白羊塔へ向かう為、緑射塔を真っ直ぐ歩いていた時。ちょうど中庭に差し掛かったところで、リンネを見つけた。いや、どちらかと言うとリンネとマスルールを見つけた、と表現した方が正しいのか。兎にも角にも、彼女は昼下がりの明るい中庭でマスルールと共にのんびりと笑っていた。

そう言えばリンネは昼食時になると姿を消すと聞いていたが、なるほどそういう事か。
遠目ながらもリンネの手にスプーンらしき形状のものが握られているのが確認出来た為、納得の意味合いのこもった吐息を吐き出す。書類を取りに戻るべく忙しなく動いていた筈の二本の脚は、無意識のうちに歩を進めることを拒否していた。

それはきっと余りにも彼女が、穏やか表情を浮かべていたからだろう。マスルールもマスルールで、普段より幾分か柔らかな表情を浮かべているし。

何なんだ、と思った。思ったが直ぐに、逆に自分が何なのだろうと思い直した。リンネとは別に特別な関係でも何でもないのに、こんなことで一々眉を動かすだなんて私はどうかしている。おかしい。冷静になれ。

そんな私の意志に逆らうように、腹の底の方は勝手にぐらぐら煮え立つように熱くなってゆく。今の自分はとてつもなく厄介である。が、それを自覚しているからといって子供っぽい苛立ちが消えてなくなる訳ではなく、寧ろ私の腹部に今度は痛みとなって現れてきた。

リンネが、木陰で楽しげに笑う。マスルールの頭を撫でる。何の会話をしているかは分からないが、きっと優しい声を出しているんだろうと推測はついた。当たり前か、リンネはマスルールに随分頼っているようだし。それにしても距離が近い。何を話しているというのだろうか。

今私がやるべきなのは、静かにこの場所を去って白羊塔に向かい必要な書類を文官から受け取り次の会議に向けて間違いはないかチェックを入れることであって、こんな場所でひとり情けない理由で油を売る事ではない。それは断言出来るのだが、どういうことか私の体は固まったまま動いてくれなかった。
それだけでは飽きたらず知らず知らずのうちに聞き耳まで立ててしまっているのだから、私も相当酷いところまで来てしまっているらしい。いや、他人ごとのように済ませられる問題ではないんだが。

そんな風にひとり悶々としていると、不意に、マスルールの右手がリンネの頭に伸びてゆくのが視界に写り込んだ。目を見開く暇もなく、その大きな手のひら、恐らく私より二回りくらいは大きいであろうそれがリンネの頭頂部に吸い寄せられるようにして乗った。

より一層に顔を綻ばせるリンネ。彼女のその表情が網膜に焼き付いた。それと共に腹の底でぐらぐら煮えていた何かが、コポリ、と音を立てて沸点に達したのを感じた。

いやだから、リンネは別に私にとって只の仲間であって、彼女だって私のことは只の仲間のようなものとしか認識していない筈で、なのに、何故こんなに腹が立つのだろう。何故マスルールに苛立ちを感じているのだろう。
答えは手を伸ばせば容易に捉えられそうな位置にあったが、それを掴み取ろうとは思わなかった。私も随分と臆病な人種だな、と思う。

一度大きく息を吸って、肺の中を新鮮な酸素て改めた。ゆっくりと目を閉じて、開けてみる。たったそれだけの行為だが、頭を冷やすには十分だった。馬鹿馬鹿しい。こんな無為なことは、今すぐ止めねば。今度こそ身体は脳の命令通りに動き出し、気付けば私は中庭の横を通り過ぎていた。

本当に、あれだけのことで自分の感情がコントロール出来なくなるだなんて。自分が気持ち悪い。確実にどこかおかしくなっている。というか、リンネにおかしくされている。断続的に溜め息を吐きつつ目的地に歩みを進める間にも、脳内では先程の光景が影をちらつかせていた。まあ、二人が私に気付かなかったからからまだよかったか。

そう思いはするものの、二人が一体何を話していたのかと、一日中気になって気になって仕方が無かった。





「マスルールくん、聞いて!」
「…なんすか」
「私ね、文字完全にマスターしたの」
「え…書けなかったんすか」
「え、うん、まあ」
「……」
「私の中では凄い進歩だなあ、うん」
「…よかった、すね」
「ありがとう、よしよし」
「…止めて下さい」
「はいはい」
「……」
「あ、そういうマスルールくんは文字書けるの?」
「…まあ、一応…?」
「なぜ疑問符…?」
「文字なんて何年も書いてないんで」
「でも見てはいるでしょう?」
「ハア、まあ…あ、」
「え?」
「……」
「え、ちょ、マスルールくん?」
「…葉っぱ、頭に付いてます」
「へ」
「…ホラ」
「なんだ、ありがとう」
「…なんだと思ったんすか」
「いや、突発的に頭をこう、ガシッと掴まれるのかと…」
「…なんで?」
「私が煩いからポイッと、ね、」
「……」
「いくのかなあ、って。あはは…」
「…リンネさん」
「はい」
「…案外バカっすよね」
「な、な!」





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