ドキドキの昼休み。 ちなみにご承知の事とは思うけれど、この場合のドキドキは恋愛とかで感じる甘くてくすぐったい感情ではない。 どちらかというと大して芸も華もない若手芸人が、いつスベるのかと危惧するような感覚に近いと思われる。 もっと言うと人はそれを、ヒヤヒヤとも言う。というかこの際ヒヤヒヤでいいや。 余談はさておき、今この瞬間。 私は勿論ドキドキ…いや、ヒヤヒヤしている訳でありまして。 理由は単純、この馬鹿男子四人が、大して親交もないクラスメートの岡野さんに何か粗相をしないか心配だという事に尽きる。 今の所粗相と言う粗相はしてない。 まあ、ただ強いて言えば、辰馬が何度注意しても彼女の事を「岡野」ではなく「岡田」と言う事くらいだろう。 どうやら辰馬の、言うなればブラックホールのような脳内では彼女は銀時同様、岡田さんとして存在しているらしい。 普通ならこの時点で失態ではないか、と思うかもしれない。 けれど、こんな間違いは彼ら的に見れば全然甘く序の口だ。失態ゾーンには掠りもしない。 こいつらと約半年間、毎日連んでいた私が言うんだから真実なのは請け合いだ。 「あー、そういやさ、」 「ん?」 「岡野ってアレに似てるよな」 恐ろしくなるくらいに波立つ事が何も起こっていない中、赤い箸をくわえている銀時が思い出したように口を開いた。勿論銀時の言葉と視線の矛先には岡野さんの姿。 似てるって…ゴリラとか言ったら後でリンチしてやろう。 そう腹を決めつつ、フォークでやけに焦げた玉子焼きを刺して口に運ぶ。 ちなみに岡野さんはゴリラとは全く似ていない。あくまでも悪い例えだ。 「あれって誰?」 「まて、名前が出てこねぇんだよ」 そう言って頭を抱える銀時に、取り敢えず人名が出てきそうだと内心安堵した。 オランウータンとか言ったら本気で潰すとこだったし。あ…再三言うようだけれど、岡野さんは美人だ。 「ヅラは知ってんだろ。あの子だよ…ホラこの間ナースに扮してた、」 「ああ!ポニーテールの女か」 「その子だその子」 銀時とヅラの中で何かの意志疎通が図られたらしい。 でも良かった。あの子と言うからには多分女の子なんだろうし、しかも何だか芸能人みたいだし。アイドルかなんかかな。 とりあえず芸能活動をしている子に似ていると言うんなら、心配せずとも岡野さんに失礼にはならないだろう。 銀時もなかなか気を遣うのが上手くなってるのかな、なんて少し嬉しささえ覚えながら何をしているタレントさんかと銀時に問いかけると、彼は間髪入れずに口を開いた。 「タレントっつーか、AV嬢」 「………は、」 「似てんだよなァ、岡野」 …は? エーブイ…ってあのAVですかね? 私の思考回路が一瞬止まったのは勿論の事、場の空気まで一瞬凍った気がする。まあ実際のところ場の空気が凍った訳ではなく、私と岡野さん二人の心が凍ったと言いますか…荒んだと言いますか。 AV女優に似てるとか、失礼以外の何物でもない。しかも本人の目の前で言うなんて以ての外だ。 そう思ってちらりと岡野さんを窺えば、ああやっぱり、彼女は当惑とショックとが入り混じったような顔をしている。 当然の事ながら私の銀時への評価はがた落ち、もういっそ彼が言葉を紡ぐ前に戻ってその余計な口をガムテープで張ってしまいたい程だ。 要は私たち女子にとってそれだけ、AV女優に似ているというのはキツい事なんだ。 それは別にAV女優という仕事を軽蔑している訳ではない。ただ私たち女子が危惧するのは噂だ。人間の大好きな、根も葉もない噂。 噂なんかが立ってそれが誇張されて、自分がAVの仕事をしているなんて間違った事を言われてしまったらもう何も言えない。後ろ指指されて有りもしない事を陰で言われて人間不信になるだけだろうに。 「―――っ、銀時…あんたね、」 「俺なんか悪ィ事言ったか?」 「失礼過ぎでしょ!」 「そーか?でも似てるんだよ。なあヅラァ?」 私や岡野さんの気持ちなんてこれっぽっちも汲み取れていないらしい銀時は真顔で返答してくるし、ヅラもそれに何食わぬ顔で同意していた。 その憎たらしいお顔をがっつり目に焼き付けた私は、とりあえず彼らに傷を与える語彙を頭の中で吟味してから息を吸う。 「だから女の子にモテないんだ、デリカシー0野郎共」 「はああ!?誰がデリカシー0なんだよどう見ても気遣いができる紳士だろーが」 「どこが?エロ本読んで裏ビデオ見てダラダラダラダダラダラダラダ」 「無駄に長えな」 「晋助は黙って。ロクに勉強もせんで」 横槍を入れてきた晋助をピシャリとはねのけた私の口からは言葉が尽きることなく溢れてきた。 自分でも短気だなあとか威張り腐ってんなあとか自覚はしているものの、どうやら私は一度放出してしまうと留まれなくなってしまうみたいだ。…誰かこのお節介体質どうにかして。 「AV女優の名前覚えてる暇があるならテストに向けて英単語の一つでも覚えろって話しだし本当に」 「お前は俺の母ちゃんか」 「誰が年増だクソ天パ」 「人の母親年増扱いすんなァア!」 こうなったらとことんやってやろうじゃないか。 私と銀時の口論がヒートアップしていくのを側で見守る約四名(内、隻眼のエロリストは携帯と睨めっこ中)が息を呑む音が聞こえるのは気の所為と自分に言い聞かせ、そのまま鼻息荒い銀時を睨み付ける。 主旨を忘れかけている気がしなくもないのは承知済だ。 「誰の母親だろうが年増に変わりないし」 「うっせェェエ!」 「うん、銀時がね」 「仕方無ぇだろ、こちとら健全な青年なんだ、ムラムラすんだよコノヤロー」 「彼女無し故エロ本がおかずか」 「悪いかァァア!男なら当たり前なんだよ!なっ?だよな?」 「……」 「……」 「オイ?ヅラ、辰馬ァ!?」 哀れ、坂田銀時。 確かに彼の助けに応じるような物好き、否、命知らずはいない筈だ。 だってヅラと辰馬はどう考えても有利な人(たぶんこの場合私)に付くだろうし、晋助は無関心だし、岡野さんは以ての外だし。 精神的優位を誘導する為に腕を組み仁王立ちをする私を尻目に、銀時は未だ顔を見合わせ沈黙を貫くヅラと辰馬をまくし立てた。 「何だよオメー等結局炉依が怖いんだろ、炉依恐怖症かコノヤロー」 「……」 「……」 「なんとか言えよォォォオオ!」 「うっさいな銀時、ずけずけずけずけ言うな」 「ずけずけは言ってねーよ!しかも何か四回言うと卑猥に聞こえんだろーがァア!」 それはあんたの残念な脳みそだけだから、と正論を返してやれば、銀時の悔しそうに歯噛みをする音まで聞こえそうだった。岡野さんの仇だ、私は全く悪くない。 「銀時は辞書にデリカシーって言葉を追加した方がいいと思う。切実に」 「デリカシーもデリケートも既存だ嘗めんな」 「嘘吐け。あったら女子の前でAVの話しないから」 「え?この場に女子いた――っぐほぉ!?」 「私はいい、私はいいが岡野さんを忘れるなドカスっ」 あろうことかこの場に女子がいないなんて失礼にも程がある事を口にしようとした馬鹿銀髪男に、心を込めたラリアットをお見舞いしてやる。気持ちは無論、私の発した言葉通りだ。 私はいい。実際の話、私は銀時達とエロ雑誌吟味とかいう下らない事をする時もある。 ただ、岡野さんをね、岡野さんを女子の頭数に入れないって、銀時はやっぱり紳士失格に決まっている。 私のラリアットがまともにクリーンヒットして涙目で喉元を押さえながら悶える銀時。彼を見下す形になる訳だけれど、その位が丁度良いに決まっているのでそのままで口を開く。 「そういうのがデリカシーないっていうんだっつの」 「…ぐっ、」 「エロくて無神経?カスだね」 「……すいません」 「私ちゃう、岡野さんに謝れ」 「…悪いな岡野…って、あり?」 銀時が疑問符を付けた言葉の先には、上を向いて大きなガーゼタオルを目に当てている岡野さん。どうやら泣いているらしい。 化粧崩れが気になるのか、はたまたあの名曲を聞いたのかは分からないけど、兎に角彼女は昨日と違って上を向いて必死に涙を正方形の布地に吸収させていた。 そんなにAV女優似発言がショックだったのかとオロオロしながら彼女に近寄ると、小さなくぐもった声で大丈夫と言われもうワケが分からなくなる。女の子って難解だね。 「っふ、羨ましくなっちゃ、て」 「羨ましい?私が?」 「うん。…やっぱ私、中谷達に謝って仲直り、する」 時折ずずっと鼻をすすりながらだけど、力強い響きでそう言う岡野さんに何だか暖かい感情が私の中で膨れていくのが分かった。 まだ完璧に状況を理解していない男子を目の端に捉えつつも、彼女の背中をぽんぽんとさする。 「頑張ってね、岡野さん」 「っあり…がと、佐伯」 教室の一角で静かに泣く岡野さんに、間抜け面を惜しげもなく晒している約三名の男子、みんな一様に同じ窓から差し込む日の光を浴びて。 ドキドキの昼休みはこうして幕を閉じた。 そしてその三日後、私の携帯は岡野さんから、グループの子達と仲直りをしたという旨のメールを受信した。 丁度家の前の道路でメールを開封した私が、外だとか目の前に犬の散歩をしているお兄さんがこっちを見てるとか、そういう事なんて全く気にせず大きくガッツポーズをしたのは言うまでもない。 4:(エロ)雑誌はおかずです (20111203) |