なんでも近頃の私は、仕事人間と呼ばれているらしい。
というのは、怪我をした患者さんが教えてくれたことで、もちろん初耳だった訳だけれど、不思議と驚きはしなかった。仕事人間と聞いたとき、ああ確かにそうかも、と思ったのだ。数日前にシンさんに、最近リンネがジャーファル二号に見える、と言われていた事も理由のひとつかもしれない。

兎にも角にも、私がワーカホリックになりかけている事だけは変えようのない事実である。


「あ、いたいた、リンネ。ちょっといい?」
「ヤムライハちゃん。どうしたの?」
「あなたに荷物が届いてるの」
「荷物?」


医務室の扉から顔を覗かせたヤムライハちゃんの元へと歩いてゆくと、彼女はふわりと微笑んでから私に葉書程のサイズの箱を差し出してきた。綺麗な水色の箱には、ご丁寧にもリボンがかけてある。怪訝な表情を隠すことも面倒なので、眉根を寄せたままでそれを受け取る。誰からなのかと聞けばヤムライハちゃんは宝石のように輝くエメラルドの御髪を揺らし「さあ?」と首を捻った。


「リンネの部屋の前を通りがかったら置いてあっただけだから、私は分からないわ」
「部屋の前に置いてあった…?」
「ええ。カードにはリンネの名前が書いてあるから確実にリンネ宛てだと思うわよ」
「…なんか嫌な予感しかしないね」
「え?なんで?」


嘘を吐く事があまり上手くないヤムライハちゃんが至って不思議な面持ちで小首を傾げているということは、これは彼女や周りからのドッキリという訳ではなさそうだ。だからと言って、私は突然プレゼントを貰うようなこともしていないし、誰かに想われているとも思えない。とすれば、他に考えられる選択肢は一つ。悪質な嫌がらせである。毒入りの食べ物か、血の付いたナイフか、はたまた脅迫状か。刑事ドラマの見過ぎかもしれないけれど、そんな考えが浮かんできた。

一度だけ肩で息を吐いて、それからヤムライハちゃんに多忙の中わざわざ届けに来てくれたことへの感謝を伝える。彼女は「私がリンネに会いたかったから」なんて嬉しい事を言ってくれた。ああ、本当に、なんて私は良い環境に身をおいているのだろうか。


「で、開けないの?」
「え、ああ、…うん」
「なんだ」
「開けた方がいい?」


何が出てくるか分からないけど、は胸中に留めておく。ヤムライハちゃんは私の質問に対して、ちょっと興味があっただけだからいいわ、と答えながら何故か私の肩をバシバシ叩いた。どうやら完全に、この箱の中身が私への愛を伝える為のプレゼントだと思っているらしい。その可能性は限りなく低いと思うけども。寧ろ憎悪が詰まってる可能性の方が高いけれども。

ただ、私はそんな風に人の恨みを買う行動をした覚えがない、という気持ちが私の心のどこかで引っ掛かってはいた。けれどよくよく考えてみれば、私はシンドリアに大した貢献をしている訳ではないのにシンさん達から厚遇を受けているし、診察や治療の手際も良くはないし、助けられなかった命だってある。つまり、他人から恨まれたって不自然ではないのだ。

自分自身の情けなさに内心で盛大な溜め息を吐いている私に対して、ヤムライハちゃんは矢張り変わらず美しい笑顔のままゆったりと口を開いた。


「じゃあ、後で開けたら何が入ってたか教えてね」
「うん、分かった」
「楽しみだわあ」
「そう?」
「うん。あ、じゃあもう私行くわね。忙しいところお邪魔しちゃってごめんなさい」


にっこりと、優しい笑みで小さく肩を竦めるヤムライハちゃん。なんで同じ人間で、歳だって一つしか変わらないというのに、醸し出す輝きはこんなにも違うのだろうか。考え出したらキリがないし何より心が折れそうなので、悲しい事実は頭から追い出して、彼女を真似た笑顔を返した。


「こちらこそ、多忙だろうにありがとね」
「いや、私の忙しさなんてリンネに比べれば全然よ」
「そんなことないでしょ」
「あるわ。だってリンネ、ここ三週間休みも取らずにずうっと働き詰めじゃない」
「あー…まあ、ね」
「感心はするけど体調には気をつけてね」
「うん」
「…辛いからこそ頑張ってるのは分かってるわ。でも、やっぱり、私はリンネが心配よ」
「…うん。ありがとう、大丈夫」


そうやって言って微笑んでみせれば、ヤムライハちゃんは少しだけ寂しそうに眉間を寄せた後、くるりと私に背を向けた。またね、と私よりも背丈の高い後ろ姿から放たれた言葉に、再びのお礼を口にしてから、またね、と同じ言葉を彼女の背中に戻す。エメラルドグリーンがアクセントになっている彼女の綺麗な後ろ姿が、廊下の角を曲がり視界から消えるまで見つめ続けた。

まだヤムライハちゃんと向き合っていた時に、こうやって今みたいにしっかりと彼女の青い瞳を見詰められれば良かったのだろう、と思う。私はやっぱり臆病だなあ、なんて、無性に嘆きたくなった。現状を嘆く資格なんて私には無いというのに。私はただ、前に進まなくてはならない、というのに。

正体の掴めない虚無感に肩を落として、医務室の中、自分のデスクへと戻ってゆく。丁度、最近の流行病に対する対処法についての報告書を作成していたところで、デスクの上には苦労して覚えたこちらの世界の文字が細かく綴ってある作りかけの書類が日の光を受けてキラキラと光っていた。吐息と共に、受け取った箱をその横に静かに置く。この書類は、あと二時間で終わりにしないとなあ。

二度目になるけれど、私は今、自分でワーカホリックと言ってしまえるくらいに仕事に打ち込んでいる。昼夜を問わず、出来る限り。

あの子を死なせてしまったこと、それが私が仕事に全身全霊を注ぐきっかけとなっていた。小さな命を救えなかった私に出来ることを、ジャーファルさんの言葉のお陰で考え始める事が出来たからだ。頑張りすぎ、なんて周りから幾ら言われようと自分で納得がいかないのだから仕方無い。他の誰でもなく私が頑張りたいのだ。もう誰の命も失わせたくないのだ。
だからまた私は、こうして書類と睨み合いを始めるのだった。





「…開けてみよ」


深夜零時過ぎ、ようやく仕事を終え自室に戻り、一息ついた頃。不意に今日受け取ったプレゼントの存在を思い出して、それを開ける事を決心した。とは言え、中に何が入っているかは分からない。心してかからなくては。

可愛らしい赤のリボンを、無意味に息を潜めながらするり、と静かに解く。もう一度お腹の中で覚悟を決めてから、淡い空色の箱を恐る恐る開けた。


「…え、髪留め…?」


箱の中には私の予想したような脅迫状もナイフもなく、代わりに名前も知らない花をあしらった細工の美しい髪留めが確かな存在感と共にそこにあった。警戒心は持ちつつも、それをゆっくりと手のひらの上に置いて、目線の高さまで上げてみる。どこからどう見ても、ただの高そうな髪留めであった。

細かい細工と透き通るようなガラス玉がふんだんにあしらわれた立派なそれは、ランプの赤っぽい光を受けて眩しいくらいにキラキラ輝いている。あまりに綺麗で、思わず見惚れた。けれどそれと同時に、こんな高価な物を私が本当に良いのだろうか、という不安も小さな芽を出した。

誰が一体、どういう意図でこんな素敵なものを私に。
そんな容易に答えは見つからなそうな思案を始めた私の視界に、ふと髪留めの下に入っていたメッセージカードが滑り込んできた。流麗ながらも几帳面さが伺える筆致が、私の網膜の上でまるで見せ付けるかのように悠々と踊る。左胸の辺りがじんわりと暖かくなってゆくのが分かった。

『貴方の努力が、報われますように』





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