「シン、これ今日中にお願いします」
「…ああ。」
「どうかしたのですか?拗ねた子供みたいな顔をして」
「…ああ、まあな」


腕を組み玉座に深々と腰掛ける我等がシンドリア国の王の表情は、不機嫌、それ以外に言い表しようのないものだった。
渡す為に持っていたサイン待ちの書類の束を胸に引き寄せて、大袈裟な溜め息を零す。この様子では恐らく今朝の業務もろくに粉していないに違いない。これでまた私達文官が眠れない夜に耐える事になるのかと、心中でこの体たらくな王に対して悪態を吐いた。

ところが、ちょうど「人の身にもなれこの酒乱」まで吐き出したところで、私の目には主がずいと突き出した一枚の便箋が飛び込んできた。白い上質な紙に書かれているのは、美しく淀みのない見慣れた筆跡。見紛う筈もない、彼女の手のものだった。


「なまえからの手紙、ですか?」
「昨日の夜返事が来たんだ」
「で、普段ならばなまえから手紙を貰った次の日にはにやけっぱなしの貴方が、何故そんな風に気をたてているんです?」


便箋に細かく書かれた文字を上段から目で追いつつそう口にする。そこにはシンが今も元気で働けている事への感謝と、兄のような不思議な体験を私も出来たならどんなに良いかという内容が綴ってあった。これにシンドバッドが腹を立てるとは思えないが。

小首を傾げると、目の前の主は視線を流し口唇を尖らせるという見るに耐えない姿でぼそりと呟いた。一番下を見ろ。言葉に従って最後の一文に視線を落とすと、ああなるほど、そこには彼女の美しい筆跡で、シンの期待を裏切るような言葉が存在していたのだ。

「もう少し時間をください」
言われなくとも分かる、これはシンドバッドが彼女に不老不死の薬を飲む事を催促した事に対しての返答だ。シンもシンで私にこの手紙を見せるということは、私がことの状況を把握していると知っているからなのだろう。

彼はお前はどう思うと言わんばかりに、深い吐息を落としてこめかみを押さえていた。この雰囲気ではなまえを擁護する発言をするのはなかなか難しいが、でも彼女の気持ちを無視して賛同する事は私には出来ない。いや、したくない。


「…私がとやかく口を出せる事じゃありません」
「でも、お前だってなまえに死んでほしくはないだろう」
「当たり前です。…けれど、シン、彼女の意志を尊重する事も大事でしょう?」


このままだと、なまえは暗く寂しい孤独と戦わなくてはならなくなる。それを嫌だと思うのは人間として当然で、そしてその選択をするのはやはり本人でなくてはいけない、と思うのだ。たとえ血の繋がった兄弟と言えど、当人の意志なしに生死を好きに操っていい筈がない。しかし、シンドバッドという兄はどうやらそうは思っていないようだった。

彼女の好きにさせてやろうという発言をした私を冷ややかな目で一別した彼は、お前は何も分かっていないとまさしく氷のような口調で一蹴したのだ。ここまで自分に棘のある声音をぶつけてきたのは、もしかしたら初めてやもしれない。無論少し怯まなかったと言えば嘘になるが、それでもここで折れようとも思わなかった。

何故か、急激になまえが哀れに思えてきたからだ。
彼女に安易な同情を寄せる事は失礼だと分かっていながらも、やはり可哀想だと思わずにはいられなくなった。兄に自分の命を決められ、今もひとり悩んでいるだろう妹。果たしてこの主は、彼女の身が千切れるような苦悩に気付いているのだろうか。


「…何も分かっていないのは貴方です、シン」
「…なんだと?」
「なまえは、貴方の持ってきたあの薬の所為で苦しんでいるんですよ?」
「じゃあ飲めばいいだろう!そうすればなまえが苦しむ事などなにもなくなる!」
「だから、何故分からないのですか!?不老不死になれば、彼女は私や貴方が死んだとしても、国が滅びようと何千何万年経とうと死ぬ事はできず、ひとりで生きる事になるだろうと!」
「そんなのは分かっているさ!」


は、と、短い言葉が漏れた。
いつの間にか立ち上がって頬を上気させるシンドバッドの大声につられて強く握り締めていた書類の束が、ぐにゃりと折れ曲がって私の胸から離れていく。

なまえより僅かに明るい黄金色の瞳が、柄にもなく恐ろしいと思った。このふたつの双眸が、全ての上に立つ国王の内に隠された彼の狂気を表している気がして、無意識のうちに小さく身震いをする。


「じゃ、じゃあ貴方は全部分かっている、と言うのですか…?」
「分かっているさ。不老不死がどんなに孤独なものかも、なまえがそれを恐れて本心では薬をのみたくないと思っている事も」
「…っ、そんな、それなのに貴方は」
「仕方無いだろう!命に代えられる物など存在しないんだ。なまえが生きていられるなら、どんな手段でも、俺は使う」


いつも通りの強い光を宿した目で自信たっぷりに紡がれたシンドバッドの言葉は、絶句、その一言に尽きる。
つまり彼は、なまえの気持ちも不老不死の苦しみも全て理解した上で、彼女の肩にそれを掛けようというのか。驚きと、憐れみと、ほんの少しの憎らしさとが左心室あたりでぐちゃぐちゃに混ざり合って、それから全身に隈無く送られてゆくのを他人事のように感じとった。

何故ここまで、非道になれるのだろう。
自分の主だと言うのに、全く分からなかった。分かりたくもなかった。何か言葉にしようとパクパクと口を開閉するも、何一つ出てこない。私の体の、なんと不出来な事か。

もし今、ここで彼女の為にとシンドバッドに掴み掛かる事が出来たなら。有り得もしないが、そんな風に出来たなら彼女は笑ってくれるのだろうか。…いや、そんな事をしても喜んではくれないだろう。ただ悲しそうに微笑んで、ありがとうと囁くだけ。そうして今私の目の前に聳え立つ眼光鋭い兄の気持ちを思って、また涙を流すだけ。結局、私がここでどう行動しようと彼女は苦しむことになるに違いないのだ。
ああ、それにしても、シンは本当に「おそろしい」人間である。


「邪魔をするなら、ジャーファル、お前と言えど容赦しないぞ」

「それもこれも全て、なまえの為なんだ」

「そうすればお前だって、あの子と死ぬまで一緒に生きていられるんだ」

「幸せな話だろう?」




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