「こけろっ!そこでこけろ!!」


私の期待に反してテレビの液晶の中でわああっと歓声が上がった。そこに写っているのは綺麗な濃紺の衣装を身にまとった氷上の妖精である。

今滑っているのはアメリカ人だったか。
どちらにせよイタリア人でも私の母国の日本の人間でもない。つまり私はこの妖精さんには興味がない、というか寧ろ下手な演技をしてもらいたい。是非下手になって頂きたい。

だから見所のトリプルなんとか、失敗しろ失敗しろと念を込めて観戦していた訳なのだけれど、あーあ残念彼女は危なげもなく決めてみせた。はあ、口からは自然に溜め息が漏れる。

そしてそんな私を呆れ顔で見詰めてくるのは後輩のフラン君。勝手に先輩の部屋に侵入してきて、勝手にソファの真ん中を陣取ったくせにその顔は何だ。


「いや、先輩ってホントご都合主義ですよねー」
「何がよ」
「いくら何でも転べはないでしょー」
「だって応援してないもの」
「うわー、他人の失敗を祈ること正当化してやがるこの人ー」
「やがる言うな蛙頭」


先輩は敬いなさい、と下手したら自分に跳ね返ってきそうな言葉を投げかけるがどうやらそれはヤツの蛙部分に当たったらしい。文字通りケロリとした顔で無視を決め込まれた。本当にムカつくわコイツ。

苛立ちを抑えようとこめかみ辺りを押さえる私の目の前で、濃紺のフィギュア選手が今度は軽快なステップを満面の笑みで披露している。
後ろで人のソファにふんぞり返る後輩も、画面の中で審査員に媚びを売るよう舞う妖精も、どっちもどっちだ。主に私を苛つかせる要因、という意味でだけども。

自分を少しでも落ち着けたくて側に置いておいたマグカップを手の中に収める。すると唐突に、私の背骨に柔らかな衝撃が走った。

バッと後ろを振り返るとニンマリと口角を歪める蛙頭がいて、床には私の背中にクリーンヒットしたまあるいクッションがポロリと落ちていまして。折角手に取った紅茶を、思わずテーブルにドン、と鈍い音を添えて置いてしまった。

あれ、落ち着く為にマグカップを手の中に入れた筈なのに、あれれ。
そう思いはしたものの、やっぱりフラン君への苛立ちが勝って自然に口は開いていた。


「おいフラン君しめるぞコラ」
「迫力が微塵も感じられませんねー」
「てめえコラこっち来いクソ馬鹿蛙」
「うわー、クソとか言ったよこのクソ女ー」


いらいら。血管がぶちっと切れるかと思った。たぶん今武器を持っていたなら間違い無く私は彼に攻撃を仕掛けていただろう。まあそしたら厄介な幻術で軽く去なされて更にムカッ、なんてなっちゃうだけだろうけれど。

でもそれだと、どっちに転んでも私がイニシアチブを取れないって事になるんだよなあ。なんでだろう。

まあそれにしても、女の先輩に向かって「くそあま」って。
再び内臓がぐらぐら沸騰する位にイライラが湧き上がってくる。睨み付けるようにフランを見た私の後ろで、割れんばかりの歓声が轟く。


「うわその顔ブッサイクですねー」
「おまっ、まじ一回しめるぞボスにチクるぞ」
「はいその顔いただきまーす」
「ちょ、なに撮ってんのよ!」
「何ってー、そりゃ先輩の鼻の穴が膨らんでる表情でしょー」


思わず立ち上がりフランの蛙へと手を伸ばしていた。無論それは彼の手の中のモバイルフォンを取り返す為だったのだけれど。

けれど何故か私のお世辞にも細いとは言えない腕は、フラン君の誰に言わせても細い腕に絡め取られるように彼のもとへと沈んでいった。何が起こったのかなんてきちんと考える暇もなく、続いてふわっと身体全体が浮く感覚が私を襲う。

シーズンベスト、出た!なんてアナウンサーの興奮気味の声と一緒に、私はフランの隣へとまるで先程まで私の手中に収まっていたマグカップのように腰を落ち着けた。

ばちこん、視線がぶつかる。
ただ釘を刺すけれど、甘さは全く含んでないから。目と目が合った瞬間に今まで犬猿の仲だった二人が意識し始めるー、なんて事態にはならないから、というか絶対させないから。


「なに、フラン君」
「何がですかー」
「そんな見詰めちゃって、惚れた?」
「先輩に惚れるくらいならカバと挙式挙げますー」
「ねえ晩御飯に毒盛っていい?」
「そんな事したらコレばらまきますー」


半ば本気で問うたものの、小さな液晶にばっちり写った自分の恥部(変なところじゃないよ、顔だよ)を見せつけられてあっさり負けた。負けましたとも。

そこで思った、ああコイツは言質を取るのが上手いのだと。だから主導権も握れない訳だ。なるほど。

人質もある上そうと分かれば、もう張り合うのも面倒臭くなってただ大きく伸びをする。
伸ばした腕がフラン君の蛙の目辺りにバコンと当たったけど別に私は何も言わなかったし、当の本人も文句も何も言わなかった。面倒臭くなんなくて良かった良かった。


光る液晶内で今度はまばらな歓声。
ふと顔を向ければ、そこには唯一最終グループに残っていたイタリア代表の妖精さんの緊張した面持ちがアップで映っていた。うわあ頑張れ。

背もたれに身体を投げ出すと、隣で腕を絡ませたままの蛙君の肩と密着する。これって甘い雰囲気なのかなでも可笑しいな、全然どきどきしないや。


「頑張れ、頑張れ妖精さん!」
「先輩ほんっとご都合主義ー」
「うっせーうっせーカエル頭」
「それさっきも言われましたからー」
「悪いかー」


フラン君を真似て間延びした喋り方をしてみる。すると直後、ぺちん、そんな音が今度は背骨でなく頬骨を揺らした。ちろりと横を見ればなんの感情も感じられないフラン君の顔が意外に間近にありちょっぴり驚き桃の木びっくらこいた。

でもそれを顔に出すわけにはいかないのが先輩ってヤツだ。勿論私も例外ではない。
フラン君に負けず劣らずの無表情を装って「何なの?」そう聞けば、彼の目尻がついと下がる。

画面ではティンカー・ベルを意識したのだろうか、目の覚めるような黄緑色で自身を飾り立てた妖精さんがスケート靴を自由自在に操っていた。まるで身体の一部みたいだ。そしてなんだかフラン君は可愛い。ん?


「別にー、ただ先輩の頬が」
「待っていま自分で自分の脈略の無さに愕然としてるの」
「はー?」
「こっちの話…、てかフラン君!」
「はい?」
「んー…」


まじまじと翡翠の瞳を覗き込む。
氷上のティンクよりも鮮やかな緑に、目の奥がチカチカして目眩を起こしそうだった。おかしいなあ、緑は目にいいって話だったのに。

取り敢えずぐちゃぐちゃになっている胸中を整理しようと大きく息を吸う。
奇しくも私の呼吸と時を同じくして、スケートリンクを走る妖精が激しくなる曲に合わせてジャンプの体勢に入ったのが見て取れた。ぐぐ、茶色のタイツを履いた美脚が力を溜める為に曲がる。

がんばれ、こけるな。
気付けばそう声に出していた。

一瞬にしてテレビに視線を奪われる事三秒、結果はまたもや私の期待を裏切ってくれた。
妖精さんが画面越しには伝わらないであろう冷たさのリンクに、コガメのように這い蹲るのを見、無意識的に視線を逸らす。

けれど逸らした先には必然的にフラン君がいる訳で。ぐっちゃぐちゃの頭を整理する事もなくまた視線を絡ませる事になってしまった。
ああ何で私、一人用のソファを買っちゃったんだろ。汗かいた時を考えるとほんと鳥肌立つわあ。


「あーあ、先輩ざんねんしょー」
「うぜ、もう見てらんないっつの」
「え、ベルナルドをー?」
「だれソレ」
「この選手でしょー」
「あー、まあそれもだけど」


それだけじゃないんだよね。
尻すぼみにそう言うと、フラン君は大袈裟な動作で可愛らしく小首を傾げてきた。

彼の顔より大きなカエルくんが私の視界を紺色に染め上げる。見えないと言って叩いてやろうかとも考えたけれど、黄緑色は私を捉えるように見据えてくる後輩の瞳だけで充分だという結論に至った。


「フラン君も、見てらんないなあ」
「ミーも?」
「イエス」
「ミーそんな危なっかしいですかー?」


怪訝そうに聞かれた問に対して首を左右に振る。なんだかんだでフラン君の左腕はちゃっかり私の腰に回されてるし、顔は近いし息も近いし目も近いし何もかもが近い。

こけろ、こけろ自分。
よく分からない考えを頭の中に浮かべると、カエル頭の向こう側から登場時と同じようにまばらな歓声が響いてきた。


「フラン君可愛くて、見てらんない」



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どこが可愛いって、そりゃ気を引こうとしてるあたりでしょうね

(20120402)

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