笑えない。 なにその理由、全く持って全然、これっぽっちもミジンコの腕程も笑えない。ミジンコに腕があるのかは分からないけど。兎に角そんな理由笑えない。笑えないっていうか許せない。 なんなの、オレやっぱ先輩に釣り合わないっスって。 なに、どういうこと?ここ笑うとこ?笑えばいいなら笑うわよアハハハ。でもどうやらそうじゃないらしいから笑えないんじゃないの。 何時もへらへらしてるクセに、今だけは真剣な目をしてますとか本当に笑えない。笑いたくもない。 「世良、あんた一遍死んだら?」 「スンマセン先輩、無理っス」 「スッス煩いのよ馬鹿チビ」 吐き捨てるように言ったら、スンマセンこれキャラなんで仕方ないんス。またスかよオイ、標準的な喋り方どこに置いてきたんだよアンタの世界には先輩しかいないのか。そう言いたくなったけど堪えた。だって今はそれどころじゃないし。 高校時から付き合って早五年、初めての破局の危機に喋り方なんて構ってられないに決まってる。まあ、絶対別れてなんかやらないけど。 「釣り合わないって何?身長?」 「違うんス」 「そりゃ私達、辛うじて世良が高いくらいだけどさ」 「だから違うんですって!」 唾を飛ばす勢いで言葉を飛ばしてきた世良。その返答が気に入らな過ぎて顔をしかめる私。 私はいくら考えても身長以外に釣り合わない物が見つからないんだけど。おっかしいなあ。 でもだって、私達あの堅物(なイメージ)の堺さんにおしどり夫婦といわしめたカップルオブザカップルだよ?「釣り合わない」その六文字で片付けられてたまるかっての。 「ちゃんとした理由を述べて簡潔に」 「か、簡潔っスか…?」 「はいどうぞ」 大分頭にきていたので世良の言葉なんてスルーして先を促す。 何時もそうだ、何時も私が苛々して我慢が足りなくてキレる役、世良はそれをへにょへにょの笑顔で止める役。 なのに何で今日のコイツは押せば潰れそうな笑顔じゃないの。なんでちょっと真面目な顔なの。笑顔の代わりに涙が出てきそうで怖い。 そんな私を尻目に、世良はおどおどした態度で、但し目ははっきりと私を捉えながら話し始めた。 ちなみに私は何だかいたたまれなくなって目線を世良の顔から逸らした。ら、丁度いい感じに見え隠れする鎖骨が目に留まったからそこに焦点を当て続けることにした。ちょっと虚しいよ何でだろう。 「まず勘違いしないで欲しいんスけど、オレ、先輩のことメッチャ好きなんス!それこそサッカーの次…いや、サッカーと並ぶくらいかもこれマジですからね!嘘じゃなくオレ、先輩に惚れてんスよ!?」 ああ、さわりからしてもう簡潔じゃないなコイツ。 世良の弁解を聞く気が萎えたのは言うまでもないけど、でも何故か私は耳を傾ける事を止められなかった。多分私は世良の言わんとしている理由をどうしても理解したいんだと思う。マジで先輩に惚れてんスよ、なんて言われたら尚更だ。 だから私は依然綺麗な鎖骨と睨み合ったまま、世良の言葉を遮る素振りも見せずに聴覚だけを集中させた。 世良と付き合い始めてからこの方、私は彼との関係の中で常に優位に立っていた筈なのに、今ついに形勢逆転された気持ちだ。悔しい。悔しいけど、このまま私達の関係が潰えるのを指をくわえて見てるのに比べれば悔しさなんて何でもないと思えた。 「でも…オレなんつーか、プロサッカー選手としてまだ食っていけてる実感がねーって言うか、いや今んとこは食えてってるんスけど!金に困ってる訳でもねーんだけど!でも、なんつうか先輩を幸せに、いやちゃんと養って?メチャクチャ幸福にっつーか……あーもう分かんねえ!オレ分かんねえス先輩!」 は?私のが分かんないスけど。 世良の言葉の意味を、私なりに一生懸命噛み砕こうと思って瞬きを三度繰り返す。けど勿論現状がぱあっと変わる訳でもなし、私の目の前で相も変わらず、彼氏が必死に口をパクパクさせているだけだった。 ただ全部が分からなかったって訳じゃない。辛うじて私を幸せにしたい的な意味合いは察知出来たし、世良がこれから先もJリーガーとして生きていこうと思っているのも掬い取れた。 ただね、そこから先が問題な訳。 私を幸せにしたいとかほざいてるクセに、何で今振らんとしているのか。そこが一番重要に決まってる。決まってるのに、何故かその部分は言葉が見つからないという。まったくコイツは…再三言うようだけれど笑えない。 「分かんないじゃ別れない」 「…スンマセン先輩」 「なんで?好きなのに別れるって意味不明。あと釣り合わないのも意味不明。全体的に世良、アンタの言いたい事が分かんないよわたしは」 まあ分かりたくもないけど。そう付け足して言うと何故だか世良はそこに食い付いてきた。先輩、オレの事そんなに好きでいてくれてんスか、って言われてかなりカチンとくる。 でも今は我慢、我慢だわたしと言い聞かせて当たり前だと言ってやった。世良に対してそんなに淡白に当たった覚えは…まあ、なきにしもあらずだけど、でも通常運転時は確実に愛を持って接していた。 だからこそ、何でもないようにサラリと答えた。するとどうだろう、思いもよらない出来事が起こった。 「な、なに泣いてんのアンタ」 「うっ、…ぐ、ぜんばぁい、」 「え、なになにどうしたの世良」 泣くとかダサいよ、という台詞は無理矢理飲み込んで大人しく背中をさすってやったものの、どうやらそれは逆効果だったらしく世良の口からは嗚咽混じりの声が次々飛び出してきた。参った、なんだコイツ本当に意味分かんない。人間として理解しかねる。 でも意味不明なモノに対する懐疑と同時に、すっごい不透明な愛しさがコポコポ音を立てて胃の辺りから湧き上がってきた。 先輩センパイと縋るように私を呼んで、果てには私に体重を預けるように雪崩かかってくる世良。これでよく別れ話を切り出せたモンだわコイツ。でも可愛い。ていうか可愛すぎる。 …やだやだやだ、別れてなんてやりたくない。 私どんだけ世良のこと好きなのか分かってなかったよ。ごめん全然アンタの事甘く見てた。でも駄目だ、私スッススッス馬鹿みたいに煩くて馬鹿みたいにアホな世良がかなり好きみたいなんだよね。 結局どうして世良が私と別れたがっているのかは分からず終いだけど、そんな意味不明な感情も込みで世良への愛しさで満ち溢れてゆく私の胸中。 絶対、絶対に離してやらない。 キリストでもシャカでも何の神にでも誓ってやる、別れてなんてやらないって。 そんな強気な事をふと考えたら、なんだか笑えてしまった。笑えない笑えないと思っていたのに、案外笑ってしまえばなんて事はないように思える。 取り敢えず私は弱っちくて後輩体質の彼氏を絶対逃がしてやらないぞという意味合いを込めて、彼の右頬をぺちりと柔らかく叩いてやった。 世良はうげっ、とかやっぱり意味の分からない呻きを漏らしたけれど、愛情みたいなのも込めたし痛くはないはず。 「馬鹿だな世良、私もっとアンタに幸せにして欲しいんスけど」 . 世良は後輩らしくへたれればいい。 あと赤崎!赤崎もっと生意気になれ。そしてへたれろ。 (20120222) |