私は今まで、土方十四郎という男について一つ勘違いをしていた。という事は彼が高校に入学してから気付いた。 近所の弟みたいな存在で、親の都合やら何やらで小さい時から私が面倒を見てやっていたトシ。少し怒りっぽくて生意気な所があることも否めないけれど、それでも本当の弟みたいだと、可愛いなあと思っていたのに。お母さんも周りの友達も、トシの事を男前だし性格もいいと囃し立てていたのに。 なのにこんなのは酷い。 今までのトシ像は妄信だったなんて。 「なァ、タラバガニは蟹じゃないって知ってるか」 「知らない」 「この前の雑学王で見ただろ」 「……」 「オイ答えろよ」 「うるさい今勉強中」 私は大きな勘違いをしていた。 トシは寡黙で不器用だけど優しいイケメン弟分なんかでは断じてなかった、という点において。 だって人が勉強してるのにズカズカ部屋に入り込んできて、私のお菓子勝手に開けて。挙げ句の果てに勉強に勤しむ人間に対して身も蓋も無いことを言って惑わせて。最低じゃないかこの男。そんな友達いないのか。高校でイジメられてんのか。 ていうかまず何で我が物顔で私の部屋にいるんだろう。こちとら夜からバイトなのに明日までにレポート仕上げなくちゃなんないの。危機なの。邪魔すんな瞳孔開きっぱなし男。 とは思うものの、実際面と向かってそんな暴言は吐き出せず、ましてや無碍に追い出す事も出来る筈がなくただ深い溜め息を吐く。するとトシは耳をぴくんと反応させてすかさず私の顔を覗き込んできた。レポートが見えない。変わりに相も変わらず瞳孔が開いたまんまの高二男子が視界を占拠してくる。しねよ。 「邪魔だっつってんの」 「なんで機嫌悪ィんだよ」 「トシが邪魔するからね」 「でも俺、可愛い弟だろ?」 「なにその自負」 呆れるわ、もう心中に留めるのも面倒になってそのまま声に出す。この顔で自分で可愛い弟とか言うってどうなのよ。 いまだに私の顔色を下から伺ってくるトシの前髪をくしゃり、綺麗に形を為していたVを崩すように軽く撫でてやった。 すごい呆れるし今は特にうざい奴だけれど、何だかんだ言ってもトシは可愛い。さっき本人に言われたから声に出して認めるのは癪だけれど、でも確かに彼は私の可愛い弟なのだ。 喩え彼が私に抱いている感情が弟としてのモノではなく男としてなのだとしても、私の答えは変わらない。トシが私に恋心を抱いているのは随分前から気付いていた。でもトシには悪いけれど、彼を恋愛対象として見る事は出来ない訳だ。 「トシさあ、」 言いながら開いていた分厚い参考書をパタンと閉じる。小難しい内容のそれと同じくらいに難しそうな顔をして何だと返事をしてくるトシは、明らかに警戒した様子だった。理由は多分私だ。いま私が、自分でも分かるような変な表情をしているからなんだろう。 「私のこと好きでしょ」 「ばっ、んな訳ねーだろ馬鹿!」 「嘘は吐かんでいいよ」 「吐いてねぇ!」 「姉は全てお見通しだもん」 得体の知れない優越感みたいなものを感じながら歌うよう口に出す私。それと相反するように、トシはみるみるうちに余裕を欠いた表情、つまり真っ赤っかになっていった。流石我が弟。可愛いなあ。 ツンデレ心得てるとか最強だな、なんて気の抜けた事を考えながらトシの手から開封されたポテチの袋を強引に引き剥がす。 何時もだったら俺のポテチ(いや元々は私のポテチ)返せとか何とかぎゃんぎゃん噛み付いてくるのだけれど、今ばかりはそんな事気にならないと言った様子で私を直視しようとしてこなかった。初なところも有るもんだ。 けれど相手に真っ赤になって目を逸らされれば、無理矢理でも目を合わせてやろうと思うのが人間というもので。 ほんの少しの本能と大多数の悪戯心に身を任せトシの視線の先に潜り込むようにして割り込む。 そうしたらなんて事だろう。 私はトシの照れた顔が拝みたかったのに野郎の奴、また真っ赤になって反対顔を逆に背けやがった。手強い。 でも姉のプライドにかけてこんな所で引き下がれはしない!という訳で負けじと彼の視界に割り込まんと奮闘する。高校生相手に私何やってんだか。 「こっち見んなバカ女!」 「馬鹿じゃねーしバカって言ったらカバと結婚すんだかんな」 「しねーよお前がしろ!」 「え?私がカバと結婚したらトシは私と結婚出来ないよ」 「別に構わねーよ自意識過剰ババア」 バッ…ババアだと? トシの言葉に一瞬身が凍った。四つ五つしか歳が変わらないピチピチのお姉さんに向かってババア。何たることか。制裁してやりたいなんて物騒な事を考えながらも一応は笑顔を取り繕う。許すまじ土方十四郎。 「トシ、姉さん君の事本格的に嫌いになりそう」 「は?それは困る」 「なぜ困るこのクソガキしねよ」 「好きだからだろ」 「剥けてもいない餓鬼がよくまあこうもいけしゃあしゃあとしねよ」 「死なねーし剥けてるわ!」 「え、嘘だ…やだよ私トシがそんな」 ふるふる首を振りながら静かにトシから離れていくと、文字通り茹で蛸のような顔で「やだって何だよしょーがねーだろ!」だってさ。うわ可愛い。私ただからかってるだけなのに。高二にもなって剥けてなかったら逆に引くっていやそれも有りっちゃ有りだけど。 思わずへにゃっとした笑みを漏らしてしまった。そう言えばさっきの会話の中で貴女が好きだからー的な事言われた気がしなくもないけど…まあいっか。 気を取り直して再び満面の笑みをトシに向ける。無論、私の頭の中でああ次はどんな言葉で彼を困らせようか考えつつ、だ。 「ああ不潔だわートシ」 「不潔じゃねぇ普通だろ」 「もしや童貞でもないのか」 「……」 「真っ赤かコンニャロ」 「しゃーねーだろ」 「何が」 「だってお前が、」 「は?わたし?」 「お前、俺が童貞だったら相手してくんねぇだろ」 「…ぷぷ!」 笑うな!とトシの叫びに似た制止なんて効くはずもなく、どくんどくんと胃の中から笑いが込み上げてくる。なんでこんな可愛いのこいつ。思ったら益々笑いが止まらなくなってしまった。 目の前には真っ赤な顔をして、自分を落ち着かせる為だろうか、中身が丸々入ったマヨネーズを胸元で握り締める馬鹿な弟。びっくりだよ、そんな想われてたなんて。 「でも、ふ、ぷは、あははは!」 「何時まで笑ってんだマジうぜえ!」 「だってトシ、魔法使いになれないじゃん…っふは!」 「ハア?魔法使い?」 「うん、知らない?」 三十まで童貞を貫くと魔法使いになれるんだよ。 ススッと近寄ってから耳元で教えてやれば、怪訝だった表情が忽ち怒りのような羞恥にまみれたようなものに変わっていく。反論の筈の、んな訳ねーだろ!は声が上擦っていて全く可愛らしい限りだった。まるでその辺で転がっているクマの縫いぐるみみたいだと思ってしまった。 それと時を同じくして私の腹筋が壊れそうになる。やばいなこれ。トシ弄り、面白すぎる。 「本当だよ、雑学王でやってたし」 「嘘吐けバカ!」 「トシ顔まっか、可愛いー」 「可愛い訳ねぇだろ!」 「可愛い弟だって言ったのトシじゃん」 私の的を射た言葉に言い返せないらしいトシは、ぐぐっと拳を握り額に青筋を立てた。下腹部がぞわぞわしたのは気のせいだと思いたい。 気持ちを紛らわすように私の腕で保温していたポテチをガサガサ漁る。何故か目玉をひん剥くようにして私に視線を飛ばしてくるトシは無視をして適当に二三枚口に放れば、無駄にしょっぱいコンソメの風味が口の中で拡散する。 「あ、指に粉付いちった」 「……!」 「え、何でトシ照れんの?何?なに?」 「何でもねえよ見んな」 「見んなって言われると見ちゃうよね」 「死ねよォォ!」 叫ぶや否や、トシは手で端正な顔を覆ってしまった。なんだよ。 いい加減ゴールの見えないトシの相手も疲れて来たので、閉じていた参考書を再び開けて机に向かう。チラっチラ見てくるマヨラーは無視だ無視。 「さあて勉強勉強」 ふう、と先程とは全く違った意味合いの籠もった溜め息を吐き出しながら、首をぐるんと回転させる。トシはまだいじけて床に座っている、訳ではなかった。 いつの間にやら、何故だろう私のすぐ後ろにいる。おまけに私を背中から抱き締めてきやがった。トシがこちらに近付く気配なんてしなかったのに不思議だ。さては瞬間移動か、なんてある筈ない現実逃避だけど。 「なに、トシ」 「すきだ」 「さっき聞いた」 「ずっと好きだったんだ」 「ポテチの粉舐めたのエロかった?」 「…まあな」 ああ私の後ろで彼はどんな顔をしているんだろう。真っ赤かな、それとも時たま見せる年齢にそぐわなないような表情かな。どっちでもいいか。トシには見えないという前提のもと、半分も埋まっていない白いレポート用紙に向かって乾いた笑みを飛ばす。 トシを恋愛対象としては見れない。 それはきっとこれからも変わる事はないだろう。でも。彼と餓鬼みたいな恋愛ごっこをしてみるのも一興かもしれない。 狡い考えを右手に、そして年上というハンデを左手に掲げながら真剣そのもののトシを振り返る。取り敢えずでこぴんを一発食らわせておこうと心に決めて。 . 俺得土方でごめんなさい (title:√A) (20120415) |