一体私は彼を何度恨んだ事だろう。
先輩センパイと尻尾を振る犬のように擦り寄ってくる後輩の彼を、というよりは彼の年齢をもう数え切れないくらい呪った気がする。

だから私には秘密がある。どうしてその悩みから秘密が生まれるのかイマイチ分かり難いと言われるかもしれないけれど、兎に角私は恭平に隠している事がある。言っておくけど実際の年齢をさば読んでるとかではない。なんせ私と恭平は同じ高校に入っていたのだから。

私が恋人である彼に隠しているのはそれよりもっと深い、私の根底部分の問題なのだ。


「先輩!こんなとこにいたんスか」
「あ、恭平。お疲れさま」
「あ、て酷くないすか!?後藤さんの方を見ながらって!俺彼氏なのに!」
「はいはいごめんね、ってなに恭平ご飯粒付いてるじゃん!」


言いながらふかふかのソファから立ち上がって気配り上手な後藤さんが差し出してくれたボックスティッシュを有り難く受け取る。

いい年したプロサッカー選手が全くもう。
自分でも年寄りくさいと思いながらも小言を挟むと、恭平は何故か照れくさそうにヘラリと笑った。そのままティッシュをリレーすると、「先輩に怒られたー」なんて昼間から間延びした声に鼓膜を揺すられる。

何故嬉しそうなのコイツ。もう付き合い始めてから今までの数年で何百、いや何千回と感じた疑問を溜め息で出力しつつ、ヤレヤレといった雰囲気を隠しもせず全面に押し出している後藤さんと顔を見合わせた。

実はこれが私の悩み、ひいては秘密の原因たるものだ。

私の秘密、それは実は私がMだということ。こんな後輩と付き合っているにも関わらず、だ。そしてそこから生まれた悩みが、私がどんな酷いことをしたとしても彼が叱ってくれないことなのだ。
叱られたいけど、恭平は彼女を叱れるような性格ではないし。だからといって恭平から別の男には乗り換えたくないし。だって、恭平自体は好きなのだから。


「そう言えば世良、練習は終わったのか?」

「今日は終わりっス!っても皆ケッコー残って調整とかマッサージしてもらってたりしてて」
「恭平はやんないの?」
「だって先輩に早く会いたくて」


子供のように口をすぼめて言い訳する恭平の額をたらりと汗が伝う。後藤さんは恭平に程々にしろよなんてあまり効果のない事を言いながらその場から立ち上がってしまった。

俺も今から達海に話があるし、若い二人の邪魔はできないからな。
いつも以上に爽やかな笑顔で吐き出された言葉は果たして本心なのだろうか。別にどちらでも構わないけれど何だかまた溜め息を零さずにはいられなかった。ハア、と自分の中でくすぶる致し方ない感情を空気へと投げる。

すると隣の恭平が何事かと、びっくりする位の勢いで首をこちらに曲げてきた。心なしか顔が近い。


「先輩、最近溜め息ばっかすね」
「そうすか?」
「なんか悩みでもあるんじゃ!?」
「そんな事ないっすー…」


恭平は案外鋭い。
でも今の私の悩みを知られるのはマズい、どう考えてもまずい。そんな危機感から適当に濁して去なした筈の私の返答は、どうやら恭平には通じなかったらしい。何年センパイを見てきたと思ってんスか、なんて言われてしまった。そりゃそうか。

けれど、だからと言って私の悩みを打ち明ける訳にはいかない、それがプライドってやつ。特に私は恭平の先輩であるのだからプライド、というより寧ろイニシアチブを取られる訳にはいかないのだ。先輩後輩なんて、そんなもん。


「悩みなんてないけど」
「嘘ダメっすよ!」
「…うーん、まあ強いて言えば」
「強いて言えば?」
「恭平が合コンばっか行ってる事かなー」


取り敢えずこの場を回避できるなら何でもいいと選んだネタは、案外恭平に大きな動揺を与えてくれた。私もびっくりだ。恭平が浮気なんて器用な事が出来るとは思えないけれど、たじろぐように体を小さく震わせて、違うんス違うんスと空言のように言葉を浮かべる姿を見ていると何だか怪しく思えてくる。


「うわ焦ってる、ショックー」
「違うんですって!いつも清川さんや夏木さんに無理矢理…!」
「え、夏木さんも?既婚者じゃん」
「げっ…、と、そのっ」
「うーわ恭平口軽っ」
「い、いい言わな」
「心配しなくてもチクんないから」


最早涙目状態の恭平の言葉尻を捉えて安心させてやる。何で私がこんな役回りを、と思ったけれどよくよく考えてみると全ては話の矛先を変えた私に原因があるんだと気付いた。私に縋り付くようにして見上げてくる恭平が妙に可愛く見えた。それにしても弱いなコイツ、っていうのが一番の感想ではあるけれど。

彼のテンションを上げる為に、ペットのラブラドールにする時と全く同じように茶色い頭をわしゃわしゃ撫でてあげる。分かっていたけれどそれはもう効果覿面で、そして同時に恭平に何故か変な自信を与えたようだった。
ずいと、ソファの上で年下に迫られる。


「浮気はしてないっスから!」
「うん分かってるから降りて」
「だから先輩も浮気しないでください」
「私浮気してないけど」
「でも後藤さんと喋ってたっス」


今度は突然何を言い出すのか。
半ば呆れて恭平の顔を見つめる。当然のように見詰め返されて彼の目が結構本気である事が分かった。二人きりで後藤さんと来週に控えた川崎戦について話してただけなのだけれど、多分恭平はそれ自体が気に入らないのだろう。

俺の先輩に触るな、喋りかけるな、と。そう言いたいのだ、なんて流石に自意識過剰だろうか。


「ヤキモチ嬉しいよ、ありがとう」
「はぐらかさないで下さい」
「え?」
「はぐらかすの禁止っスから」


私、なんかはぐらかした?そう聞く間も与えられずに、恭平は更に二センチ分くらい顔を近付けてくる。嫉妬、そんな漢字二文字に当てはめてしまうのは勿体無いくらいに真面目な表情で私を見据える恭平は、まるで別人だった。いつものペットみたいに煩くて弱っちくて後輩気質の彼はどこへやら、だ。


「恭平、何でそんな怒るの」
「怒ってはないんスけど」
「でも眉間にしわ一杯寄ってるけど」
「それは!先輩が全然分かってないからっスよ!」
「私が何を分かってないって?」


いよいよ意味がわからなくなってきたので、お返しとばかりに恭平に詰め寄ってそう質問する。てっきり恭平はポキリと折れて答えに詰まるのかと思っていたのに、今日はそうはいかなかった。あの恭平が、私に楯突くように言葉を投げたのだ。

物分かりの悪い先輩が今後も誰か他の奴と二人きりでいたりしたら、自分は先輩に何をするか分からない、許せないかもしれない、と。

驚いた。恭平がそこまで男らしく、何より恋愛に関しても攻めの姿勢を持てる事に。そして驚くと同時に私の悩み、というよりはあれだけ悩まされていた秘密は一気に吹っ飛んだ。

今まで恭平に対して抱いていた可愛いや愛おしいといった感情が、私の中で格好いいとか、痺れるなんてモノに変化していくのが感覚的に分かった。堪らなくなって丁度良い高さにあった恭平の右肩に自分の額を預ける。あったかい。何だか幸せな瞬間だった。


「…恭平、」
「文句なら聞かないスから」
「…今のお説教だった?」
「いちおうは」
「…ありがと」


自分の心臓を支配する嬉しさに突き動かされてた私の口からは、すんなりと、今度は本当の感謝が出てきていた。
当たり前だろう。叱ってくれる、それが私が一番求めていた事だったのだ。へにょへにょの笑顔でひよこのように私の後ろを付いてくるだけではなくて。

何だか涙が出そう、そう思って彼の肩に目頭を押し付けた。押し付けたのはいいけれど、でも涙を流す事は叶わなかった。何故って、頭上から私より先に鼻を啜る音が降ってきたから。


「ちょ、恭平なに泣いてんの」
「だってオレ、き、嫌われるかと、っ」
「は?なにそれ」
「一か八かの説教だっだんず…!」
「……」
「超勇気要ったん、す、から!」
「…ばか」


今の今まで、あんなに格好良くてエス男らしかったのに。今はこんなに、小さくなって涙を流して。馬鹿、本当に馬鹿だ。それでも今日は精一杯勇気を出して私に良いところを見せ付けてくれた恭平。頑張ったね。


悪い子じゃないけど叱って欲しい私がいつもそんな風に思ってる、実はMっ気がある子なんだって事は一生黙っておくよ。




(plan:オデットの追憶)
(20120729)

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