「夢の国に行きたい」
「はあ?」
「だから、夢の国に行きたい」
「そうか」
「うん、夢の国に行きたいんだってば」
「行きたきゃ行って来いよ」


勝手にな。目の前の男は薄情にもそう告げた。むかむかむか、と、喉元まで胃酸が一気に駆け上がってくる。仮にもわたしの彼氏という洋服を着て生活している人間であるはずなのに、何故こうもカップルっぽくならないのであろうか。わたしのことが嫌いなのか。いや、こいつは嫌いな人間と付き合うほど器用ではない。じゃあなんだ、わたしの色気が足りないというのか、そうかそういうことか。

自分の中でバチリとはまった回答に撫肩を更に下げながら、はあ、と大きく一つため息。夕方の誰もいない教室に、それは当たり前のように吸い込まれていった。ゾロという名前の大きな腐ったマリモみたいな彼氏は、そんな私の心境を知ってか知らずか、はたまたため息に対してなのか、誰がみても苦笑いするであろうほど盛大に眉をひそめてこちらを見ていた。


「んだよ」
「あのさあ、前々から薄々感じてはいたんだけど、そのめんどくさそうな態度は何。わたし彼女じゃなかったっけ?」
「彼女だろ。でもそういうのは面倒くせぇ」
「そういうのって何」
「この、押し問答みてぇな無駄なやり取りのことだよ」
「む、むだ…っ!?」


目眩がした。思わず教室の壁に背中を預け、眉間を手で押さえる。無駄、無駄だと言いたいのか。私たちのこのやり取りは、私のかけらほど残ってくれていた乙女心は全部無駄と。何それ。悲しいとか虚しいとかではなく、たしかに怒りという感情が腹の底で渦巻いた。

壁に寄りかかった際に余程盛大な音を立てたのだろうか、ゾロは少しびっくりした顔をして、大丈夫かと私の肩口へおずおず手を伸ばしてくる。大丈夫かだって?大丈夫ではない、少なくとも背中の音も聞こえなければ、痛みも感じなかったレベルで。

伸ばされた筋肉質な腕が私の体に到達する前に、右手でそれをぱしりとはたき落とす。ふるりと彼の瞳が揺れる様は、今は全然カッコいいとも思えなかった。


「もう、やっぱりいいや。」
「何がだよ」
「…」


それはゾロに向けてなのか、自分に言い聞かせる為なのか。それも分からなかったけど、とにかく、私が最後にはなった一言はゾロも私自身も傷付けたに違いない。言い放った瞬間、ちくりと心が痛んだ私が言うのだから間違いない。言わなかったら良かった、なんて、これぞ後悔先に立たずである。

「ゾロに期待しても無駄なんだね。」

蝋のように固まって動かないゾロの前を横切るように、ゆっくりと歩き出す。下駄箱で靴を履き替えて、深呼吸してからまた歩き出した。でも、何故か段々苦しくなって、見慣れた我が家の玄関が視界に入る頃には、私は全速力で逃げるように走っていた。







「オイ、待てよ」
「……」
「なあ、待てっつってんだろ」
「……」


あの日以来、私はゾロとほとんど会話を交わしていない。ゾロとはクラスが違うので元々毎日顔を合わせていたわけではなかったが、最近は私が意図的に絶対に合わないようにして生活しているため、全くと言って良いほど顔を合わせていなかった。が、しかし。どういう事なのか、今日は普段なら絶対にいるはずもない場所にゾロがいて、私を見つけるや否やなんとも形容し難い顔でずんずん近付いてきた。無論私は逃げた。オイとかなあとか、ゾロは私に話しかけてくるが、今のところは逃げながら全部無視を決め込んで足を動かしている。

ここで返事をしたら、なんか負けた気がする。こんなプライドはゴミほどの価値もないと、自分でも分かってはいながらも、やっぱり後には引けない自分がいた。そのくせ、面と向かって話をする勇気はいまいち湧いてこないのだから、わたしも狡さだけは一丁前であると認めざるを得ない。

しばらく学校内を馬鹿みたいに逃げ回っていた。しかし、悲しいかな男女の違いか、ゾロの怪物みたいな体力のせいか最後にはぱしり、あの時わたしがゾロの手を振り払ったのとほとんど同じ音を立てて、ゾロの無骨な手がわたしの手首を捉えた。ちょうど、美術室の奥にある誰も使わないような廊下に入ったところだった。壁には、贋作に間違いないゴッホの黄色いひまわりが掛けられている。


「なんで逃げんだよ」
「う、る、はぁ、さい、はぁ」
「息上がってんじゃねーか」
「うっさいわ、ね、はぁはぁ、そっちこそっ」


言い返してみるも、ゾロの呼吸は全くと言って良いほど乱れていなかった。肩で息をして額にじんわり汗がにじむ私と違って、彼は戸惑いを隠せないと言った表情で、ゆっくり私の方を見ている。「俺は息上がってねぇ」分かってるわよ、と、ゾロが唇を尖らせて零した言葉尻にかぶせるように肯定を返す。普段の怠惰な学生生活が祟ってなのか、未だにわたしの呼吸器官はぜーぜーといつもならあり得ない濁点を付けて空気交換を行なっている。


「…手、離して、痛い」
「っ、わりぃ」
「…何」
「何って、こっちの台詞だろ。なんで避けるんだよ」
「なんで?分からないの?」


責めるように口にすれば、ゾロは答えに詰まったようにぐ、と身じろぎした。分からないなんて許さない、と声には出さずとも視線で訴える。ぎろり、より一層強くゾロの顔を睨みつけてやると、バツが悪そうに眉根を寄せる端正なお顔立ちの私の彼氏。かっこいいなあ、とか、思ってやらない。思ってやらない、のに。


「あー…、あれか、俺がめんどくせぇって言った…」
「と?」
「と???」
「あと、なんかあるでしょ?」
「あと…?すまん、分からねぇ」


分からないですって!?ゾロくん大して勉強もしてないのに頭が可笑しくなったのかしら、と喉元まで上がってきたセリフを無理矢理飲み込む。一言謝罪があっただけいいだろうと思ったが、矢張り遣る瀬無い気持ちがムクムクと目を覚まして胃の底から気管支に向かって鎌首を持ち上げたのがわかった。
美術室の近くだからか、油絵の具のような独特なにおいが鼻をつく。今まで全然気がつかなかった。走って息が上がっていたからなのか、目の前の彼氏に必死だったからなのか。鼻腔をくすぐる匂いに少しだけ脳髄がくらりとして、ひまわりの絵とこちらも明らかに贋作だろうエドガー・ドガのバレリーナの絵の間の壁に右肩を預けた。


「…夢の国」
「あ?」
「…に、行きたいって言ってるのに、ゾロは全然興味なさそうだし。私と行ってもつまんないって思ってるのかなって。私だけが彼氏彼女っぽいことがしたいのかなって思うでしょ。不安っていうより、それがなんか…」

すごく嫌で。
意を決してはっきりとそう口にすれば、ゾロは餌をもらう3秒前の鯉みたいに間抜け面で口をぱくぱくとさせていた。本当に分かってなかったのか。改めてこの男の疎さを実感した。まあ、そういう恋愛ごとに疎いところが可愛くない訳ではないんだけど。


「なっ…行きたいって、俺とかよ」
「そりゃそうでしょ、ゾロ以外誰がいるの」
「いや、だってお前、俺と行きたいなんて一言も言ってなかっただろ。だから俺はてっきり友達と行く予定でも立てたいんだと思って…」


前言撤回、可愛くもなんともない。疎すぎて呆れる。じゃあ何、こいつは私が夢の国に行きたい行きたいとわざわざ言ってたのに、自分には無関係と本気で思ってたってことか。馬鹿なのか。阿保なのか。
今すぐそうまくし立てたい気持ちに駆られるが、ぐっと堪えてゾロの瞳を真っ直ぐ睨みつける。思ったより動揺しているのか、ゾロの耳は真っ赤になっていた。


「…ゾロと行きたいに決まってる」
「す、すまん」
「やだ?このやり取りも無駄?」
「嫌じゃねぇよ、悪かった。」


そう言いながら、ゾロの腕が私へと伸びてくる。数日前は振り払ったそれを、今度は受け入れてあげた。腰をぐいと引かれ、私の重心はゾロの胸板に預かってもらう形になる。ゆっくり彼の背中に手を回す。ゾロはとても逞しい身体つきなので、腕は完全には回らない。その代わり、しっかりと自分の腕にも力を込めた。きっと今、彼は耳だけじゃなくて顔も真っ赤にしているんだろう。見えはしないけど、そんな確信があった。私の気持ちを裏付けるかのように、ゾロの心臓はどくどくどく、早鐘を打っていた。数えたら20秒で40回だった。計算したら、1分で120回だ。マラソンかよ、腕の中で思わずそう呟くと、ゾロが低く掠れた声でなんだと聞き返す。


「ん、何でもない」
「…なぁ、悪かった」
「うん」
「面倒くさくねぇよ、お前と喋んのは」
「…うん。」


私も、ちゃんとゾロと行きたいという意思表示をしてこなかったのは悪いかもという自責の念が有った為、彼の言葉に対してしっかり頷いてみせる。それが嬉しかったのか、ゾロは安心したみたいにニカッと笑った。その笑顔は、近くにかかってるヒマワリの絵画よりも全然綺麗で、凛々しくて、ここ最近の私の凍った心をゆっくりと溶かしてくれる気がした。

ゾロの腕に抱かれてどのくらい時間が経ったろう。10分のような気もすれば、1分にも満たない気がする。
厚い胸板を枕代わりにしてゆったりとした時間を楽しんでいると、不意にゾロの両腕が私の肩を掴んで、べりっと剥がされた。なんだなんだ、そう思って彼を見上げると、黒々とした彼の瞳が心なしかキラキラ輝いているように見えた。どうしたの、と聞くより早く、ゾロの薄い唇が開く。


「おい、今から抜けられるか?」
「え、今から?」
「おう」
「サボるってことだよね…いいけど」
「よし。荷物教室だろ?5限始まる前に取ってこい。んで、下駄箱集合な」


至極楽しそうに紡がれた言葉に、私は少し怪訝に思いながらも頷く事しか出来なかった。壁の絵画たちを何とは無しに流し見ながらゾロと手を繋いで歩く廊下は、逃げるように走ってきた時とは打って変わって、優しい色で染め上げられているような気がした。







今から抜け出すと言って連れてこられたから、てっきり夢の国に行くのかなあと思っていた。しかし、それはどうやら勘違いであったようで、ゾロに手を引かれて行き着いた場所は一駅先の駅ビルだった。今から夢の国じゃ一日楽しめなくて勿体ないなぁ、なんて思っていたが杞憂だったらしい。

持ち金も少ないし良かったような、何となく期待を裏切られたような複雑な気持ちで、ゾロに連れられて建物内をずんずん歩いていく。平日の日中に制服姿だから目立つのだろうか、店員さんやショッピング中のお姉さんが、ちらちらこちらを見ては囁き合っているのが嫌でも目に入る。
いや、これは、ゾロだ。そう確信したのは、美人なお姉さんがゾロを見て隣にいた友人らしき人にあの子イケメンじゃないと言っているのが耳に入ってきてからだ。なんだかモヤモヤする。ゾロは私のなのに、なんて子どもじみた独占欲と戦っている間に、彼のお目当ての場所に辿り着いた。そこは、中高生から大人まで、幅広い世代をターゲットにした大手ファストファッションのブランドだった。


「よし、着いたぞ」
「ねぇゾロ」
「あ?」
「…なんで洋服?」


私があまりにも頭の上にハテナを乗せていたのだろう、ゾロはピクリと右の眉だけ動かして、あーとかえーとか適当な接続詞で台詞を用意しながら、ちょっとだけ私の手を握る力を強めた。


「あー、その、なんだ、夢の国に行くんだろ?」
「う、うん、ゾロがいいなら」
「だから、…なんだ、その、」
「うん」
「服を、選べよ。あ、いや違ぇな、選ぼう。」


店内BGMは洋楽だった。CMで使われてたやつだ、知ってるな。そんなどうでもいい記憶が頭を過ぎった。ゾロは、美術室の時と同じかそれ以上くらいに顔を真っ赤にして、これ以上は察せよと目で訴えてくる。何を察すれば、と一瞬だけ思ったが、すぐ解決した。ただ、私の察した答えはゾロの考えにしては有り得ないというか、本当か?と思ってしまって思わず二回瞬き。
その後にゾロの瞳を見上げると、日本一かっこいいそいつと目があった。洋楽はサビが来て明るい店内をさらに盛り上げる。彼は照れた顔をしている。もしかして、まじか。


「お、おそろい?」
「………嫌かよ。」
「…いいの?」
「お前ならな」


照れ隠しなのか私の視線を捨てるようにふいと横を向きながら、ゾロはそう言った。もう、緑色の髪も赤く染まってしまうのかと危惧するほどに真っ赤っかである。私はと言えば、ゾロがこんな提案をして来たことに驚き半分、心のむず痒さに緩まる口角を必死に抑える気持ち半分で、どうしたら良いかわからずにいた。

ゾロに期待しちゃダメなんて、そんな事を言った数日前の自分を恨む。私の中のゾロかっこいいよメーターはうなぎ登りである。この瞬間、これより最高の男は未来永劫現れないと確信した。

嬉しさを声に滲ませて言ったありがとうを、ゾロは満足げに制服のポケットに入れて笑った。今週末部活ねぇんだ、とも言った。その言葉に、私の脳内はいよいよ彼とのデートプランを立て始めた。何色の服がいいかな。下は制服で、パーカーを合わせるのもいいかな。でも、デニムで合わせても可愛いな。思い馳せるは、正に夢の国。



未来をはちみつ漬け


調子に乗ってお揃いの耳を付けようねと小声で言えば、考えとくと返事が来た。ゾロが絶叫系が苦手だということに気が付いたのは、実際に夢の国で大絶叫する彼を見てからのことである。


title:ちえり
(20190130)

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