 「ベル?どうしたの?」 「あー、…ノエル、怒んなよ?」 「私ベルに怒った事ないよ?」 「……鍵なくした」 バツが悪そうに乾いた笑い声を漏らすベル。 一瞬彼が合い鍵を無くした事に憤りを感じなかったと言えば嘘になるけれど、彼が悪戯が見付かった小学生みたいな顔をしてこっちを見るから、怒りはそこで萎んでいった。 …というか、それよりもベルが可愛すぎて駄目だった。 唇尖らせて謝るなんて、私を腰砕けにするつもりに思えてならない。 軽く被害妄想に耽りながら、しゃがみ込んでベルと同じところまで目線を落とす。 彼が愛おしいくてどうしようもなくて、取り敢えずその首元に自分の顔を埋める事で落ち着いた。 「ナニ、ノエル怒ってんの?」 「怒ってないよ。鍵くらい」 「ししっ、じゃあなんだよ」 「…ベル、すきい、」 顔を埋めたまま、くぐもった声音で正直な気持ちを吐き出した。私の気持ちは、それしか出てこないから。 きっと、私には見えないけれどベルは今、ニンマリとほくそ笑んでいるんだろう。 返ってきた返答はどこか軽快で、彼の機嫌が良いことを物語っていた。 「しししっ、王子もだし」 「うん。知ってる」 「ちぇっ、早く部屋入ろーぜ」 もう一度うんと頷いてベルから体を離した。名残惜しいけど、しょうがない。 鍵を開ければガチャンと景気のいい音と共にノブが回り、そのまま中へとベルを招き入れる。 ああ、ボスごめんなさい。 報告書は明日になりそうです。 そう心の中で呟いてから、私はベルとの時間を有効に使う為に足早にバスルームへと向かった。 To be continued... (20111211) [← →] |