当たってほしくない予想は、見事に的中していたらしい。未だにジャーファルさんの放った言葉に目を瞬かせている私を嘲笑うかのように、視界が黒い何か鳥のような何かで埋め付くされる。と、同時に、聞き覚えのある声音に鼓膜を揺すられた。


「あれ?お前アレじゃん、バカ殿んとこで会ったヤツ」


まだ少しだけあどけなさを残すこの声は、間違いなくジュダルという青年のものだ。一度しか会ったことはないけれど、何故かそう確信を持った。

ジュダル、くん。
小さくそう呟くと、黒い世界の中でも耳敏いジャーファルさんが物凄い勢いでこちらに首を捻ったのが分かった。ああ、どうやらジュダル君は、悪者だったらしい。少なくとも現段階では、ジャーファルさんにとっては、の話だけれど。

けれど、それでも、ジュダル君が一般的に見て「悪い部類」であることは何となく感じ取る事が出来る。何と言い表せばいいやら分からないが、兎に角こう、彼には黒が似合うのだ。黒い色と一緒にある事が自然に思えるような、そんな雰囲気と、無邪気なのか邪なのか分からない猟奇的な笑みが、私の神経を一本一本丁寧に逆立てているような気さえする。

そしてその感覚は恐らく、隣のジャーファルさんも抱いているものなのだろう。その証拠に、私の方を向いて改めて彼が紡いだ言葉の中には、偽る事を許さない、どこか切実な響きがあった。


「リンネ、彼と面識が?」
「…はい、実は先日、王宮内で」
「王宮内!?」
「は、はい、普通に廊下を歩いていたのですが…彼は一体…?」


小首を傾げてそう問うたものの、ジャーファルさんは私のジュダル君が王宮内にいた発言に目を剥いてしまってそれどろではないらしかった。結界魔法だって張ってある筈なのに、それを容易く破られたというのか?なんて、この国の情勢をきちんと把握していない私でさえ一大事じゃないかと危惧してしまうくらいの台詞を無意識に吐き出すジャーファルさんに、勿論私も目を剥かざるをえなかったのだけれど。


「…ああ、なるほど。つまりあの伝染病は…」
「ジャーファルさん原因が分かったんですか?…そして、あの、彼って…」
「おい、何二人して俺のウワサしてんだよ」
「え?」


彼の正体をジャーファルさんが口にするより早く、私たちの眼前には真っ赤な瞳が飛び込んできた。一瞬にして距離を詰めてきたジュダル君に対して思わず零れた疑問符が、彼の馬鹿にしたような笑顔に溶けて消えてゆく。

遊び感覚なのだろうか、至って無邪気な愉悦を隠しもせずに唇を歪に曲げるジュダル君。無論驚きもあり、上手く声を出す事が出来なかったけれど、それでもなんだか無性に、彼の姿は私の決して美しいとは言えない黒っぼい瞳で寂しげに揺れた気がした。

救ってあげたい、なんて、一瞬思ってしまう。自分は神でも仏でもないというのに、なんと傲慢な考えを抱いてしまうことか。


「あ、ジュダル…くん、きみ、は」
「俺?隣のコイツが言ってただろ?」
「え?」


顎でくいくい、と私の隣を指し示したジュダル君に釣られて、ジャーファルさんへと視線を向ける。ジャーファルさんはジュダル君に恨みでもあるのだろうか、まるでこの世の仇敵を見るかのようなゾッとする目をジュダル君へと投げていた。

背筋が寒くなる。ただ純粋に怖い、と思った。


「…彼は、煌帝国の神官です」
「しん、かん…?」
「彼は、ジュダルは煌皇帝に物を言ってのける事が出来る程の位にある…」
「こ、こうてい…」


東の帝国のトップに物申せる、と聞かされても、スケールが大き過ぎていまいちその凄さを理解する事ができなかった。シンドバッドさんだってこのシンドリアの王であるけれど、まず国の規模が違う。こちらの世界地図を見た時に初めに驚いたのが、その東の帝国の勢力範囲の広さであったくらいには。

そんな一大勢力の高位に、この全身を黒で固めた露出の激しい青年が、何故?

素直に生まれた疑問を隠すのも何だか面倒で、どこか吹っ切れたように目の前のジュダル君を見据える。彼の周りを囲むように飛び回る黒い何かが、私の耳元でもバサバサと小さな羽音を立てた。


「まーまー、俺のコトはそんくらいでいいじゃん。それより、」
「…それより?」
「この辺の奴らが死んでく病気の原因、俺なんだよな」


瞬間、背筋だけでなく、もれなく身体全てが固まった。思わず目を見開いて、息を飲んだ。

それはジュダル君の台詞が衝撃的過ぎたから、というだけでなく、ジャーファルさんの纏う雰囲気が明らかに変化したから、という事でもあった。命を懸けた戦闘なんてした事のない私でさえ分かる。隣から、純粋な殺意というものが放たれてゆくのが。

怖い。自分に向けられている訳ではないのに、どうしようもなく膝が笑う。こわい。

けれど、ただ怖がっていても何も始まりはしない。それは身に染みて理解していた。だから、だ。だから私の震える口蓋は、それでもか細くもあれ言葉を繋いだのだ。一体、ここの人達の身に何が起きたの。

両の拳をギュッと握ったまま口にすると、拳とは関係無い筈の足の指先までもがぎゅうと曲がった。ジャーファルさんが眷属器と呼ばれる武器を握り直す音が、海に夕陽が溶けようとする美しい海岸にやけに軽やかに浮かぶ。バックミュージックにしては味気ない、なんてそんな流暢な事を考える余裕はないのになあ。


「ハハッ、ここの連中って揃いも揃って真っ白いルフ飛ばしてるからさぁ、俺が少し分けてやったんだよな、黒いルフ」


黒い、ルフ。
ルフ、というのは生きとし生けるものものの源だと聞いている。こちらの世界に来て半年以上経っているので、一応魔法関係の知識も少しは入っていた。というより、主にヤムライハちゃんのマシンガントークで必然的に詰め込まれたのだけれど。と

は言ってもまだまだ魔法に関する私の知識は乏しい。ルフに有色のものがある事も知らなかった。だからこそ、黒いルフ、と聞いて、ごくりと生唾を飲み込んでしまった。

つまりこの、私の視界を覆うように飛び回っている黒い物体が「黒いルフ」という事か。ジャーファルさんがギリリと音を立てて歯軋りした事からして、どうやら相当にいけない物らしい。それはそうか、なんせジュダル君はこの黒いルフという奴で、数えきれない程のシンドリアの優しい人々を。

俺の黒いルフは真っ白いこののヤツらには刺激が強過ぎるらしくてさぁ、狙い定めて飛ばすと皆頭抱えて悶え出すだよな。それが面白くてさぁマジ。だから、すげー染めてやった。弱ぇヤツなんて全員消えろ、ってな。アハハ、傑作だろ?

えも言われぬ憤りに全身を貫かれている間にも、ジュダル君は口角を楽しそうに上げて自慢げに話を続けていた。ジャーファルさんの刺さるような視線が、横からでも感じられる。それでもジュダル君は気にしていない様子で、端正な顔立ちがこれでもかという程に荒いフィルタを掛けて歪む。そんな顔をしていた。

唐突に、心臓が冷たくなっていった。この子は何故、こんなにも笑顔で、人の命を潰せるのだろう。私達が全精力をかけて救わんとする命を、何故こうも容易く。
ふと、自分の救えなかった赤ちゃんが脳裏を過ぎる。どうやって頑張っても、頭を抱えても策を尽くしても助けられなかった小さな命。命は重いのだ。私の掌なんかでは受け止められない程に、重い物なのだ。それなのに、それなのに。


「ジュダル君…一体何人の人が、君の所為で命を亡くしたと…?」


声帯が、無意識的に震えた。何故、何故、何故。私の助けたい国の人々が、こんなにも呆気なく。この、歪んだ笑顔の青年の無邪気な悪意の所為で、なぜ?


「ハァ?んな人数なんて一々覚えてねーよ。大量だよ、大量」


私の中で、何かが崩れた。ただの寂しそうな男の子などではないのだ。あの時、王宮内で会ったことを、何故正直にジャーファルさんに告げなかったのか。自分の浅はかさに嫌気がさす。ああ、なんで、許せないのに。許せないのに、寂しいのは、何なのだろう。

本当に知らず知らずのうちに、私は何時ぞやの小刀を懐から取り出していた。何だか頭痛がする。ライブハウスに居るときに感じるそれと同種の、脳に直接纏わり付くような頭痛だ。ジャーファルさんが、私の名前を口にした事が、黒いルフ越しに分かった。けれど、だからと言って何なのだ?

この目の前の、刀を構える私を至極嬉しそうに見詰める少年を、倒さなくては。ある種の責務のような感情に苛まれて、深く深く、クリスタル製の小刀を握り直した。

なぜ、なぜ?何故、命を、奪って笑っていられるの。私には、理解出来ない。




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