高杉晋助という男は、校内でも札付きの不良だ。何でもこの街の不良をほぼ全員従えてるだとか、ヤクザ十人に襲われたけれど返り討ちにしたとか。彼に関する恐怖と畏怖、それに少しの尊敬が入り混ざった噂は絶えない。 でも、高杉は人気だ。特にというか勿論と言うべきか、女子に大人気だ。 何故かと聞かれれば理由は単純で、彼が噂にそぐわない容姿を持っている事に他ならないだろう。妖艶と形容されるらしい体、紫がかった艶やかな黒髪に全てを拒絶するような隻眼。全部が素晴らしい高杉晋助を作り出す要因、らしい。 じゃあ、そんな高杉と私が何故毎日の昼食を共にするのか。 その理由の方はよく分からない。というよりどうして私達が懇意になったのかはきちんとは覚えていないし、寧ろあまり思い出したくはない。きっと偶然クラスが一緒で席も近かったからだろう、なんて面白みの欠片もない答えに辿り着くに決まっているから。 私と高杉の間で芽生えたものの中で、詰まらない事実なんていうのは邪魔でしかない。彼に詰まらない人間だと、思われたくない。 というか、コイツ詰まんねぇと思われたらもうそこで、私は高杉の交友リストから切り捨てられてしまうのだろう、なんて。 「あー…数学赤なんだけど」 「そりゃあよかったな」 「うわイヤミ。そういう高杉は?」 「余裕に決まってんだろ」 あっそ、と大して気にとめていないような素振りを見せ、隣で緑色のフェンスに寄りかかる高杉に手を伸ばす。それは彼の体に触れる為でも何かを手渡す為ではなく、距離感を測る為だった。 私と高杉の距離、今日の昼休みの屋上だと約六十センチ。 それが近いのか遠いのかと問われれば勿論近いのだろうけれど、それは距離的な話であって本当はとても遠いと思う。 背中すら見えないくらいに遠い私たち。 それでもこの角を曲がれば高杉の米粒大の背中が垣間見えるんじゃないかと、藁に縋るような気持ちで必死に追い掛けてしまう。そんな事が起こる筈はないのに、だ。 私は馬鹿だ。何だかんだ言って高杉に心臓を持っていかれてしまっている。 「補習かも」 「だろうな」 「高杉も一緒に受けてよ」 「馬鹿か」 「馬鹿じゃないし」 「自覚無しか」 クツクツ、と高校生とは思えないような擬音を零して笑う高杉に、不覚にも憤りよりも先にえもいわれぬ心臓の高鳴りを感じてしまった。 バカな私と違って、コイツは私を恋愛対象としては見ていない。それは皆まで言わなくたって容易に分かる事だし、第一高杉がこうして私と二人きりの空間を拒絶しないのもそれを証拠付けているって事なんだろう。 虚しくないと言えば嘘になるけど、それでも変に意識している事がバレてこの時間を失ってしまうよりは数倍ましだ。 そう、告白なんかして関係をマズくしてしまった日には。 そんな不吉な事は考えず、身の丈にあった言動をしようと心掛けていた筈なのに。なのに、何故だろう。なんでだろう、おかしい。 まるで風が吹けば綿毛が飛ぶかのようにごくごく自然な流れで、私の口から言葉が零れたていったのだ。 「ごめん、すき」 あまりにも今日の空が青かったからかもしれない。だから私の頭が少し可笑しくなっているのかもしれない。 けど理由はなんであれ、私は言ってしまった。言ってはいけない台詞を、心の中でなく昼下がりの屋上に響かせてしまった。なんて、馬鹿なんだろう。 「…誰がだよ」 「…嘘だよ」 「ダチとしてか?」 「嘘だって」 「マジな方かよ」 「っ、だから」 嘘なんだってば。 その言葉は出て来なかった。最後の最後で私の唇は、「嘘」という嘘に拒絶反応を示したのだ。我ながら使えない。 でも今の告白を嘘で片付けないといけないということもあってはならない。だって今高杉は明らかに、私の想いはいらないという反応を示したのだから。 自分を偽りたくはないけれど、そうしない事はあってはならない。そうしたら確実に縁を切られる。 ややこしい思考回路の中でも私が弱虫なのは変わらないようで、結局私は自分の思いを偽ってやろうという結論に帰した。 仕方無く首を左右に二度、ぎこちなくだけれどゆっくりと振る。ああ、後悔するのなんて目に見えているのに。所詮私は私だという事か。 「本当に、違うの」 「何がだよ」 「友達として大好きよ」 「どうだかな」 「本当だから」 どうしようもない体の震えを精一杯抑えて鉄製の網目に斜めに体重を預ける高杉の制服の裾をぎゅっと掴む。 友達だ友達だ友達だ、彼とわたしは友達だ。脳みその一番奥に刷り込むみたいに友達という単語を反響させた。他意はない、という脆い嘘が裾から高杉の心臓へと伝わってくれるようにと。 「ほんと、ほんと友達でいてよ…」 「…ンな必死になんなや」 「だって、」 「ククッ、お前のおふざけに付き合ってやっただけだろ?」 さらり、そんな擬音が付きそうなくらいに自然と言葉は私に飛び込んできた。瞬間胸がぐさりと痛む。 そうか、高杉は私がただおちゃらけて言ったのだと捉えたのか。いいじゃないか、その方が中途半端に距離を置かれるよりもずっといい。いい筈なのに。 何故か私はより一層の虚無感と戦わなくてはいけなくなってしまった。高杉が好きだ。彼のサラサラの髪が、人を見下したようなのにどこか寂しそうな笑顔が、時折私を小突く骨張った腕が。 好きで好きで堪らないから、その想いはもう封印しよう。 心の中でそう決めながら、目一杯の笑顔を自分でも驚くくらいの早さで繕った。人の表情の細かな変化に気付かない程高杉は愚鈍ではない。寧ろそういうのに敏いくらいな筈だけれど、どうやらそれはみて見ぬ振りをしてくれるらしい。 「あはは、これからもよろしくね」 「あァ」 「で、早くちゃんと彼女作んなよ」 「余計なお世話だ」 ニヒルな笑みで校庭と対面していた高杉が、その整った顔を私へと、私だけへと向ける。懲りずに高鳴る鼓動が憎らしい。 彼の視線の中にいつもは見えない何かを孕んでいるように思えて、やるせなさと少しの後悔とを奥歯で噛み締めた。 高杉の言動に、一々心臓を飛ばすのはもう終わりにしよう。終わりにしなきゃ。終わりに、したくないけれど。 埒が明かない気持ちに踏ん切りを付ける為にも、一度大きく、それこそ高杉が何事かとこちらを見詰めた程に大きく息を吐く。目をしっかりと瞑る。次、目を開けた時には変わろうと決めた。私はわたしじゃなくなる。 そう、目を開けた私は高杉の親友のわたし、今までの高杉に想いを寄せるわたしとはここでさよならするのだ。 考えたら生暖かいものが閉じた目蓋の裏側からじんわりと滲んできた。それを無理矢理押し込め眼を開く。一番に飛び込んできた青が目に染みた。 「どうした?」 「うーん…いい空だね」 「そうか?」 「うん、ふぁ、あ、くび出てきた」 「三限四限寝てたクセにかよ」 「生理現象よ、あー…涙も出てきた」 辛い、なあ。欠伸と称したただの大袈裟に肺に空気を取り込む動作で何故か胃がキリキリ痛んだ。なみだが止まらない。怪しまれる、早く止まってよ欠伸。隣の親友はそんな私を、ただぼんやりと眺めている。 明日は遅刻しないでよ、フェンスに体重を任せてそう口にすると、彼は仕方無いと言って笑った。 親友は苦いものなのだと、明日の先約を取り付けてから気付いたなんて、馬鹿みたいな話だけれど。それでも友達という繋がりだけは断ちたくなくて、私はこの想いにふたをする。ああ、明日は上手く笑えますように。 「ごめん、すき」さまに提出 (20120525) |