真夜中、もう大部分の人間が眠りについたであろう頃。いくら息を殺しても殺し足りないとでも言うかのように、静かに静かに扉が開いた。ベッドの中に潜りつつも耳をすませて、息を潜めて待ち構えていた私は、扉を開けてきた人物を確かめる為にタオルケットの隙間からちらりと視線を走らせる。

二人組だった。そのどちらも私の顔見知りで、そして今日ここに来るだろうと予想していた二人だ。つまり、私の勘は当たったのだ。

片方の者の手に掲げられたランプの仄かな灯りを瞼の辺りで感じながら、タオルケットの中でゆっくりと身を丸める。このまま帰ってくれないかな、などという願いは愚かにすら思えるくらいに叶い難いものだとは分かっていたから、下手に寝息を立てたりはしなかった。


おかしい、と思ったのは夕食の時だった。いつも真面目に食事を運んできてくれる侍女が、妙に明るい笑顔を携えてやってきたのだ。

なにか無理をして笑っているな。
それが長い間ベッドの上に縛り付けられ、相手を待つことしか脳のない私の解釈だった。もしかしたら、病人特有のこの、他人の表情のぎこちなさを計るというスキルが唯一訳に立った瞬間だったかもしれない。まあ兎に角、普段とはどこか違う、申し訳ないような同情するような、よく分からない感情を滲ませた彼女は違和感の塊であったのだ。

だから、私は夕食に手を付けなかった。何かある、という小さな確信と、何が起こるのだろうという莫大な不安と。というより、それらが同衾していた私はそのまま「通常通り」夕食をとるという考えが浮かばなかったのだ。

ただ、流石に一口も手を付けないのは怪しまれるのでスープ半分、サラダ半分は花瓶の中に流し込んだ。肉類は手付かずの日も多いから丸々残した。そんな私の拙いカモフラージュに侍女はすんなりと騙されてくれたらしく、食器を取りにきた彼女はやはりどこか哀れむような笑顔を浮かべて「食後のお薬をお忘れなく」と言い残し出て行ったのだ。
その後ろ姿を、肩で息を吐きながら見送ったのが丁度五時間前。

そして今、私は夕食をとらない、という自分の判断に感謝している。
恐らく、この時間に彼等がこんな風なやって来るということは、あの食事には睡眠薬でも入っていたのだろう。彼ならばやりそうな事であるし、なによりそれ以外考えられない。

この二人…兄様と、あの侍女との組み合わせだなんて。

タオルケットに包まったまま、侵入してきた二人の動向を聴覚だけを頼りに探る。今のところ、二人は一言も言葉を交わしていない。きっと、部屋に入ってくる前に綿密に打ち合わせをしてきたのだろう。

何の為に、とか、今から何をしようとしているんだろう、とか、自分の中で知らないフリをする。本当は、全部分かっているはずだ。兄様がしようとしていることを、痛いほどに。けれど、それを考えるのはとても辛くて、耐えられないから、狡い私はやっぱり願ってしまうのだ。兄様が、私の予想する目的でありませんように、なんて馬鹿な事を。

そんな事を考える間にも、兄様と例の侍女は足音を立てずに私の元へと近付いてきた。何となく、二人が私の寝ていることを確かめようとしているのが分かった。ここで突然寝息を立て始めるのも不自然だろうと、私も彼等に応戦するかのようにぐっと息を潜める。

三秒程にも、二時間にも思える静寂の後、瞼の裏で兄様が動き出したのをどこかの器官で感じた。どうやら彼は、私がきちんと眠りについていると判断してくれたようだ。
まるで深海の底であるかのように呼吸のし難い空気の中、机上の引き出しをあける音が控え目に響く。やはり、と思った。その中には、あれが入っているのだ。

兄様は、やはり、私を。
兄が、「それ」を手に再びベッドへと寄ってくる。侍女の方は恐らく、息をするのも忘れて、自分の主が眠っている実の妹に迫ってゆく様を見詰めているに違いない。

タオルケットに手をかけられる。捲られる、と戦慄するよりも早く、体は正直に動き出していた。

むくりと、まるで当たり前のように起き上がる。兄様に頭をぶつけてしまうかも、という心配は杞憂だったらしく、目を見開いて固まる二人を尻目に重い上半身を自力で起こし続けることに成功した。まあ、どうせ起きていることはバレるのだからいいじゃないか。


「なまえ…!?」
「なまえ様…どうして」
「食事に手をつけなかったの」
「え…」
「そんなことより兄様、」


闇に包まれた室内で、侍女の持つランプだけがいやに明るくその存在を誇張している。まだ驚きを拭えないらしい兄様を真っ向から見つめ、小さく呼吸を整えた。彼の手の中に収まる「それ」、言ってしまえば不老不死の薬が人魚のようにとけて消えてくれたら、どんなにいいだろうか。緊迫する空気の中にしてはぼんやり考えた。


「何でこんなことを…、」
「はは、睡眠薬まで盛って、か?」
「…っ、なんで?」
「理由なんてお前も分かっているだろう?」


なまえが、薬を飲まないから悪いんだろう。
まるで呼吸をするのと同じくらい当たり前のように、兄様はそう口にする。私を見下ろす目が、彼の言葉が本心からのものであると物語っていた。こわい。冷た過ぎて暖かくすら感じられる刺すような視線に、身体中の汗腺が一気に開いてゆくような、そんな感覚に陥る。恐ろしい。でも、このまま気圧されてしまったら、私は。

私は多分、この人の言うがままに薬をのんでしまう。生に縋ってしまう。
それだけはいけない。駄目だ。私は、私の意志で、動かなくては。いや、そうやって動きたいのだ。死にたい、のだ。

小さく小さく酸素を補給して、それからきちんと背筋を伸ばした。兄様の、美しい黄金色の双眸をしかと見据える。言え、言わなくちゃ駄目だ。言葉を発しようとすればする程に喉がカラカラに乾いてゆく気がした。きっと実際はそんな事はないのだろうけれど、恐れというやつは恐ろしい。それでも、無い声音を振り絞って、口蓋を開けた。


「こんなことされるくらいなら、自殺するわ」
「なまえ…!自分の言っていることが分かっているか?」
「眠らされている間に不死にされるくらいなら、私はその前に死ぬ。死にたいの。死なせて、兄様…!」


顔を背けることなく懇願した私の言葉を、死にたいという妹の言葉を、果たして兄様はどんな気持ちで受け取ったのだろう。それを考えてしまったらまた心臓が痛くなってしまいそうだから、やはり見えないフリをしようか。

私たちは、やっぱり兄弟だなあ。と、そう思う。だって二人共、こんなにも狡い。



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